2021年12月27日月曜日

 コラム249 <スマホ/ケータイの功罪②>

  私の山小屋での生活を支えるために、長野市在住の上姉が、二週間来てくれた。ここに来る直前から最もよく使っている通話アプリのラインが使えなくなったらしい。スマホに詳しい幾人もの友人・知人に電話で相談したが回復しなかったという。
 私の小屋の二軒隣にセイコーエプソンに勤めている女性が居て、彼女ならきっと判るに違いないと電話したら、早速来てくれた。さすが大した時間も要さずに回復した。メール機能も使えなくなっているというが、こちらは姉も自分のパスワードが判らず、帰宅してからということになった。結局、その後友人宅に行き、メール機能も無事復活したらしい。
 姉からの報告を聞いて私が驚いたのは、二週間の滞在中に使えなかったメールに何通のメールが入っていたか、ということだ。最近はラインが中心でメールはめったに使わない、と言っていたのにである。何と142通、姉に必要なメールはその内たったの三通だったという。残りの139通は全く不要の情報やら宣伝だったらしい。

  何ともはや、と私は思うが、これも慣れれば何とも感じなくなるのだろう。自分に必要な確率が3/142であっても、自分に必要なメールかどうか判らないから、結局その都度見ることになるのだろう。
 そんなヒマがあるなら価値ある本の一冊でも読んでいた方が余っ程まし、というものだが、こんな時代にあっては私のように使い方に制約を設けるでもしない限り、限りなく便利の流れに巻き込まれていかざるを得ないのだろう。うまく使えばこれほど便利なものはない、とは判っているが、私にはうまくつかいこなす自信がないし、使い方に長じたいという気もさらさらない。第一私にスマホは似合わない。