2022年8月15日月曜日

 コラム282 <あのスマホってやつ、どうにかならないものですかねぇ>


  みーんな手に手にスマホ持ち

  今の私は、万歩計(自主トレ用だぞ!)


 来る人来る人、み~んなスマホを手離さない。スマホ中毒だ。中毒になるにはなるだけの魅力があるのだろう。


 その脇で、私は『万葉集』を読んでいる。となりとの差は1500年。

 たまらぬ世の中になったもんだねえ・・・。




2022年8月8日月曜日

 コラム281 <山の天気は変わりやすい、というけれど・・・>


 山の天気は変わりやすい、と昔から言われてきたけれど、昨今は里の天気も変わりやすい。二酸化炭素のせいだとも、地軸がずれているのだとも、科学者達は色々言うのだけれど、地球がおかしくなっていることに違いはない。おかしくした元の元を辿れば、きっと人類の生き様(さま)に突き当たる、と私は思う。


 今夏の山の空は、私が山中生活を始めてから約半世紀中、最もヘンテコリンである。

 青空が見え、樹々の間から陽光が差していたかと思うと、急に暗くなり、太陽が暗雲の塊(かたまり)に遮(さえぎ)られ、雷鳴が轟(とどろ)き、突然スコールのような雨が降ってくる。

 ここ数日も、同じような天気が続いている。妙な空だ。妙な天の気だ。


 今日も午後3時頃、デッキに出てアームチェアに腰掛けて陽を浴びようと思っていた矢先、辺りが急に暗くなり、俄に雨の粒が落ちてきた。続いてスコールの孫の様な雨だ。

 午後4時に見えたヘルパーさんと〝また雨ですねえ・・・〟などと言葉を交わしたのも束の間、その雨はものの10分程でピタリと止んだ。そのあと驚きの光景が待っていた。

 紅葉にはまだ早いカツラやソロなどの葉に残った雨滴が、樹間を抜けて突然差してきた夕陽に照らされて、ダイヤモンドのように輝き始めたのだ。七色に変化しながら、キラッ、キラキラッ、と輝くその姿に、私はしばし見蕩(みと)れていた。それはまた夥(おびただ)しい数のホタルが樹々に集結したような光景であった。

 何か奇跡が起きるような予感さえした。特別何も起きはしなかったが私の胸の中は、この雨滴のダイヤモンドの輝きに満たされていた。これこそが奇跡だった。


 雨上がりの林の中にウグイスが鳴いた。

 ウグイスも私と同じ光景を見ていたのだろう。 (2022年8月1日 記す)         

 




2022年8月1日月曜日

コラム280 <プッチンした野望>


 帝国時代や植民地時代じゃあるまいし、時代錯誤の野望がプッチンした。同朋と呼びながら、あんな理屈が、軍事の力を後ろ盾にまかり通るなら、類こそ違えども、我々が知る限りでの下記の先住民族たちの無念を、どう表現したらいいのだろうか。勝手な野望のもとには、そうした無念を察する人間の心など微塵も無いに違いない。


  • 日本の先住民族:アイヌ

  • 一夜にしてスペイン軍に滅ぼされたと言われるインカ帝国の先住民族:インディオ

  • インディアンと呼ばれたアメリカの先住民族

  • オーストラリアの先住民族:アボリジニ


 彼らと静かに共存できていたならば、どれ程多様で多彩な文明社会、文化社会、即ち人間社会ができていたことかと思う。


 近代文明から取り残されたかの如くに見られる彼らの精神の価値観の中には、近代文明に染まった我々が見つめ直さなければならないものが多く含まれている。それらは人間として失ってはならないものだった。

 私は以前、ある人との縁でアイヌの家族に招かれて、夕食を共にする機会があった。表立って表現することのない彼らの無念の思いが今も、胸の底深くに沈んでいることを思った。少々酒が入った頃だったと思うが、私が〝我々日本人は・・・〟と言った途端、長老がすかさず〝あなた方は倭人(わじん)だ。本当の日本人は我々だ〟と静かに言ったからである。


 プッチンと糸の切れた野望の主は、こんな無念の思いなどには全く、耳を貸さないに違いない。もうすでに人間の感覚を失ってしまっているからである。