2021年12月27日月曜日

 コラム249 <スマホ/ケータイの功罪②>

  私の山小屋での生活を支えるために、長野市在住の上姉が、二週間来てくれた。ここに来る直前から最もよく使っている通話アプリのラインが使えなくなったらしい。スマホに詳しい幾人もの友人・知人に電話で相談したが回復しなかったという。
 私の小屋の二軒隣にセイコーエプソンに勤めている女性が居て、彼女ならきっと判るに違いないと電話したら、早速来てくれた。さすが大した時間も要さずに回復した。メール機能も使えなくなっているというが、こちらは姉も自分のパスワードが判らず、帰宅してからということになった。結局、その後友人宅に行き、メール機能も無事復活したらしい。
 姉からの報告を聞いて私が驚いたのは、二週間の滞在中に使えなかったメールに何通のメールが入っていたか、ということだ。最近はラインが中心でメールはめったに使わない、と言っていたのにである。何と142通、姉に必要なメールはその内たったの三通だったという。残りの139通は全く不要の情報やら宣伝だったらしい。

  何ともはや、と私は思うが、これも慣れれば何とも感じなくなるのだろう。自分に必要な確率が3/142であっても、自分に必要なメールかどうか判らないから、結局その都度見ることになるのだろう。
 そんなヒマがあるなら価値ある本の一冊でも読んでいた方が余っ程まし、というものだが、こんな時代にあっては私のように使い方に制約を設けるでもしない限り、限りなく便利の流れに巻き込まれていかざるを得ないのだろう。うまく使えばこれほど便利なものはない、とは判っているが、私にはうまくつかいこなす自信がないし、使い方に長じたいという気もさらさらない。第一私にスマホは似合わない。



2021年12月20日月曜日

 コラム248 <いつ何時、何が起きるか判らない >

  病気らしい病気などしたことはなく、入院したのはスキーで足首を骨折した時位のもので、それも数日である。ヒザから足先までギブスをし、ショルダーカバンを首肩から下げ、松葉杖をついて大阪の定例勉強会にも欠かさず行った。若かった。
 人に脳溢血を起こさせても自分は起こさない位の気分で生きてきたが、豈図(あにはか)らんや結果はごらんの通りである。人生なかなか予想通りとはいかぬものである。
 このストレス社会だ。そうなった原因を外に求めればいくらでもあるだろう。だが一言で言えば自分の不徳の致すところである。徳の不足は悲しいことだ。すべてはそこに起因して起こるとさえ思われる程だ。 

 病を得て悟ったことがある。それは
  〝やれることはやれる時に懸命にやる———それ以上の生き方はない〟
 ということだ。やれなくなってからあれもやりたい、これもやりたいと思っても、できないことだらけである。ああ、もっと賢明であったなら……などと嘆いてみても後の祭りだ。



2021年12月13日月曜日


 コラム247 <苛立ち、心乱れる時>

  数十年前に手に入れた棒鈴(ぼうりん)を打つ。その涼やかで澄んだ音色は胸の隅々まで染みわたり、我が心を鎮(しず)めてくれる。 

 苛立ち、心乱れる時だけではない。一日の生活の節目節目に、この鈴(りん)を打つ。長く細い透明な音が〝そんなことでは駄目だよ〟と我が心を諫(いさ)めてくれる。

  孔子より46才若いといわれる弟子、曾氏(そうし)の言葉のようだが、『論語』にいう

 「吾(われ)日に吾が身を三省(※)す」

 どころではない。五省も六省も必要とするのである。それでもなお足りない程である。気づいたたびごとに、鈴を打つ。 

因(ちな)みに三省(さんせい)とは
・人のためを思って真心からやったか
・友達と交わって嘘いつわりはなかったか
・まだ習得しないことを人に教えるようなことはなかったか
       (『論語 一日一語』伊與田覺監修より)
のことだそうである。


2021年12月6日月曜日


 

コラム246 <人間としての至らなさを思い知らされる>

 

 連れ合いに不機嫌に当たる。
 姉を時々怒鳴ってしまう。
 自分の時間・大きな自己犠牲を払って遠く八ヶ岳山中まで来て世話をしてくれているというのに、それに倒れて以来これまでの4年間報いたいの一念もあってそれなりにリハビリを続けてきたが、その割に恢復に向かえない苛立ち。
 その元をたどれば、それらは思うようにならない自分への苛立ち、自分の腑甲斐なさへの苛立ちである。
 そのあと必ず次の声が聞こえる。

  〝どうだ、よく判ったか?
  自分の人間としての至らなさを……
  自分が人間としていかに腑甲斐ないかを……。〟 

病に倒れてからというもの、痛い程この言葉が胸に突き刺さる。人の縁で紹介されて訪ねた『ライフ・クリニック蓼科』の麻植(おえ)先生が最初の診察の時に言われた。
 〝病になって悪いことばかりでもないでしょう〟
上述したような自己発見、自己認識のこと、他人の痛苦を知ること、病に苦しんでいる人がいかに多いかへの気づき、等々のことを言われたのだろう。
 このクリニックのポリシーは
 〝人を、地域を、医療からハッピーに〟
である。美しく、いい病院だ。





2021年11月29日月曜日

 コラム245 <愛の安定>

 

 愛についてこれまで古今東西さまざまな人が思索してきた。愛には最も身近な男女間の愛や、親子の愛・家族の愛にはじまり、友人愛・知人の愛、それに「痴人の愛」というのまであったな、又これらの愛よりもはるかに大きなスケールの人類愛まであって、これに自然に対する愛や動物に対する愛などを含めると果てしなく拡がってゆく。

  特に人間どうしの愛の発生に関していえば、感情的には好きとか、かわいいとか、気が合うなどの感覚愛や、生活センス・人生観を含めたところの価値観の重なりなどが含まれることであろうが、男女や夫婦・家族間の愛が安定するには、相手に対する尊敬の念というものが底辺に必要とされるのではないか。

 さまざまなことが起きる人生において、その人にしかない固有のものを相手の中に認めて、それに対する尊敬の思いを抱いておくことが、愛が安定するには必要なのではないか。
 特段深遠な思想というようなものではないが、病になってみて初めてそのことに気付かされたのである。



 

2021年11月22日月曜日

 

コラム244 <心の真実>

 

真の愛情か、形だけのものか
優しい言葉も、心の底から出た真の言葉か、うわべだけのものか
心配も、真に心配してのことか、そうでないか

 病になると、それらがこれまでになくよく判るようになる。
 真実が見える
 人の心の真実が見える
 病になるとは、恐ろしいことだ。
 ぼんやりしていたものが、はっきり見える。
 翻(ひるがえ)って、真実の人間になることの困難さを思う。


2021年11月15日月曜日

 コラム243 <病人(やまいびと)の孤独>

  病人の痛みや苦しみは当の本人にしかわからない。まわりの人達、たとえそれが夫婦であれ、親子であれ、いかに親しい友であれ、共感者であれ、又いかに愛情深い人であれ、わかり得ないことである。なぜなら痛みや苦しみはその人間に固有に与えられたものだからである。

  正直な医師は言う。
〝我々は判ったような顔をしているけれども、本当のところ患者の痛みや苦しみは判らないんですよ〟と。
 こう言える医師はまっとうな人間だ。仮に判り得たとしても病人と苦しみを分かち合う、共に背負おうと思う感情は人の心として人間らしく、気高いものだが、現実にこんなことを実践していたら、医師は長く務まらないものと思う。癌(がん)になってみなきゃ、癌患者の苦しみはわからない、なんて言われたって癌も多様だし、一人一人皆違うのだから、とてもそんな訳にいかないのが道理というものである。 

 このことは肉体の痛苦に対してばかりでなく、心の痛苦に対しても同様であろう。
 いかなる愛情をもってしても、慈しみをもってしても、他人の心の痛みを真に理解することはできないものだ。せめてそのことだけでも生きている内に知り得て幸いであった。それを補い得るのは、静かに寄り添い得る愛情であり、慈しみの心である、ということも……。
 理解し得ない中にあって、人間として最も気高いのは、他人のために祈り得ることである。

  〝人間であれ!〟という声が聞こえる。

 この言葉を胸に響かせながら、死ぬまで生きよう。

( 2021.10.27 記す )


 

 

2021年11月8日月曜日

 

コラム242 <野鳥にまで励まされ……>

 

十月末、八ヶ岳山中、特に標高1600メートルに位置する私の山小屋周辺は、もう冬だ。同じ別荘地内から来て夕食づくりをしてくれているヘルパーさんが言っていた。今朝はマイナス5度だった、と。

  寒いからと暖房付の室内ばかりにいては健康によくないと、比較的晴れた日にはデッキに出て陽を浴びている。
 しかしそれもせいぜい10分か15分だ。寒くて身体がさらに強張(こわば)ってくるからだ。健康な時にはこんなことはなかったのに……と思いながら、足元から先1メートル程のところに置いた野鳥のエサ台と、鉢の受皿を代用したプラスチック製の水皿を見る。
 エサはすっかり無くなり、水皿のまわりに水が飛び散り、野鳥達が水浴びをしたあとが見える。こんな寒い中でも野鳥達はちゃんと水浴びをするんだ……えらいものだ。 

 二度のコロナウィルスワクチン接種以来、マヒ側の筋肉が一段と硬直して危ない。それに先週の鍼(はり)治療以来この硬直がさらに度を増して、歩くのも辛くなった。加えて寒さが身体を強張らせる。
 入浴を一日一日と日延べしていたが、野鳥達に励まされて入浴を決意。やっとの思いで湯船に浸かり、身体を洗って上がった。筋骨隆々だった身体が、鏡に写った姿はまるで釈迦の断食像を想起させる程あばら骨が浮き出てガリガリだった。80キロあった身体が60キロになり、一時65キロ近くまで戻ったが、今は明らかに60キロ以下だろう。
 それ程極端に食欲がない訳でもないのに、なぜこんなに痩(や)せてしまったのか。癌(がん)に冒されている訳でもない。きっと強烈なシビレから来る痛みと苦しみが、身体のエネルギーを奪い取っているに違いない。中程度の腓(こむら)返りが左マヒ側全体に終日続いている、といえば、いくらか想像がつくだろうか。これが心臓や肺、その他の臓器に負担をかけているのが、自分でも判る。
 しかし静かな思いで辛抱するしかない。いつかピークを迎えるだろう。それまで私の臓器よ、持ち堪(こた)えよ!

 ( 2021.10.31 記す                                                                                                             

                                                                                                                 

2021年11月1日月曜日

 コラム241 <学び、習い、反省す >

  このところ『論語』と最も古い時代の記録とされている仏典『ダンマパダ(法句経) 』と『スッタニパータ』を繰り返し読んでいる。人間が出来ていないことを、病を通じて痛い程教えられたからである。

  一度や二度読んだくらいでは到底学んだとも理解したとも言えず、身体が不自由な身であっても、読み、学び、習い(実行に移し)、反省を繰り返すことで、自分の中の何かが少しずつ変わっていくような気がする。それでも実践できることが限られるから、また苛立つのである。

  現在の脚では半地階の書庫兼書斎まで降りて行けないから、広間のデスクに立てかけてある本を読むしかない。読みたい本が出たら麓にある行きつけの書店に電話をすれば入荷次第、車で30分程かかる山の上まで届けてくれる。ありがたい。皆の協力で今の私の生活は成り立っている。
 本当はいつでもそうなのだ。健康体の時はそのことに気づかないだけだ。 

 その気で見れば、まわりには病に苦しんでいる人が殊の外多い。高齢の人が比較的多いということもあるが、別荘地でも親しくしていた人が毎年1人、2人と欠けてゆく。自然の理(ことわり)とはいえ寂しいことだ。

 一人が病に倒れると家族はじめ、周囲の人達も大変だ。私も計り知れない程、周りの人々の世話になっている。恩返ししたい。でもできない。今の私にできることに何があるだろうかと考える。
 第1に そうした人々を気が萎(な)えないように元気づけること。
 第2に 自分がこれまで読んだ本の中で、今この人のためになるであろうと思われるものを送ること。
 第3に こちらも病中にあるが、極力元気な声を短い時間聞かせて語り合い笑い合うこと。
 第4には 何よりも自分の徳を高めることだ。
これ位しかない。

  私自身は苦しい時も病面(やまいづら)はしないよう、やっと心がけられるようになってきた。つい先日も6人の来客があったが、皆元気そうだと言ってくれた。病面は自分も他人も元気づけない、と判ったからである。しかしそうは言ってもやはり自然体が人間らしくて一番いいな。気負わず、あまりがんばり過ぎないことだ。



2021年10月25日月曜日

 コラム240 <漢字に遊び、学ぶ>

  今日も漢字遊びをした。

  疑う病と書いて「癡」
   知る病と書いて「痴」
  そして二文字共におろかと読ませる。合わせて愚痴()

 以前にも書いたが、漢字遊びとは実に面白いものだ。




2021年10月18日月曜日

 コラム239 <病と向き合う>

  苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、ああ苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、ああ苦しい、……。
これを10回繰り返し称えれば百遍となる。別に願掛けをしている訳ではない。
 実際私はそれをやってみた。息が続かないから苦しくなるだけでなく、それどころか途中からまるで地獄にいるような気分になってきた。日に三回で月約百回となる。
 百遍称えたが、苦しみはちっとも去らないことが判った。だから馬鹿らしいからもう止めた。それが連続的であろうと、断続的であろうと、溜息まじりであろうと、苦しいなんて言ってみたって、何の益にもならない。でも時には仕方がないね。

 
それでもそんな暇があったら、別の、もっと創造的なことをした方がいい。
   楽しいことを学び、実践し
   尊いことを学び、実践し
   偉人、賢人に学び、喜ばしい心持で日々を送る方がどれ程価値があることか。
   美しい音楽を聴き
   美しいものに触れ
   よき仲間達とよき縁を結び、ふれ合う、語り合う。
   〝人間であれ……〟

 という内なる声を聞いた。

2021年10月11日月曜日

 コラム238 <スマホ/ケータイの功罪>

  大分前のことだが、私があるところで講演を頼まれ、話している最中に最前列の一人が突然話し始めた。その頃はスマホなど無かったからケータイ電話である。さすがに司会者に注意されて廊下に出されたが、最近だって会議中に突然話し始めた者がいた。「○○さん!外へ!!」と私は一喝したが、あれは受けて話し始めると、まわりへの配慮を突然失うものらしい。
 昔なら〝この無礼者!〟で済んだが、時代が変わってあまり激しく注意したり、怒鳴ったりしなくなったから、こういう不届き者が絶えないのである。 

 どこにも持ち歩かないと、不安なのであろう。こうなると明らかに一種の病である。便所に入るにも連れ歩く。
 先日も高速道路のサービスエリア内のトイレブースの中から話し声が聞こえてきた。いくら便利とはいえ、用を足しながらしゃべることもあるまいに……。便所とは便利な所という意味ではなく、便をする所である。そんなことは言われなくとも判ってる?……だったらそうすればいいじゃないか!言われなくとも判っていることをしないから世の中がおかしくなるのだ。
 私だったら〝便所まで追いかけてくるんじゃない!〟と言って怒り出すだろう。別段相手が追いかけてきた訳でなく、持ち込んだこちらのせいなのだが……。始末の悪い話だ。

2021年10月4日月曜日

 コラム237 <リビングルームに、電話が7>

 来客が3人あれば、元々の固定電話と子機で2台、それに我々迎える側のスマホ/ケータイが2台、さらに今は来客各々がスマホを持っているから、3台がプラスされる。結果大して広くもないリビングルームに計7台の電話があることになる。
 金魚のウンコの如く、いつでも、どこでも付けて歩く。鳴るのは電話だけではない。メール、ライン、それに時々の宣伝音までがあちこちで鳴って、まあうるさいやら慌しいやらで、山中の静けさなど、一瞬にして消し飛ぶことになる。 

 元々私はFAXやケータイなど、便利とはいうものの結局人間の幸福に寄与しないようなものは、極力使わないようにしてきた。仕事場にも、しばらくはFAXなし。〝直筆の文を添えて、クリアーなコピーを郵便でゆっくり送れば十分じゃないか!〟で通してきたが、確認申請などの役所とのやりとりは電話ではダメとなり、やむなくFAXを入れることになった。 

 まずここがやられた。ダムの決壊と同じで、一部が崩れると、まあ人間の弱さというものか、うまく使いさえすれば……などと言って始まったものが、まもなく総崩れを起こすことになる。人間として何か大きなものを失っていくとも知らずに……。 

 最後まで持ちこたえたのが私自身のケータイである。
 脳出血で倒れ入院して以来、コロナウィルス禍も重なり外部との通信手段を失ったから、ケータイを持たざるを得なくなったのである。掛ける/受ける、の機能だけしか私は必要としないから、未だにガラケーで十分である。ガラケーでもメールは使えるのだが、気が滅入るといって私は使わない。それに持ち歩かない。特に身体がこうなってからは一人で出掛けることも少ないから、必要な時は人のものを拝借すればいい。そんな身勝手な!という者もいるが、どうせあるのだ。使えるものは使えばいい。なんでガラケーと呼ぶのかさえ私は知らない。そんな余計なことは知らなくていいのだ。 

 そして今は冒頭にあげたような有様である。スタッフを見ても製図版に向かうこと少なく、パソコンと向き合っている時間が圧倒的に長くなった。患者の顔を見ずにパソコンに向き合っている医師のことなど、とても責められない。



2021年9月27日月曜日

 コラム236 <こんな人がいたら、その人へ>

  朝、鏡の中に自分の顔をじっと見る。
 〝病面(やまいづら)してるなあ!〟
 〝そんな顔を見て喜ぶ人がいるかい?〟
 自分に問いかける。特に苦しかった朝など、辛い顔をしているの、当然だよな。 

 片手でブリブリと顔を洗い、気合を入れる。部屋に戻り、そのあとストレッチ、スクワット、その他一通りの自主トレメニューをこなし、最後に広間を五廻り歩く。辛い時は三廻り。 

 〝さあ、今日一日の命の始まりだ!〟



2021年9月20日月曜日

 コラム235 <何事も口で言う程、容易(たやす)くない?>

  

 人はしばしば、〝何事も口で言う程容易くはない〟などと言うけれど、果たしてそうだろうか。それは逆に、人間の口(言葉)が年々軽くなっていることの裏返しではないのか?

  重い言葉になればなるほど、言葉を紡ぎ出すのは軽々しい行動よりはるかに難しいことだと思う。学び、鍛えて、そんな言葉を吐ける人間になりたいものだ。

    本が売れない。
  古典も売れない。
  急須も売れない。

 本に親しむ人がそれだけ少なくなった、ということだ。
 古典も茶も、深く味わう人がそれだけ少なくなった、ということだ。
 素晴らしい古典文化、生活文化を持つ日本にありながら実に勿体無いことだ。


2021年9月13日月曜日

 コラム234 <病について>

   治すは人間の意志
   治るは天の意志
   奇跡は、この二つが合わさった時

 身体が自由に動かぬ自分を腑甲斐無いと思うこともあるだろう。
 自分に苛立ち、人に苛立ち、事に苛立って気が萎(な)えることもあるだろう。本当のところ全ての苛立ちは自分への苛立ちなのだ。

 死んだ方がましだと思うことすらあるだろう。

 だが命は自分の意志だけで支えられているのでは決してない。よくよく考えてみれば、天の恵み、人の恵みにどれ程多くを負うているだろう。それを考えれば、自分にできる最大限・最深の形で恩を返しながら生き切らなければ、恩知らずの誹(そし)りを免れ得ないだろう。決意のまま、自分らしく生き切れればいいのだが……。



2021年9月6日月曜日

 コラム233 <偉い人になることと、りっぱな人になることと>

  慢(おご)らず、誇(ほこ)らず、偉(えら)ぶらず
 ありのままに素直に生きよう

真理は足元にあり

 即ち、幸・不幸の基は足元にあり
頭のいい人は注意せよ、それより人間の出来に留意せよ
仕事ができると思い始めた人は注意せよ、自信と慢りは違うからである
えらい人こそ注意せよ 

 私は若い時分に師匠の奥様から諭された。 

〝偉くなることと、りっぱな人になることと
 若い時は同じこととよく感違いするものよ。
 だけどこの二つは違うことなの。偉くならなくてもいいから、
 りっぱな人におなんなさいよ〟

 私はあの言葉を生涯忘れない。
   〝人間偉くなったら、かえってりっぱな人間になれないものなのよ〟…とも。



2021年8月30日月曜日

 

コラム232 <物知り>

  秋のものを霧(きり)、春のものを霞(かすみ)、靄(もや)は単にモャ~ッとしているからもやなのではない。霧より見通しがよく、視程1km超のものをいう———山中生活が長いのだ。それ位のことは私だって知ってるぞ!

  何でもよく知っている人がいるものだ。いわゆる〝物知り〟である。その割に人間が出来ていないと感じさせられるのは知り方が知識に偏り、人間理解を深めて自らの人格が風格を増すまでに至らなかったからなのか。

 もっと判りやすくいえば、脳細胞だけは鍛えられたが、それが精神に到(いた)らず、身体化されぬままに来てしまったからなのだろうか。そのことに気づかず物知りのまま生涯を送るとすれば、その溜め込んだ知識は何のためのものであったろうか。私は最近そんなことをよく思うようになった。


 そもそも何のために学び、知るのであろうか。専門家に専門知識が必要なのは当然といえば当然だが、それでも同様の問題があるのではないか。
 特に進学のため、資格取得のための勉強の傾向が強くなってそれが長く続いたからなおさらである。「学びの本質は人間をつくり上げるためにあり」と考えれば、血肉化されない知識にどれ程の意味があるのだろう。知る病と書いて痴(おろか)と読ますなど何と絶妙なことだろう。
 知らなくていいことを多く知り、人間向上のために知るべきことを知らない、知ろうともしない———こういう傾向が年々強くなっていると感じるのである。



2021年8月23日月曜日


 コラム231 <わからないことだらけ>

  デッキに椅子を出し、腰掛けていたら、腕に蝉が止まった。トレーナーの袖を伝って上へ上へと登っていく。小型の夏蝉ではない。油蝉でも勿論ない。羽根が透明なカナカナ蝉に似ているが、それをひとまわり、小さくしたような形をしている。目が合ったので聞いてみた。
 〝君は何という蝉だい?〟
 〝ジィッ〟と答えた。
 ちょっと目を離しているうちに姿が見えなくなった。襟(えり)のうしろあたりで〝ジジッ、ジジッ〟と最後の鳴き声をあげた。〝ジジイ、ジジイ〟と言っているんじゃないだろうな、もうだいぶ弱っているようだ。お互いに……。 

 疑問1 蝉は土中で何年もいるという。何を養分にして何年も生きているのだろう?

 疑問2 蝉は土中に居ながらどのように梅雨明けを知るんだろう?
 疑問3 梅雨が明けた途端に一斉(せい)に鳴き始める。あちらでも、こちらでも、離れたむこうの方でも…… 知らせ合うといっても無線機がある訳でなし、どのような手段で伝え合うのだろう。

  わからないこと、知らないことだらけだ。蝉に聞いてみたいものだと思った。

 白樺の幹に帰してやった。最後の力をふり絞りながら上へ上へと登っていった。天国をめざすかのように……。

2021年8月16日月曜日

 

コラム230 <『近代日本150年』(岩波新書)の読後感>

  山中で上記の本を読んで、読後深い虚無感に襲われた。万物の霊長と言われる人類は天国と地獄のどちらを多く創り出してきたのか?と思われたからである。

  早朝デッキでコールマンの椅子に腰かけ、朝陽を浴びながら心を澄ませば、渓流の音が聞こえる。野鳥の囀(さえず)りが聞こえる。樹間を吹き抜けるかすかな風の音が聞こえる。梅雨が明けて一斉(せい)に鳴き始めた蝉の声が聞こえる。静かな朝だ。一角を白い山法師の花が飾っている豊かな樹々の緑に包まれながら、自然と一体であることを忘れた人類のことを思った。

  私の故郷秋田は摂氏34度、本州最北端の青森ではさらに36度だという。秋田に住んでいる姉は〝地球がすっかりおがしくなってしまったぁ……〟と秋田訛りの言葉で言った。いかなる意味でも人類は地球を傷つけ過ぎた。経済発展のために、軍事・戦争のために、そして今、エネルギー革命の最終章原発のために、その元を繰っていけば結局カネのために大いなる自然と素朴な民衆を犠牲にし続けてきた歴史に突き当たる。巨額の富を手中にした個人・組織・国家……それで得たものは平和であったか?人類にとっての幸福であったか?経済格差社会はこれからも益々深刻度を増していくだろう。その先に待ち受けるものは決して平和ではないだろう。

  人類にとって幸福、平和とはいかなるものによって成立していくのか。巨額の富を手にしながら、幸福とはとてもいえないような人にあなたはこれまで出会ったことはなかったか?かえって幸福から遠ざかった人々、平和・平安から遠ざかった人々は数多くいる。
 知足:程々で足るを知るところにこそ平和・平安があるという古(いにしえ)からの真理をどうして人類は悟らないのだろう。不知足とは足ることを知らず、欲が欲を呼んで欲の蟻地獄にあがいても、もう抜け出せない、はい出せない、それがいかに平和に遠いことであったかを上記の本は教えてくれる。決して楽しい本ではないが、皆読まれたらいいと思った。



2021年8月9日月曜日

 コラム229 <自慢について>

 「自慢」というものはどのようなものであっても快いものではない。過ぎれば時に醜くさえある。自慢している本人はいい気分で書いたり、語ったりしているのだろうが、読み、聞かせられる側には決して心地よく響かない。
 真に偉い人というのは自慢ということはしないものだろうし、自慢したがり屋を出来た人間だと感じる人もいないだろう。しかし残念ながら人間は多く自慢したがるものである。聞いていてなぜそれを快く感じないのだろう。それは己の内にある慢心をさらに着飾って他人に見せようとするからであろうと思う。そんな自慢話より、もっと真に迫った人間の話が聞きたいし、私は住宅を業とする人間だから住宅や生活の美についてもっと肉迫した話を聞きたいものだと思う。
 
「見せびらかす」という言葉がある。大げさ、上から目線、偉(えら)ぶる、高飛車、といった言葉も同じ範中に入る言葉であろう。「自慢」とは自分のことや自分に関係のあることを他人に誇ること(『辞林
21』)とある。これだけなら印象のいいことも悪いこともあるだろう。だが自慢たらしいとなると真実味が無い分、印象を悪くする。少なくともこれまでの日本人の美徳には無かったことだ。74才まで生きてきて、恥ずかしながら私も随分自慢しながら生きてきたように思う。これからの人生は極力自慢無きようありのままを心掛けて生きていこうと思う。人間の浅はかさなど、どうあがいてもすぐ透けて見えるものである。毎日山中で眺めている野の花や樹々たちの素朴さに学んで日本人の美徳というものをもう一度見つめ直してみたいものだと思う。人生をかけて地味に、奥床しく、いぶし銀のような味わいのある存在になりたいものだ。これもまた夢物語か。

2021年8月2日月曜日

 コラム228 <几帳面なキジ鳩>

 数羽のキジ鳩あり。中に一羽几帳面な鳩あり。
 几帳面とはエサ台のエサを通常は細いくちばしで飛び散らかしながらつっつき食べるのだが、一羽のみは端から横一列ずつきれいについばみ、エサ台よりとりこぼすとすぐにそれをついばんで、ものの美事に整然と食べる。
 キジ鳩に親の躾などあろうはずもないから、これは生来の性格という外ないが、それは見ていて笑いが出るほどだ。美しく食したいものだと、常々心掛けてきた私も、思わず〝いやあ、感心だねえ!〟と声をかける。この鳩は数年前からエサ台に来ているのだけれど、驚くことなかれ最近はこの鳩の連れ合いだろうか、二羽揃って整然と食べている。夫の方が奥方から〝あなた、食べ散らかさずにもっとゆっくり、きれいに食べなさい〟とでも言われたものやら、明らかに一羽が他方に影響を与えている。おもしろし、おもしろし。

 PS:(漢文まじりの本を読んだ影響で私の文もそんな調子になった。影響とは知らず知らずの内に及ぶものなりと知る。)



2021年7月26日月曜日

 コラム227 <脳出血から34ヵ月経った者の心境 その⑤>

  病院での入院リハビリは現行の法律で最大180日までと定められている。それ以後はリハビリの必要性の有無にかかわらず、実質、社会に放り出される恰好(かっこう)となるから、介護保険内のリハビリが中心とならざるを得ない。
 しかし私の経験からいうと、これによって効果の上がるリハビリは期待できないと言っていい。他には自主トレーニングということになるが、これも継続的に出来る人となると、気力、体力、技法上かなり限られるというのが実状だ。若い時分にスポーツに明け暮れた私でさえ、気力を保持しながら自主トレに一人で取り組み続けるのは至難なことだ。
 
 180日までという制約は小泉首相時代に反対を押し切って成立した法律らしい。そもそもなぜ180日なのか———これについては6ヵ月以降はリハビリを続けても大幅な成果は得られないという定説が根拠になっているようだ。だがこの定説はもう古い。一般的にはそういうことが言えるのだろうが、それに違(たが)う体験者の本は沢山出ているし、私自身だって歩くのに大きな改善を見たのは6ヵ月を超えてからである。必要性の有無はそれぞれによって違うが私の経験からいうとこれが9ヶ月までであればだいぶ違ってくるものと思われる。この問題はリハビリ治療における今後の大きな課題である。  

 最近はさすがに左半身マヒの完全なる恢復は諦めつつ、一方では諦めないで淡々と日々のトレーニングを重ねていくのみである、と腹を決めている。〝余分なことを考えず〟とは気力を軸とした自分との勝負であるが、それがどこまで恢復につながるものか見ていてほしい。今はこれが生きるということのひとつの意味であるとさえ思われる。
 
 添うて生きてくれる人がいるということが何よりも大きな支えになっている反面、自分は助けを受けるばかりで、その人の支えに全くなれないことが辛い。病の辛さは身体上の苦しみもさることながら、第一には他人の助けになれないこの精神的辛さにあるのではないかと思う。この問題とどう折り合いをつけて乗り越えていけるかは私に課せられた精神上の試練である。
 3年以上ほぼ同じ薬を飲み続けても症状が一向に改善されないこと、名医野地先生にも有効な手段がなさそうなこと、このまま大量の薬を飲み続けてはこの体が薬漬けになってしまうようで私の望むところでは全くない。薬を極力減らしつつ今は東洋医学の漢方薬・鍼灸(しんきゅう)マッサージをプラスして取り組んでいる。



2021年7月19日月曜日

 

コラム226 <脳出血から34ヵ月経った者の心境 その④>

  小田急線本厚木にある<のじ脳神経外科・しびれクリニック>の野地先生は最後の頼みの綱として遠くからも訪れる人が多いと聞く。住まい塾事務局の川崎さんが見つけて推薦してくれたのである。すぐ予約の電話をすればよかったのだが、住まい塾から片道2時間と少々遠いし、冬期の入院リハビリの期日が迫っていたこともあって、数ヵ月後に予約の電話を入れた時には予約待ち1300人と言われた。〝ヘェ~~!〟だがひたすら待ち続けて7ヵ月以上はかかったろうか。予約できる順番がやってきた。
 
 初診は午後の時間であったから連れ合いと一緒に日帰りで行った。新宿・本厚木間はロマンスカーを利用したのでその分楽であったが、志木から池袋、新宿を通っていくのがなかなか大変だ。各駅にエレベーターがあるにはあるが、さがすのに手間取り歩く距離は大して変わらない。駅からクリニックまでは私の足で杖をつきながらも十分かからぬ程だが、日帰りで往復してヘトヘトになった。
 野地先生は一目で名医であると確信した。患者に寄り添う姿勢と気持が表情に表れていたからである。二回目からはスタッフのアドバイスもあり、前日に本厚木のステーションホテルに泊って、午前診察、午後には早目に志木に帰ることにした。これで往復のラッシュが避けられる。本厚木のステーションホテルはビジネスホテルだが、机・ソファなどが備えられているだけで余計なものがなく内装もこざっぱりしていて
 シングルルームの割に広く、悪くなかった。シングルルームを2室取ったのはコロナ対策のためだったが、夜中私はふらついて転倒し、妙な格好で転んだものだから家具の間に足がはさまり、起き上がれず、床にそのまま
20分程横になっていた。床がパンチカーペットだったから幸いしたが、横になりながら立ち上がる方法に頭をめぐらせ、やっとベッドに横になれたのはそれから30分程してからのことである。デスクには電話もあるから隣室にもフロントにも通じることはできるのだが、何せ立ち上がれないのだからそこまでたどりつけない。それに呼べたとしても部屋のドアに内カギがかかっている。こちらがドアを開けなければ入れない。そんな経験を生かして第三回目は自分の部屋の内カギはせず、少し開いた状態にして休んだ。

 色んなことが起きては経験から学び、第4回目はキングサイズのダブルベッドの部屋を取り(このホテルにはツインルームが無い)、端と端に寝た。最初からそうすればよかったようなものだが、馴染みのないせいか私はダブルベッドで眠るのが好きではない。が結果的には洗面も浴室もシングルルームより広く充実していてひとつに勉強なった。

2021年7月12日月曜日

コラム225 <脳出血から34ヵ月経った者の心境 その③>

  次に期待して訪れたのが東京のとあるシビレ専門のクリニックである。シビレはシビレでも脳から来るシビレとうたってあったから期待したのである。ここでの担当医は女医さんであった。

 〝はっきり申し上げてこれは治りませんから……一発で亡くなる方もいるのですから幸運だったと思って諦めてつき合っていって下さい。〟
       あまりのドライさにポカンと開いた口がしばらく塞(ふさ)がらなかった(今は閉じている)。この先生は治らないものは治らないとはっきり言った方がかえって親切というものだ、と固く信じているようだった。そう信じているというのならそれはそれでいいのだが、あまりにシャーシャーとした言いっぷりに、言われたこちらは何だか〝治りませんから……〟と言われるために志木からわざわざ来たような気分だった。病が判って人間の苦しみが判らぬ純粋医師を見たような思いだった。苦しんでいる人間に寄り添った多少のアドバイス位あってよさそうなものだが、〝治りませんから、つき合っていって下さい〟だけじゃ混んだ電車を乗り継いでやって来た甲斐が無いというものだ。それとももう一度行って〝そのシャーシャーとした言いっぷりは、もう治りませんから……〟とでもいってやろうかなあ。