コラム332 <平穏と環境>
今年は色々と用事があって、例年より半月程遅れて八ヶ岳にやって来た。
都市のバスや車、夜半けたたましい音を立てて走り回るバイク集団などの交通騒音から解放されて、静寂の中に迎えられたか?
野鳥たちの囀りと新緑の森に迎えられて、平穏な日々がやってきたか?
会議や打合せ、その他の雑事から解放されて平安な日々がやってきたか?
否・否・否である。私の心に去来するものが同じだからである。
環境が変わり、自分の時間が取り戻せたから、比較すれば勿論、心は静寂さを取り戻しつつあります。それでも心は環境を変えた位で、すぐに平穏を取り戻せる訳ではありません。次々とやって来るさまざまな思い、病から来る苦しみ、介護の人達との打合せ、来客等々・・・。
ここに来て気付かされるのは、自分の平穏と心の平和は自分の内にしかないもの、外の条件をいくら変えても心のざわめきは鎮められない、ということである。
不機嫌、不安、不穏の気分をどうしたらまわりに与えずに済むようになれるか、最も愛する人をさえ、暗い気分にさせてしまうのである。これが私の現在の最大の課題と言っていい。
自分が平安でなければ、まわりの人々に平安を与えることはできません。これは偏(ひとえ)に自分自身の心の問題です。苦しみも含めて今日一日の命に感謝しながら、平和でありますように、平穏な心でいられますように祈ります。そのためには、自分はほんとうに優しいのか、人間としてどこまで出来ているのか、と問うところから始めなければなりません。理想郷を創りたければ、まわりにではなく、自分自身の中につくり上げるしかないからです。心のざわめきは尽きることがありません。