コラム293 <本好きについて>
読みたい本は山程ある。
しかし読める本には限りがある。
読みたい本を心の趣(おもむ)くままに買い求めていると、あふれんばかりの量になる。
それが今の私の結果である。
だが、身体が不自由となっては、半地下の書庫にも、中二階のロフトにも取りに行けない。
よく、読めるだけ買えばいいじゃないか、と言う人がいるがそんな理性的な考えどうりにはいかない。特にエネルギ―がある時には、古美術・骨董などに魅かれていくのに似て、そんな整然とした合理的理性などどこかにけし飛んで、情熱の方がはるかに勝(まさ)ってしまうのである。
書物は量読めばいいというものでは決してない。それよりも価値ある本を、間を置いて幾度も読み返してみる方がどれ程身に沁みて益になるかしれない。
そうは判っているが、私の書斎は本であふれ返った。〝どうにも止まらない~♪〟という歌が流行したことがあったが、あれである。「向学心」と云えば聞こえはいいが、それよりも「向読心」の為せることと思って諦めるしかない。単なる本好きじゃないか、と言われても致し方ない。本好きとはそういうものである。
読み切れない本を前に、それを眺めながら出版界に多少の貢献が出来たか、と自らを慰めている。
しかしそんな中から、今読みたい本を探して集中的に読む、というのも買ってすぐ読むのとは違ってちょっといい気分のものだ。本が書棚で熟成する訳はないが、こちらの人間が多少熟成して、年月を経たブランデーを飲む気分になるからである。