2021年3月29日月曜日

 コラム210 <「専門家」と「素人」と>

70才を過ぎて、脳出血で倒れ、さまざまな病院に出入りしているうちに自ずと思われてくるのは、医師は病については知っているのだろうが、一患者たる人間について知っているだろうかという疑問であった。患者の方を見ずに、パソコンの方を向いて、たまに患者を横目で見ながら話を聞きながら診察する姿など最初の頃は異常に思え、〝患者はパソコンじゃない。こっちだよ!〟と言いたくなったものだが、今はそんな姿が普通になった。医師でも、建築家でも、弁護士でもいい。専門家が素人よりその分野についてよく知っているのは当然である。ここまではいいのだが、ここから先が問題だ。
 私の専門は住宅だが、住宅について専門家として年期を積めば色々な場面で経験を積んで成長していくだろうが、これが心掛けを誤ると、専門分野以外についても他者即ち建主(クライアント)より優れていると錯覚しはじめるところに危険がある。そんな保障はどこにもない。人間性に優れているか?美的感覚において優れているか?生活センスにおいて優れているか?特に人間の徳性においてどうか?品性においてどうか?多くの専門家達は、ここで大きな過ちを犯す。自分を人間的に鍛えぬまま、〝先生〟などと呼ばれるのがわざわいの原因のひとつとなる。何が先生であるか!明らかな誤びゅうであり、錯覚である。こうして、ごうまんという罪を犯すことになる。 

 『住宅建築』の創刊者であり、敬愛する建築ジャーナリスト平良敬一氏は昨年お亡くなりになったが、その創刊の辞に、「一軒の家は断じて一建築家の作品などと呼んではならないものだ」と心の底から叫んでいる。私もそう思う。だからこそ、専門家達は人間として謙虚たれ。特に人間としての徳性において豊かであれ、と心のうちで訴えているのである。これはすべての専門家達に対して言えることである。りっぱな方々もいるにはいる。だが人間社会を総体で見るに専門家達は人間を磨くことを忘れている。これは専門家達だけではないかもしれない。素人達も専門家達も人間を磨くことを深く忘れている。

  最近読んだ三浦綾子さんの『言葉の花束』という本の中に、「吉田兼好は健康な者を友に選ばなかった。病んだことのない者は憐みの情が薄いと思ったのだろう。」と書かれていた。人間はそれこそさまざまだが、脳出血で倒れて三年余りのうちに私もそのように思うようになった。他人の病の苦しみを分かち合ったり、理解したりすることはできないが、苦しみを察することは多少できるようになった気がする。
 先日病院の廊下ですれ違った車椅子の人は右ヒジから下が無く、トレーナーの袖がそよそよとゆれていた。次に会った時には、ヒジから下とばかり思っていたら肩から腕全体が無いのだった。表情も挫折寸前の感があった。どんな思いで毎日を送っていることか……。これから先の生涯に一筋の光でも見い出せればいいのだが……と祈っていたが、まもなく退院していかれた。



2021年3月22日月曜日

 コラム209 <今朝の贈り物>

  私の仕事場≪住まい塾≫では東京・大阪本部それぞれで木造の「設計者養成塾」というものをやっている。住まい塾をスタートしてからまもなく、世の中にしっかりした木造の設計者がきわめて少ないか、ほとんどいないに等しいことが判って内部で養成するしかないと踏んで学び合いの場としてスタートしたのである。
 それに住宅、特に木造の勉強をしたいと思っていたのに経済的な理由から、それが叶わず学校に行けなかったというような人もいるに違いないし、大学に入っても木造については一般教養程度にしか教えられないから、木造住宅については的がはずれたと思っている人も少なくない。だが昔から多くの人間が木造の家に接しながら育っているのだから専門領域というよりも、一般常識の領域に入ることも多いから、その気になれば独学でも十分できるようになるし、そばにアドバイスできる人がいれば、木造住宅設計者には十分なれるのである。そんな思いから始めたのである。最初、受講料は無料であったが、無料も良し悪しで、現状は年間4万円頂いている。 

 去る313日(土)朝9時半から今年度最後の養成塾があると聞いていたが、退院してまもない私は体調が悪く、参加できないと思っていた。しかし、遠くからやってくる養成塾生達の情熱を考えると体調が悪いなどとは言っていられないと思い、歯をくいしばって起き上がり、一階に下りた。だが少なくとも一時間前には来ているはずのスタッフ(講師達)が一人もいないし、照明も点いていない。どうしたことかとスケジュール帳を改めてみたら、14日(日)の見まちがいであった。がっかりしたが、そのまま離れの洗面所に向かい、歯をみがき、顔を洗っている間中、冷たい雨の中で野鳥が近くの梢にとまり、ツィーッ、ツィーッ、ツィーッ、チッ、チッ、チッとさえずって、まるで朝のはげましに来てくれたようでうれしかった。私も入り口の扉を開けてオハヨウ!オハヨウ!と繰り返した。思い違いが生んだ寒い朝の贈りものであった。



2021年3月15日月曜日

 

コラム208 <日本人の精神から深く抉(えぐ)られたもの>

 

第一に金儲け以外に対する情熱
    第二に礼節:これは予想外であった。〝衣食足りて礼節を知る〟と言われ続けてきたからである。
そして特に男達から大きく失われたのは勇気と仁義だ。
 電車のドアが開いた途端、空席をめがけて我先にと突進する男の姿などを見ていると「恥の文化」と言われ、ある意味で世界から賞賛されていた国が見事なまでに恥を知らない国となったと無念に思われる。仁義などという言葉は時代が古いと言われるかもしれないが、それと共に男の美学が失われた。DVD化された仁義・任侠ものの映画は今でも人気が高いらしく値が下がらないところをみると男達の胸の内には失われはしたが、どこか潜在的に魅かれるものがあるのかもしれない。しかし今日の日常に見る限りこんな気概を持った男はもはや絶滅に近い。
  大阪本部は東京から数年遅れて始まった。新潟長岡の材木屋さんから紹介された大阪の大きな材木商の社長と最初に会った日のことが忘れられない。住まい塾にかける私の思いを色々したあとこの社長はこう言ったのである。 
 〝一肌脱がせてもらいますわ…。〟
懐かしい言葉であった。
 次に思い出すのは数年前のことである。ある人を通じて一度ぜひ会いたいと言われ続けていた画家でいたが、ある酒場で急に会うことになり、酒を呑み交わしながら言われた言葉も忘れられない。
 〝あんたのためならワシ命張りまっせ!〟
私はヤクザとも右翼とも縁はないが、どういう訳かこういう任侠に近い人と時々出会う。前世で、任侠の世界と縁があったのかもしれないと思う時がある。儒教の教えが薄れ、仁や義の教えも薄れたが、日本の長い歴史の中で、この儒教の根は侍の美学・男の美学などに深くかかわりを持っていたのであろう。日本の男達から最も深く抉り取られたものはこの辺のものであるかもしれない。

  仁義だの任侠だのというと、ヤクザの世界のことしか思い浮かべない人が多いようだから念のために記しておく。(『辞林21』より)

<仁義>:ジンギ

      儒教で実践道徳として最も尊ぶ仁と義。
      人間が守るべき道徳。
      他人に対して礼儀上なすべきつとめ。義理。
<侠・仁侠>:ニンキョウ
 弱い者を助け、強い者をくじき、戦のためには命を惜しまない気風。おとこぎ。



2021年3月8日月曜日

 コラム207 <私は臨床体験派 その②>

 ③エアコン暖房と床暖房

 さて、どちらが快適かと思い、代わる代わるつけて寝てみた。床暖房の方はその上に布団を敷いて寝ても、うっかりそのまま床の上で寝ても、朝のめざめに不快感は無かった。一方、エアコンの方はノド・ハナが乾いて快適とはいえなかった。エアコンも日進月歩だからこの辺のことは今は改善されているのかもしれない。エアコンはどうしても送風しなければならないから原理的にオンドルに近い床暖房がエアコンに勝るのは当然かもしれない。


 ④住宅に関係はないが、ついでに以前、薬について書いた
<コラム204,205>が、大して効きもしないのだから実験的にすべての薬をやめてみようと思い立った。その結果を報告する。

 夜中トイレに起きようとしてベットの上で体を起こしたら、めまいとはきけでふらついて、とても起きられない。しばらく休んでは二度三度と試みたが、その症状はおさまらない。とはいえそのまま立ち上がってトイレに行っては途中で倒れること必定だ。マヒ側の左足も硬直して棒のようになっている。肩・腕のシビレからくる苦しさも半端ではない。これは新たに脳梗塞でも起きたかと思い、なにせ夜中の三時半頃のことゆえ、ビックリするだろうとしばらくがまんしていたがこれはダメだと別棟で休んでいる連れ合いをケータイで起こして来てもらった。バナナ少々、経口水、夜の薬を飲み、静かな音楽をかけてもらって1時間ほどしたらやっとトイレに行けるまでになった。今思えばそれまでが傑作だった。連れ合いが持ってきたステンレスボールは大き過ぎて両足の股間に入らない(大は小を兼ねるとでも思ったのだろう)。二まわり程直径の小さいタテ長のものを持ってきてもらってやっと用を足した。ステンレスボールで用を足す気分もあまりいいものではないが、そんなことを言っていられる場合ではない。それでもいくら何でも連れ合いの前だから緊張してかスーッと出てこない。遠慮がちにチョロチョロ出るのだがそれでも助かった。もう使うことはないだろうと尿器を本部に置いてきてしまったからステンレスボールと相成ったのである。油断大敵:これで学んだのは効かなさそうに見えても一気にすべての薬を止めるといった馬鹿げたことはやめた方がいいということだ。効いていなさそうでいて、抑止にはなっているのだ。やはり、やめる時には医師の意見を聞いた方がいい。薬全面中止の臨床実験は一夜にして挫折した。

 

2021年3月1日月曜日

 

コラム206 <私は臨床体験派 その①>

  住宅の仕事をしていると、確信をもって判断できないことが色々ある。身をもって体験していないことがらについては、なおさらである。その時はどうするか。できることなら身を張って体験してみたいところだ。そのように考えて試みたことがいくつかある。それをここに思い出すままに挙げてみようと思う。

       蛍光灯と白熱灯・LED

 今はLED時代だが、蛍光灯全盛時代に我々は白熱灯にこだわり続けた。電磁波の問題もやゆされた。蛍光灯にだって白熱灯色というものがあるにはあるが、ガラスの色だけで解決する問題なのか……
 そこで私はこの二点をそれぞれ朝まで点けっ放しで寝てみた。結果は蛍光灯の方は目がはれぼったくなり、めざめの気分が不快であった。一方、白熱灯の方はそんなことはなかった。調光器(明るさを調整できるスイッチ)で薄明りにして眠るのも、夜トイレに起きたりする時の安全性という意味でも、安眠という意味でも白熱灯の方が良好だった。さらにLEDの出始めた頃、同程度の明るさ(コードペンダント)の下での食事やフルーツ等、どちらがうまそうに感じるかを実験したが20人中18人が白熱灯に軍配を上げた。蛍光灯とて同様である。食物だけでなく、食卓を囲む人の顔の色や表情までが白熱灯の方がよく見えるという結果であった。現在はもうLEDの時代となり白熱灯の照明器具そのものが絶滅気味だが、限りなく白熱灯色に近づけようとする開発努力が実って、LEDも白熱電球にほぼ近いものが売られるようになっている。LEDをつけっ放しで寝たことはまだ無いから目ざめの気分については不明である。

 

      エアコンと八ヶ岳山中の同一温度は同じか

ある年の8月、八ヶ岳の山小屋で暮らしていたら急遽、大阪と福岡に飛ばなければならなくなった。その頃はまだ松本空港から大阪の伊丹空港便があったから車で松本空港まで行き、飛行機に乗った。山小屋は8月といえども室温が24度を上まわることはまずないし、朝夕は21度位に、日によっては15度位にまで下がり暖房をつける時がある程だ。こんな山の生活からいきなり、1,2時間で大阪の35度前後の生活に飛び込むのである。眠れないのは勿論である。そこで、私はいいことを思いついた。つい昨夜まで21度生活をしていたのだから、同じ室温で眠るのが一番自然だろうと考えて、エアコンを21度に設定して休んだ。だが眠れない。山小屋は涼しいという感じだが、エアコンの同温度はまろやかさに欠け、鋭角的でイタイタしい冷たさだ。これも慣れの問題か、と二日三日と21度のエアコン生活を続ける内に完全にグロッキーになった。その分野に関係している人間達にも聞いてみたが、この原因はいまだに判らない。湿度の問題だろうという人もいるが、そんな単純な問題ではないというのが私の実感だ。暑くとも汗が出ない。完全に自律神経失調気味になった(今でいう熱中症の逆のようだ)。その後大阪から福岡に飛んだ。三日間の滞在であったが、暑さこの上ないのに屋台のラーメンでも食えば汗が出るかと替え玉まで食べたら、益々気持が悪くなって打合わせを済ませて、すぐ宿で横になった。
 この時思った。自然の中の21度とエアコンで人工的に作り出される21度は根本的に何かが違う。空気の質と言ってしまえばそれまでだが、空気の質とは何だ?と聞かれると明確には答えられない。単純に湿度の問題なら技術でカバーできるだろうが、そんなことだけではなく空気の成分分析をすると、きっと分子構造が大きく違っているに違いない。その後、エアコンや物理の専門家に問うてみたが素人の予想の域を出ない解答しか得られなかった。人間あまり驕(おご)るなよ。自然は圧倒的に偉大なのだ。それを人間の考え出す科学技術で何でも補えると思ったら必ずしっぺ返しをくらう。臨床派住宅設計者として、身体を張ってきた私はそう断言する。