2021年7月26日月曜日

 コラム227 <脳出血から34ヵ月経った者の心境 その⑤>

  病院での入院リハビリは現行の法律で最大180日までと定められている。それ以後はリハビリの必要性の有無にかかわらず、実質、社会に放り出される恰好(かっこう)となるから、介護保険内のリハビリが中心とならざるを得ない。しかし私の経験からいうと、これによって効果の上がるリハビリは期待できないと言っていい。他には自主トレーニングということになるが、これも継続的に出来る人となると、気力、体力、技法上かなり限られるというのが実状だ。若い時分にスポーツに明け暮れた私でさえ、気力を保持しながら自主トレに一人で取り組み続けるのは至難なことだ。
 180日までという制約は小泉首相時代に反対を押し切って成立した法律らしい。そもそもなぜ180日なのか———これについては6ヵ月以降はリハビリを続けても大幅な成果は得られないという定説が根拠になっているようだ。だがこの定説はもう古い。一般的にはそういうことが言えるのだろうが、それに違(たが)う体験者の本は沢山出ているし、私自身だって歩くのに大きな改善を見たのは6ヵ月を超えてからである。必要性の有無はそれぞれによって違うが私の経験からいうとこれが9ヶ月までであればだいぶ違ってくるものと思われる。この問題はリハビリ治療における今後の大きな課題であると思う。  

 最近はさすがに左半身マヒの完全なる恢復は諦めつつ、一方では諦めないで淡々と日々のトレーニングを重ねていくのみである、と腹を決めしている。〝余分なことを考えず〟とは気力を軸とした自分との勝負であるが、それがどこまで、恢復につながるものか見ていてほしい。今はこれが生きるということのひとつ意味であるとさえ思われる。
 添うて生きてくれる人がいるということが何よりも大きな支えになっている反面、自分は助けを受けるばかりで、その人の支えに全くなれないことが辛い。病の辛さは身体上の苦しみもさることながら、第一には他人の助けになれないこの精神的辛さにあるのではないかと思う。この問題とどう折り合いをつけて乗り越えていけるかは私に課せられた精神上の試練である。
 3年以上ほぼ同じ薬を飲み続けても症状が一向に改善されないこと、名医野地先生にも有効な手段がなさそうなこと、このまま大量の薬を飲み続けてはこの体が薬漬けになってしまうようで私の望むところでは全くない。薬を極力減らしつつ今は東洋医学の漢方薬・鍼灸(しんきゅう)マッサージをプラスして取り組んでいる。



2021年7月19日月曜日

 

コラム226 <脳出血から34ヵ月経った者の心境 その④>

  小田急線本厚木にある<のじ脳神経外科・しびれクリニック>の野地先生は最後の頼みの綱として遠くからも訪れる人が多いと聞く。住まい塾事務局の川崎さんが見つけて推薦してくれたのである。すぐ予約の電話をすればよかったのだが、住まい塾から片道2時間と少々遠いし、冬期の入院リハビリの期日が迫っていたこともあって、数ヵ月後に予約の電話を入れた時には予約待ち1300人と言われた。〝ヘェ~~!〟だがひたすら待ち続けて7ヵ月以上はかかったろうか。予約できる順番がやってきた。
 初診は午後の時間であったから連れ合いと一緒に日帰りで行った。新宿・本厚木間はロマンスカーを利用したのでその分楽であったが、志木から池袋、新宿を通っていくのがなかなか大変だ。各駅にエレベーターがあるにはあるが、さがすのに手間取り歩く距離は大して変わらない。駅からクリニックまでは私の足で杖をつきながらも十分かからぬ程だが、日帰りで往復してヘトヘトになった。野地先生は一目で名医であると確信した。患者に寄り添う姿勢と気持が表情に表れていたからである。二回目からはスタッフのアドバイスもあり、前日に本厚木のステーションホテルに泊って、午前診察、午後には早目に志木に帰ることにした。これで往復のラッシュが避けられる。本厚木のステーションホテルはビジネスホテルだが、机・ソファなどが備えられているだけで余計なものがなく内装もこざっぱりしていてシングルルームの割に広く、悪くなかった。シングルルームを2室取ったのはコロナ対策のためだったが、夜中私はふらついて転倒し、妙な格好で転んだものだから家具の間に足がはさまり、起き上がれず、床にそのまま20分程横になっていた。床がパンチカーペットだったから幸いしたが、横になりながら立ち上がる方法に頭をめぐらせ、やっとベッドに横になれたのはそれから30分程してからのことである。デスクには電話もあるから隣室にもフロントにも通じることはできるのだが、何せ立ち上がれないのだからそこまでたどりつけない。それに呼べたとしても部屋のドアに内カギがかかっている。こちらがドアを開けなければ入れない。そんな経験を生かして第三回目は自分の部屋の内カギはせず、少し開いた状態にして休んだ。
 色んなことが起きては経験から学び、第4回目はキングサイズのダブルベッドの部屋を取り(このホテルにはツインルームが無い)、端と端に寝た。最初からそうすればよかったようなものだが、馴染みのないせいか私はダブルベッドで眠るのが好きではない。が結果的には洗面も浴室もシングルルームより広く充実していてひとつ勉強なった。

2021年7月12日月曜日

コラム225 <脳出血から34ヵ月経った者の心境 その③>

  次に期待して訪れたのが東京のとあるシビレ専門のクリニックである。シビレはシビレでも脳から来るシビレとうたってあったから期待したのである。ここでの担当医は女医さんであった。

 〝はっきり申し上げてこれは治りませんから……一発で亡くなる方もいるのですから幸運だったと思って諦めてつき合っていって下さい。〟
       あまりのドライさにポカンと開いた口がしばらく塞(ふさ)がらなかった(今は閉じている)。この先生は治らないものは治らないとはっきり言った方がかえって親切というものだ、と固く信じているようだった。そう信じているというのならそれはそれでいいのだが、あまりにシャーシャーとした言いっぷりに、言われたこちらは何だか〝治りませんから……〟と言われるために志木からわざわざ来たような気分だった。病が判って人間の苦しみが判らぬ純粋医師を見たような思いだった。苦しんでいる人間に寄り添った多少のアドバイス位あってよさそうなものだが、〝治りませんから、つき合っていって下さい〟だけじゃ混んだ電車を乗り継いでやって来た甲斐が無いというものだ。それとももう一度行って〝そのシャーシャーとした言いっぷりは、もう治りませんから……〟とでもいってやろうかなあ。





2021年7月5日月曜日

 コラム224 <脳出血から34ヵ月経った者の心境 その② >

  脳出血(視床部)で倒れてからもう34カ月が経つ。自主トレも含めたリハビリも比較的よくやった方だと思う。リハビリの良きセラピスト(トレーナー)達との出会いにも恵まれた。主治医の先生方との出合いにも恵まれた。だが脳がやられるというのは、それでもそう簡単ではない。
 退院後も連れ合いや姉に多大な犠牲と負担をかけながら(二人共まだ現役の仕事人なのだから)諦めずにここまでこれたのも二人の助力に負うところが大きい。特に連れ合いは私の足元の不安定さを案じて、自らもまもなく股関節の手術を控えているような身でありながら、病院に行く時には必ず病院までの往復に同行してくれた。診療の予約、窓口での保険証の提出や支払い、薬局での薬の受け取り及び支払い等は左半身マヒの現在の私には無理がある。
 八ヶ岳では車で10分足らずのところにある八ヶ岳農場の一周45百メートルはあろうかという広大な芝生での自主トレを兼ねたウォーキングはいつも一緒だった。時には途中どこに行ったかと思いきや、私よりも散歩中の犬の方に関心が寄って、戯(たわむ)れていることもしばしばだった。大の犬好きときているからこれも愛嬌というものである。

  シビレ専門の病院にもいくつか行った。こんな努力をさまざまに重ねてきたが左半身の強烈なシビレは一向に快方に向かわない。逆に強くなる一方で最近では痛みと苦しみが加わってよく眠れない日もしばしばである。
 代々木にある「JR病院」のしびれ専門外来では担当医曰く、〝タカハシさん、よくここまでがんばりましたよ。我々医師だっていつそうなるか判りませんから、私がなった時にはタカハシさんのことを想い出して私もがんばりますよ……〟……そりゃあいいけど、私の方はそれまでどうすればいいの?このJR病院はシビレとはいってもどちらかといえば、頸椎(けいつい)から来るシビレが専門のようだった。







2021年6月28日月曜日

 コラム223 <野鳥達の朝>

  久々に山小屋に来た。まもなくひと月が経つ。野鳥達は新緑の森の中で毎日朝の訪れを喜んで爽やかに囀(さえず)る。オオルリ、コルリ、ミソサザイ、シジュウカラ、ヤマガラ、それにホトトギス……。
 しかし人間達は朝の訪れの喜びを忘れ、朝が今日一日の命の始まりであることも忘れてしまった。おはよう!と野鳥達に声をかけながら残っていた古米を共に食(は)む朝。命の始まりを改めて思う朝である。




2021年6月21日月曜日

 

コラム222 <脳出血から3年4カ月経った者の心境>

 

右脚(あし)さん 自分の方だけでも 大変なのに

  左脚の足りないところ補ってくれて、ありがとう。

 左脚さん 脳からの指令がうまく届かないのに

  私の身体を支えようとして懸命にがんばってくれて、ありがとう。



 

2021年6月14日月曜日

 コラム221 <古美術屋さんが泣いている>

  売れない、さっぱり売れない。そりゃあ、そうだと思う。古美術の似合う家が無いからだ。昨今主流のビニールクロスボックスをサイディングで包(くる)んだような家では、古美術を楽しもうにもそういう気分にならないであろうし、そのような空間に長く身を置いて暮らしていれば、古美術に関心を寄せる感性すら育たないに違いない。それ故欲しがらない、結果売れもしないということになっているのだろう。

  私の若い頃には長く骨董・古美術ブームが続いた。ある時期には古伊万里ブームがあった。金が無くとも江戸時代の蕎麦猪口を随分買い集めた。味わい深い染付の大皿・中皿・豆皿(小さい皿のこと)、他鉢類なども多く求めた。ブームが去り、売れない、買わない時代となって値崩れを起こした今日から見れば、随分高値で買ったものだが、その分楽しみも多かった。物そのものも勿論楽しかったが、それ以上に古美術屋さんとの交流や、同様の趣味を持つ仲間達との骨董談議が楽しかった。
 骨董・古美術店に限らず、今手工芸品の店も泣いている。その裏では住生活に直結している木工家や陶芸家・漆芸家・ガラス工芸家達も辛い思いをしていることだろう。画家の絵もまた売れない。左官壁のようであって左官壁ではないビニールクロスの壁、貼りものの合板床、塩ビシートに木目プリントのドア及び天井板等、外部にあってはタイルや石のようであってそうではないサイディング……このような家では優れた古美術品など優品であればある程似合わないだろう。こうして骨董・古美術屋さん達が泣いているのだ。貴重な古美術品の多い日本で長い歴史を生き抜いてきたそれらは使われず、生かされず、これからどういう運命をたどっていくのだろうか。住宅の持つ影響力の大きさを忘れず住生活の充実、延(ひ)いては精神生活の安定のためにも、歴史と共に歩める家を仲間達と共に今後も作り続けたいと願っている。



2021年6月7日月曜日

 コラム220 <乾いた心>

  ふと誰かが言った。

 〝ドライにできるって、心が乾いているからドライにできるんだよ。〟
なるほど。心と心の直接の交流が少なくなって、徐々に乾いた心の人が多くなってきているのかもしれない。

  建築木材にドライビームというものがある。人工的に極度に乾燥させているから、割れない、歪まない、伸び縮みしないはいいけれども、確実に木の魅力を失う。樹脂分までが飛んで木のもつしっとり感を失い、しなやかさも失う。構造強度も確実に落ちていると思う。この性質をわかりやすく例えれば、枯木により近い状態になっているということだ。この点我々の賛助会員でもあり、都内有数の林業・製材・材木店である浜中材木店の浜中さんも同意見だ。

 人間と同じで長所・欠点を併せ持って健全な状態というものだ。人間の心もあまりに湿っぽ過ぎるのも問題だが、あまりにドライ過ぎるのも問題だ。人間の心の総合力を昔から知・情・意というではないか。胆力を含めてバランスのとれた心を持っているかどうか———それをその人の「人間力」と呼んできたのだ。直に人間を相手にしないリモート・テレワークの類は今後益々拡がりを見せていくだろう。それがいかに安全であろうと便利であろうと、会議等の情報交換の手段としてならまだいいが、それによって人間の関係は深まらないし、知・情・意も鍛えられない。即ち「人間力」が鍛えられず、ドライビームのような人間がどんどん増えていくことになりやしないかと心配だ。

 以前牛殺しで名を馳せた極真空手の大山倍達前館長の演武を生で一度だけ見たことがある。代々木体育館だったか武道館だったか忘れたがスタッフの一人が極真空手の有段者だったから誘われて一緒に見に行ったのである。我々の席は会場の最上段であったから大山倍達とはかなり距離があり下の方に小さく見えるだけだったが、並々ならぬ気迫が我々のところにまでストレートに伝わってきて〝すごい!〟と圧倒されたものだった。その姿が後日TVで放映された。鬼気迫るあの気迫はブラウン管のガラス一枚を通ることですっかり消えていた。テレワークなどもあれと同じではないか。ガラス一枚によって消えるのは気迫、情熱、迫力、鬼気、胆力———そうしたものが、見事に損われる。真に人間を鍛えるためには、直接に人間と対峙することの大切さをいつの時代になっても失ってはならないとつくづく思ったのである。



2021年5月31日月曜日

コラム219 <真の批判>

  人を責める時には、自分の胸によく手を当てて、同等の罪を犯してこなかったかをじっくりかみしめることだ。
 〝愛情に裏打ちされなければ真の批判たり得ない〟
 どこかで教えられた言葉である。愛情に裏打ちされていない批判は誰のためにもならず、非難・中傷以上にはならないからである。誇り、自信も一歩間違えれば驕り、高ぶりとなる。多くの人がその罪を犯している。人間となるために生涯努力し続けなければならないと言われるのは、その辺に大きな理由がある。生涯かけて人間に近付かなくて、何に近づこうというのだろう。



2021年5月24日月曜日

 コラム218 <>

  杉を自信をもって使えるようになったのは50才を過ぎてからである、と先に出版した本の中にも書いたような気がする。しかし待てよ。この〝自信をもって〟という表現は言い過ぎだ。正しくはどういうことなのかと自分の心の中でよく咀嚼(そしゃく)して考えてみた。
 ・それまで安心して使える自信が無かったものがどうにか、不安なく使えるようになった……というようなことかな
 ・杉という材を杉に喜んでもらえるような使い方がやっとできるようになった……というようなことかな 

 赤身や柾の良材ならば日本建築、特に数寄屋建築にならそう心配はないが、一般住宅に使えるのは節も時々あり、赤身・白太のまじった俗に源平と呼ばれる並材だ。こうなると構成に厳しさを欠くと、途端に野暮臭い空間となる。これが杉使用の難しさだ。杉だらけのような秋田県湯沢市~横手市で生まれ育った人間がなぜ杉に自信が持てないのか自分でも不思議だったが田舎育ちなのにこの野暮臭さをどこかで嫌っている———さりとて、それを払拭(ふっしょく)するだけの厳しい構成力がいまだ自分に身についていないことを身体は知っていたのだろう……と今にして思う。皆平気で杉を使うが、日本の代表的木材だから当然といってそれで済ませている。私はどうしても杉に魅力を感じることができなかったのは小さい時から見過ぎてきたということもあるのかもしれない。あるいは、私の求めているような杉仕様の美しい木造住宅に出会ってこなかったということもあるのかもしれない。しかし、油断大敵———スタッフは予算や入手のしやすさなどで割と気楽に材種の選択をしているがきっとこの怖さを知らないままだ。私にだってまだまだ自信と呼べるものはない。寸法に対する繊細な感覚、部材のより厳しい美的構成力を鍛え上げなければ「自信」という言葉は使えない、と改めて思った。夢にまでそれが出てきた。


2021年5月17日月曜日

コラム217 <不老長寿と長生き>

 古代エジプトや古代中国などで昔から夢見られたことのひとつに、「不老長寿」というものがある。いわゆる長生きである。短命に終わることは、はかなく、悲しい。まだまだやるべきことがあったと思われるからである。
 だが長寿世界の実現とはいっても、平均年齢300才などということになることをほとんどの人は望まないのではないかと。少なくとも私は望まない。くれるといってもいらない。どんな世界になるか想像するだにおそろしい。生と死の適度の循環がやはり理想というものである。 

数十年前、住まい塾で家を作られた方が久々に本部を訪ねて見えた。住まい塾で主催した屋久島ツアーにも参加したという。
〝あの時は遭難者が出て大変でしたねぇ〟
と想い出を語ったら、
〝その遭難者は私です〟
といって思い出を語りながら笑い合った。

 現在はPPC48というグループに属して活動しているという。
PPC48って何ですか?〟
〝ピンピンコロリフォーティエイト〟といって一人あの世に行かなければ新しい人は入れないのだという。どんなことをしているのかまでは聞かなかった。聞いても仕方がないと思ったからである。



 

2021年5月10日月曜日


コラム216 <古美術屋で>

 会社員風の中年の男がある古美術屋の前を通りかかった。店に入ってすぐの所に抹茶碗が置いてあった。店には耳の遠くなりかけた(本当かどうか知らない)バアさんが一人。
 〝これいくらするんですか?〟
 〝ハァ~?〟
 〝これいくらするんですか!?〟
このバアさんは〝ちょっとお待ちを……〟と言って奥に入って行き、店主らしき人に〝店先にある茶碗、いくらだったかねぇ?〟と聞いた。
 〝萩の茶碗かい?あれは30万円だ〟
という声が客にははっきり聞こえた。バアさんは客の所に戻ってきて
 〝それは10万円だそうです……〟とこたえた。
客はすかさず財布から10万円を取り出して支払いを済ませ、足早に立ち去って行ったという。 

 昔は古美術・骨董屋と銘木屋は値段をつけずに観る眼があるかどうかの試し合いをして、眼がなくて騙されても文句の言われる筋合いはなかったそうだから上記の出来事は店番のバアさんと奥のジイさんの見事な連携プレイの勝利であった。 

 騙されてはじめて鍛えられる鑑賞眼ということもあるから、欲を出さず程々に楽しんでいる分には愉快な世界なのだ。遊んでいるうちに次第、次第に観る眼が養われてくる。私は箱書きや作者の名などにとらわれず、自分が魅かれていいと感じたものだけを買ってきた。だから私の場合、騙されたかどうかさえ判らない。私には行きつけの古美術屋さんが四軒、他地方に行った時に時々立ち寄る店が数軒あったが、長いつき合いの内に色々教えてもらったし、さまざまのものに触れさせてもらった。人間関係も十分楽しませてもらった。長い間には向こうもこちらの好みが判るようになってくる。楽しい談義の想い出も沢山ある。皆、つき合ってくれてありがとう!ありがとう!ありがとう!



2021年5月3日月曜日

 コラム215 <縦割行政>

 

 年度末 工事騒がし テレワーク

      できる訳ない 音聞こえねば

           ———築200年(江戸時代)の商家の住人———

         



2021年4月26日月曜日

 コラム214 <脳出血(視床部)の後遺症:左片マヒと強烈なしびれ>

  約一カ月半の救急病院から松戸リハビリテーション病院に転院した直後は左足先から脚の付け根までの大仰(おおぎょう)な装具を付け、脚立のような杖を使って歩くのがやっとだった。そうしないとヒザが折れて歩けなかった。当然左脚のヒザが固定されて脚が棒状になるから俗に言う〝ブン回し〟という歩き方をしないと先に進めなかった。その後杖は脚立状のものから四点杖へ、さらに四ヵ月後位には不安定ながら一点杖で、何とか院内を見守り付で歩けるようにまでなった。トレーナーである理学療法士の荒堀さん(PT)が、懸命にやってくれたおかげである。その後移ったのが信州上田市の鹿教湯温泉内にある鹿教湯病院である。リハビリテーションの世界では歴史も古く、定評もあったが身体がほとんど動けぬ状態で遠くの病院に入院することは不可能であった。最初の頃は一点杖で歩いている人を見ては、私も一点杖で歩けるようになるのだろうかと不安に思ったものだった。鹿教湯病院での密度の濃いリハビリのおかげで……それにメインで担当してくれた須江さん(PT)と西條さん(OT)二人のセラピスト達との相性もよかった。ここを退院するまでの三カ月程の間に山道もだいぶ歩けるようになった。(何せ山中の病院だから一歩外に出れば坂道だらけなのである。)上級コースも幾度か歩いた。隣に人が寄り添って歩き、かけ声をかけてくれるだけでも大きな励ましであった。あれから三年余り経つが、今苦しんでいるのは、段階的に強くなってゆく左半身の強烈なしびれである。それが歩行や左半身の動きに大きな影響を与えている。しびれというものは厄介なもので、しびれ専門の病院も三ヵ所訪ねたが、これといった特効薬もなく、錠剤と漢方薬が処方される位で、長く続けているがこれといった効果が出ない。しびれはリハビリの対象ではないようだし、医師も〝諦めて付き合っていく覚悟でいて下さい〟などというところをみると薬も含めて打つ手なし、治療法の決定打はいまだ無い模様だ。終日続くこの苦しさはおそらく他人の目に映るよりはるかに辛いものだ。

先日ベトナムに住んでいる息子夫婦が今回のウィルス騒ぎで国外に出られなくなり約二年半振りに訪ねてきてくれた。帰り際に息子と並んで撮ってくれた写真をそのあと送ってくれたが、こちらの方は自分が思っているよりはるかに病面(やまいづら)であった。20キロも痩せたのだから当然といえば当然だが体調の悪さがあまり顔に出ないタイプだと思っていたから、一見して病人と判る自分の風情は少々ショックだった。晩年親しくさせて頂いた仏画師・安達原玄さんが残された次の言葉が即想い出された。
〝心 衰える日は凛として立ちましょう〟
 これ位のことで即判る程の病面(やまいづら)は少々だらしが無さ過ぎる!その写真を見ながら、辛くともできるだけ病人面はするまいと思った。まわりの人を元気づける訳でもなし、自分をも元気づける訳でなし。後に〝死ぬ二カ月前の写真です〟と見せられてもそれを疑う者はいないだろうと思われるような写真なのだから……。写真という漢字の意味を改めて知らされた。写真とは真実を写すと書く。誠にその通りである。 

不思議なことに同じ部位を同じ程度にやられても、後遺症の出方は皆違うらしい。ここが人間と機械との違うところなのだろう。視床痛という言葉がある通り、ここは色々な神経の通り道らしく、厄介なのだそうである。でも私はがんばる!

2021年4月19日月曜日

 コラム213 <平和 ——病をかかえて—— >

 

国の平和、地球の平和は勿論望むところだけれど、そんな遠く大きな平和の前に
となりの人と 仲よくしよう
となりの人に 親切にしよう
まわりの人と 仲よくしよう
まわりの人々に 親切にしよう

 それがまずもっての、最も身近な平和の礎(いしずえ)なのだから……
誰にも言えない悲しみを胸にかかえて込んでいる人達は沢山いる。
一見明るい人達だってあるいはそうかもしれない。
だから身近な人達と仲よくしよう、親切にし合おう。それが人生の甲斐というものなのだから。
その人の苦しみにとってかわることはできないけれど寄り添うことはできる。思いやることはできる。その養分のない土からは、落胆、絶望、悲嘆、苦痛、悲劇、残酷などの芽が生え出てくる。

  思いやりや、やさしさは人類に与えられた最大の宝である。




2021年4月12日月曜日

 

コラム212 <人類は破滅に向かう>

  深い悲しみがまだ癒えぬうちに、これでもか、これでもか、と暗い出来事が襲い掛かってくる。人類の歴史の中で幾多の戦争や惨劇が繰り返されてきたことは知識として知ってはいるが、70年余り生きてきた私には現代のこの状況はそれらとはまた性格を違えているように思えて、さらに我々の心を重くかつ不穏にさせていく。

  最近の主たるものを列記しただけでも

  ・年々大型化していく天災(地震・津波・台風・大雨・洪水)
  ・新型コロナウィルスの地球規模の蔓延
  ・豚コレラ、鶏インフルエンザ、感染症による牛の大量殺処分
  ・各地に根を張り拡がっている人種差別
  ・温暖化はじめさまざまの地球の環境問題
  ・原発及び核拡散問題
  ・人種間の戦争
  ・難民問題
  ・北朝鮮のミサイル問題
  ・中国の覇権問題・人権侵害及び米国を中心とした他諸国との対立応酬
  ・ミャンマーの軍事クーデター
  ・いつまで続くか見通しのつかぬイスラエルとパレスチナの対立・抗争 

その他挙げればきりがない程だ。不穏な空気が世界中を覆い、人類破滅・地球絶滅が現実味を帯びてきている。こうした事態の源を辿れば、この美しい命の星地球において美しい心を与えられたはずの人間が神の願いも空しく、人間であることから逆走を始めたところに始まっていると私には思える。人間であることを深めるより、経済的富者であることを求め、権力の覇者であることを望み続けて神の怒りを買っているのだ。もしそうだとすれば、人類も地球も破滅・自滅に向かわない訳がない。特に紀元前より偉大な人物を数多く輩出した中国は最近どうなってしまったのか。かつて精神文化の多くを中国に学んだ日本とて、その例に洩(も)れない。この世に命を受けた意味を人間達は殆ど考えなくなり、欲望のおもむくままに彷徨(さまよ)い人生を送っているように見える。人間は権力と経済の奴隷として地球に生を受けているのではない。





2021年4月5日月曜日

 

コラム211 <住宅設計者としての素質>

  これについて天性の造形センスだのという人がいるかもしれない。私はそういうこともあるにはあるが、それ以前に機転が利くといったことがあるのではないかと思うようになった。機転が利くということは、人の気持、思っていること、求めていることを直感的に察することができるという意味で素質の第一に挙げたいのである。

  私はこのことを考えるに今は亡き名棟梁高橋勉さんのことを思い出す。大分前のことになるが、ある大学生(A君)が大学を辞めて大工職人になりたいと言って、修行先を紹介してほしいと東京本部を訪ねてきた。今は職人のなり手がいないとよく言われるが、伝統の技を身につけようとすると、実はなり手よりもさらに育て手がいないことが判ってくる。
 それはそれとして、育てる側と育てられる側とには世代間の隔差もあるし、生まれ育った時代も環境も違うから、さてどうしたものかと思ったが、どんなことがあっても少なくとも5年間はやめないという条件付で、私とのつき合いも古く、腕も気性もよく判っている高橋勉棟梁に相談し、受け入れてもらった。A君にとっては人生の方向を大きく変えようというのだから勇気のいる決断であったろうし、その分真剣でもあった。
 半年もしないうちに勉さんから電話が入った。
〝ありゃあ、ダメだ!〟
なぜダメだと判断したのか聞いておきたかった。その時に第一にあげたのが、
〝気がきかねぇ!〟だった。
例えば、〝カンナ台で板にカンナをかけてるだろう。手元に引いてくると先端の方がゆれる。普通ならそこを押さえるか、押さえましょうか位言うのが普通ってもんだ。それがそばにボケーッと突っ立ったまま眺めてるだけなんだよ。〝押さえろ!〟と言えば〝ハイ〟と押さえるよ。しかし今度は放して欲しい時も押さえたままだから〝おい、放せ!〟と言わなきゃ放さない。あんなんじゃ職人にはなれやしねえ〟とのことだった。
私もなるほど、と思った。これは大工職人に限らず、設計者とて同じことだと思った。相手の求めを言われずとも察する感覚というものはどこでどう育くまれるものだろう。「指示待ち人間」などという言葉が使われ始めたのはもう随分前のことだ。こうした状態は恵まれ過ぎ、親の過保護、過干渉が影響しているにことにまちがいはないだろう。気を利かせなければならない場面が少ない中で育ってくるのだろう。近年機転が利く人間、気配りのできる人間がめっきり減ったと感じるのは私ばかりではないだろう。人間のロボット化である。 

勉さんからの電話から数日してA君が本部を訪ねてきた。そしてこのように訴えた。
 〝ボケーッと突っ立ってんじゃないよ!と棟梁に怒鳴られてもボク、どうしていいか判らないんです……〟と目に涙を浮かべている。
 さすがに私もこれは職人は無理だと思った。この事件の数年後に同じく大工職人になりたいといって訪ねてきた20歳足らずの若者T君はこれはりっぱな職人になれる、と直感させる何かがあった。一通り話終えたら私が出した茶碗をさっさと台所へ片付け、一連の身のこなしのリズムがよかった。場所は関西でもかまわないというので関西の住まい塾で最も実績のある奈良の巽棟梁にあずかってもらった。予想通りT君は順調に成長し45年でほぼ一人前の大工職人に育った。この差は、やはり、気がきくこと、細やかな気配り、気働きの差が大きかったように思う。弟子を育てるにじょうずな人、へたな人もいるにはいるが同じように育てられる側にも向き不向きがある。どんな仕事にも共通しているように思うが、育つかどうかの第一要件はこの〝機転が利くかどうかの気働き〟にあるように思う。



2021年3月29日月曜日

 コラム210 <「専門家」と「素人」と>

70才を過ぎて、脳出血で倒れ、さまざまな病院に出入りしているうちに自ずと思われてくるのは、医師は病については知っているのだろうが、一患者たる人間について知っているだろうかという疑問であった。患者の方を見ずに、パソコンの方を向いて、たまに患者を横目で見ながら話を聞きながら診察する姿など最初の頃は異常に思え、〝患者はパソコンじゃない。こっちだよ!〟と言いたくなったものだが、今はそんな姿が普通になった。医師でも、建築家でも、弁護士でもいい。専門家が素人よりその分野についてよく知っているのは当然である。ここまではいいのだが、ここから先が問題だ。
 私の専門は住宅だが、住宅について専門家として年期を積めば色々な場面で経験を積んで成長していくだろうが、これが心掛けを誤ると、専門分野以外についても他者即ち建主(クライアント)より優れていると錯覚しはじめるところに危険がある。そんな保障はどこにもない。人間性に優れているか?美的感覚において優れているか?生活センスにおいて優れているか?特に人間の徳性においてどうか?品性においてどうか?多くの専門家達は、ここで大きな過ちを犯す。自分を人間的に鍛えぬまま、〝先生〟などと呼ばれるのがわざわいの原因のひとつとなる。何が先生であるか!明らかな誤びゅうであり、錯覚である。こうして、ごうまんという罪を犯すことになる。 

 『住宅建築』の創刊者であり、敬愛する建築ジャーナリスト平良敬一氏は昨年お亡くなりになったが、その創刊の辞に、「一軒の家は断じて一建築家の作品などと呼んではならないものだ」と心の底から叫んでいる。私もそう思う。だからこそ、専門家達は人間として謙虚たれ。特に人間としての徳性において豊かであれ、と心のうちで訴えているのである。これはすべての専門家達に対して言えることである。りっぱな方々もいるにはいる。だが人間社会を総体で見るに専門家達は人間を磨くことを忘れている。これは専門家達だけではないかもしれない。素人達も専門家達も人間を磨くことを深く忘れている。

  最近読んだ三浦綾子さんの『言葉の花束』という本の中に、「吉田兼好は健康な者を友に選ばなかった。病んだことのない者は憐みの情が薄いと思ったのだろう。」と書かれていた。人間はそれこそさまざまだが、脳出血で倒れて三年余りのうちに私もそのように思うようになった。他人の病の苦しみを分かち合ったり、理解したりすることはできないが、苦しみを察することは多少できるようになった気がする。
 先日病院の廊下ですれ違った車椅子の人は右ヒジから下が無く、トレーナーの袖がそよそよとゆれていた。次に会った時には、ヒジから下とばかり思っていたら肩から腕全体が無いのだった。表情も挫折寸前の感があった。どんな思いで毎日を送っていることか……。これから先の生涯に一筋の光でも見い出せればいいのだが……と祈っていたが、まもなく退院していかれた。



2021年3月22日月曜日

 コラム209 <今朝の贈り物>

  私の仕事場≪住まい塾≫では東京・大阪本部それぞれで木造の「設計者養成塾」というものをやっている。住まい塾をスタートしてからまもなく、世の中にしっかりした木造の設計者がきわめて少ないか、ほとんどいないに等しいことが判って内部で養成するしかないと踏んで学び合いの場としてスタートしたのである。
 それに住宅、特に木造の勉強をしたいと思っていたのに経済的な理由から、それが叶わず学校に行けなかったというような人もいるに違いないし、大学に入っても木造については一般教養程度にしか教えられないから、木造住宅については的がはずれたと思っている人も少なくない。だが昔から多くの人間が木造の家に接しながら育っているのだから専門領域というよりも、一般常識の領域に入ることも多いから、その気になれば独学でも十分できるようになるし、そばにアドバイスできる人がいれば、木造住宅設計者には十分なれるのである。そんな思いから始めたのである。最初、受講料は無料であったが、無料も良し悪しで、現状は年間4万円頂いている。 

 去る313日(土)朝9時半から今年度最後の養成塾があると聞いていたが、退院してまもない私は体調が悪く、参加できないと思っていた。しかし、遠くからやってくる養成塾生達の情熱を考えると体調が悪いなどとは言っていられないと思い、歯をくいしばって起き上がり、一階に下りた。だが少なくとも一時間前には来ているはずのスタッフ(講師達)が一人もいないし、照明も点いていない。どうしたことかとスケジュール帳を改めてみたら、14日(日)の見まちがいであった。がっかりしたが、そのまま離れの洗面所に向かい、歯をみがき、顔を洗っている間中、冷たい雨の中で野鳥が近くの梢にとまり、ツィーッ、ツィーッ、ツィーッ、チッ、チッ、チッとさえずって、まるで朝のはげましに来てくれたようでうれしかった。私も入り口の扉を開けてオハヨウ!オハヨウ!と繰り返した。思い違いが生んだ寒い朝の贈りものであった。



2021年3月15日月曜日

 

コラム208 <日本人の精神から深く抉(えぐ)られたもの>

 

第一に金儲け以外に対する情熱
    第二に礼節:これは予想外であった。〝衣食足りて礼節を知る〟と言われ続けてきたからである。
そして特に男達から大きく失われたのは勇気と仁義だ。
 電車のドアが開いた途端、空席をめがけて我先にと突進する男の姿などを見ていると「恥の文化」と言われ、ある意味で世界から賞賛されていた国が見事なまでに恥を知らない国となったと無念に思われる。仁義などという言葉は時代が古いと言われるかもしれないが、それと共に男の美学が失われた。DVD化された仁義・任侠ものの映画は今でも人気が高いらしく値が下がらないところをみると男達の胸の内には失われはしたが、どこか潜在的に魅かれるものがあるのかもしれない。しかし今日の日常に見る限りこんな気概を持った男はもはや絶滅に近い。
  大阪本部は東京から数年遅れて始まった。新潟長岡の材木屋さんから紹介された大阪の大きな材木商の社長と最初に会った日のことが忘れられない。住まい塾にかける私の思いを色々したあとこの社長はこう言ったのである。 
 〝一肌脱がせてもらいますわ…。〟
懐かしい言葉であった。
 次に思い出すのは数年前のことである。ある人を通じて一度ぜひ会いたいと言われ続けていた画家でいたが、ある酒場で急に会うことになり、酒を呑み交わしながら言われた言葉も忘れられない。
 〝あんたのためならワシ命張りまっせ!〟
私はヤクザとも右翼とも縁はないが、どういう訳かこういう任侠に近い人と時々出会う。前世で、任侠の世界と縁があったのかもしれないと思う時がある。儒教の教えが薄れ、仁や義の教えも薄れたが、日本の長い歴史の中で、この儒教の根は侍の美学・男の美学などに深くかかわりを持っていたのであろう。日本の男達から最も深く抉り取られたものはこの辺のものであるかもしれない。

  仁義だの任侠だのというと、ヤクザの世界のことしか思い浮かべない人が多いようだから念のために記しておく。(『辞林21』より)

<仁義>:ジンギ

      儒教で実践道徳として最も尊ぶ仁と義。
      人間が守るべき道徳。
      他人に対して礼儀上なすべきつとめ。義理。
<侠・仁侠>:ニンキョウ
 弱い者を助け、強い者をくじき、戦のためには命を惜しまない気風。おとこぎ。



2021年3月8日月曜日

 コラム207 <私は臨床体験派 その②>

 ③エアコン暖房と床暖房

 さて、どちらが快適かと思い、代わる代わるつけて寝てみた。床暖房の方はその上に布団を敷いて寝ても、うっかりそのまま床の上で寝ても、朝のめざめに不快感は無かった。一方、エアコンの方はノド・ハナが乾いて快適とはいえなかった。エアコンも日進月歩だからこの辺のことは今は改善されているのかもしれない。エアコンはどうしても送風しなければならないから原理的にオンドルに近い床暖房がエアコンに勝るのは当然かもしれない。


 ④住宅に関係はないが、ついでに以前、薬について書いた
<コラム204,205>が、大して効きもしないのだから実験的にすべての薬をやめてみようと思い立った。その結果を報告する。

 夜中トイレに起きようとしてベットの上で体を起こしたら、めまいとはきけでふらついて、とても起きられない。しばらく休んでは二度三度と試みたが、その症状はおさまらない。とはいえそのまま立ち上がってトイレに行っては途中で倒れること必定だ。マヒ側の左足も硬直して棒のようになっている。肩・腕のシビレからくる苦しさも半端ではない。これは新たに脳梗塞でも起きたかと思い、なにせ夜中の三時半頃のことゆえ、ビックリするだろうとしばらくがまんしていたがこれはダメだと別棟で休んでいる連れ合いをケータイで起こして来てもらった。バナナ少々、経口水、夜の薬を飲み、静かな音楽をかけてもらって1時間ほどしたらやっとトイレに行けるまでになった。今思えばそれまでが傑作だった。連れ合いが持ってきたステンレスボールは大き過ぎて両足の股間に入らない(大は小を兼ねるとでも思ったのだろう)。二まわり程直径の小さいタテ長のものを持ってきてもらってやっと用を足した。ステンレスボールで用を足す気分もあまりいいものではないが、そんなことを言っていられる場合ではない。それでもいくら何でも連れ合いの前だから緊張してかスーッと出てこない。遠慮がちにチョロチョロ出るのだがそれでも助かった。もう使うことはないだろうと尿器を本部に置いてきてしまったからステンレスボールと相成ったのである。油断大敵:これで学んだのは効かなさそうに見えても一気にすべての薬を止めるといった馬鹿げたことはやめた方がいいということだ。効いていなさそうでいて、抑止にはなっているのだ。やはり、やめる時には医師の意見を聞いた方がいい。薬全面中止の臨床実験は一夜にして挫折した。

 

2021年3月1日月曜日

 

コラム206 <私は臨床体験派 その①>

  住宅の仕事をしていると、確信をもって判断できないことが色々ある。身をもって体験していないことがらについては、なおさらである。その時はどうするか。できることなら身を張って体験してみたいところだ。そのように考えて試みたことがいくつかある。それをここに思い出すままに挙げてみようと思う。

       蛍光灯と白熱灯・LED

 今はLED時代だが、蛍光灯全盛時代に我々は白熱灯にこだわり続けた。電磁波の問題もやゆされた。蛍光灯にだって白熱灯色というものがあるにはあるが、ガラスの色だけで解決する問題なのか……
 そこで私はこの二点をそれぞれ朝まで点けっ放しで寝てみた。結果は蛍光灯の方は目がはれぼったくなり、めざめの気分が不快であった。一方、白熱灯の方はそんなことはなかった。調光器(明るさを調整できるスイッチ)で薄明りにして眠るのも、夜トイレに起きたりする時の安全性という意味でも、安眠という意味でも白熱灯の方が良好だった。さらにLEDの出始めた頃、同程度の明るさ(コードペンダント)の下での食事やフルーツ等、どちらがうまそうに感じるかを実験したが20人中18人が白熱灯に軍配を上げた。蛍光灯とて同様である。食物だけでなく、食卓を囲む人の顔の色や表情までが白熱灯の方がよく見えるという結果であった。現在はもうLEDの時代となり白熱灯の照明器具そのものが絶滅気味だが、限りなく白熱灯色に近づけようとする開発努力が実って、LEDも白熱電球にほぼ近いものが売られるようになっている。LEDをつけっ放しで寝たことはまだ無いから目ざめの気分については不明である。

 

      エアコンと八ヶ岳山中の同一温度は同じか

ある年の8月、八ヶ岳の山小屋で暮らしていたら急遽、大阪と福岡に飛ばなければならなくなった。その頃はまだ松本空港から大阪の伊丹空港便があったから車で松本空港まで行き、飛行機に乗った。山小屋は8月といえども室温が24度を上まわることはまずないし、朝夕は21度位に、日によっては15度位にまで下がり暖房をつける時がある程だ。こんな山の生活からいきなり、1,2時間で大阪の35度前後の生活に飛び込むのである。眠れないのは勿論である。そこで、私はいいことを思いついた。つい昨夜まで21度生活をしていたのだから、同じ室温で眠るのが一番自然だろうと考えて、エアコンを21度に設定して休んだ。だが眠れない。山小屋は涼しいという感じだが、エアコンの同温度はまろやかさに欠け、鋭角的でイタイタしい冷たさだ。これも慣れの問題か、と二日三日と21度のエアコン生活を続ける内に完全にグロッキーになった。その分野に関係している人間達にも聞いてみたが、この原因はいまだに判らない。湿度の問題だろうという人もいるが、そんな単純な問題ではないというのが私の実感だ。暑くとも汗が出ない。完全に自律神経失調気味になった(今でいう熱中症の逆のようだ)。その後大阪から福岡に飛んだ。三日間の滞在であったが、暑さこの上ないのに屋台のラーメンでも食えば汗が出るかと替え玉まで食べたら、益々気持が悪くなって打合わせを済ませて、すぐ宿で横になった。
 この時思った。自然の中の21度とエアコンで人工的に作り出される21度は根本的に何かが違う。空気の質と言ってしまえばそれまでだが、空気の質とは何だ?と聞かれると明確には答えられない。単純に湿度の問題なら技術でカバーできるだろうが、そんなことだけではなく空気の成分分析をすると、きっと分子構造が大きく違っているに違いない。その後、エアコンや物理の専門家に問うてみたが素人の予想の域を出ない解答しか得られなかった。人間あまり驕(おご)るなよ。自然は圧倒的に偉大なのだ。それを人間の考え出す科学技術で何でも補えると思ったら必ずしっぺ返しをくらう。臨床派住宅設計者として、身体を張ってきた私はそう断言する。 

 

2021年2月22日月曜日

コラム205 <薬 ②>

 

 記されている薬の説明書を読むと、効能より副作用の方がはるかに多い。その副作用のためにまた薬が加えられるから、素直にこれ式でいけば際限なく増えていくことになる。それぞれの薬の副作用は記述されているが、三種以上も混合された場合の複合副作用については医師や薬剤師にも判らないことが多いと聞く。判らないことが多い、ということは判らないということだろう。

 

 私の経験からいうと、こちらから申し出ない限り出される薬は減らないということだ。明らかに副作用が強い場合にははっきり止められるが、どんな程度かはっきりしないことがほとんどだ。少なくとも医師の判断でもう必要ないでしょうと言われて減ったことは一度もない。素人ながらに考え、こちらから申し出て減った薬は以下のものである。

      糖尿(インシュリン)

 ある日食卓テーブル仲間(4人)の内の一人が〝インシュリンを長くやってるのは体にあまりよくないらしいね〟と言ったのがきっかけである。そもそも4人が4人共、毎朝シャツの裾をめくり上げて注射(インシュリン)を打たれている姿は格好いいものではないし(中にはデブッチョもいるし)、〝このテーブルは麻薬患者の集団みたいだな…〟と言って笑い合った。そもそも私の血糖値は見舞いに持ってきてくれた団子だの、饅頭(まんじゅう)、それに糖度の高い果物を食べた後が高い位で大したことはなかった。

      血圧を下げる薬

      鬱になりにくくする薬

      便通をよくする薬(マヒによって腹筋力他が低下するから、ほぼ全員に出されるようだ)

 

極力薬を少なくしたい旨を医師に伝え、自分なりに知った代用となる食品で対処したいと申し出てOKがとれた。

①については、うまい!といって饅頭などををパクパク食べないようにし、

②については、黒酢ニンニク、黒ニンニクを毎日食べるようにし、

③は体が自由に動かないのだから、多かれ少なかれ皆ウツウツしている。だが、〝私は音楽を聞いたり、読書をしたり、文筆したりするから薬が必要な程にはならないと思います〟と申し上げ、

④についてはキノコ(特に舞茸がいいらしい)、キウイフルーツ、オリーブオイル、野菜サラダ、チーズ、ヨーグルトを食するようにすることで合意が取れた。できることなら、これが一番自然なことである。

については鹿教湯病院の主治医だった院長先生が、〝脳卒中(脳出血や脳梗塞など)を起こした直後はどうしても血糖値が上がるからね。高橋さんは元々は糖尿病ではなかったと思いますよ〟と言ってくれたので、これでスッキリした。おおらかな良い先生だった。