2019年10月28日月曜日


コラム136 <救急病棟 その②>

 ことの前後がはっきりしないが、身体がまるで動かない状態の中で身の置き所のない苦しみを味わった。必死に動こうとしてベッドから二度落ちた。一度は病院側の柵不足。もう一度は動くほうの右手か右足でベッドの柵を力いっぱいに抜いたものだろう。落ちるときは決って重い頭からで、コンクリートの床に頭から落ちるのだから衝撃も強い。廊下を通り過ぎる看護師はいるのだが大きな声で呼んでも誰も気づかず、来てもくれないからしばらく床にそのまま横になっていた程だ。こちらは全く動けないのだから
 こうしてついにベッドに縛り付けられる結果となった。これはやられた経験がないと想像できないだろうが地獄の苦しみだった。二度落ちたらこうするのが病院のルールだというのだが、身体の自由を束縛されることはどんなに苦しいことか、それでなくとも身の置き所のない苦しみを味わっているうえに、さらに縛り付けられて身動きひとつできないということがどれほど苦しいことか、医師も看護師も一度は経験しておくべきだと思った。どうせ動けないんだから縛り付けられたままグーグー寝てりゃいいようなものだがその辺が健康体の人と特に脳をやられた人との違いだろう。幾度頼んでも病院の決まりだからの一点張りであった。万一なにかあったら病院側の責任問題になる、というのも判らぬではないが何か改善の策がありそうなものだし、人権蹂躙にも等しいあの拘束方法は改めるべきだ。
 どういう理由でか判らないが枕の位置・高さをひっきりなしに変えないと耐え難かったし、全身のマッサージをしてほしい思いは深刻かつ切実であった。妻が来てくれた時にはまめに枕を変えてくれたし、マッサージへの切実な願いは住まい塾事務局のKさんが時間を見計らってはしばしば病院を訪ねて、野口体操の心得があるようで専門家はだしのマッサージをしてくれた。
 そんな経験を経た後、ベッドに乗せられたまま救急病棟から一般病棟に移された。入浴もステンレスパイプ製の棚のような上でシャワーを浴びせられ、まるで洗濯物のような気分であった。身動き出来ないのだからこれも致し方ないことであった。



2019年10月21日月曜日


コラム 135 <救急病棟 その①>

 脳出血とは脳に激しい痛みを感じ、バタンと倒れて意識を失うもののように思っていた。だが私の場合は全く違っていた。
 2018年2月11日午後1時から3時までの定例勉強会後ある建主との打合せを終えてスタッフが準備してくれていた遅めの昼食を自室で済ませてお盆を寄せようとしたら、どうも左手に力が入らない……おかしいな、と思っているうちに全く力が入らなくなった。勉強会直後だったしスタッフも多く残っていたから誰かを呼んだものだろう。Y君が二階に登ってきてくれた。〝どうも左手に力が入らないんだよ〟などと言いながら椅子から立ち上がろうとしたら左脚にも力が入らず、床に崩れるようにへたり込んだ。Y君が〝すぐに救急車を呼びますから!〟と言った所まではしっかりと覚えている。その後救急病院に運ばれてMRI他、一段落するまでの間はうる覚えだ。視床出血であると告げられたのもはっきり覚えている。(翌日であったかもしれない)
運ばれた救急病院は東京本部からそう遠くない〈イムス三芳総合病院〉

多くの人に言われたが私は運がよかった。
第一の好運は
マイナス20度にもなる冬の山小屋から帰塾したのが前日の夕刻であったから、これが山小屋で倒れていたら間違いなく凍死していただろう。
第二の好運は
勉強会後多くの人がまだ残っている時間帯であったこと。
第三の好運は
日曜日であったのに運ばれた救急病院のその日の日直医が脳神経外科の先生であったことだ。(余談だが、後に那覇空港で財布を無くして困り果てていた青年にお金を貸したかあげたかしてTVにホットニュースとして流れたことがあったがその先生がこの時の私の担当主治医であった。偶然とはおもしろいものだ。)

その後救急病棟に何日位居たか定かではない(おそらく一、二週間といったところだっただろう)が、そのあと一般病棟に移された。
命も落とさず、こういう好運はまだおまえにはこの世でやることがあるという証だなどと言われるが、この辺の真理のほどは私には判らない。さまざまの条件で生かされたことに間違いはないからそう信じてやれることをせいいいっぱいやるしかない。


2019年10月14日月曜日


コラム 134  人間は進化しているのだろうか? > 

脳科学は急速な進歩を遂げている。
人間の脳は進化し続けているともいう。
しかし「人間そのもの」は果たして進化しているのであろうか。
そもそも人間が進化するとはいかなることであろうか?
人間であることの本質は心にあるとすれば、
・優しさや思いやりをさらに深めていけているだろうか
・人間であるための志をさらに高貴なものとしていけているのだろうか
・心をしなやかで美しいものとしていけているであろうか

最近の人間の状況、社会の事象を見ていて、
〝人間が人間であることからしだいに遠のいていっている〟と感じるのは私だけではあるまいと思う。
最近の疑問と、人間社会はどうなっていくのかという将来に対する大きな不安である。

神が遣わした地球人の時代は終わり、異星人の地球となるのだろうか。奮起しようではないか、旧地球人よ、地球と人間を守るために・・・・・
どこかの映画のような話になったな・・・・・。



2019年10月7日月曜日


コラム 133  名言・名句辞典 > 

退院したら古今東西の偉人・賢人達が、例えば「人生」についてあるいは「死」について、あるいは「病」や「老い」についてどのような言葉を書き遺してきたものかを『名言・名句辞典』などを通じて読み通してみたいものだとベッドの上で思っていた。たった一人の、たった一つの病のためにこれ程多くの人々に迷惑と世話をかけていていいものかと思われて、そんなせつない気持ちがそんなことを思わせたのである。退院後最初に手にしたのが『名言名句の辞典』(小学館)である。
しかしながら、言葉というものは前後の文脈から抜き出して集められてみても、生命の源たる根から切り離されて萎(しお)れた花のようなものとなって、心打つ言葉に出会うことはなかった。早々に、これは自分の足でさがし求め、一人旅の途中で偶然に出会うしかないものだと知った。膨大な資料の中から、他人の集めたものをかいつまんで、効率よく味わおうなんて根性は所詮虫のいい話だ。そんな安直な理解を自然は許さないということなのだろう。
やはり著者が心を込めて書いたものは一冊一冊心を込めて味わわなければ、胸を打つ真理の言葉には出合わぬものだ。苦労を共にして生きなければ、脳みその一部をちょいと刺激する程度に過ぎず、決して魂の糧にはならぬものだと再認識させられた。

読みたい本は山程ある。この生涯中にどうしても読んでおきたい本もある。それを取り出そうとするが、この脚では地階や中二階の書庫まで登り下りできない。悲しくも哀れなものだ。だがひとつだけできることがある。それはインスピレーションを書き記すことだ。イメージをスケッチすることもできるようになった。右手が動くのが幸いだった。
それでも長時間根をつめることができない。できるが、そのあとぐったりする。複雑な回路の神経が疲れるのだろう。皆に教えられたように焦らず、へこたれずに行こうと思う。