コラム284 <マナティーのように>
沖縄水族館のマナティーのように、
もっと静かにゆっくり、ゆったり生きようよ。
その泳ぐ姿は、今日の人間達に訴えかけているようだ。
〝ゆっくりゆっくり、人生を味わいながら悠然と生きようよ〟と。
スマホのアプリ、SNS、スナップチャット、ツィッター、フェイスブック・・・何が何だかよく判らないし、判りたいとも思わないから、私にとってはどうってことはないが、すべてがデジタル上のマーケティングに利用されているってこと位は知っておいた方がいいと思う。
〝フェイスブック、スナップチャット、ツィッター各社〟などと表現されるところを見ると、それぞれが会社なんだ!そんな事も私は知らない。知らなくて困ったことも、これまで一度も無い。
「学生寮のプロジェクトから始まったフェイスブックが、15年で全世界の広告マーケットを掌握した理由はこれだ」などという文を読んでも、これが何だかよく判らない。
「2019年のフェイスブックの時価総額は、スウェーデン国内総生産の5分の4に相当する額だ」などと聞かされても、ヘェ~と思うだけで何のことやら判らない。桁外れの大金持ちが出現する訳だ、とは思っても、その仕組みも、からくりも判らない。そんな世界に足を踏み入れたいとも、関与したいともこれっぽっちも思わない。全員、使うのを止めれば、その会社達は立ち行かなくなるのだな、とは判っても、もう不可能だろう。第一、この先人間幸せになるのだろうか?
マナティーのようにゆったり生きることが、人間にとっていかに困難になっているか───自業自得の世界。閑に入りて静かに一日一日を送る楽しみや大切さを説いたのは昔のことだが、真理は今も変わらない。