2024年12月30日月曜日

 コラム406 <叱るついでに・・・> 


 先入観なのか怒る(おこる/いかる)よりも叱(しか)るの方がやわらかい印象がある。童謡に『叱られて』という歌があった。これが『怒られて』では童謡の感じが出ない。

 秋田に住んでいる姉は83才になった今も合唱団に所属しているというから、『叱られて』の歌詞を送ってもらった。


  1. 叱られて叱られて

   あの子は町までお使いに

   この子は坊やねんねしな

   夕べさみしい村はずれ

   コンときつねがなきゃせぬか

      (清水かつら作詞 弘田龍太郎作曲)


一番のみ記したが、大正9年作曲とある。同じ作曲家の『金魚の昼寝』の歌詞も添えられてきた。


  1.  赤いべべ着たかわいい金魚

   おめめさませばご馳走するぞ

  2. 赤い金魚はあぶくを一つ

   昼寝うとうと夢からさめた

       (鹿島鳴秋作詞 弘田龍太郎作曲)


ついでに私の好きな『ドングリコロコロ』の歌詞も書いておこう。


  1.どんぐりころころドンブリコ

   お池にはまってさあ大変

   どじょうが出て来てこんにちは

   坊ちゃん一緒に遊びましょう

  2.どんぐりころころよろこんで

   しばらく一緒に遊んだが

   やっぱりお山が恋しいと

   泣いてはどじょうをこまらせた

       (青木存義作詞 梁田貞作曲)





77才にして私でもいまだに口ずさめる。これを読んだだけでも人間の心の素朴ないい時代であったろうと思う。今の日本にはこんな純朴な歌が生まれる土壌も背景もない。

 現代には童謡というものがあるのかなあ・・・?


2024年12月23日月曜日

 コラム405 <子供叱るな来た道だ・・・> 


 〝子供叱るな来た道だ

   年寄り叱るな行く道だ〟


 誰でも知っている言葉かもしれないが、私自身はいつ、どこで、誰から聞いた言葉であったか覚えていない。それでも言葉だけはず~っと覚えている。全くその通りだ、と思ったからである。


 通りや駅のコンコースなどでしばしば見かけるのは、若い母親が幼子を激しく怒っている寒々とした光景である。手をグィッと引っ張ったり、〝置いていくわよ‼〟と怒鳴ったりして、子供はギャーギャーと泣き叫んでいる。置き去りにされるのは子供には怖(こわ)いことだからである。

 こんな怒り方をされながら育って、温かい情緒を持った人間に育っていくのだろうか。子供を怒る前に、すでに苛立っている親自身を怒らなければならない。日中子連れは母親が多いから、父親も家の中で同様なのかもしれないと思ったりする。子供を躾けることは大事なことだが、子供だけでは済まぬ世相である。親の躾は誰がするのだろうか。


 人間個々のあり方が世相を作るのであろうから、この苛立った日常の心はどこから来ているのかと考えなければならない。

 『論語』の中に「吾日(われひ)に吾が身を三省す」という言葉がある。曾子(そうし)の言葉のようだが日に三回反省する、というよりも我が身を省みて、たびたび反省するというような意味だろう。反省ばかりして実践に結びつかなければ意味がないというものだが。40年以上家づくりに携(たずさわ)わってきて感じるのは、住宅や住まいのあり方がこの苛立ちに与える影響の大きさである。小さくてもいいから、自分たちのフィーリングに合った住生活をつくり、それこそ自分達のフィーリングに合った住生活をつくり出すことである。この方が『論語』よりも楽しく取り組めるし、容易というものである。それさえ出来ないというのであれば、私にはもう何も言うことはありません。

  



2024年12月16日月曜日

 コラム404 <有井日出子さんの座右の銘> 


 古美術商 有井日出子さんとは古美術骨董品を通じて長い間交流させてもらった。私が脳出血で倒れるまでは、ほぼ毎月伺った。住まい塾の大阪本部は豊中市服部にあるし、有井さんは宝塚市の売布であったから、阪急宝塚線一本で30分程の距離というのも幸いした。

 美術館と古美術商との違いは美術的価値においてグレードの差こそあれ、一方は手に取って触って観ることができないのに対して、古美術骨董店では基本的に手に取って、その感触を確かめられるところが違う。ガラス越しに見るのと、手に取って観るのとでは大違いなのである。美術館で茶碗などの見込を見たく、頭をせり出し、大きなガラスに頭をぶつけてゴ~ンと会場内に音を鳴り響かせ、隅に座っている見張り番に睨(にら)まれたことは二度や三度ではない。有井さんのところは自宅兼であったから余計に気楽であった。

 

 一見世話好きの浪花のおばちゃんのように見えるが、私より一廻り以上年上であったし、戦中戦後を通り抜けた苦労人でもあったから気遣いも心配りも細やかであった。骨董・古美術品を見せてもらうだけでなく、人間的なことに関しても多く教えられた。そのひとつが有井さんが座右の銘にしているという次の言葉である。


 〝受けた恩は石に刻み、かけた情は水に流す〟


 人間関係も豊富であった有井さんは、これまでどれほどかけた情を水に流してきたことか。






2024年12月9日月曜日

 コラム403 <しなやかに、しなやかに・・・>


 頑固もしなやかに

  固いだけじゃあ頑迷だ


 筋を通すもしなやかに

  筋張っちゃあ煮ても焼いても食えないよ


 木造住宅も丈夫にとばかりに金物だらけにしちゃあおしまいだ。強靭(きょうじん)という中には必ずしなやかさが必要だ。精神と同(おんな)じだ。


 私は若い時分陸上競技に明け暮れたから、知っている。名選手の筋肉というのは驚く程しなやかだ。瞬発力の源はこの鍛えられたしなやかさにある。






2024年12月2日月曜日

 コラム402 <幸せは愚痴嫌い> 


 愚痴は幸せを遠ざける

 愚痴は幸運を遠ざける

 グチでいいのは魚だけ


 凡庸な人間曰く

 〝判っちゃいるけど止められない〟


 寅さん曰く

 〝それを言っちゃあ おしめえよ〟(8月の心寒い日に記す)