2023年3月27日月曜日

 コラム314 <穏やかに、穏やかに・・・>


 朝、洗面室で頭上のステンレスバーからタオルを取ろうとして

    〝グラッ!〟

 洗面が終わって再びタオルを掛けようとして

    〝グラッ!〟


 〝グラグラするんじゃない!!〟

 と自分に言ってから、鏡の自分に云い聞かせる。

 〝怒るんじゃない、腹を立てるんじゃない、穏やかに、穏やかに・・・〟


 残念ながら、俺の人間の出来具合は、今のところこんな程度のものだなあ・・・。




2023年3月20日月曜日

 コラム313 <ストレス社会>

 いかに静寂な音楽でも、騒々しく聞こえる時がある。静かで心地よい音楽といったものは、それが単独にあるのではなく、こちらの心の状態との相関の上に成り立っているものだということが判る。イライラした心を音楽が癒してくれるということも、勿論あるだろう。これも同様に音楽と人間の心との相関関係の上に成り立つ話である。


 ストレスは、著しく免疫機能を落としめるという。

 ということはストレス社会は多くの病を生ぜしめる、ということでもある。

 裏返せば、病を少なく生ぜしめるには、ストレスを軽減する方法を身につけ、免疫力を高めておかなければならないということである。しかし、いかに医学が科学的に進歩しても、そのスピードをはるかに越えてひどいストレス社会となっていく現代では、この課題を克服していくのは容易なことではない。新型コロナのパンデミック以前に、ストレスのパンデミックが生じていたのに、我々は関心を怠ったのである。



       

 ストレスが限りなく蔓延していくその遠因を現代社会の構造と、我々の生活スタイル、及び人間としての価値観の中に求め、学び、気づき、実践していくことで、心の安定をはかっていく以外その道は無いように思われる。

 本草学者であり、儒学者でもあった江戸前期の貝原益軒(かいばらえきけん:1630~1714)の『養生訓』にはすでに以下のように記されている。

 

 〝養生の術は先ず心気を養うべし。心を和にし、気を平らかにし、怒りと慾とを抑え、憂ひ、思ひを少なくし、心を苦しめず、気を損なはず、是心気を養う要道なり〟(健康を守るうえで最も大事なのは心を穏やかにして平常心を保つことである、ということらしい。) ──『免疫と「病の科学」』より──

 

 上記の本は毎冬入院リハビリを続けている鹿教湯病院の最初の担当セラピスト須江慶太さんが今冬私にプレゼントしてくれたものである。彼は専門家としてだけでなく人間としても名セラピストである。




2023年3月13日月曜日

 コラム312 <太宰治の『人間失格』を50年振りに再読す──その②> 

 この本の本文はともかく、感慨をもって読ませられたのは末尾に書かれている解説である。因みにそのタイトルと解説者の顔触れを掲げておこう。

   ①太宰治──人と文学:檀一雄

   ②作品解説───── :磯田光一

   ③滅亡の民───── :河盛好蔵

 ③の最後には(昭和23年9月号『改造』)と記されている。

 昭和23年といえば戦争の余韻冷めやらぬ頃で、私が生まれた年の翌年である。この解説と解説者の顔触れを見ると、錚々(そうそう)たるメンバーが顔を連ねていて、本が幸せであった時代を思わせる。戦後まもなくのこの頃の、文学に対するほとばしるような熱情と期待、信頼。同時に、それどころではなかったはずの戦後復興期のエネルギーが感じられてうらやましくさえ思われるのである。命を懸けて懸命に生き、書いている時代であった。それにひきかえ、我々が生きているこの物質的に豊かになり、精神が貧困になった時代の寂しさを思わせられるのである。

 最近の読むもの、書かれるものといえば、文学ばかりでなく、何だか人間そのものが薄っぺらで、底が透けて見えるようで、読んでいてつまらないものが殆どである。厳しい社会状況こそがかえって名作を生む土壌となりうるということなのだろうか。『人間失格』は人間失格の自覚のない時代に生きている我々に改めてそのことを問いかけるのである。



2023年3月6日月曜日

 コラム311 <太宰治の『人間失格』を50年振りに再読す──その①> 

 大学に入りたての頃に読んだきり、書棚に眠っていたのを取り出し、山に持参した。10日余りのショートステイのため「老健」の部屋に持ち込んで読み始めた。

 以前読んだ時は、なんでこれが注目を浴びてベストセラーになっているのか、とそんな程度にしか思わなかった。それは当時の私には、人間失格などという自覚は微塵(みじん)もなかったからに違いない。

 高校時代はスポーツに明け暮れ、県の大会で優勝し、東北六県の大会でも優勝し、インターハイ、国体に出たりしてアドレナリン全開のような時代を生きていたから、それから数年後のこと、〝人間失格〟などという感覚は、自分には縁遠いものであったのだろう。


 書棚でどれ程陽に焼かれたものか、ページを捲(めく)ると周囲1センチ程が茶褐色に変色している。

 奥付(おくづけ)を見ると

   昭和25年10月20日  初版発行

     42年   9月20日  54版発行 

     43年12月30日  改版3版発行

          『人間失格・桜桃』(角川文庫)

とある。

 75才になった今読み返してみると、当時の印象とはまるで違う。

 第一の手記の一節に次のようにある。

 

  〝自分は空腹ということを知りませんでした。

   いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、

   自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。

   ヘンな言い方ですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。〟


 私にもそういう傾向があって事実、断食は何日位続けられるものかと4日間の完全断食を試みたことがあります。通常の生活をしながらでしたから、3日目までは大した影響はなく、4日目になってさすが冷や汗のようなものが出て、巣鴨の駅で初めて水を飲んだ記憶があります。25才頃のことではなかったか、あんなことをしたのも、この本の影響ではなかったかと、今にして思われます。



 時代の影響ということも大きかったに違いなく、しかしこれ程までに多く読まれたのは何故であったか、現在もロングセラーを続けているというのも、50年振りに再読してみて初めてうなづけるものがあります。 私は評論家でも解説者でもありませんから、つべこべ書くことはよしますが、やはり〝人間失格〟という自覚を多少でも持っているなら、という条件付きですが、感じるところが多い本に違いはありません。学生時代にどんな感想をもって読んだかも思い出せませんが、病の後遺症に苦しみながら、人間失格を身に沁みて感じ続けた五年間でしたから、若い時分とは全く違った感想をもって読んだことは確かなことです。そして、これが太宰治38才か39才の作であることに驚くのです。(スマホだのパソコンだのをいじくりまわしている時代には全く無理というものです。)その感性は今の私には痛々しくさえ感じられます。それを読んでいると、老成とも早成ともつかぬ妙な印象を持ちます。しかもどこかで自分と重なっている───いや自分ばかりでなく、人間という人間誰しもが重なっている───それを若くして自覚されたところに、早成とも老成ともつかぬ痛々しさを感じさせられるのです。書き終えた同年6月13日深更、山崎富栄と共に玉川上水に入水し、世を去ったのでした。