2021年10月18日月曜日

 コラム239 <病と向き合う>

  苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、ああ苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、ああ苦しい、……。
これを10回繰り返し称えれば百遍となる。別に願掛けをしている訳ではない。
 実際私はそれをやってみた。息が続かないから苦しくなるだけでなく、それどころか途中からまるで地獄にいるような気分になってきた。日に三回で月約百回となる。
 百遍称えたが、苦しみはちっとも去らないことが判った。だから馬鹿らしいからもう止めた。それが連続的であろうと、断続的であろうと、溜息まじりであろうと、苦しいなんて言ってみたって、何の益にもならない。でも時には仕方がないね。

 
それでもそんな暇があったら、別の、もっと創造的なことをした方がいい。
   楽しいことを学び、実践し
   尊いことを学び、実践し
   偉人、賢人に学び、喜ばしい心持で日々を送る方がどれ程価値があることか。
   美しい音楽を聴き
   美しいものに触れ
   よき仲間達とよき縁を結び、ふれ合う、語り合う。
   〝人間であれ……〟

 という肉なる声を聞いた。

2021年10月11日月曜日

 コラム238 <スマホ/ケータイの功罪>

  大分前のことだが、私があるところで講演を頼まれ、話している最中に最前列の一人が突然話し始めた。その頃はスマホなど無かったからケータイ電話である。さすがに司会者に注意されて廊下に出されたが、最近だって会議中に突然話し始めた者がいた。「○○さん!外へ!!」と私は一喝したが、あれは受けて話し始めると、まわりへの配慮を突然失うものらしい。
 昔なら〝この無礼者!〟で済んだが、時代が変わってあまり激しく注意したり、怒鳴ったりしなくなったから、こういう不届き者が絶えないのである。 

 どこにも持ち歩かないと、不安なのであろう。こうなると明らかに一種の病である。便所に入るにも連れ歩く。
 先日も高速道路のサービスエリア内のトイレブースの中から話し声が聞こえてきた。いくら便利とはいえ、用を足しながらしゃべることもあるまいに……。便所とは便利な所という意味ではなく、便をする所である。そんなことは言われなくとも判ってる?……だったらそうすればいいじゃないか!言われなくとも判っていることをしないから世の中がおかしくなるのだ。
 私だったら〝便所まで追いかけてくるんじゃない!〟と言って怒り出すだろう。別段相手が追いかけてきた訳でなく、持ち込んだこちらのせいなのだが……。始末の悪い話だ。

2021年10月4日月曜日

 コラム237 <リビングルームに、電話が7>

 来客が3人あれば、元々の固定電話と子機で2台、それに我々迎える側のスマホ/ケータイが2台、さらに今は来客各々がスマホを持っているから、3台がプラスされる。結果大して広くもないリビングルームに計7台の電話があることになる。
 金魚のウンコの如く、いつでも、どこでも付けて歩く。鳴るのは電話だけではない。メール、ライン、それに時々の宣伝音までがあちこちで鳴って、まあうるさいやら慌しいやらで、山中の静けさなど、一瞬にして消し飛ぶことになる。 

 元々私はFAXやケータイなど、便利とはいうものの結局人間の幸福に寄与しないようなものは、極力使わないようにしてきた。仕事場にも、しばらくはFAXなし。〝直筆の文を添えて、クリアーなコピーを郵便でゆっくり送れば十分じゃないか!〟で通してきたが、確認申請などの役所とのやりとりは電話ではダメとなり、やむなくFAXを入れることになった。 

 まずここがやられた。ダムの決壊と同じで、一部が崩れると、まあ人間の弱さというものか、うまく使いさえすれば……などと言って始まったものが、まもなく総崩れを起こすことになる。人間として何か大きなものを失っていくとも知らずに……。 

 最後まで持ちこたえたのが私自身のケータイである。
 脳出血で倒れ入院して以来、コロナウィルス禍も重なり外部との通信手段を失ったから、ケータイを持たざるを得なくなったのである。掛ける/受ける、の機能だけしか私は必要としないから、未だにガラケーで十分である。ガラケーでもメールは使えるのだが、気が滅入るといって私は使わない。それに持ち歩かない。特に身体がこうなってからは一人で出掛けることも少ないから、必要な時は人のものを拝借すればいい。そんな身勝手な!という者もいるが、どうせあるのだ。使えるものは使えばいい。なんでガラケーと呼ぶのかさえ私は知らない。そんな余計なことは知らなくていいのだ。 

 そして今は冒頭にあげたような有様である。スタッフを見ても製図版に向かうこと少なく、パソコンと向き合っている時間が圧倒的に長くなった。患者の顔を見ずにパソコンに向き合っている医師のことなど、とても責められない。



2021年9月27日月曜日

 コラム236 <こんな人がいたら、その人へ>

  朝、鏡の中に自分の顔をじっと見る。
 〝病面(やまいづら)してるなあ!〟
 〝そんな顔を見て喜ぶ人がいるかい?〟
 自分に問いかける。特に苦しかった朝など、辛い顔をしているの、当然だよな。 

 片手でブリブリと顔を洗い、気合を入れる。部屋に戻り、そのあとストレッチ、スクワット、その他一通りの自主トレメニューをこなし、最後に広間を五廻り歩く。辛い時は三廻り。 

 〝さあ、今日一日の命の始まりだ!〟



2021年9月20日月曜日

 コラム235 <何事も口で言う程、容易(たやす)くない?>

  

 人はしばしば、〝何事も口で言う程容易くはない〟などと言うけれど、果たしてそうだろうか。それは逆に、人間の口(言葉)が年々軽くなっていることの裏返しではないのか?

  重い言葉になればなるほど、言葉を紡ぎ出すのは軽々しい行動よりはるかに難しいことだと思う。学び、鍛えて、そんな言葉を吐ける人間になりたいものだ。

    本が売れない。
  古典も売れない。
  急須も売れない。

 本に親しむ人がそれだけ少なくなった、ということだ。
 古典も茶も、深く味わう人がそれだけ少なくなった、ということだ。
 素晴らしい古典文化、生活文化を持つ日本にありながら実に勿体無いことだ。


2021年9月13日月曜日

 コラム234 <病について>

   治すは人間の意志
   治るは天の意志
   奇跡は、この二つが合わさった時

 身体が自由に動かぬ自分を腑甲斐無いと思うこともあるだろう。
 自分に苛立ち、人に苛立ち、事に苛立って気が萎(な)えることもあるだろう。本当のところ全ての苛立ちは自分への苛立ちなのだ。

 死んだ方がましだと思うことすらあるだろう。

 だが命は自分の意志だけで支えられているのでは決してない。よくよく考えてみれば、天の恵み、人の恵みにどれ程多くを負うているだろう。それを考えれば、自分にできる最大限・最深の形で恩を返しながら生き切らなければ、恩知らずの誹(そし)りを免れ得ないだろう。決意のまま、自分らしく生き切れればいいのだが……。



2021年9月6日月曜日

 コラム233 <偉い人になることと、りっぱな人になることと>

  慢(おご)らず、誇(ほこ)らず、偉(えら)ぶらず
 ありのままに素直に生きよう

真理は足元にあり

 即ち、幸・不幸の基は足元にあり
頭のいい人は注意せよ、それより人間の出来に留意せよ
仕事ができると思い始めた人は注意せよ、自信と慢りは違うからである
えらい人こそ注意せよ 

 私は若い時分に師匠の奥様から諭された。 

〝偉くなることと、りっぱな人になることと
 若い時は同じこととよく感違いするものよ。
 だけどこの二つは違うことなの。偉くならなくてもいいから、
 りっぱな人におなんなさいよ〟

 私はあの言葉を生涯忘れない。
   〝人間偉くなったら、かえってりっぱな人間になれないものなのよ〟…とも。



2021年8月30日月曜日

 

コラム232 <物知り>

  秋のものを霧(きり)、春のものを霞(かすみ)、靄(もや)は単にモャ~ッとしているからもやなのではない。霧より見通しがよく、視程1km超のものをいう———山中生活が長いのだ。それ位のことは私だって知ってるぞ!

  何でもよく知っている人がいるものだ。いわゆる〝物知り〟である。その割に人間が出来ていないと感じさせられるのは知り方が知識に偏り、人間理解を深めて自らの人格が風格を増すまでに至らなかったからなのか。

 もっと判りやすくいえば、脳細胞だけは鍛えられたが、それが精神に到(いた)らず、身体化されぬままに来てしまったからなのだろうか。そのことに気づかず物知りのまま生涯を送るとすれば、その溜め込んだ知識は何のためのものであったろうか。私は最近そんなことをよく思うようになった。


 そもそも何のために学び、知るのであろうか。専門家に専門知識が必要なのは当然といえば当然だが、それでも同様の問題があるのではないか。
 特に進学のため、資格取得のための勉強の傾向が強くなってそれが長く続いたからなおさらである。「学びの本質は人間をつくり上げるためにあり」と考えれば、血肉化されない知識にどれ程の意味があるのだろう。知る病と書いて痴(おろか)と読ますなど何と絶妙なことだろう。
 知らなくていいことを多く知り、人間向上のために知るべきことを知らない、知ろうともしない———こういう傾向が年々強くなっていると感じるのである。



2021年8月23日月曜日


 コラム231 <わからないことだらけ>

  デッキに椅子を出し、腰掛けていたら、腕に蝉が止まった。トレーナーの袖を伝って上へ上へと登っていく。小型の夏蝉ではない。油蝉でも勿論ない。羽根が透明なカナカナ蝉に似ているが、それをひとまわり、小さくしたような形をしている。目が合ったので聞いてみた。
 〝君は何という蝉だい?〟
 〝ジィッ〟と答えた。
 ちょっと目を離しているうちに姿が見えなくなった。襟(えり)のうしろあたりで〝ジジッ、ジジッ〟と最後の鳴き声をあげた。〝ジジイ、ジジイ〟と言っているんじゃないだろうな、もうだいぶ弱っているようだ。お互いに……。 

 疑問1 蝉は土中で何年もいるという。何を養分にして何年も生きているのだろう?

 疑問2 蝉は土中に居ながらどのように梅雨明けを知るんだろう?
 疑問3 梅雨が明けた途端に一斉(せい)に鳴き始める。あちらでも、こちらでも、離れたむこうの方でも…… 知らせ合うといっても無線機がある訳でなし、どのような手段で伝え合うのだろう。

  わからないこと、知らないことだらけだ。蝉に聞いてみたいものだと思った。

 白樺の幹に帰してやった。最後の力をふり絞りながら上へ上へと登っていった。天国をめざすかのように……。

2021年8月16日月曜日

 

コラム230 <『近代日本150年』(岩波新書)の読後感>

  山中で上記の本を読んで、読後深い虚無感に襲われた。万物の霊長と言われる人類は天国と地獄のどちらを多く創り出してきたのか?と思われたからである。

  早朝デッキでコールマンの椅子に腰かけ、朝陽を浴びながら心を澄ませば、渓流の音が聞こえる。野鳥の囀(さえず)りが聞こえる。樹間を吹き抜けるかすかな風の音が聞こえる。梅雨が明けて一斉(せい)に鳴き始めた蝉の声が聞こえる。静かな朝だ。一角を白い山法師の花が飾っている豊かな樹々の緑に包まれながら、自然と一体であることを忘れた人類のことを思った。

  私の故郷秋田は摂氏34度、本州最北端の青森ではさらに36度だという。秋田に住んでいる姉は〝地球がすっかりおがしくなってしまったぁ……〟と秋田訛りの言葉で言った。いかなる意味でも人類は地球を傷つけ過ぎた。経済発展のために、軍事・戦争のために、そして今、エネルギー革命の最終章原発のために、その元を繰っていけば結局カネのために大いなる自然と素朴な民衆を犠牲にし続けてきた歴史に突き当たる。巨額の富を手中にした個人・組織・国家……それで得たものは平和であったか?人類にとっての幸福であったか?経済格差社会はこれからも益々深刻度を増していくだろう。その先に待ち受けるものは決して平和ではないだろう。

  人類にとって幸福、平和とはいかなるものによって成立していくのか。巨額の富を手にしながら、幸福とはとてもいえないような人にあなたはこれまで出会ったことはなかったか?かえって幸福から遠ざかった人々、平和・平安から遠ざかった人々は数多くいる。
 知足:程々で足るを知るところにこそ平和・平安があるという古(いにしえ)からの真理をどうして人類は悟らないのだろう。不知足とは足ることを知らず、欲が欲を呼んで欲の蟻地獄にあがいても、もう抜け出せない、はい出せない、それがいかに平和に遠いことであったかを上記の本は教えてくれる。決して楽しい本ではないが、皆読まれたらいいと思った。



2021年8月9日月曜日

 コラム229 <自慢について>

 「自慢」というものはどのようなものであっても快いものではない。過ぎれば時に醜くさえある。自慢している本人はいい気分で書いたり、語ったりしているのだろうが、読み、聞かせられる側には決して心地よく響かない。
 真に偉い人というのは自慢ということはしないものだろうし、自慢したがり屋を出来た人間だと感じる人もいないだろう。しかし残念ながら人間は多く自慢したがるものである。聞いていてなぜそれを快く感じないのだろう。それは己の内にある慢心をさらに着飾って他人に見せようとするからであろうと思う。そんな自慢話より、もっと真に迫った人間の話が聞きたいし、私は住宅を業とする人間だから住宅や生活の美についてもっと肉迫した話を聞きたいものだと思う。
 
「見せびらかす」という言葉がある。大げさ、上から目線、偉(えら)ぶる、高飛車、といった言葉も同じ範中に入る言葉であろう。「自慢」とは自分のことや自分に関係のあることを他人に誇ること(『辞林
21』)とある。これだけなら印象のいいことも悪いこともあるだろう。だが自慢たらしいとなると真実味が無い分、印象を悪くする。少なくともこれまでの日本人の美徳には無かったことだ。74才まで生きてきて、恥ずかしながら私も随分自慢しながら生きてきたように思う。これからの人生は極力自慢無きようありのままを心掛けて生きていこうと思う。人間の浅はかさなど、どうあがいてもすぐ透けて見えるものである。毎日山中で眺めている野の花や樹々たちの素朴さに学んで日本人の美徳というものをもう一度見つめ直してみたいものだと思う。人生をかけて地味に、奥床しく、いぶし銀のような味わいのある存在になりたいものだ。これもまた夢物語か。

2021年8月2日月曜日

 コラム228 <几帳面なキジ鳩>

 数羽のキジ鳩あり。中に一羽几帳面な鳩あり。
 几帳面とはエサ台のエサを通常は細いくちばしで飛び散らかしながらつっつき食べるのだが、一羽のみは端から横一列ずつきれいについばみ、エサ台よりとりこぼすとすぐにそれをついばんで、ものの美事に整然と食べる。
 キジ鳩に親の躾などあろうはずもないから、これは生来の性格という外ないが、それは見ていて笑いが出るほどだ。美しく食したいものだと、常々心掛けてきた私も、思わず〝いやあ、感心だねえ!〟と声をかける。この鳩は数年前からエサ台に来ているのだけれど、驚くことなかれ最近はこの鳩の連れ合いだろうか、二羽揃って整然と食べている。夫の方が奥方から〝あなた、食べ散らかさずにもっとゆっくり、きれいに食べなさい〟とでも言われたものやら、明らかに一羽が他方に影響を与えている。おもしろし、おもしろし。

 PS:(漢文まじりの本を読んだ影響で私の文もそんな調子になった。影響とは知らず知らずの内に及ぶものなりと知る。)



2021年7月26日月曜日

 コラム227 <脳出血から34ヵ月経った者の心境 その⑤>

  病院での入院リハビリは現行の法律で最大180日までと定められている。それ以後はリハビリの必要性の有無にかかわらず、実質、社会に放り出される恰好(かっこう)となるから、介護保険内のリハビリが中心とならざるを得ない。
 しかし私の経験からいうと、これによって効果の上がるリハビリは期待できないと言っていい。他には自主トレーニングということになるが、これも継続的に出来る人となると、気力、体力、技法上かなり限られるというのが実状だ。若い時分にスポーツに明け暮れた私でさえ、気力を保持しながら自主トレに一人で取り組み続けるのは至難なことだ。
 
 180日までという制約は小泉首相時代に反対を押し切って成立した法律らしい。そもそもなぜ180日なのか———これについては6ヵ月以降はリハビリを続けても大幅な成果は得られないという定説が根拠になっているようだ。だがこの定説はもう古い。一般的にはそういうことが言えるのだろうが、それに違(たが)う体験者の本は沢山出ているし、私自身だって歩くのに大きな改善を見たのは6ヵ月を超えてからである。必要性の有無はそれぞれによって違うが私の経験からいうとこれが9ヶ月までであればだいぶ違ってくるものと思われる。この問題はリハビリ治療における今後の大きな課題である。  

 最近はさすがに左半身マヒの完全なる恢復は諦めつつ、一方では諦めないで淡々と日々のトレーニングを重ねていくのみである、と腹を決めている。〝余分なことを考えず〟とは気力を軸とした自分との勝負であるが、それがどこまで恢復につながるものか見ていてほしい。今はこれが生きるということのひとつの意味であるとさえ思われる。
 
 添うて生きてくれる人がいるということが何よりも大きな支えになっている反面、自分は助けを受けるばかりで、その人の支えに全くなれないことが辛い。病の辛さは身体上の苦しみもさることながら、第一には他人の助けになれないこの精神的辛さにあるのではないかと思う。この問題とどう折り合いをつけて乗り越えていけるかは私に課せられた精神上の試練である。
 3年以上ほぼ同じ薬を飲み続けても症状が一向に改善されないこと、名医野地先生にも有効な手段がなさそうなこと、このまま大量の薬を飲み続けてはこの体が薬漬けになってしまうようで私の望むところでは全くない。薬を極力減らしつつ今は東洋医学の漢方薬・鍼灸(しんきゅう)マッサージをプラスして取り組んでいる。



2021年7月19日月曜日

 

コラム226 <脳出血から34ヵ月経った者の心境 その④>

  小田急線本厚木にある<のじ脳神経外科・しびれクリニック>の野地先生は最後の頼みの綱として遠くからも訪れる人が多いと聞く。住まい塾事務局の川崎さんが見つけて推薦してくれたのである。すぐ予約の電話をすればよかったのだが、住まい塾から片道2時間と少々遠いし、冬期の入院リハビリの期日が迫っていたこともあって、数ヵ月後に予約の電話を入れた時には予約待ち1300人と言われた。〝ヘェ~~!〟だがひたすら待ち続けて7ヵ月以上はかかったろうか。予約できる順番がやってきた。
 
 初診は午後の時間であったから連れ合いと一緒に日帰りで行った。新宿・本厚木間はロマンスカーを利用したのでその分楽であったが、志木から池袋、新宿を通っていくのがなかなか大変だ。各駅にエレベーターがあるにはあるが、さがすのに手間取り歩く距離は大して変わらない。駅からクリニックまでは私の足で杖をつきながらも十分かからぬ程だが、日帰りで往復してヘトヘトになった。
 野地先生は一目で名医であると確信した。患者に寄り添う姿勢と気持が表情に表れていたからである。二回目からはスタッフのアドバイスもあり、前日に本厚木のステーションホテルに泊って、午前診察、午後には早目に志木に帰ることにした。これで往復のラッシュが避けられる。本厚木のステーションホテルはビジネスホテルだが、机・ソファなどが備えられているだけで余計なものがなく内装もこざっぱりしていて
 シングルルームの割に広く、悪くなかった。シングルルームを2室取ったのはコロナ対策のためだったが、夜中私はふらついて転倒し、妙な格好で転んだものだから家具の間に足がはさまり、起き上がれず、床にそのまま
20分程横になっていた。床がパンチカーペットだったから幸いしたが、横になりながら立ち上がる方法に頭をめぐらせ、やっとベッドに横になれたのはそれから30分程してからのことである。デスクには電話もあるから隣室にもフロントにも通じることはできるのだが、何せ立ち上がれないのだからそこまでたどりつけない。それに呼べたとしても部屋のドアに内カギがかかっている。こちらがドアを開けなければ入れない。そんな経験を生かして第三回目は自分の部屋の内カギはせず、少し開いた状態にして休んだ。

 色んなことが起きては経験から学び、第4回目はキングサイズのダブルベッドの部屋を取り(このホテルにはツインルームが無い)、端と端に寝た。最初からそうすればよかったようなものだが、馴染みのないせいか私はダブルベッドで眠るのが好きではない。が結果的には洗面も浴室もシングルルームより広く充実していてひとつに勉強なった。

2021年7月12日月曜日

コラム225 <脳出血から34ヵ月経った者の心境 その③>

  次に期待して訪れたのが東京のとあるシビレ専門のクリニックである。シビレはシビレでも脳から来るシビレとうたってあったから期待したのである。ここでの担当医は女医さんであった。

 〝はっきり申し上げてこれは治りませんから……一発で亡くなる方もいるのですから幸運だったと思って諦めてつき合っていって下さい。〟
       あまりのドライさにポカンと開いた口がしばらく塞(ふさ)がらなかった(今は閉じている)。この先生は治らないものは治らないとはっきり言った方がかえって親切というものだ、と固く信じているようだった。そう信じているというのならそれはそれでいいのだが、あまりにシャーシャーとした言いっぷりに、言われたこちらは何だか〝治りませんから……〟と言われるために志木からわざわざ来たような気分だった。病が判って人間の苦しみが判らぬ純粋医師を見たような思いだった。苦しんでいる人間に寄り添った多少のアドバイス位あってよさそうなものだが、〝治りませんから、つき合っていって下さい〟だけじゃ混んだ電車を乗り継いでやって来た甲斐が無いというものだ。それとももう一度行って〝そのシャーシャーとした言いっぷりは、もう治りませんから……〟とでもいってやろうかなあ。





2021年7月5日月曜日

 コラム224 <脳出血から34ヵ月経った者の心境 その② >

  脳出血(視床部)で倒れてからもう34カ月が経つ。自主トレも含めたリハビリも比較的よくやった方だと思う。リハビリの良きセラピスト(トレーナー)達との出会いにも恵まれた。主治医の先生方との出合いにも恵まれた。だが脳がやられるというのは、それでもそう簡単ではない。
 退院後も連れ合いや姉に多大な犠牲と負担をかけながら(二人共まだ現役の仕事人なのだから)諦めずにここまでこれたのも二人の助力に負うところが大きい。特に連れ合いは私の足元の不安定さを案じて、自らもまもなく股関節の手術を控えているような身でありながら、病院に行く時には必ず病院までの往復に同行してくれた。診療の予約、窓口での保険証の提出や支払い、薬局での薬の受け取り及び支払い等は左半身マヒの現在の私には無理がある。
 八ヶ岳では車で10分足らずのところにある八ヶ岳農場の一周45百メートルはあろうかという広大な芝生での自主トレを兼ねたウォーキングはいつも一緒だった。時には途中どこに行ったかと思いきや、私よりも散歩中の犬の方に関心が寄って、戯(たわむ)れていることもしばしばだった。大の犬好きときているからこれも愛嬌というものである。

  シビレ専門の病院にもいくつか行った。こんな努力をさまざまに重ねてきたが左半身の強烈なシビレは一向に快方に向かわない。逆に強くなる一方で最近では痛みと苦しみが加わってよく眠れない日もしばしばである。
 代々木にある「JR病院」のしびれ専門外来では担当医曰く、〝タカハシさん、よくここまでがんばりましたよ。我々医師だっていつそうなるか判りませんから、私がなった時にはタカハシさんのことを想い出して私もがんばりますよ……〟……そりゃあいいけど、私の方はそれまでどうすればいいの?このJR病院はシビレとはいってもどちらかといえば、頸椎(けいつい)から来るシビレが専門のようだった。







2021年6月28日月曜日

 コラム223 <野鳥達の朝>

  久々に山小屋に来た。まもなくひと月が経つ。野鳥達は新緑の森の中で毎日朝の訪れを喜んで爽やかに囀(さえず)る。オオルリ、コルリ、ミソサザイ、シジュウカラ、ヤマガラ、それにホトトギス……。
 しかし人間達は朝の訪れの喜びを忘れ、朝が今日一日の命の始まりであることも忘れてしまった。おはよう!と野鳥達に声をかけながら残っていた古米を共に食(は)む朝。命の始まりを改めて思う朝である。




2021年6月21日月曜日

 

コラム222 <脳出血から3年4カ月経った者の心境>

 

右脚(あし)さん 自分の方だけでも 大変なのに

  左脚の足りないところ補ってくれて、ありがとう。

 左脚さん 脳からの指令がうまく届かないのに

  私の身体を支えようとして懸命にがんばってくれて、ありがとう。



 

2021年6月14日月曜日

 コラム221 <古美術屋さんが泣いている>

  売れない、さっぱり売れない。そりゃあ、そうだと思う。古美術の似合う家が無いからだ。昨今主流のビニールクロスボックスをサイディングで包(くる)んだような家では、古美術を楽しもうにもそういう気分にならないであろうし、そのような空間に長く身を置いて暮らしていれば、古美術に関心を寄せる感性すら育たないに違いない。それ故欲しがらない、結果売れもしないということになっているのだろう。

  私の若い頃には長く骨董・古美術ブームが続いた。ある時期には古伊万里ブームがあった。金が無くとも江戸時代の蕎麦猪口を随分買い集めた。味わい深い染付の大皿・中皿・豆皿(小さい皿のこと)、他鉢類なども多く求めた。ブームが去り、売れない、買わない時代となって値崩れを起こした今日から見れば、随分高値で買ったものだが、その分楽しみも多かった。物そのものも勿論楽しかったが、それ以上に古美術屋さんとの交流や、同様の趣味を持つ仲間達との骨董談議が楽しかった。
 骨董・古美術店に限らず、今手工芸品の店も泣いている。その裏では住生活に直結している木工家や陶芸家・漆芸家・ガラス工芸家達も辛い思いをしていることだろう。画家の絵もまた売れない。左官壁のようであって左官壁ではないビニールクロスの壁、貼りものの合板床、塩ビシートに木目プリントのドア及び天井板等、外部にあってはタイルや石のようであってそうではないサイディング……このような家では優れた古美術品など優品であればある程似合わないだろう。こうして骨董・古美術屋さん達が泣いているのだ。貴重な古美術品の多い日本で長い歴史を生き抜いてきたそれらは使われず、生かされず、これからどういう運命をたどっていくのだろうか。住宅の持つ影響力の大きさを忘れず住生活の充実、延(ひ)いては精神生活の安定のためにも、歴史と共に歩める家を仲間達と共に今後も作り続けたいと願っている。



2021年6月7日月曜日

 コラム220 <乾いた心>

  ふと誰かが言った。

 〝ドライにできるって、心が乾いているからドライにできるんだよ。〟
なるほど。心と心の直接の交流が少なくなって、徐々に乾いた心の人が多くなってきているのかもしれない。

  建築木材にドライビームというものがある。人工的に極度に乾燥させているから、割れない、歪まない、伸び縮みしないはいいけれども、確実に木の魅力を失う。樹脂分までが飛んで木のもつしっとり感を失い、しなやかさも失う。構造強度も確実に落ちていると思う。この性質をわかりやすく例えれば、枯木により近い状態になっているということだ。この点我々の賛助会員でもあり、都内有数の林業・製材・材木店である浜中材木店の浜中さんも同意見だ。

 人間と同じで長所・欠点を併せ持って健全な状態というものだ。人間の心もあまりに湿っぽ過ぎるのも問題だが、あまりにドライ過ぎるのも問題だ。人間の心の総合力を昔から知・情・意というではないか。胆力を含めてバランスのとれた心を持っているかどうか———それをその人の「人間力」と呼んできたのだ。直に人間を相手にしないリモート・テレワークの類は今後益々拡がりを見せていくだろう。それがいかに安全であろうと便利であろうと、会議等の情報交換の手段としてならまだいいが、それによって人間の関係は深まらないし、知・情・意も鍛えられない。即ち「人間力」が鍛えられず、ドライビームのような人間がどんどん増えていくことになりやしないかと心配だ。

 以前牛殺しで名を馳せた極真空手の大山倍達前館長の演武を生で一度だけ見たことがある。代々木体育館だったか武道館だったか忘れたがスタッフの一人が極真空手の有段者だったから誘われて一緒に見に行ったのである。我々の席は会場の最上段であったから大山倍達とはかなり距離があり下の方に小さく見えるだけだったが、並々ならぬ気迫が我々のところにまでストレートに伝わってきて〝すごい!〟と圧倒されたものだった。その姿が後日TVで放映された。鬼気迫るあの気迫はブラウン管のガラス一枚を通ることですっかり消えていた。テレワークなどもあれと同じではないか。ガラス一枚によって消えるのは気迫、情熱、迫力、鬼気、胆力———そうしたものが、見事に損われる。真に人間を鍛えるためには、直接に人間と対峙することの大切さをいつの時代になっても失ってはならないとつくづく思ったのである。



2021年5月31日月曜日

コラム219 <真の批判>

  人を責める時には、自分の胸によく手を当てて、同等の罪を犯してこなかったかをじっくりかみしめることだ。
 〝愛情に裏打ちされなければ真の批判たり得ない〟
 どこかで教えられた言葉である。愛情に裏打ちされていない批判は誰のためにもならず、非難・中傷以上にはならないからである。誇り、自信も一歩間違えれば驕り、高ぶりとなる。多くの人がその罪を犯している。人間となるために生涯努力し続けなければならないと言われるのは、その辺に大きな理由がある。生涯かけて人間に近付かなくて、何に近づこうというのだろう。



2021年5月24日月曜日

 コラム218 <>

  杉を自信をもって使えるようになったのは50才を過ぎてからである、と先に出版した本の中にも書いたような気がする。しかし待てよ。この〝自信をもって〟という表現は言い過ぎだ。正しくはどういうことなのかと自分の心の中でよく咀嚼(そしゃく)して考えてみた。
 ・それまで安心して使える自信が無かったものがどうにか、不安なく使えるようになった……というようなことかな
 ・杉という材を杉に喜んでもらえるような使い方がやっとできるようになった……というようなことかな 

 赤身や柾の良材ならば日本建築、特に数寄屋建築にならそう心配はないが、一般住宅に使えるのは節も時々あり、赤身・白太のまじった俗に源平と呼ばれる並材だ。こうなると構成に厳しさを欠くと、途端に野暮臭い空間となる。これが杉使用の難しさだ。杉だらけのような秋田県湯沢市~横手市で生まれ育った人間がなぜ杉に自信が持てないのか自分でも不思議だったが田舎育ちなのにこの野暮臭さをどこかで嫌っている———さりとて、それを払拭(ふっしょく)するだけの厳しい構成力がいまだ自分に身についていないことを身体は知っていたのだろう……と今にして思う。皆平気で杉を使うが、日本の代表的木材だから当然といってそれで済ませている。私はどうしても杉に魅力を感じることができなかったのは小さい時から見過ぎてきたということもあるのかもしれない。あるいは、私の求めているような杉仕様の美しい木造住宅に出会ってこなかったということもあるのかもしれない。しかし、油断大敵———スタッフは予算や入手のしやすさなどで割と気楽に材種の選択をしているがきっとこの怖さを知らないままだ。私にだってまだまだ自信と呼べるものはない。寸法に対する繊細な感覚、部材のより厳しい美的構成力を鍛え上げなければ「自信」という言葉は使えない、と改めて思った。夢にまでそれが出てきた。


2021年5月17日月曜日

コラム217 <不老長寿と長生き>

 古代エジプトや古代中国などで昔から夢見られたことのひとつに、「不老長寿」というものがある。いわゆる長生きである。短命に終わることは、はかなく、悲しい。まだまだやるべきことがあったと思われるからである。
 だが長寿世界の実現とはいっても、平均年齢300才などということになることをほとんどの人は望まないのではないかと。少なくとも私は望まない。くれるといってもいらない。どんな世界になるか想像するだにおそろしい。生と死の適度の循環がやはり理想というものである。 

数十年前、住まい塾で家を作られた方が久々に本部を訪ねて見えた。住まい塾で主催した屋久島ツアーにも参加したという。
〝あの時は遭難者が出て大変でしたねぇ〟
と想い出を語ったら、
〝その遭難者は私です〟
といって思い出を語りながら笑い合った。

 現在はPPC48というグループに属して活動しているという。
PPC48って何ですか?〟
〝ピンピンコロリフォーティエイト〟といって一人あの世に行かなければ新しい人は入れないのだという。どんなことをしているのかまでは聞かなかった。聞いても仕方がないと思ったからである。



 

2021年5月10日月曜日


コラム216 <古美術屋で>

 会社員風の中年の男がある古美術屋の前を通りかかった。店に入ってすぐの所に抹茶碗が置いてあった。店には耳の遠くなりかけた(本当かどうか知らない)バアさんが一人。
 〝これいくらするんですか?〟
 〝ハァ~?〟
 〝これいくらするんですか!?〟
このバアさんは〝ちょっとお待ちを……〟と言って奥に入って行き、店主らしき人に〝店先にある茶碗、いくらだったかねぇ?〟と聞いた。
 〝萩の茶碗かい?あれは30万円だ〟
という声が客にははっきり聞こえた。バアさんは客の所に戻ってきて
 〝それは10万円だそうです……〟とこたえた。
客はすかさず財布から10万円を取り出して支払いを済ませ、足早に立ち去って行ったという。 

 昔は古美術・骨董屋と銘木屋は値段をつけずに観る眼があるかどうかの試し合いをして、眼がなくて騙されても文句の言われる筋合いはなかったそうだから上記の出来事は店番のバアさんと奥のジイさんの見事な連携プレイの勝利であった。 

 騙されてはじめて鍛えられる鑑賞眼ということもあるから、欲を出さず程々に楽しんでいる分には愉快な世界なのだ。遊んでいるうちに次第、次第に観る眼が養われてくる。私は箱書きや作者の名などにとらわれず、自分が魅かれていいと感じたものだけを買ってきた。だから私の場合、騙されたかどうかさえ判らない。私には行きつけの古美術屋さんが四軒、他地方に行った時に時々立ち寄る店が数軒あったが、長いつき合いの内に色々教えてもらったし、さまざまのものに触れさせてもらった。人間関係も十分楽しませてもらった。長い間には向こうもこちらの好みが判るようになってくる。楽しい談義の想い出も沢山ある。皆、つき合ってくれてありがとう!ありがとう!ありがとう!



2021年5月3日月曜日

 コラム215 <縦割行政>

 

 年度末 工事騒がし テレワーク

      できる訳ない 音聞こえねば

           ———築200年(江戸時代)の商家の住人———

         



2021年4月26日月曜日

 コラム214 <脳出血(視床部)の後遺症:左片マヒと強烈なしびれ>

  約一カ月半の救急病院から松戸リハビリテーション病院に転院した直後は左足先から脚の付け根までの大仰(おおぎょう)な装具を付け、脚立のような杖を使って歩くのがやっとだった。そうしないとヒザが折れて歩けなかった。当然左脚のヒザが固定されて脚が棒状になるから俗に言う〝ブン回し〟という歩き方をしないと先に進めなかった。その後杖は脚立状のものから四点杖へ、さらに四ヵ月後位には不安定ながら一点杖で、何とか院内を見守り付で歩けるようにまでなった。トレーナーである理学療法士の荒堀さん(PT)が、懸命にやってくれたおかげである。その後移ったのが信州上田市の鹿教湯温泉内にある鹿教湯病院である。リハビリテーションの世界では歴史も古く、定評もあったが身体がほとんど動けぬ状態で遠くの病院に入院することは不可能であった。最初の頃は一点杖で歩いている人を見ては、私も一点杖で歩けるようになるのだろうかと不安に思ったものだった。鹿教湯病院での密度の濃いリハビリのおかげで……それにメインで担当してくれた須江さん(PT)と西條さん(OT)二人のセラピスト達との相性もよかった。ここを退院するまでの三カ月程の間に山道もだいぶ歩けるようになった。(何せ山中の病院だから一歩外に出れば坂道だらけなのである。)上級コースも幾度か歩いた。隣に人が寄り添って歩き、かけ声をかけてくれるだけでも大きな励ましであった。あれから三年余り経つが、今苦しんでいるのは、段階的に強くなってゆく左半身の強烈なしびれである。それが歩行や左半身の動きに大きな影響を与えている。しびれというものは厄介なもので、しびれ専門の病院も三ヵ所訪ねたが、これといった特効薬もなく、錠剤と漢方薬が処方される位で、長く続けているがこれといった効果が出ない。しびれはリハビリの対象ではないようだし、医師も〝諦めて付き合っていく覚悟でいて下さい〟などというところをみると薬も含めて打つ手なし、治療法の決定打はいまだ無い模様だ。終日続くこの苦しさはおそらく他人の目に映るよりはるかに辛いものだ。

先日ベトナムに住んでいる息子夫婦が今回のウィルス騒ぎで国外に出られなくなり約二年半振りに訪ねてきてくれた。帰り際に息子と並んで撮ってくれた写真をそのあと送ってくれたが、こちらの方は自分が思っているよりはるかに病面(やまいづら)であった。20キロも痩せたのだから当然といえば当然だが体調の悪さがあまり顔に出ないタイプだと思っていたから、一見して病人と判る自分の風情は少々ショックだった。晩年親しくさせて頂いた仏画師・安達原玄さんが残された次の言葉が即想い出された。
〝心 衰える日は凛として立ちましょう〟
 これ位のことで即判る程の病面(やまいづら)は少々だらしが無さ過ぎる!その写真を見ながら、辛くともできるだけ病人面はするまいと思った。まわりの人を元気づける訳でもなし、自分をも元気づける訳でなし。後に〝死ぬ二カ月前の写真です〟と見せられてもそれを疑う者はいないだろうと思われるような写真なのだから……。写真という漢字の意味を改めて知らされた。写真とは真実を写すと書く。誠にその通りである。 

不思議なことに同じ部位を同じ程度にやられても、後遺症の出方は皆違うらしい。ここが人間と機械との違うところなのだろう。視床痛という言葉がある通り、ここは色々な神経の通り道らしく、厄介なのだそうである。でも私はがんばる!

2021年4月19日月曜日

 コラム213 <平和 ——病をかかえて—— >

 

国の平和、地球の平和は勿論望むところだけれど、そんな遠く大きな平和の前に
となりの人と 仲よくしよう
となりの人に 親切にしよう
まわりの人と 仲よくしよう
まわりの人々に 親切にしよう

 それがまずもっての、最も身近な平和の礎(いしずえ)なのだから……
誰にも言えない悲しみを胸にかかえて込んでいる人達は沢山いる。
一見明るい人達だってあるいはそうかもしれない。
だから身近な人達と仲よくしよう、親切にし合おう。それが人生の甲斐というものなのだから。
その人の苦しみにとってかわることはできないけれど寄り添うことはできる。思いやることはできる。その養分のない土からは、落胆、絶望、悲嘆、苦痛、悲劇、残酷などの芽が生え出てくる。

  思いやりや、やさしさは人類に与えられた最大の宝である。