2023年10月2日月曜日

 コラム341 <当たり前なことで時を刻む> 


 起きるべき時間に起き

 眠るべき時間に眠る

 食べるべき時間に食べ

 学ぶべき時に学び

 やるべき時にやるべきことをやる

 

 掃除を怠らず

 床に就く前には、一日への感謝の念と一日の反省を心の清掃と心得て忘れないよう心掛ける。

 健康とは当たり前のことを当たり前にできること。健康でありながらそれをしないのを怠惰と云う。

 命はリズムであり、一時も休むことがない。それは自然からの我々への最大の贈り物である。


 悟りへの道を弟子に問われたある高僧・老師の返答は至ってシンプルである。


 〝朝しっかり掃除をしたか? 朝しっかり飯を食ったか?〟


 このふたことには、上記の事柄が全て含まれていたことだろう。

 但し、身体が動けば、という条件付きだ。そのことは決して当たり前なことではない。

 



2023年9月25日月曜日

 コラム340 <殺処分一千万羽?> 


 鳥インフルエンザにより千葉県で40万羽殺処分と聞いて驚いていた。だがこうした事態がどんどん拡大して、またたく間に全国で一千万羽を越えたと云う。

 一千万羽といえば、人間の数でいえばほぼ東京都の人口に等しい。驚いたというよりも人間の身勝手な傲(おご)りに怒りの感情さえ湧いた。大量生産(飼育)── 大量消費が原因の根っ子にあるからである。そもそも殺処分とは何事か。相手は歴(れっき)とした命なのだ。

 

 こんなことが平然と許されていい訳がない。こんなことがしばしば起きるような生活を人間が続けていていい訳がない一羽一羽の治療などより、さっさと大量殺処分した方が早い(経済効率がいい)という訳だろう。牛や豚の世界にも同様のことが為される。彼らは人間にとって食糧ではあっても、すでに命ではないのである。こんな摂理に反する行為が許されると思っているのだろうか?


 人類にも新型コロナが世界的に流行した。同じ命というのなら、こちらもパンデミックに陥らぬように殺処分した方が早いというなら、戦争よりはるかに残虐なこととなるだろう。


 人間は金のためになら何でもやるような生活そのものを変えなければならない。金(かね)・金(かね)・金面(かねづら)が蔓延しているような社会の価値観を変えていかなければならない。


 喰えるだけ喰って、ビヤ樽のようになっていく生活を改めて、知足── 即ち、足るを知る生活に一日も早く切り替えなければならない。それが人類の健康のためにも、目前に迫っている食糧自給問題解決のためにも、最も近道だと知ることが必要だ。

 知足には知力がいる。不知足の世界とは欲望まかせの世界だということだ。


 大食を競い合うTV番組も少なくない。飢餓に苦しんでいる人々が世界に沢山いるというのに、TV局もTV局だ。どうしてああいうバカげた番組を組むのだろう。視聴率が高いということは、見て喜んでいる者がそれだけ多いということであるし、その分広告スポンサーを得やすいことにも通じ、広告代も高く取れるといったことになるのだろう。

 現代社会は総じて知足の人間よりはるかに不知足の人間の多い世界になった。知の力が衰え、精神の力が崩れたからである。





 年々浅はかな金面(かねづら)が多くなっていく傾向にあるのはこうした背景があるからなのだろう。地球をこれだけ痛めつけておきながら、次に月に行って何をしでかそうというのか?人間であること、人間らしくあること、人間にとって最も価値のあることとは何なのかを根本からじっくり見つめ直す時ではないのか。SDGsもやれるだけやればいいが、もう手遅れなのだ。

2023年9月18日月曜日

 コラム339 <病んでいる地球> 


 病んでいる地球

 病ませたのは限りない人類の欲望


 現代の資本主義は1%の超富裕層を生み、とめどなく歪んだ経済格差社会構造を創り出して、もはやなすすべもない状態だ。社会に平安無し。


 気候変動問題も、SDGs等々遅まきながらさまざまな提案が為されているが、世界的同意を得て実効果を上げるのは至難なことだ。

 もう議論している場合ではないのだが、異論がある限り民主社会は議論が続く。やるならやればいいが、もう手の打ちようがない所まで来てしまっているとは大っぴらに誰も言わないけれど、事情に詳しい社会経済学者や地球環境科学者達の多くはそう思っているのではないか。大気中にぼう大な量のガソリンと二酸化炭素をまき散らしながら飛び交う飛行機を止めろと言っても止められないではないか。すべてはそれと同様だ。


 慎ましやかに生きるすべを身につけなければ地球は滅びるのは自明の理である。知足の世界を人間は手放したのである。何千年も前から教えられてきたというのに・・・。





2023年9月11日月曜日

 コラム338 <ホトトギスがしきりに鳴く> 


 雨上がりの霧の中、夕方ホトトギスが一定の場所で盛んに鳴いている。いつもは暗くなりかけた空を鳴きながら飛んでいくというのに、今日はどうしたのだろう。


 カッコウと共に同じカッコウ科のホトトギスは、他の鳥の巣に托卵するという。この辺では托卵相手はウグイスだろう。この時季、ウグイスもよく囀る。

 托卵成功を祝ってのことだろうか。それとも托卵のヒナがかえり、まだ目も見えぬヒナに、托卵相手のウグイスの卵を蹴落すように親鳥がしきりにうながしているのだろうか。

 カッコウやホトトギスのこの奇妙な習性を、私はどうにも好きになれない。


 「托卵する時に、まず相手の卵を抜き取り、その卵をくわえたまま産卵する。托卵にかかる時間は10秒ほど」という。「カッコウの卵は、托卵相手のものより2~3日早くふ化する」「生まれたヒナはふ化後2~3日目に、托卵相手の卵を巣の外に押し出し、巣と仮親からの給餌を独り占めする」(以上、「ヤマケイポケットガイドブックガイド⑦野鳥」から)

 信州も6月梅雨入りだそうだ、7月中旬までは続くだろう。標高1600メートルのこの辺りは冷たい雨がしとしと降り続いて靄(もや)がかかっている。この中で繰り広げられる惨酷な一幕である。毎年この時季、私の気分も靄の中である。(6月下旬に記す)




2023年9月4日月曜日

 コラム337 <キジバト君> 


 キジバトが空っぽのエサ台近くに飛んできてじっとしている。


   〝ハトちゃん、オハヨウ!〟

   〝でもねえ、そこまで歩いていけないから、エサあげられないんだよ・・・〟


 ちょっと首を振ってから

   〝どうしてくれないの?〟

という顔つきでまたじっと私を見ている。


 人間であるこの私と、鳥類であるこのキジバトとは何が通じているのか判らないが、何かが通じている。そんな表情をしばしばするから・・・。長いつき合いだもんねぇ。





2023年8月28日月曜日

 コラム336 <初めて出会ったヤマネ君> 


 年の半分を山に住むようになってから約40年、写真集や近くの人の話では何回も見たり聞いたりしているヤマネ君。念願かなって今年7月、初めて出会う事が出来ました。

 山の小ネズミ達もかわいいものです。全体に茶系、腹の辺りが白。とても小さく、あまり人間を怖れる気配もなく、デッキに出している折り畳み式椅子のキャンパス地の中にもぐったり、ひょっこり顔を出したりする姿は実に愛くるしいものです。私が本を読んでいると手すりづたいにテーブルに乗ってきたり、慣れてくると手からヒマワリのエサを食べたりします。色といい、小さな体躯といい、すばしっこい挙動といい、一冊の絵本でも書けそうな程それはそれはかわいいものです。


 この小ネズミ達にはこれまで幾度も出会ってだいぶ仲良しになりましたが、ヤマネにだけは一度も出会ったことが無かったのです。

 小ネズミよりさらに小さく、茶系の毛に背中から長い尾先まで黒っぽい線が一筋入っていて、ネズミというよりリスのミニチュアと呼ぶに近い印象です。洗面所の扉の裏に居て、下のすき間から尾先だけチョロチョロ顔を出すのです。

 中に入ったら桧風呂の縁(ふち)を伝い、窓から飛び出ようとして何度も何度も跳ねるのですが、ガラスに阻(はば)まれて外に出られないのです。


 押し倒し窓を少し開けて、出やすいように風呂の桧の蓋(ふた)を橋渡しにかけておいたら、やっと外に飛び落ちるようにポトリと音を立てて出ていきました。ホッとしました。

 ヤマネは山鼠と書きますが、冬眠鼠とも云うようです。明らかに小ネズミとは別種です。冬は冬眠するのです。雪の中で丸まって眠っている姿の愛らしさは格別です。


 ここに載せてあるのは私が撮ったいたずらっ子の小ネズミ達です。残念ながらヤマネの写真が無いので、何かで見て下さい。かわいいですよ。

 






2023年8月21日月曜日

 コラム335 <野生種・天然ものと人間> 


 草花にも野生種と栽培種がある。

 茸にも天然ものと人工栽培物がある。

 さて人間はどうなっているのか?


 最近私は、人間の多くが野生種・天然ものから次第に離れて、見た目には人間のようでも、何か得体の知れない人工栽培もの・栽培種に向かっていっているのではないか、いやすでにそうなっていると思われて仕方がないのである。


 縄文・弥生時代の人種とは徐々に違ってきたのはいたって自然なこととして、こと近代・現代になって急速にこの野生・天然即ち種としての自然が遺伝子操作を受けたかの如くに変異してきたのである。





 私はこういう事態を薄気味悪い思いで感じ取っている。野生種の血を引く天然ものの人種の行きつく先は・・・というよりも行きつかぬまま破滅すると予感する。人間が人間として夢を描ける時代は過ぎ去ったのだ。今は天の意志でも制御できない得体の知れない何か見えない力に引きずられるように、自走し始めたのである。


 人間よ、自然を取り戻せ!

 人間よ、野生を取り戻せ!

という声は天空の彼方に空しく吸い込まれていく。

 これが最近の私の実感である。


2023年8月14日月曜日

 コラム334 <ケータイ・スマホの蟻地獄②>


 私の現在の山小屋生活は以前とは違い、予想以上に忙しい。

 週二回の訪問マッサージ

 週二回の訪問リハビリ

 週一回の特殊施術

 その他時々の通院、来客、電話会議、等々・・・。以前のようには出来ないが、出来る範囲で仕事もしている。毎月曜のブログ(コラム)〈──信州八ヶ岳──高橋修一の山中日誌〉も書き続けている。


 今山小屋に来て痛感しているのは上記のようなことも多忙の一因ではあるがケータイを持った後、私の電話生活がどう変わったかということだ。以前の固定電話時代に較べると、少なくとも3倍どころでない。5倍は慌(あわただ)しいことになったということだ。

 倒れるまでの5年前までの山小屋生活では電話などめったにかかってこなかった。それが今は一日どれ位掛かってくるだろう。こちらからかける回数も確実に増えた。それに加えて私にはよく判らない無用の電話やショートメールやらが飛び込んでくる。私はメールはやらない、私にとってメールは気が〝滅入る〟以外の何ものでもない、としょっちゅう言っているのにである。


 固定電話時代にはNTTコミュニケーションズの営業電話位はかかってきたが、夜の9時過ぎまでかかってくるようなことがあってその非常識ぶりを一喝して以来来なくなった。

 〝電話帳に載せていないのに、あなたはどこで私の電話番号を入手するのか?NTTの職権乱用というものではないか⁈〟

むこうは

 〝私は回ってきたリストを見ながら電話しているだけですから・・・〟

というが、こういう時の私は追及の手をゆるめない。

 〝それはどこから回ってきたのか⁈〟

むこうは

 〝・・・失礼しました〟

と言ったきり電話を切ってしまった。以来その手の電話はかかってこなくなった。

 だがケータイ・スマホの類は誰から来たのか、どんな内容の用件なのか、電話なのか、メールなのか、それとも何か他のものなのか皆目判らないものも多い。スタッフのアドバイスで、そういうものは相手にしないで放っておいて下さいというからそうしているが、特別用も無いのにかかってくること自体がうっとうしい。怒鳴ってやりたいところだが、それもできないから余計に腹が立つ。





 ケータイ・スマホは私には皆飲み込まれてゆくあの蟻地獄に見える。便利は程々にしておかないと、知らぬうちに天国行きのつもりが地獄行きの列車に乗り込んでいるのかもしれないのだ。文明の行き過ぎは人類の崩壊、文化の崩壊に繋がるのは歴史の証明するところである。


2023年8月7日月曜日

 コラム333 <ケータイ・スマホの蟻地獄①> 


 八ヶ岳山中ではヘルパーさんが土曜・日曜もなく毎日夕食づくりに来てくれる。標高1600メートルのこんな山の上まで、雨の日も風の日もイヤな顔ひとつせず元気にやって来てくれる。左半身マヒの私の日常生活は、もしもこういう人達がいてくれなければ、大きな困難を伴うことになる。

 夕食づくりばかりではない。買物、掃除、洗濯、ゴミ捨て、重いものの移動等々、てきぱきとやってくれ感謝しかないのだが、ひとつだけ気になっていることがある。ヘルパーとして滞在している4時から5時半までの1時間半の間に、この静寂な山小屋の中で、〝チロン〟〝チロリン〟〝チロン〟・・・とスマホがしばしば音を立てるのである。しょっちゅう鳴るから、あの音は何ですか?、と聞いてみたらラインだという。グループラインというものをしているから色んな人からのメッセージが入ってくるのだそうだ。自分に関係のない無駄なことも多いだろうにこういう傾向が私にはたまらないのだが、このヘルパーさんは何ら気にする様子もない。仲間で情報共有することが、そんなにありがたいことなのか。それも無料だというのだからなお始末が悪い。スマホがどれ程便利なものかは私だって大体は知っている。一方で人間の思考能力は減退し、文字も読めない、書けない───文章能力も相当に衰えていると思って間違いない、第一直筆が全滅気味だ。





 私はケータイを持たないと決めていた。皆持っているから用のある時には頼めばいい位の感覚でいた。そんな勝手な!と言うかもしれないが、そんな程度のことは勝手でいいのである。

 一人の時何かあったらどうするのか、などと心配し始めたらキリがない。大勢の時でも起きる時は起きるのだ。それ位の覚悟は出来ている。


 だがこうして続けてきた私の生活に異変が起きた。5年前の脳出血である。長期入院生活を余儀なくされ、新型コロナの影響も手伝って、誰とも会えない、外部との通信手段を失ってしまったのである。玄関脇に公衆電話があるとはいうものの、こちらは車椅子だし、玄関までが遠い。しかも10円玉専用の電話機ときている。左半身が殆ど動かない人間にどうやって使えというのか。


 こうしてついにケータイを持たざるを得なくなったのである。私のケータイはガラパゴスケータイで、私は掛ける受けるの機能しか使わない。それからどうなったか、あれから5年、今山小屋に来て初めてその変化ぶりを痛感しているのである。(次号に続く)


2023年7月31日月曜日

 コラム332 <平穏と環境> 


 今年は色々と用事があって、例年より半月程遅れて八ヶ岳にやって来た。


 都市のバスや車、夜半けたたましい音を立てて走り回るバイク集団などの交通騒音から解放されて、静寂の中に迎えられたか?

 野鳥たちの囀りと新緑の森に迎えられて、平穏な日々がやってきたか?

  会議や打合せ、その他の雑事から解放されて平安な日々がやってきたか?

 否・否・否である。私の心に去来するものが同じだからである。


 環境が変わり、自分の時間が取り戻せたから、比較すれば勿論、心は静寂さを取り戻しつつあります。それでも心は環境を変えた位で、すぐに平穏を取り戻せる訳ではありません。次々とやって来るさまざまな思い、病から来る苦しみ、介護の人達との打合せ、来客等々・・・。


 ここに来て気付かされるのは、自分の平穏と心の平和は自分の内にしかないもの、外の条件をいくら変えても心のざわめきは鎮められない、ということである。

 不機嫌、不安、不穏の気分をどうしたらまわりに与えずに済むようになれるか、最も愛する人をさえ、暗い気分にさせてしまうのである。これが私の現在の最大の課題と言っていい。


 自分が平安でなければ、まわりの人々に平安を与えることはできません。これは偏(ひとえ)に自分自身の心の問題です。苦しみも含めて今日一日の命に感謝しながら、平和でありますように、平穏な心でいられますように祈ります。そのためには、自分はほんとうに優しいのか、人間としてどこまで出来ているのか、と問うところから始めなければなりません。理想郷を創りたければ、まわりにではなく、自分自身の中につくり上げるしかないからです。心のざわめきは尽きることがありません。





2023年7月24日月曜日

 コラム331 <白井晟一について>

      ───黄金のみが輝くものではない───


 私が38才の時に『悠』1985年6月号に書いたものである。よく書けているので再録する。


 うけた知識を貯金していれば今頃かなりの博識になっていたにちがいない。だが落とした通帳もあれば満期を待たずして途中解約したものもあって、通帳の額面ははなはだ心もとない。もともと私は自身に対して知識のつめ込みを疎(うと)んじてきたから気にもせずにきた。

 師白井晟一は晩年「知識が邪魔になる・・・」としきりに言っていた。金だってありあまれば困ったことになるのだ。ごもっとも・・・と思ったがその深意を汲めぬのは私に邪魔になる程の知識がないからにちがいない。

 

 師はまた実践しようという心がまえがないまま学ぶことを叱責した。自己改善のためというよりも、試験のため、成績のため、はては知識そのもののためと見当違いの学び方をしてきた戦後世代は、これではだめだとわかってもなかなか身についた性癖が改まらない。マスメディアと教育のおかげでいっぱしのことを言えるようにはなったが、いかにも足腰が立たない。行動がないのだ。知識と行動がこれほどバランスを欠いた時代がかつてあったのだろうか。

 

 学ぶだけで行動しないというのは便秘のようなものだ。辛いばかりでいきおい活力がなくなる。知識をつめ込むだけで行動に還元されないなら人間は程度の悪い辞典に等しいではないか。行動なきところ、おおむねその一挙一動を打算によって換算しないと動けぬようになっている。だが、しかし、結局人は安住の地を得られずにうさばらしをする。「金はすべてにまさる力なり」では満足しないのだ。知識偏重の時代。改革のエネルギーとは無縁の不平不満症候群。

 時代の風潮を憂えてのことであったか、師は依頼された親和銀行本店の正面入口頂部に、ラテン語で「黄金のみが輝くものではない」と刻んだ。師の思いの表出であった。共鳴するものは多かったが理解するものの少なかった孤独な心のうちを思うと私は今切ない思いにかられる。10年以上生活を共にした私も共鳴者の一人を出ることはできなかった。結局、一合の枡をもって一升の水を汲むわけにはいかないのだ。人はやはり人間としての完成を求めて充足する。人間を人間足らしめようとする先人の孤独にみちた教訓を汲み上げたい。


2023年7月17日月曜日

コラム330 <白井晟一の想い出 ⑩>        ───竹中工務店の設計部員とのやり取り───


 他のプロジェクトの時はそんなことはなかったから、あれはノアビルの時であったろうと思う。

 ノアビルは実は当初竹中工務店が直接設計・施工で請け負った建物であったが、クライアントがその設計が気に入らなかったのであろう。途中で設計は白井晟一に頼みたいと言い出して急遽設計者が変更となった建築であった。

 事の子細については私は知らないが、竹中工務店の設計部員が数人、私の居た白井晟一の自宅の付属アトリエ(その頃私は高山アトリエからこちらに移っていた)に詰めて、図面を描いていた時期があった。ノアビルの完成が1974年だから私が研究所に入ってまだ間もない頃のことである。工期が限られていて早く図面を仕上げなければならないといった事情があったのかもしれない。ランドマーク状の建築として白井晟一の作品ということになっているが、テナントビルという性格上内部に関しては、あまり深い関与はされなかったように思う。


 竹中工務店のスタッフは日曜・祝祭日も無い白井研究所の生活に多少不満があったのであろう。ある時冗談まじりに白井晟一に向かって、〝労働基準法では週休二日ってことに・・・〟と言いかけた途端の白井晟一の反応がおもしろかった。


  〝労働?・・・君にとって建築の設計は労働なのかい?リクリエーションだよ、リクリエーション!〟


ついでに


   〝画家や彫刻家が週休二日制などと言い始めたらどうなるかね、そもそも建築の設計は週に二日も休まなきゃつとまらない仕事かい?〟

  

 竹中の所員達は1/4程の苦笑いを浮かべながら、呆気にとられた顔で聞いていた。






2023年7月10日月曜日

 コラム329 <白井晟一の想い出 ⑨>         ───税務署からの電話───


  〝君達は建築家という職業は建築の専門書だけで

   成り立っていると思っているのかね⁉〟


 白井晟一の書籍には建築関係の本以上に美術書などの豪華本が多かったに違いない。ブラジリアンローズの扉の中にあったから詳しくは知らないが、一度何かの豪華本を見せてくれたことがあった。


  〝手を洗ってから見ろよ〟


 ガンダーラ彫刻などもしばしば目にした。美術品も多かった。そうしたものを身のまわりに置いて、自分の感覚を磨き上げていたのだろう。そのすべてが建築家白井晟一に結びついていた。思想書も多かった。しかし、税務署としてはそうした類のものは経費としては認められない、ということのようだった。それに対して上記の言葉となったのだ。私は白井晟一の主張に共感しながら聞いていた。


  〝日本て、寂しい国だねえ・・・〟


と最後に一言付け加えたかったに違いない。

  

  〝君といくら話しても無駄だ!〟

 

溜息まじりのこの言葉で税務署との電話は終わった。





 東京港区の神谷町交差点に建ったランドマーク的建築ノアビルのファサードが一部勝手に造り変えられた時も、〝建築に著作権はないのか〟と主張し、新聞でも取り上げられたが、新聞社も関心が深かったとは言えなかった。この時も白井晟一は寂しい思いをしたに違いない。勿論ごく一部の、という意味だけれど。建築がもし芸術、もしくは美術のひとつと考えられるなら、自分の所有物とはいえ、勝手に変更は加えられないのが原則だ。建築と美の関りについて関心が極めて薄い国、日本。新聞などでまれに建築が取り上げられる時でも、設計した建築家の名は殆ど記されることがない。記者になぜかと問うたことがあるが、〝偏って宣伝になりかねない、というのが新聞社の通念だ〟と云う。何という寂しい感覚なのだろう。

 73才でこの世を去った白井晟一は「孤高の建築家」などと呼ばれたりしたが、こういう面での寂しさを抱きながら生涯を終えた人であったことに違いはないだろう。






2023年7月3日月曜日

 コラム328 <白井晟一の想い出 ⑧>        ───熱が出た?・・・だからどうするんだ⁉───

 

 白井研究所は普通の設計事務所とは大分趣が違っていて出勤(というにはピタリとこないが)は昼の12時、帰りは終電がなくなりますから帰りま~す、といった調子のところだった。私は最初から板橋区の高島平団地から中野区の研究所まで、自転車通いであった。どれ位の距離があったものやら小一時間はかかっていたように思う。

 

 冷たい雨の寒い夜だった。雨に濡れながら帰り、夜中1時半から朝方6時までの肉体労働のアルバイトをこなして帰宅。入浴、仮眠2時間といった生活をしていたら、さすがに39度を超える熱を出した。単なる風邪であったかインフルエンザであったかは判らない。研究所に電話したら白井晟一が直接出られた。

  

  〝熱が出た?・・・だからどうするんだ!来るのか来ないのか!〟

  

 30才位の時だからこう言われては〝休みます〟とも言えず、腹も立つはで

  〝これから行きます‼〟

と言ってしまった。

  

  〝クソッ、風邪の熱位で休むことは以後絶対にしない!〟


 その時の腹立ちまぎれの決心である。決心とは不思議なもので以来、76才の今日まで風邪は引いてもそれで寝込んだりしたことは一度も無い。研究所に着いてから白井晟一に懇々(こんこん)と説教された。

  

  〝君達は腹が痛い、熱が出た・・・だから休むのは当然だと思っている〟


 その翌日から白井晟一は高熱を出して寝込んだ。〝ざまあみろ!〟とは思わなかったが、30才前後のことでもあるし、あるいは多少思ったかもしれない。以来この件に関して白井晟一と話し合ったことはない。





 


2023年6月26日月曜日

 コラム327 <白井晟一の想い出 ⑦>         ───明治気質と天才のおかしみ その2───


 ある日親和銀行から電話がかかってきた。どうも預金の残高不足の連絡のようだった。親和銀行とは長崎佐世保に本店があり、白井晟一は本店に第一期・二期・三期と十数年がかりで関わり、それ以前にも銀座東京支店、長崎の大波止支店をも手がけている。

 電話がかかってきた時、偶然私もリビングに居たからこの話が聞けたのだが、この時の白井晟一の応対がおもしろかった。

  〝残高不足?〟

  〝君ねえ、君のところとボクとは何年の付き合いだ⁉足りなかったら補充しておきなさい‼〟

 脇で私はおかしさをこらえながら聞いていた。どこから補充しろってんだろう。電話をくれた担当者もさぞかし困ったに違いない。こういうところが天才の天才たる所以(ゆえん)であると思われて、おかしかったのである。





2023年6月19日月曜日

コラム326 <白井晟一の想い出 ⑥>        ───明治気質と天才のおかしみ その1───


 ある日居間に呼ばれた。

  〝最近電気が暗いんだ、電圧が下がっているんじゃないか、東京電力を呼んで調べさせなさい〟

 翌日東京電力の社員が三人見えて、目白通りに面した高い電柱に登って、上の方の黒い変圧器(かどうかは知らない)を計器をもって色々調べていた。調べ終えて白井晟一に言うには

  〝どこも異常はありません。電圧も正常ですし・・・〟

これに白井晟一は

  〝君ね、長いこと住んでいる私がここのところ暗いと言っているんだよ。それが異常ありませんとは何だ。異常が見つかりません、ということだろう?君達はそうやって色々計器などに頼って、特別のことが無ければ〝異常ありません〟だ。どこか他に原因は無いか・・・と思わんのかね〟

と御立腹だ。そう言われた東京電力はそれならさようならとも言えず、再び電柱高く登って調べていた。だが結果はやはり同じ。そりゃあそうだろう。同じことをやっているのだから・・・。

  〝今日のところ異常は見つかりませんので、又、何かありましたら御連絡下さい〟

と言って帰った。


 白井晟一が書斎に帰られてから、私は天井の大型シーリングライトを見上げていた。白井晟一はヘビースモーカーだったという話は前にもしたが、吸っているのはゲルべゾルテ(ドイツのものか、小田急ハルクにわざわざ買いに行ったことがあるのでよく覚えている)かピー缶こと缶入りのピース、葉巻を吸われていた時期もあるようだから、シーリングライトのガラスグローブが大分汚れている。私は〝ああ、これだな原因は・・・〟と直感し、はずして洗って取り付けし直した。

 しばらくして白井晟一が帰ってきた。

  〝おお、大分明るくなったなぁ〟

  〝原因はシェードの汚れでした〟

  〝あぁ、そうかそうか〟

そう言ったきり、この前の東京電力の人達には悪かったなあでもなく、それで終わりであった。