コラム399 <ボールペンはどこ?>
毎日使っているボールペンが見当たらなくなり、ヘルパーさんに買ってきてもらいました。ボールペンって、ボールのようにコロコロころがるからボールペン、って言うの?
コラム398 <ああせいこうせいと、云うばかりなり厚生省>
介護保険を利用するようになってから、もう6年になる。介護の世界で働く人達の不自由さと窮屈さを見たり聞いたりするようになって、改めなければならない点が数多くある、と思い始めた。
それはケアマネージャーやヘルパーさん達の処遇改善の問題ばかりではない。
・行った先でトイレを借りてはいけない。(そんなもの、いつ急に催すかわからないではないか!)
・お茶やお菓子を出されても頂いてはならない。勿論、感謝の気持のものであっても、
もらい物をしてはならない。
・たまには一緒に食事を・・・などということなど以(もっ)ての外。 (まるで教師の家庭訪問のようだな!)
・頼まれた買物は一旦その家に着いてから、改めて行く。(来る途中にスーパーマーケットやその他の店があるというのに、この無駄加減、時間の浪費!)
・少し時間が余ったからと汚れに気付いたガラス窓を拭くのもダメ。
・こうしたことにまつわる人間関係のもつれ。
等々・・・それと、ケアマネージャーと看護師さんの月一回の訪問の義務付けは少なくとも私には無意味・不要である。必要な人のところにだけ行けばいい。それでなくともケアマネージャーは多忙を極めているのだから・・・。
しまりのない状態にならないように、一定の規則や基準を示すまではいいが、自由の余地も残しておかないと、やる方は窮屈でたまらない。時間が余ったからとやってやりたいこともあるのに、やれないのだから・・・気の利(き)く人にとっては特にそうだ。
この窮屈な世界に嫌気がさして辞(や)めたヘルパーさんは沢山いるに違いない。私自身も幾人か知っている。それを国も国民の大方も、報酬の少なさが定着率の悪さの原因だとばかり思っている。
そういう人もいるだろうが、元々介護の仕事につこうとする人は生活する上で困難な事情をかかえている人を手助けしたいと思って、この領域の職につく人が多いと私は感じる。人間関係他何かと難しい問題を抱(かか)えながらも、少ない報酬でがんばっている人が多いと私は思う。
それをどういう人々がどういう形で審議し、出されているものやら厚生省からの細々とした指示・規則の中には、余計かつ不必要かつ異常と思われることが随分ある。
最大の問題は審議委員の中に現場で実際に働いている人間が不在であることである。現場から離れた高位(少なくとも彼らはそう思っている)の人間達でものごとが決定され指示されていく、という点にある。だから現場の経験と生の声が反映されず、活かされない結果となるのである。
そこで私が思い付いたのが、川柳くずれの上記タイトルである。
〝ああせいこうせいと、云うばかりなり厚生省〟
コラム397 <対立②>
約100年前、あるアイヌの少女が一冊の本を残して世を去りました。その名は知里幸恵(ちりゆきえ)、19才。本の名は『アイヌ神謡集』。文字を持たなかったアイヌの少女が一冊の本に仕立てるには大変な苦労だったでしょう。その本の始まりは次の一文で始まります。
〝その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。〟
そして『神謡集』そのもののはじまりは次の文で始まります。
〝銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに・・・〟
何と美しい言葉でしょう。
日本の歴史を振り返るだけでも争いをしないという決心の元でなら、相互いに助け合って、相入れない考えだって学び合うことによって認め合うことができます。互いの世界観を学び合うことによって成長することができます。これまで地球上に送り出された人間の命はいか程になるのでしょう。それでもうり二つの人間は存在しないのです。
この事実からしても違いに意味を見い出すことこそ、宇宙の意志に適うというものではないでしょうか?それを神の意志と呼ぼうが、自然の意志と呼ぼうが、仏の意志と呼ぼうが、違い故に対立するなど、その意志に全く叛(そむ)くことになるとは思いませんか?
コラム396 <対立①>
神や仏が何であるかを言い争ってみて、何になるのですか?言い争ってみて明確に判るのですか?存在するのしないの、形があるの無いのと何千年、いやそれよりはるかに長い言い争いの歴史の中で神学者や仏教学者にそれが判ったのですか?そうした果てしない議論はよしましょう。
宇宙を司る何か、エネルギーのような意志が偏在していることは確かなのですから・・・それで十分ではありませんか。その存在を信じるかどうかはその人の責任を伴う自由というものです。私は学んで、人と出会い、経験して信じるようになりましたが、宗教上の対立、信仰上の、果ては殺し合いにまで発展する果てしない対立程、宇宙と言ってもいい、自然と言ってもいい、その意志に背(そむ)くことは無いのではありませんか?
民族の違いによる対立もそうです。その大きな意志によって、さまざまな民族が生まれ出たのですから・・・。大民族だろうが、少数民族だろうが、不要な民族などひとつもないのです。
〝我々日本人は単一民族だ〟などと未だ平気で主張する人々がいます。しかし我々は日本の先住民族アイヌを抑圧し、差別し、同化政策によって言葉を失わしめ、和名に変えさせたた歴史を背負っています。西へ北へと追いやったのです。
長い間アイヌ問題に取り組んでこられた北海道新聞の深尾加那さんと一緒にアイヌの家族に招かれた夕食の席で、少し酒がまわり始めた頃、私は〝我々日本人は〟と言いかけた途端、その家の長に〝あなた方は日本人ではない。本当の日本人は我々で、あなた方は(我々を侵略した)和人である〟と面と向かって言われたことがあります。
コラム395 <医師は何を診るか:『医者ともあろうものが』現代版>
最近の医師は病を見て、人を見ない。
最近の医師はパソコンを見て、人を見ない。
これなど最初の頃は〝おいおい、患者はこっちだよ!〟と言いたくなったものだが、最近はどこでもそうだからもう慣れっこになって、何とも感じなくなった。それでも時々人の話題に登るところをみると、まだ違和感を感じている人は私をはじめ少なくないということなのだろう。
整形外科に行く場合はどこかが痛くて行く場合が多いだろうが、医師は検査をレントゲン・CT・MRIなどの機械にまかせて出てきた画像を見て、人を見ることもなく、身体に触るでもなく、画像に特別問題が無ければ、薬を出して終わりだ。少なくとも私は整形外科で医師に触れられたことが無い。先端医療技術が問題だというのではない。相手は患者という一人一人違った人間なのだということが見逃されているところが問題だと思うのだ。
医療の技術的進歩は誰も疑わないだろう。現代のこのような傾向で失われたものはないのか、と私のようなタイプの人間は疑念を持つ。
私の親しかった名棟梁は足場に胸を打って、ついでに診てもらったら小さなガンが見つかった。まだまだ現役バリバリの棟梁だったが、手術時どこかの神経を切ってしまったらしく、生涯仕事が出来なくなった。その後も月一度の我々の勉強会や見学会には必ずと言っていい程出席し、あれ程好きだった酒も一滴も飲まずに、復帰を念ったがついにその夢はかなわずに亡くなった。医師がこの人が名棟梁だと知っていたら手術のやり方も違っていたかもしれない。失われたものは人間らしさ、人間っぽさ、人間を観る眼だ。
昔懐かしく思われる胸やお腹に手を当てて甲をトントンやるあれは何だったのか。聴診器を首から下げているお医者さんに出会うと未だにホッとする。当ててくれたりすると私の身体を看てくれているようでうれしい気分になる。患者の目や顔の色艶、表情から読み取れるものはないのか。そうしたものに、病は表れないものだろうか?
いかに高度な検査機械の時代となっても、生前何度かお会いしたことのある見川鯛山先生のような町医者は、もう出番がないのだろうか。時々はああいう人間っぽいお医者さんにいて欲しいものだと思われる。
そもそも患者を看るの「看」という字は手と目で成り立っているではないか。そんなことは気のせいだ、と言う人がいるかもしれない。しかし、私のように体が不自由になった身にはこの「気」こそが殊の外大切なのだ。
人間はいずれ必ず死を迎えることを考えれば、人間的な医師の元で、人間的な医療を受けて死期を迎えたいものだと思う。それが今回のタイトルを『医者ともあろうものが』現代版とした理由である。
コラム394 <見川鯛山作『医者ともあろうものが』>
学生時代、見川鯛山氏作の『医者ともあろうものが』を読みながら笑いが止まらなくなり、途中で電車を飛び出したことがある。そのあともNHKのテレビ番組で森繁久彌氏による朗読がなされた。これがまた相性がぴったりで、後に世界文化社から録音テープが発売された。まわりの録音エンジニア達も笑いを抑えきれなかったらしく、その様子さえ録音されている。自然描写の見事さといい、人生のおかしみの表現の巧みさといい、これ以来、私にとって忘れられない一冊になった。
それから15年程経って、私は住まい塾運動をスタートした。ある日、中年の女性が本部を訪ねて来られた。出身は那須高原の湯元温泉だという。見川鯛山氏も那須湯元温泉で開業医をしていたはずだから、私はすかさず聞いた。
〝湯元温泉には面白い作家のお医者さんがいるでしょう?見川鯛山さんという・・・〟
その女性は即座に答えた。
〝います、います、ヘンな人がね・・・それ、私の父です〟
さすがに私もびっくりした。縁というのは不思議なものだ。以来、見川氏の長女家族と次女家族の二軒の家を住まい塾で設計することになった。
当然見川鯛山氏にも幾度かお会いする機会に恵まれた。だいぶ古民家が御好きなようで、設計着手前から大きな蔵戸や、もらい受ける古民家が決まっていて、実測に伺ったり、この大戸をどこに有効に使おうかと頭をひねったりして想い出深い、楽しい仕事となった。
本の内容から想像する作家像とは大分違って、本人はいたってまじめで実直かつ几帳面な方なのだろう。10冊程の自作の著書すべてにきっちりとサインして私に下さった。
今もどこかの文庫に収まっているかもしれないし(一時期はたしか集英社文庫に収められていた)新本が手に入らなかったらぜひ中古本でも探して読まれるといい。この暗い時代にユーモアたっぷりの平和な傑作集を遺(のこ)してくれて、見川先生、ありがとう!と今でも思っている。
コラム393 <山梨県北杜市の太陽光発電にもの申す Ⅱ >
土台我々の現在の文明生活を改めることなくこのまま続けて地球環境改善を実現することは無理だということだ。やれることはやった方がいいに決まっているが、いかな技術革新を進めても、いかに電気自動車を大量生産し、現在の主流・ガソリン車を転換したとしても同じ問題がつきまとう。蓄電池には、多くのレアメタルが必要だ。産出国も限られている。我々の見えないその陰では、レアメタルの奪い合いによって広大な環境が破壊されているだろう。原子力発電は巨大な発電力を誇るし、CO2の排出も少ないなどと言う人達がいるが、ウラン採掘のためにどれだけの人間が犠牲になっているか、また自然環境の破壊、チェルノブイリや福島原発で経験したように巨大な危険が常についてまわることに違いはない。
世界のあちこちには巨大な砂漠が存在する。その多くは元々砂漠だった訳ではなく、緑を失って保水力を失い砂漠化していったのだという。この事実を我々は身に迫った問題として真剣に知るべきなのだ。
地球の保有する地下水も年々その総量を減らしているという。経済のあり方、産業のあり方、我々の生活のあり方を大きく方向転換しなければ、いかにジタバタしても地球は破滅、滅亡に向かう流れをくい止めることはできないことは目に見えている。
地球上の食糧生産量も人類の食糧必要量をはるかに下回って、人類の食糧自給が困難を迎える日がやがて来ると叫ばれている。既に地球上のさまざまな事象がそれを示しているのに、文明国はそれを気にもとめずに、のうのうと今までの生活を改めようともしない。未だ(いまだ)にどこか遠いところの他人事だ。
破滅は徐々にやって来るのではなく、急激に、突然やってくるものだということを我々は知りたくはないだろうが、長い歴史が物語っているのだから知らなければならない。知らざるを得ない時を必ずや迎えることになるのだから・・・。
私の住む茅野市の八ヶ岳西麓玉川、泉野地区でも森の大量伐採、太陽光発電の計画が進められている。さすがに住民達の反対にあって、道路の片側エリアだけは太陽光パネルがすでに設置済みだが、もう片側のエリアは大量の樹木が伐採されたまま放置状態になっている。今や暑い時期には別天地とも呼ばれる地帯においてすら無自覚にも北杜市と同じ過ちを重ねようとしている。(2024年8月初旬に記す。写真は後日撮影予定。)
コラム391 <山梨県北杜市の太陽光発電に物申す Ⅰ >
山梨県北杜(ほくと)市は清里・小渕沢を含む八ヶ岳東南麓5町3村が合併した比較的新しい市だ。標高が高く、緑豊かな美しいエリアだ。市長は自然エネルギー(と云っても太陽光発電のことだが)推進を政治公約にうたって当選し、正確には知らないが、もう何期目かを迎えている。
自然エネルギー推進は時流にも適って、その方針に異を唱(とな)えるものではないが、その後の姿を見ていると、あちこちで山林が大規模に伐採され、広大な森林を失わしめて、太陽光パネルによって豊かな自然環境に傷を残し続けている。
この自然環境破壊のみならず、景観破壊に反対する市民も多いと聞くが、自由主義経済の元では民間のプロジェクト申請を退ける術(すべ)を持たないのだろう。やろうと思えば条例などで規制するなどいくらでも可能なのだが、何せ市の方針が推進ときているのだから規制などする訳が無い。
自然エネルギーと云えば聞こえはいいが、森林を広大に皆伐しての太陽光発電パネルの設置には、私も大いに疑問を持つ。疑問どころではない、SDGs対策を総合的に考えての判断かと、この本末転倒の施策には憤りすら感じる。樹々の果たす役割にはCO2の吸収や酸素の供給ばかりでなく、気温に果たす役割もきわめて大きいからである。
私の山小屋は標高1600メートル付近にあるから、涼しいのは当然だと皆思っているだろう。しかしそうではない。同じ別荘地内でも樹々を皆伐した区画などに入ると気温が急上昇する。標高1100メートル~1200メートル位に開発された大きなマーケット、さらには1000メートル地帯の街まで下がると、もう都会と変わらぬ猛烈な暑さだ。これは7年程前に、一人で実測して歩いて実証済みだ。その結果はコラム103 (2017年8月21日)に載せてあるが、私の山小屋の室温が窓を閉めた状態で24度の時、街は36~7度にも達していた。考えてみれば都市に限らず街というのは、表現を変えれば元々あった緑を人間達がすっかり無くしてしまった地帯だと言える。
このような例を待つまでもなく、大規模な森の消失は地域気温の急激な上昇をもたらす。のみならず、太陽光パネルの製造にも、設置工事にも、はたまた寿命が来て廃棄時期が来たらこの処分にも大量のエネルギーを消費するだろう。設置されたあるところでは周辺の人々はもう住めないとまで言っていた。北杜市の最大の魅力、宝は何であるのかを市長をはじめもっと総合的に見つめ直してもらいたいものだ。(2024年8月初旬に記す)
コラム390 <若い時分からの私の人生目標②>
これも私の学生の頃か白井研究所に入りたての頃に思ったことだ。その頃は吉野屋の牛丼が大はやりで、よく食べた。その思ったことというのも妙なことだ。
〝将来えらくなって吉野屋に入るのに抵抗を感じるようになったら、私の人生は終わりだ!〟
というものだった。新橋駅前の吉野屋に入った時に思ったことだった。だからという訳ではないが、今でも時々食べる。当時のことが想い出されて懐かしくなる、というよりも単純にうまいからだ。住まい塾を始めた頃、縁のあった高級料亭で、高級ブランド牛のスライス肉がのせられた牛丼ランチ(当時の値段で一杯1800円か2000円だったと記憶している)をご馳走になったことがあったが、やっぱり牛丼は、クズ肉のようなもので作られたものの方がうまい。今でもそう思う。
人生目標という程の大げさなことではないが、若い時には若い時なりにおもしろいことを本気で思うものだ。そこに自分らしい大事な種が隠されているかもしれない。
コラム389 <若い時分からの私の人生目標①>
若い時分には妙なことを思うものだ。私の人間としての人生目標は
〝天皇陛下から浮浪者まで差別なく相手にできる人間になること〟
色んな人に平等に接することのできるようになること位の意味合いだったのだろうが、こんなことを思ったのは大学卒業直後の頃か、あるいはもう少し若い時分のことであったかもしれない。何かきっかけがあったのだろうが、少なくとも考えたのではない。自然にそう思われたのである。この思いは今も大きく変わらない。
なぜ天皇陛下なのかは、単にえらい人といったニュアンスに過ぎなかっただろうが、白井晟一研究所時代の早朝配達の仕事や自転車でのデパートの御中元・御歳暮配達、夜中の洗車場や土工、それにキリスト教会でさまざまな立場の人々と出会ったことが大きかったに違いない。
住まい塾の活動を準備していた頃にはすでに山谷の住人二人との交流が始まっていた。こちらが望んで始まった訳ではなく、教会に集っていたある人との縁で、困っている人の相談を持ち掛けられたのが機縁で、期せずして交流が始まったのである。私には全く自然なことであった。経験も知識も浅いというのに何せ教会の支部長に任ぜられていたのだから・・・。人々には色んな境涯の人がいることを知ったのもこの頃のことである。
今振り返ると、この頃の経験によって人間としての肝っ玉を座らせられたといった印象がある。
コラム388 <気力>
本を読むにも気力がいる。身体が辛過ぎたり、苦し過ぎたりすると、この読書が出来なくなる。こうなると文章を書くのは一層困難となる。
2024年7月3日夜10時、山小屋の広間で激しく転倒し、頭、腰、肘等を床にしこたま打った。頭がバウンドした程だった。
6年前の視床部脳出血の後遺症で左半身にマヒが残った。リハビリの名セラピスト達のおかげで順調に恢復を見せたが、途中コロナワクチンの三回の接種の副作用が逆追い打ちをかけた。マヒ側全体の筋肉がひきつり、それに伴う各部関節の痛みが加わって、現在は椅子に腰掛けているにも30分が限界だ。坐骨神経痛のように、お尻から腰にかけて苦しくなり、耐え難くなるからだ。
軽い読書位なら30分ごとに室内をゆっくり歩いて苦しさを緩(ゆる)めることは可能だが、長く続けてきた私のブログ・・・特に清書の段階となると、文に神経が集中するせいか、2~3時間は座ったままになっていることが多い。
気が付いた時には足腰が立たない。はずみをつけて椅子から、やっと立ち上がった時には脚がシビレていて、おまけに床に置いてあった3ヵ月分の薬の入ったダンボールに足がつっかかって、前のめりに転倒したのだった。
これまで数十回は転倒しているだろう。幼い頃からやってきたスキーでの転倒経験が活きているのやら、高校時代にやっていた柔道の受け身が咄嗟に出るものやら、室内での転倒は身体を半回転させながら左マヒ側を下に、頭・腰・肘等を打つのである。今回もそうであった。
3月下旬の本部での転倒から到頭(とうとう)硬膜下血腫(頭蓋骨内出血)が起きた。〝頭の中が固いと骨まで固くなるんですかねえ・・・〟などと医師と冗談を交わしていた矢先であった。
その出血がやっと止まって血液が吸収されつつあったところに、再度の頭の強打である。
一週間後、諏訪中央病院で再検査(CT)を受けた。新しい出血こそ見られなかったが、左側のマヒ症状がさらに強烈になっているところをみると、血腫は見られなくとも、何か脳内に異常が起きているようだ。腰骨と左肘・肩・脇腹・肋骨(ろっこつ)の苦しみは打撲のせいで骨そのものには特に異常はなさそうだが、出血5回を含めて、満身創痍(そうい)状態だ。
病院へは親しくしている近隣の吉井さんが、連れ合いと一緒に車で連れて行ってくれた。色んな人に迷惑のかけ通しだ。
生身の人間はランボーのような訳にはいかない。
コラム387 <政治不信③>
人間崩壊とさえ思わせられる事件が世界各地で起きている。そんな中我が国にも重要課題が山積している。
・食糧自給率をどのように高めていくのか
・環境破壊問題
・水問題
・エネルギー問題
・原発の危険性/長年具体化されないままの廃棄物処理問題
・原発ムラと呼ばれる闇社会では国家予算の巨額の無駄ガネが蠢(うごめ)いている。
・毎年度末の予算消化という名の巨額の予算浪費
・天下り問題だって大きな問題だ。
必要な人材が有効に登用されるのならばまだしも、
慣例化した官僚達の地位を利用した形式天下りは、
国税の浪費、国民の納める税の無駄使いである。
・教育の世界は金に美しいか?
教育というより、年々経済事業の性格を強めていないか?
その他挙げればきりが無い。だが何といっても第一には人間の根幹たる心のあり様を民族としてどのような方向に育んでいこうとしているのか、という問題だ。学歴社会・経済社会一辺倒のようなありさまでいいのか?
秋田県男鹿半島の基部にあった潟湖(せきこ)八郎潟。琵琶湖に次ぐ我が国2番目の広さを誇った良漁場が大規模機械化農業の名の元に国家プロジェクトとしてその8割が埋め立てられた。私が中学か高校生の頃ではなかったかと思う。それが定着安定する間もなく、国は減反政策に転じた。漁民の仕事を奪い、その補償金、埋立工事に巨額の投資をし、入植者を募り、あげくの果ての結末は多くの土地成金を生んだに過ぎなかった。この問題が大きく騒がれなかったのは口封じに有効な程巨額の金が投入されからに違いない。これなど貧困な政策のほんの一例である。このプロジェクトの最初から最後までに注がれた費用の総額は、いくらになったものだろうか。検証と反省がその後の事業に役立っていればいいのだが、その気配さえ無い。
コラム386 <政治不信②>
私の故郷秋田県の県庁所在地秋田市は行く度に感じるが、寂(さび)れる一方である。都市型デパートの進出により地元老舗百貨店は無くなり、いい建物、木造の優れた料亭などもあったが、共に姿を消した。時代の流れと云えばそれまでだが、県や市の夢のある将来像を描けない政治家達にも責任がある。
秋田市民となって60年になる私の姉は言う。
〝知事も市長も悪いことなんにもしないかわりに、いいこともな~んにもしないもの。
あれなば県も町もよくなる訳無いべた〟
蓋(けだ)し名言である。悪いことをしなければよくなるかと云えばそれは違う。よくするには、よいことをしなければならないからである。
今ウラ金問題に端を発した政治資金規制法改正案が騒々しいが、与党、野党で5万だの10万だの、いやいや20万だのと言い合っていて、あれには呆(あき)れる。
政治家も政党も年々小さなことをつつき合い、ちまちまとなっていく。虚偽問題の裏にかくれた巨偽問題が政治家達には見えないのだろうか。大き過ぎて目に余るのだろうか。きっと近過ぎて見えないのだろう。
日本をどんな国にしていきたいのか、どんな民族に育んでいきたいのか、今の政治家達に、釣られて国民にまでも大局の志・夢・希望に対する大志が見失われた。元々そんなものは無かったのか?
コラム384 <平和な朝食>
横長のガラス窓越しに、一面萌黄色の若葉が広がる。その間を小さな白い蝶がヒラヒラと舞っている。長閑(のどか)な光景だ。その姿を眺めながら台所のカウンターで朝食を摂る。
朝食といっても右手しか使えないから毎朝だいたいパン食だ。片手しか使えない不自由さもそれなりに慣れてくるものだとはいうものの、不自由きわまりないことに変わりはない。
今年の八ヶ岳はどちらかといえば空梅雨模様だ。シトシト雨に時々晴れ間がのぞき、飛んでいる蝶も気持がよさそうだ。
今朝は小雨の中、六羽の蝶が飛び交っている。ヤマボウシの白い花が満開だというのに止まって蜜を吸う訳でもなし、時々葉に止まって休憩する位で、ただただヒラヒラと緑と白い花の間を飛んでいるだけだ。気持がいいだろうな・・・と思わせられるのは、何といっても萌黄色の若葉の美しさと、それに冴(さ)えわたる声で森を満たしているミソサザイの囀りだ。蝶達もさぞかし平和な気分だろう。
今春のミソサザイの囀りは殊の外艶やかだ。昨年と同じ鳥ならば、一年間の発声練習の努力が実ったというものか。昨晩はホトトギスが鳴き、朝にはウグイスが鳴く。山のウグイスは街のウグイスよりはるかに歌が上手だ。谷渡りもしばしば聞こえてくる。
みんな懸命に平和だというのに、欲を掻いた人間の世界だけが美しさをを失っていく。
コラム383 <束の間の太陽>
梅雨の日々。束の間、太陽が樹間から差し込んできた。久々に日光浴を、とデッキにキャンバス地の椅子を置き、エサ台にエサを入れてからしばらく日向(ひなた)ぼっこをした。
エサ台に間もなくキジバトがやってきた。少し離れたところからウグイスの声が聞こえてくる。トーンの高いのと低いのの二羽。
ウグイスが鳴く度に私はまねをする。
〝ホ―ッ、ホケキョ‼〟
都会のウグイスと違ってこの辺のウグイスの声はいたってつややかだ。都会のウグイスは暑さや光化学スモッグやらで喉(のど)がいがらっぽくなっているのだろう。
〝ほーっ、ほけきょう!〟
私のまねは都会のウグイスどころではない。鳴く度にまねるが、舌も声帯も多少マヒしているから、どうもうまくまねられない。
〝ホ―ッ、ホケキョ‼〟
〝ほーっ、ほけきょう〟(キレガ悪い)
〝ホ―ッ、ホケキョ‼〟
〝ほーっ、ほけきょう〟(これじゃ法華経の読経じゃないか!)
エサ台の上でしばしついばむのを止めて、こっちをじーっと眺めていたキジバト君の表情は
〝あなた うまくないねぇ〟
と言っているようだった。首をかしげながらの目がそう語っていた。
スミマセン、もっと練習しておきますから・・・。(7月3日記す)