2021年5月10日月曜日


コラム216 <古美術屋で>

 会社員風の中年の男がある古美術屋の前を通りかかった。店に入ってすぐの所に抹茶碗が置いてあった。店には耳の遠くなりかけた(本当かどうか知らない)バアさんが一人。
 〝これいくらするんですか?〟
 〝ハァ~?〟
 〝これいくらするんですか!?〟
このバアさんは〝ちょっとお待ちを……〟と言って奥に入って行き、店主らしき人に〝店先にある茶碗、いくらだったかねぇ?〟と聞いた。
 〝萩の茶碗かい?あれは30万円だ〟
という声が客にははっきり聞こえた。バアさんは客の所に戻ってきて
 〝それは10万円だそうです……〟とこたえた。
客はすかさず財布から10万円を取り出して支払いを済ませ、足早に立ち去って行ったという。 

 昔は古美術・骨董屋と銘木屋は値段をつけずに観る眼があるかどうかの試し合いをして、眼がなくて騙されても文句の言われる筋合いはなかったそうだから上記の出来事は店番のバアさんと奥のジイさんの見事な連携プレイの勝利であった。 

 騙されてはじめて鍛えられる鑑賞眼ということもあるから、欲を出さず程々に楽しんでいる分には愉快な世界なのだ。遊んでいるうちに次第、次第に観る眼が養われてくる。私は箱書きや作者の名などにとらわれず、自分が魅かれていいと感じたものだけを買ってきた。だから私の場合、騙されたかどうかさえ判らない。私には行きつけの古美術屋さんが四軒、他地方に行った時に時々立ち寄る店が数軒あったが、長いつき合いの内に色々教えてもらったし、さまざまのものに触れさせてもらった。人間関係も十分楽しませてもらった。長い間には向こうもこちらの好みが判るようになってくる。楽しい談義の想い出も沢山ある。皆、つき合ってくれてありがとう!ありがとう!ありがとう!



2021年5月3日月曜日

 コラム215 <縦割行政>

 

 年度末 工事騒がし テレワーク

      できる訳ない 音聞こえねば

           ———築200年(江戸時代)の商家の住人———

         



2021年4月26日月曜日

 コラム214 <脳出血(視床部)の後遺症:左片マヒと強烈なしびれ>

  約一カ月半の救急病院から松戸リハビリテーション病院に転院した直後は左足先から脚の付け根までの大仰(おおぎょう)な装具を付け、脚立のような杖を使って歩くのがやっとだった。そうしないとヒザが折れて歩けなかった。当然左脚のヒザが固定されて脚が棒状になるから俗に言う〝ブン回し〟という歩き方をしないと先に進めなかった。その後杖は脚立状のものから四点杖へ、さらに四ヵ月後位には不安定ながら一点杖で、何とか院内を見守り付で歩けるようにまでなった。トレーナーである理学療法士の荒堀さん(PT)が、懸命にやってくれたおかげである。その後移ったのが信州上田市の鹿教湯温泉内にある鹿教湯病院である。リハビリテーションの世界では歴史も古く、定評もあったが身体がほとんど動けぬ状態で遠くの病院に入院することは不可能であった。最初の頃は一点杖で歩いている人を見ては、私も一点杖で歩けるようになるのだろうかと不安に思ったものだった。鹿教湯病院での密度の濃いリハビリのおかげで……それにメインで担当してくれた須江さん(PT)と西條さん(OT)二人のセラピスト達との相性もよかった。ここを退院するまでの三カ月程の間に山道もだいぶ歩けるようになった。(何せ山中の病院だから一歩外に出れば坂道だらけなのである。)上級コースも幾度か歩いた。隣に人が寄り添って歩き、かけ声をかけてくれるだけでも大きな励ましであった。あれから三年余り経つが、今苦しんでいるのは、段階的に強くなってゆく左半身の強烈なしびれである。それが歩行や左半身の動きに大きな影響を与えている。しびれというものは厄介なもので、しびれ専門の病院も三ヵ所訪ねたが、これといった特効薬もなく、錠剤と漢方薬が処方される位で、長く続けているがこれといった効果が出ない。しびれはリハビリの対象ではないようだし、医師も〝諦めて付き合っていく覚悟でいて下さい〟などというところをみると薬も含めて打つ手なし、治療法の決定打はいまだ無い模様だ。終日続くこの苦しさはおそらく他人の目に映るよりはるかに辛いものだ。

先日ベトナムに住んでいる息子夫婦が今回のウィルス騒ぎで国外に出られなくなり約二年半振りに訪ねてきてくれた。帰り際に息子と並んで撮ってくれた写真をそのあと送ってくれたが、こちらの方は自分が思っているよりはるかに病面(やまいづら)であった。20キロも痩せたのだから当然といえば当然だが体調の悪さがあまり顔に出ないタイプだと思っていたから、一見して病人と判る自分の風情は少々ショックだった。晩年親しくさせて頂いた仏画師・安達原玄さんが残された次の言葉が即想い出された。
〝心 衰える日は凛として立ちましょう〟
 これ位のことで即判る程の病面(やまいづら)は少々だらしが無さ過ぎる!その写真を見ながら、辛くともできるだけ病人面はするまいと思った。まわりの人を元気づける訳でもなし、自分をも元気づける訳でなし。後に〝死ぬ二カ月前の写真です〟と見せられてもそれを疑う者はいないだろうと思われるような写真なのだから……。写真という漢字の意味を改めて知らされた。写真とは真実を写すと書く。誠にその通りである。 

不思議なことに同じ部位を同じ程度にやられても、後遺症の出方は皆違うらしい。ここが人間と機械との違うところなのだろう。視床痛という言葉がある通り、ここは色々な神経の通り道らしく、厄介なのだそうである。でも私はがんばる!

2021年4月19日月曜日

 コラム213 <平和 ——病をかかえて—— >

 

国の平和、地球の平和は勿論望むところだけれど、そんな遠く大きな平和の前に
となりの人と 仲よくしよう
となりの人に 親切にしよう
まわりの人と 仲よくしよう
まわりの人々に 親切にしよう

 それがまずもっての、最も身近な平和の礎(いしずえ)なのだから……
誰にも言えない悲しみを胸にかかえて込んでいる人達は沢山いる。
一見明るい人達だってあるいはそうかもしれない。
だから身近な人達と仲よくしよう、親切にし合おう。それが人生の甲斐というものなのだから。
その人の苦しみにとってかわることはできないけれど寄り添うことはできる。思いやることはできる。その養分のない土からは、落胆、絶望、悲嘆、苦痛、悲劇、残酷などの芽が生え出てくる。

  思いやりや、やさしさは人類に与えられた最大の宝である。




2021年4月12日月曜日

 

コラム212 <人類は破滅に向かう>

  深い悲しみがまだ癒えぬうちに、これでもか、これでもか、と暗い出来事が襲い掛かってくる。人類の歴史の中で幾多の戦争や惨劇が繰り返されてきたことは知識として知ってはいるが、70年余り生きてきた私には現代のこの状況はそれらとはまた性格を違えているように思えて、さらに我々の心を重くかつ不穏にさせていく。

  最近の主たるものを列記しただけでも

  ・年々大型化していく天災(地震・津波・台風・大雨・洪水)
  ・新型コロナウィルスの地球規模の蔓延
  ・豚コレラ、鶏インフルエンザ、感染症による牛の大量殺処分
  ・各地に根を張り拡がっている人種差別
  ・温暖化はじめさまざまの地球の環境問題
  ・原発及び核拡散問題
  ・人種間の戦争
  ・難民問題
  ・北朝鮮のミサイル問題
  ・中国の覇権問題・人権侵害及び米国を中心とした他諸国との対立応酬
  ・ミャンマーの軍事クーデター
  ・いつまで続くか見通しのつかぬイスラエルとパレスチナの対立・抗争 

その他挙げればきりがない程だ。不穏な空気が世界中を覆い、人類破滅・地球絶滅が現実味を帯びてきている。こうした事態の源を辿れば、この美しい命の星地球において美しい心を与えられたはずの人間が神の願いも空しく、人間であることから逆走を始めたところに始まっていると私には思える。人間であることを深めるより、経済的富者であることを求め、権力の覇者であることを望み続けて神の怒りを買っているのだ。もしそうだとすれば、人類も地球も破滅・自滅に向かわない訳がない。特に紀元前より偉大な人物を数多く輩出した中国は最近どうなってしまったのか。かつて精神文化の多くを中国に学んだ日本とて、その例に洩(も)れない。この世に命を受けた意味を人間達は殆ど考えなくなり、欲望のおもむくままに彷徨(さまよ)い人生を送っているように見える。人間は権力と経済の奴隷として地球に生を受けているのではない。





2021年4月5日月曜日

 

コラム211 <住宅設計者としての素質>

  これについて天性の造形センスだのという人がいるかもしれない。私はそういうこともあるにはあるが、それ以前に機転が利くといったことがあるのではないかと思うようになった。機転が利くということは、人の気持、思っていること、求めていることを直感的に察することができるという意味で素質の第一に挙げたいのである。

  私はこのことを考えるに今は亡き名棟梁高橋勉さんのことを思い出す。大分前のことになるが、ある大学生(A君)が大学を辞めて大工職人になりたいと言って、修行先を紹介してほしいと東京本部を訪ねてきた。今は職人のなり手がいないとよく言われるが、伝統の技を身につけようとすると、実はなり手よりもさらに育て手がいないことが判ってくる。
 それはそれとして、育てる側と育てられる側とには世代間の隔差もあるし、生まれ育った時代も環境も違うから、さてどうしたものかと思ったが、どんなことがあっても少なくとも5年間はやめないという条件付で、私とのつき合いも古く、腕も気性もよく判っている高橋勉棟梁に相談し、受け入れてもらった。A君にとっては人生の方向を大きく変えようというのだから勇気のいる決断であったろうし、その分真剣でもあった。
 半年もしないうちに勉さんから電話が入った。
〝ありゃあ、ダメだ!〟
なぜダメだと判断したのか聞いておきたかった。その時に第一にあげたのが、
〝気がきかねぇ!〟だった。
例えば、〝カンナ台で板にカンナをかけてるだろう。手元に引いてくると先端の方がゆれる。普通ならそこを押さえるか、押さえましょうか位言うのが普通ってもんだ。それがそばにボケーッと突っ立ったまま眺めてるだけなんだよ。〝押さえろ!〟と言えば〝ハイ〟と押さえるよ。しかし今度は放して欲しい時も押さえたままだから〝おい、放せ!〟と言わなきゃ放さない。あんなんじゃ職人にはなれやしねえ〟とのことだった。
私もなるほど、と思った。これは大工職人に限らず、設計者とて同じことだと思った。相手の求めを言われずとも察する感覚というものはどこでどう育くまれるものだろう。「指示待ち人間」などという言葉が使われ始めたのはもう随分前のことだ。こうした状態は恵まれ過ぎ、親の過保護、過干渉が影響しているにことにまちがいはないだろう。気を利かせなければならない場面が少ない中で育ってくるのだろう。近年機転が利く人間、気配りのできる人間がめっきり減ったと感じるのは私ばかりではないだろう。人間のロボット化である。 

勉さんからの電話から数日してA君が本部を訪ねてきた。そしてこのように訴えた。
 〝ボケーッと突っ立ってんじゃないよ!と棟梁に怒鳴られてもボク、どうしていいか判らないんです……〟と目に涙を浮かべている。
 さすがに私もこれは職人は無理だと思った。この事件の数年後に同じく大工職人になりたいといって訪ねてきた20歳足らずの若者T君はこれはりっぱな職人になれる、と直感させる何かがあった。一通り話終えたら私が出した茶碗をさっさと台所へ片付け、一連の身のこなしのリズムがよかった。場所は関西でもかまわないというので関西の住まい塾で最も実績のある奈良の巽棟梁にあずかってもらった。予想通りT君は順調に成長し45年でほぼ一人前の大工職人に育った。この差は、やはり、気がきくこと、細やかな気配り、気働きの差が大きかったように思う。弟子を育てるにじょうずな人、へたな人もいるにはいるが同じように育てられる側にも向き不向きがある。どんな仕事にも共通しているように思うが、育つかどうかの第一要件はこの〝機転が利くかどうかの気働き〟にあるように思う。



2021年3月29日月曜日

 コラム210 <「専門家」と「素人」と>

70才を過ぎて、脳出血で倒れ、さまざまな病院に出入りしているうちに自ずと思われてくるのは、医師は病については知っているのだろうが、一患者たる人間について知っているだろうかという疑問であった。患者の方を見ずに、パソコンの方を向いて、たまに患者を横目で見ながら話を聞きながら診察する姿など最初の頃は異常に思え、〝患者はパソコンじゃない。こっちだよ!〟と言いたくなったものだが、今はそんな姿が普通になった。医師でも、建築家でも、弁護士でもいい。専門家が素人よりその分野についてよく知っているのは当然である。ここまではいいのだが、ここから先が問題だ。
 私の専門は住宅だが、住宅について専門家として年期を積めば色々な場面で経験を積んで成長していくだろうが、これが心掛けを誤ると、専門分野以外についても他者即ち建主(クライアント)より優れていると錯覚しはじめるところに危険がある。そんな保障はどこにもない。人間性に優れているか?美的感覚において優れているか?生活センスにおいて優れているか?特に人間の徳性においてどうか?品性においてどうか?多くの専門家達は、ここで大きな過ちを犯す。自分を人間的に鍛えぬまま、〝先生〟などと呼ばれるのがわざわいの原因のひとつとなる。何が先生であるか!明らかな誤びゅうであり、錯覚である。こうして、ごうまんという罪を犯すことになる。 

 『住宅建築』の創刊者であり、敬愛する建築ジャーナリスト平良敬一氏は昨年お亡くなりになったが、その創刊の辞に、「一軒の家は断じて一建築家の作品などと呼んではならないものだ」と心の底から叫んでいる。私もそう思う。だからこそ、専門家達は人間として謙虚たれ。特に人間としての徳性において豊かであれ、と心のうちで訴えているのである。これはすべての専門家達に対して言えることである。りっぱな方々もいるにはいる。だが人間社会を総体で見るに専門家達は人間を磨くことを忘れている。これは専門家達だけではないかもしれない。素人達も専門家達も人間を磨くことを深く忘れている。

  最近読んだ三浦綾子さんの『言葉の花束』という本の中に、「吉田兼好は健康な者を友に選ばなかった。病んだことのない者は憐みの情が薄いと思ったのだろう。」と書かれていた。人間はそれこそさまざまだが、脳出血で倒れて三年余りのうちに私もそのように思うようになった。他人の病の苦しみを分かち合ったり、理解したりすることはできないが、苦しみを察することは多少できるようになった気がする。
 先日病院の廊下ですれ違った車椅子の人は右ヒジから下が無く、トレーナーの袖がそよそよとゆれていた。次に会った時には、ヒジから下とばかり思っていたら肩から腕全体が無いのだった。表情も挫折寸前の感があった。どんな思いで毎日を送っていることか……。これから先の生涯に一筋の光でも見い出せればいいのだが……と祈っていたが、まもなく退院していかれた。



2021年3月22日月曜日

 コラム209 <今朝の贈り物>

  私の仕事場≪住まい塾≫では東京・大阪本部それぞれで木造の「設計者養成塾」というものをやっている。住まい塾をスタートしてからまもなく、世の中にしっかりした木造の設計者がきわめて少ないか、ほとんどいないに等しいことが判って内部で養成するしかないと踏んで学び合いの場としてスタートしたのである。
 それに住宅、特に木造の勉強をしたいと思っていたのに経済的な理由から、それが叶わず学校に行けなかったというような人もいるに違いないし、大学に入っても木造については一般教養程度にしか教えられないから、木造住宅については的がはずれたと思っている人も少なくない。だが昔から多くの人間が木造の家に接しながら育っているのだから専門領域というよりも、一般常識の領域に入ることも多いから、その気になれば独学でも十分できるようになるし、そばにアドバイスできる人がいれば、木造住宅設計者には十分なれるのである。そんな思いから始めたのである。最初、受講料は無料であったが、無料も良し悪しで、現状は年間4万円頂いている。 

 去る313日(土)朝9時半から今年度最後の養成塾があると聞いていたが、退院してまもない私は体調が悪く、参加できないと思っていた。しかし、遠くからやってくる養成塾生達の情熱を考えると体調が悪いなどとは言っていられないと思い、歯をくいしばって起き上がり、一階に下りた。だが少なくとも一時間前には来ているはずのスタッフ(講師達)が一人もいないし、照明も点いていない。どうしたことかとスケジュール帳を改めてみたら、14日(日)の見まちがいであった。がっかりしたが、そのまま離れの洗面所に向かい、歯をみがき、顔を洗っている間中、冷たい雨の中で野鳥が近くの梢にとまり、ツィーッ、ツィーッ、ツィーッ、チッ、チッ、チッとさえずって、まるで朝のはげましに来てくれたようでうれしかった。私も入り口の扉を開けてオハヨウ!オハヨウ!と繰り返した。思い違いが生んだ寒い朝の贈りものであった。



2021年3月15日月曜日

 

コラム208 <日本人の精神から深く抉(えぐ)られたもの>

 

第一に金儲け以外に対する情熱
    第二に礼節:これは予想外であった。〝衣食足りて礼節を知る〟と言われ続けてきたからである。
そして特に男達から大きく失われたのは勇気と仁義だ。
 電車のドアが開いた途端、空席をめがけて我先にと突進する男の姿などを見ていると「恥の文化」と言われ、ある意味で世界から賞賛されていた国が見事なまでに恥を知らない国となったと無念に思われる。仁義などという言葉は時代が古いと言われるかもしれないが、それと共に男の美学が失われた。DVD化された仁義・任侠ものの映画は今でも人気が高いらしく値が下がらないところをみると男達の胸の内には失われはしたが、どこか潜在的に魅かれるものがあるのかもしれない。しかし今日の日常に見る限りこんな気概を持った男はもはや絶滅に近い。
  大阪本部は東京から数年遅れて始まった。新潟長岡の材木屋さんから紹介された大阪の大きな材木商の社長と最初に会った日のことが忘れられない。住まい塾にかける私の思いを色々したあとこの社長はこう言ったのである。 
 〝一肌脱がせてもらいますわ…。〟
懐かしい言葉であった。
 次に思い出すのは数年前のことである。ある人を通じて一度ぜひ会いたいと言われ続けていた画家でいたが、ある酒場で急に会うことになり、酒を呑み交わしながら言われた言葉も忘れられない。
 〝あんたのためならワシ命張りまっせ!〟
私はヤクザとも右翼とも縁はないが、どういう訳かこういう任侠に近い人と時々出会う。前世で、任侠の世界と縁があったのかもしれないと思う時がある。儒教の教えが薄れ、仁や義の教えも薄れたが、日本の長い歴史の中で、この儒教の根は侍の美学・男の美学などに深くかかわりを持っていたのであろう。日本の男達から最も深く抉り取られたものはこの辺のものであるかもしれない。

  仁義だの任侠だのというと、ヤクザの世界のことしか思い浮かべない人が多いようだから念のために記しておく。(『辞林21』より)

<仁義>:ジンギ

      儒教で実践道徳として最も尊ぶ仁と義。
      人間が守るべき道徳。
      他人に対して礼儀上なすべきつとめ。義理。
<侠・仁侠>:ニンキョウ
 弱い者を助け、強い者をくじき、戦のためには命を惜しまない気風。おとこぎ。



2021年3月8日月曜日

 コラム207 <私は臨床体験派 その②>

 ③エアコン暖房と床暖房

 さて、どちらが快適かと思い、代わる代わるつけて寝てみた。床暖房の方はその上に布団を敷いて寝ても、うっかりそのまま床の上で寝ても、朝のめざめに不快感は無かった。一方、エアコンの方はノド・ハナが乾いて快適とはいえなかった。エアコンも日進月歩だからこの辺のことは今は改善されているのかもしれない。エアコンはどうしても送風しなければならないから原理的にオンドルに近い床暖房がエアコンに勝るのは当然かもしれない。


 ④住宅に関係はないが、ついでに以前、薬について書いた
<コラム204,205>が、大して効きもしないのだから実験的にすべての薬をやめてみようと思い立った。その結果を報告する。

 夜中トイレに起きようとしてベットの上で体を起こしたら、めまいとはきけでふらついて、とても起きられない。しばらく休んでは二度三度と試みたが、その症状はおさまらない。とはいえそのまま立ち上がってトイレに行っては途中で倒れること必定だ。マヒ側の左足も硬直して棒のようになっている。肩・腕のシビレからくる苦しさも半端ではない。これは新たに脳梗塞でも起きたかと思い、なにせ夜中の三時半頃のことゆえ、ビックリするだろうとしばらくがまんしていたがこれはダメだと別棟で休んでいる連れ合いをケータイで起こして来てもらった。バナナ少々、経口水、夜の薬を飲み、静かな音楽をかけてもらって1時間ほどしたらやっとトイレに行けるまでになった。今思えばそれまでが傑作だった。連れ合いが持ってきたステンレスボールは大き過ぎて両足の股間に入らない(大は小を兼ねるとでも思ったのだろう)。二まわり程直径の小さいタテ長のものを持ってきてもらってやっと用を足した。ステンレスボールで用を足す気分もあまりいいものではないが、そんなことを言っていられる場合ではない。それでもいくら何でも連れ合いの前だから緊張してかスーッと出てこない。遠慮がちにチョロチョロ出るのだがそれでも助かった。もう使うことはないだろうと尿器を本部に置いてきてしまったからステンレスボールと相成ったのである。油断大敵:これで学んだのは効かなさそうに見えても一気にすべての薬を止めるといった馬鹿げたことはやめた方がいいということだ。効いていなさそうでいて、抑止にはなっているのだ。やはり、やめる時には医師の意見を聞いた方がいい。薬全面中止の臨床実験は一夜にして挫折した。

 

2021年3月1日月曜日

 

コラム206 <私は臨床体験派 その①>

  住宅の仕事をしていると、確信をもって判断できないことが色々ある。身をもって体験していないことがらについては、なおさらである。その時はどうするか。できることなら身を張って体験してみたいところだ。そのように考えて試みたことがいくつかある。それをここに思い出すままに挙げてみようと思う。

       蛍光灯と白熱灯・LED

 今はLED時代だが、蛍光灯全盛時代に我々は白熱灯にこだわり続けた。電磁波の問題もやゆされた。蛍光灯にだって白熱灯色というものがあるにはあるが、ガラスの色だけで解決する問題なのか……
 そこで私はこの二点をそれぞれ朝まで点けっ放しで寝てみた。結果は蛍光灯の方は目がはれぼったくなり、めざめの気分が不快であった。一方、白熱灯の方はそんなことはなかった。調光器(明るさを調整できるスイッチ)で薄明りにして眠るのも、夜トイレに起きたりする時の安全性という意味でも、安眠という意味でも白熱灯の方が良好だった。さらにLEDの出始めた頃、同程度の明るさ(コードペンダント)の下での食事やフルーツ等、どちらがうまそうに感じるかを実験したが20人中18人が白熱灯に軍配を上げた。蛍光灯とて同様である。食物だけでなく、食卓を囲む人の顔の色や表情までが白熱灯の方がよく見えるという結果であった。現在はもうLEDの時代となり白熱灯の照明器具そのものが絶滅気味だが、限りなく白熱灯色に近づけようとする開発努力が実って、LEDも白熱電球にほぼ近いものが売られるようになっている。LEDをつけっ放しで寝たことはまだ無いから目ざめの気分については不明である。

 

      エアコンと八ヶ岳山中の同一温度は同じか

ある年の8月、八ヶ岳の山小屋で暮らしていたら急遽、大阪と福岡に飛ばなければならなくなった。その頃はまだ松本空港から大阪の伊丹空港便があったから車で松本空港まで行き、飛行機に乗った。山小屋は8月といえども室温が24度を上まわることはまずないし、朝夕は21度位に、日によっては15度位にまで下がり暖房をつける時がある程だ。こんな山の生活からいきなり、1,2時間で大阪の35度前後の生活に飛び込むのである。眠れないのは勿論である。そこで、私はいいことを思いついた。つい昨夜まで21度生活をしていたのだから、同じ室温で眠るのが一番自然だろうと考えて、エアコンを21度に設定して休んだ。だが眠れない。山小屋は涼しいという感じだが、エアコンの同温度はまろやかさに欠け、鋭角的でイタイタしい冷たさだ。これも慣れの問題か、と二日三日と21度のエアコン生活を続ける内に完全にグロッキーになった。その分野に関係している人間達にも聞いてみたが、この原因はいまだに判らない。湿度の問題だろうという人もいるが、そんな単純な問題ではないというのが私の実感だ。暑くとも汗が出ない。完全に自律神経失調気味になった(今でいう熱中症の逆のようだ)。その後大阪から福岡に飛んだ。三日間の滞在であったが、暑さこの上ないのに屋台のラーメンでも食えば汗が出るかと替え玉まで食べたら、益々気持が悪くなって打合わせを済ませて、すぐ宿で横になった。
 この時思った。自然の中の21度とエアコンで人工的に作り出される21度は根本的に何かが違う。空気の質と言ってしまえばそれまでだが、空気の質とは何だ?と聞かれると明確には答えられない。単純に湿度の問題なら技術でカバーできるだろうが、そんなことだけではなく空気の成分分析をすると、きっと分子構造が大きく違っているに違いない。その後、エアコンや物理の専門家に問うてみたが素人の予想の域を出ない解答しか得られなかった。人間あまり驕(おご)るなよ。自然は圧倒的に偉大なのだ。それを人間の考え出す科学技術で何でも補えると思ったら必ずしっぺ返しをくらう。臨床派住宅設計者として、身体を張ってきた私はそう断言する。 

 

2021年2月22日月曜日

コラム205 <薬 ②>

 

 記されている薬の説明書を読むと、効能より副作用の方がはるかに多い。その副作用のためにまた薬が加えられるから、素直にこれ式でいけば際限なく増えていくことになる。それぞれの薬の副作用は記述されているが、三種以上も混合された場合の複合副作用については医師や薬剤師にも判らないことが多いと聞く。判らないことが多い、ということは判らないということだろう。

 

 私の経験からいうと、こちらから申し出ない限り出される薬は減らないということだ。明らかに副作用が強い場合にははっきり止められるが、どんな程度かはっきりしないことがほとんどだ。少なくとも医師の判断でもう必要ないでしょうと言われて減ったことは一度もない。素人ながらに考え、こちらから申し出て減った薬は以下のものである。

      糖尿(インシュリン)

 ある日食卓テーブル仲間(4人)の内の一人が〝インシュリンを長くやってるのは体にあまりよくないらしいね〟と言ったのがきっかけである。そもそも4人が4人共、毎朝シャツの裾をめくり上げて注射(インシュリン)を打たれている姿は格好いいものではないし(中にはデブッチョもいるし)、〝このテーブルは麻薬患者の集団みたいだな…〟と言って笑い合った。そもそも私の血糖値は見舞いに持ってきてくれた団子だの、饅頭(まんじゅう)、それに糖度の高い果物を食べた後が高い位で大したことはなかった。

      血圧を下げる薬

      鬱になりにくくする薬

      便通をよくする薬(マヒによって腹筋力他が低下するから、ほぼ全員に出されるようだ)

 

極力薬を少なくしたい旨を医師に伝え、自分なりに知った代用となる食品で対処したいと申し出てOKがとれた。

①については、うまい!といって饅頭などををパクパク食べないようにし、

②については、黒酢ニンニク、黒ニンニクを毎日食べるようにし、

③は体が自由に動かないのだから、多かれ少なかれ皆ウツウツしている。だが、〝私は音楽を聞いたり、読書をしたり、文筆したりするから薬が必要な程にはならないと思います〟と申し上げ、

④についてはキノコ(特に舞茸がいいらしい)、キウイフルーツ、オリーブオイル、野菜サラダ、チーズ、ヨーグルトを食するようにすることで合意が取れた。できることなら、これが一番自然なことである。

については鹿教湯病院の主治医だった院長先生が、〝脳卒中(脳出血や脳梗塞など)を起こした直後はどうしても血糖値が上がるからね。高橋さんは元々は糖尿病ではなかったと思いますよ〟と言ってくれたので、これでスッキリした。おおらかな良い先生だった。

 

 

 

 

2021年2月15日月曜日

 コラム204 <薬 ①>

  
 高齢者ともなれば保険の自己負担割合が低くなるからくれるだけもらってきて、長年の経験で大して効かないと判っているから、ゴミ箱にそのままどっさり捨てているような人をこれまで幾人も見てきた。自分の懐(ふところ)はそんなにいたまなくとも、これも税金の無駄使いに違いはない。

 私も二カ月・三カ月単位でもらうことが多い。居場所が本部、山小屋、冬期リハビリを兼ねての入院生活と数カ月ごとに変わるからである。その量たるや、見ただけで〝こんなに大量に薬を飲んで大丈夫かい?これだけで病気になりそうだ!〟というのが第一印象だった。しかも不思議に思うのは病院が変わっても最初に運び込まれた病院で処方された薬とほとんど変わらない。医師によって判断や見解が違ってよさそうなものだが、しかも、左半身のシビレに関していえば段階的にひどくなるばかりで一向に快方に向かわないまま三年近くも続くと、これは医師の責任逃れのように思えてくる。


 

2021年2月8日月曜日

 

コラム203 <戦争>

  人間は残酷な戦争をいつまで繰り返すのだろう。地球が、人類が滅びるまで永久に止(とど)まらないのだろうか。今日の言葉で言えば、憎しみ・悲しみ・惨酷・悲惨のクラスター,パンデミックを生むだけで、いまだ恒久平和を生んだことがないというのに……

 第二次世界大戦では日本人だけで300万人が死んだという……この悲しみと苦しみの拡がりはどれ程埋めがたいものであったろう。この美しい自然に恵まれた奇跡の星・地球上で兵器を開発する科学技術者達は人間を殺すための高度な殺戮兵器を、どこまで開発し続けるつもりなのだろう。

  そんなことを思いながら寝ついた。一夜が明けて障子越しに朝陽が差し込んできた。障子越しに野鳥達の囀(さえず)りが聞こえてくる。枝から枝へ飛び交う影が明り障子に映る。枯枝に残る木の実でもついばんでいるのだろうか。
 野鳥達は兵器を作ったり開発したりはしない。残酷も悲惨もつくったりはしない。神様が作ったままに、期待したままに生きている。これが平和というものではなかろうか。



2021年2月1日月曜日

コラム202 <カラスがトンビに恋をした?>

 毎夕方4時を過ぎた頃から、病室から見える西の山林の上の方から
  トンビが一羽 ヒューッ、ヒュルヒュルヒュル……
  カラスが一羽 カァカァカァ……
 そのかけ合いが寒い日も雪の日も続く。
余程気の合った仲間どうしなのだろう。姿は見えなくとも幾日も聞いていると、それだけは判る。

 そのうち、こう思うようになった。
ある日カラスがトンビの声に魅せられて、気の合ったトンビに
〝私もあんたのように美しい声で鳴きたい。鳴き方を教えて〟とお願いした。
気のやさしいトンビは、毎日夕方には陽の沈みかけた西の林まで飛んでゆき
〝こう鳴くんだよ、ヒュー、ヒュルヒュルヒュル……〟と懸命に教える。
カラスは懸命にそれをまねようとするのだが、それでもやはり
〝カァカァカァ〟
私にはそのように聞こえる。

 暗いニュースの多い中、何はともあれ、互いの違いを認め合って仲よくするのは皆の心を和ませる。


2021年1月25日月曜日

 コラム201 <気力とは>

気力とは滲(にじ)み出る清い湧き水の如し。
水脈が切れぬ限り、長い距離と期間をかけてとうとうと湧き出ずる時もあれば、岩清水の如く岩と岩の間から細々と滲み出てくるような時もある。枯れたかに見えても、また復活する時があるかもしれない。

 無理をしないことだ。岩くぼみに水が溜まるまで焦らずに待つことだ。

 気力とは気の流れの如し
湧き出ずる岩清水の如し
たとえそれが滲むような少量の時でも
どこかに向かって流れてゆく。

 

ほんの少し岩のくぼみにたまった時には、その時やれる分をやればいい。
少量たまった時には、その時やれる分をやればいい。
大いにたまった時には、その時やれることを大いにやればいい。 

無理しなくとも、焦らなくとも、やれることは自然が決めてくれる。



 

2021年1月18日月曜日

 コラム200 <便利は忙しさを増幅するという原理>

  持たない、と決めていたケータイ電話を持つ羽目になった。入院して掛けるも受けるもできなくなって持たざるを得なくなったからである。掛ける/受ける、と着信履歴/発信履歴がやっと使いこなせるようになったと思ったら、auから〝あなたのケータイはタイプが旧くて数年後には使えなくなります〟と通知が来た。どういうこっちゃ!こちらは何も困っていないし、これで十分だというのに……。勿論便利といえば便利にはなったがその後、確実に忙しさも増した。生活のリズムが確実に気忙(きぜわ)しくなった。ケータイを一定の場所に置いてそこにじっと座っている訳にはいかない。特に片マヒの私には室内の移動も大変である。ベッドに横になっている時などは起き上がり、装具を付け、クツを履いて、あっちへヨッチヨッチ、こっちへヨッチヨッチ、ケータイにたどり着いた頃には切れてしまうから、また掛け直さなければならない。 

 便利になればその分、時間も浮いて忙しさから少しずつ解放されそうなものだがそうはいかないのには原理がある。例えば、私は秋田県の湯沢市に生まれたが、小さい頃には東京まで寝台特急で9時間程度かかったものだった。それが、今や新幹線で3時間で着くようになった。ここで浮いた6時間はどう使われているのだろうか。ゆっくり本でも読み、音楽など聴いて感動などしていられるか?せめても昼寝でもして休息に当てられるかといえば、そういう訳にはいかない。大方浮いた6時間をせわしなくなった社会のリズムの中でさらに新しい仕事で埋め込んでいく。これが便利になればなる程、さらに忙しくなっていく原理だ。秋田銀行に勤めていた義兄の時代は仙台に出張となれば、一泊して帰るのが当然だったそうだ。その息子が今同じ職についているが一泊どころではない。用を終えたらそそくさと日帰りである。ある大手出版社の営業マンも同じようなことを言っていた。地方の書店まわりをする時は一泊して、店長はじめ仲間達と一杯やりながら色々雑談に花を咲かせたものだという。私が思うにその雑談の中にこそ、大切な人間模様が生まれ、知恵も人間関係も育まれていったものではないかと思う。便利に注意せよ!多忙に注意せよ!気忙(きぜわ)しい生活の中からは、特に人間的なものは何も生まれないのだから……。これまでのコラム(コラム122、コラム156)で何度か〝忙とは心を滅(亡)ぼす意なり〟と書いてきた。このことを自覚している人は意外に少ないのではないか。その忙と便利は密接に関係している。

2021年1月11日月曜日


 コラム199 <この小さな島国に原発54基?———その② >

 

 むずかしいことを多く知って中途半端な専門家まがい、知識人まがい、もの知りまがいになって、結局何も行動しないよりは、基本的なことを知って何か行動した方が意味がある———これは私の若い頃からの考え方だ。コラム198の二冊に続いて読んだのが、原発に関連した岩波ブックレット6冊である。

 ①      今こそエネルギーシフト          岩波ブックレット 810
 ②      取り返しのつかないものを取り返すために    〃      814
 ③      福島原発震災のまち              〃      816
 ④      ドイツは脱原発を選んだ               〃      818
 ⑤      原発への非服従                〃      822
 ⑥      さようなら原発                〃      824

 

 今の総理大臣の出身は私の生まれ育った町と同じ秋田県湯沢市だそうである。以前は湯沢市と秋の宮(村だったか町だったか)は別の町だったが、合併されて今は同じ湯沢市となっている。秋の宮には私の建築の師匠白井晟一が設計した秋の宮村役場があり、近くには稲住温泉、雄勝町役場もあって、縁(ゆかり)の地でもある。もうしばらくして、体調・気調が戻ったらどうにも解せない問題を整理して一国民、一同郷人として、直訴状を出そうと思っている。田中正造の時代とは違うから幟(のぼり)を立てて迫る訳にはいかないだろうが、秋の宮では今、初の総理大臣誕生ということであちこちに幟が立っているらしい。皆、福島原発のことばかりを問題にしているが、それさえももう関心が薄れ始めている。それ以前にも危ないところ、危なかった所があちこちにある。
 福島第一原発の問題がまだ解決不能状態のまま、廃液の行き場をも失い、水で薄めて海に流すしかないといった状態にまで追いつめられているのに、前首相自らが出向いて原発を海外に輸出しようとしているなどは、単なる経済のためなのか、それ以前に人間としてあまりに節操を欠いた姿勢に思えるが、その魂胆はいったいどこにあるのか。トラブル続きの核燃料サイクル、それでも六ケ所村に長きに亘って厖大(ぼうだい)な金をつぎ込み続けて核廃棄物再処理施設をどうしても作ろうとしている真の目的は何なのか?サイクルしたところで、煙のようにどこかに消えて無くなる訳ではないから、そのあとにまた残る第二次核廃棄物はどうするつもりなのか、何か不測の事態でも起きたら、日本が亡びるだけならまだいいが、地球規模で亡びる可能性すらある。六ケ所村周辺の住民達は大型工業開発の名の元に、何せ寒村のこと故安く土地を買いたたかれ手離したが、実は今日にしてみれば核燃料廃棄物処理工場建設のためであった。バカげたことに当初あの地帯に東北電力、東京電力の手で10基もの原発が予定されていたという。何故そんな計画が立てられたものか、勿論国もかかわりを持っている。聞いてみたいことが山程ある。少なくとも国家の歩む方向を決定づけてゆく国会議員と名のつく者達にとって、これ位の基礎的歴史の事実に目を通し、これまでいかなることが行われてきたかを知っておくのは最低限の義務であり、責務であると思う。

 日本の国策には、この国をどのような国にしていきたいかという大きな夢や展望がない。おめかしして、桜でも梅でも見たい者は観るがいいが、邪念まじりで観られるよりも無心に愛でられる方が花の心はどれ程喜ぶかしれない。原発の話に話を戻せば、中曽根さん、元々あなたが火をつけたことなのだから、一応の結末を見るまでは、まだ死んではいられませんよ。

 

2021年1月4日月曜日


 コラム198 <この小さな島国に原発54基?———その① > 

新年であるから、めでたい話でもしたいところだが到底そんな気分にはなれない。地球も人類も滅亡に向かっているのではないかとさえ思われるからである。新型コロナウィルスのせいばかりではない。原発問題をはじめ人類の生きる方向に対する不安である。

この小さな島国日本に原発が54基あるという。現在稼働しているのが何基あるのか知らないけれど、また54基中何基稼働してのことであるか知らないけれど、原発の全発電量にしめる割合は約30%という。私は知って何もしないのは性分に合わないから、山中生活で〝この電力消費を30%減らしてやろうじゃないか!〟と思い立って実践したことがある。使いたい放題に電気を使って原発反対でもないだろうと思ったからである。

その時も、かしこい(時々かしこくないものもいるけれど)日本人なら〝原発を不要のものとするために電力消費を30%減らそうじゃないか!〟と国が強いリーダーシップを発揮したら十分可能なことだと思った。

私は今、車でスーパーに買物に出かけても十分歩けないから買物の方は連れ合いに頼んで私は玄関脇の椅子に腰かけて入ってくる客達をじっと見ている時がある。今回の新型コロナウィルスで、一人たりともマスクをしていない客はいないし、入口ではアルコール消毒を忘れない。この徹底ぶりを感心して眺めていた。信州人だからこんなに律儀なのかと感心に思っていたら、秋田の姉は〝秋田だってそうだってば〟と言う。これなら原発廃止のために、30%の電力削減を!と国策として具体的にやろうとしたら、確実にできると改めて確信した。

なぜ国はやろうとしないのか。〝そんな簡単な話じゃないんだよ。闇の世界に張っている根が深いんだよ〟などと判ったようなことを言う者も多いけれど、大して判っていないで判ったような顔をしている人間が多いのが一番いけない。行動を生まないからである。

 

この半年、山中で読んだ本は以前からぜひ読んでおかなければならないと思っていた下記の二冊である。

『六ケ所村の記録(上)、(下)核燃料サイクル基地の素顔』:鎌田慧著(岩波現代文庫)

私は行動を共にした訳でもないし、その場に住んで実体験をした訳でもないから、内容を解説したりできる立場にはないが、表紙の帯だけはここに記しておこう。

 

 (上)巨大開発のために土地が収奪される中で抗い続ける多くの人びとがいた。やがて核廃棄物再処理工場が村に———。寒村の百年を描く渾身の書下ろし大作

(下)使用済み核燃料再処理工場建設は何の為か?原子力開発の拠点とされた村の歴史とその人々の肉声を40年間聞き取った労作

 

 上記の二冊を私は歯ぎしりしながら読んだ。そして当時私が同じ地域に住む村民、漁民だとしたらどうしただろうかとしきりに考えさせられた。歯ぎしりし過ぎたおかげで奥歯の親知らずを二本抜く羽目になった。

上記の本を読んだ者は巨大開発だの国策だのというものは、いかに多くの村民や町民達をあざむきながら進められるものであるかを思い知らされるだろう。