2016年1月25日月曜日


コラム 21 <長芋とカビ>  

 
 
 長芋って

  カビまで長くなるのかなぁ

 

 ユーモラスな姿に

切り落とす気も萎え・・・・・。

2016年1月18日月曜日


コラム 20 <自然の恵みを生かせばもっと豊かな暮らしができる> 

 八ヶ岳連山の頂は雪に蔽われ、裾野を取り巻く落葉松林は褐色に輝いて、まるで襟巻きをしたかのようだ。
 今朝の山は氷点下20度にもなった。深夜しんしんと降り積った雪。そして朝の快晴。 

 山の寒さは明らかに恵みだ。
 早朝カーテンを開けた時の、えも言われぬ冬景色の感動。
雪がすべてを吸収し、山中はし~んと静まり返っている。
梢から梢に飛び交う野鳥達の囀り、そんな中、日向に椅子を持ち出して本を読む楽しみ。
 屋根の雪も二度、三度と落ちれば、その後は美しく透明なつららとなる。キラッ、キラッと陽光に輝く姿は、少なくとも私には幾百万円、幾千万円のダイヤよりも美しく見える。 


 つららの先からポトン、ポトンと水玉の雫が落下している。夜ともなれば濛々たる湯気の中、やわらかな雪の肌を眺めながら入る風呂・・・・・ 

 物質文明の中で我々は何と多くの自然の恵みを見失ってきたことだろう。その半分欠けた心を物質で充たそうとしてさらに充たしきれずに、あがきもがいているのだろうか。

2016年1月11日月曜日



コラム 19 <暖炉が教えた新年の発見> 

 準備の時期を逸して今年の薪は湿っぽかった。雨に打たれたまま凍ってしまったからである。燻るばかりで燃えが悪い。火が点いたかと思うと消えかかる。

 はじめから基本に添って薪の組み方を変えてみた。焦らずに、細いものから順に、燃え立ったら徐々に中位の枝へ、しかも空気がよく通るように・・・・・。
しばらくすると火はパチパチと音を立てて燃え始めた。火の勢いはさらに加勢してまわりを熱くし、一気に、赤々と燃え上がった。 
 
 暖炉の火を見ていて、当り前の原則に気がついた。同じ種火、同じ薪にあって、その組み方によって燃え立ち様が全く違ってくる・・・・・。これは人間の集団とて同じことだ。
 自然が示しているこの基本原則に忠実に・・・・・新年の暖炉火はこの自然の原則をもう一度見つめ直すよう教えてくれたのである。

2016年1月4日月曜日


コラム 18 <寒さ――文明時代と精神性>  

 〝寒いところは湯気が楽しめていいですねえ・・・ 山中の茶室を訪れた人が呟いた。
 寒さは辛いばかりではない。心身共にきりりと引締まる効果は経験したものでなければ理解できないだろう。 

 茶室も今や暖房完備が多いから寒い季節でもしゅんしゅんと煮え立つ湯気が楽しめない。撮影時など湯気を捉えたいと霧吹きでシュッシュッとやる程だという。
 このような場となった茶の湯はおそらく背筋の伸びた精神性をすでに欠いているだろう。精神修養の世界ではなおさらである。冷暖房完備の僧堂などと聞いただけで、そりゃあ駄目だと思う。辛抱して、耐えて、やがて自らの身体が自然の動きに馴染んでいく、一体になっていく―――特別な人を除けばこういう経験なしに精神性が深まる道はないのではないかと思う。 
 

 このことは極端に暖冷房は禁ずべしなどと言っているのではない。少なくとも室温18度では寒いといって20度に、それでも寒いと23度、25度としていくような生活の先に精神世界は開けないと言っているだけのことである。