2021年12月20日月曜日

 コラム248 <いつ何時、何が起きるか判らない >

  病気らしい病気などしたことはなく、入院したのはスキーで足首を骨折した時位のもので、それも数日である。ヒザから足先までギブスをし、ショルダーカバンを首肩から下げ、松葉杖をついて大阪の定例勉強会にも欠かさず行った。若かった。
 人に脳溢血を起こさせても自分は起こさない位の気分で生きてきたが、豈図(あにはか)らんや結果はごらんの通りである。人生なかなか予想通りとはいかぬものである。
 このストレス社会だ。そうなった原因を外に求めればいくらでもあるだろう。だが一言で言えば自分の不徳の致すところである。徳の不足は悲しいことだ。すべてはそこに起因して起こるとさえ思われる程だ。 

 病を得て悟ったことがある。それは
  〝やれることはやれる時に懸命にやる———それ以上の生き方はない〟
 ということだ。やれなくなってからあれもやりたい、これもやりたいと思っても、できないことだらけである。ああ、もっと賢明であったなら……などと嘆いてみても後の祭りだ。