コラム 34 <定期健診>
今年も町から「定期健診」の知らせが届いた。恵まれた世の中になったものだ。
だが、私はこの健診をこれまで一度も受けたことがない。その必要を感じないからである。そんなことを言っているから突然大病を患って他人に迷惑をかけることになるんだ・・・・・などと脅す人もいるが、それでも私はめげない。いずれ死ぬことは判っているし、それに定期健診を受けたところで、その分他人への迷惑を減ずる保証などどこにも無い。それでなくてもこれまでどれ程他人に迷惑をかけて生きてきたか位の多少の自覚は私にはある。人の御蔭を蒙ってきたと言い換えてもいい。
もっと大きな自然界から見れば、人間の存在そのものが傍迷惑だってこともある。公害、原発、自然破壊――自ら破滅に追い込みながら生物多様性の問題などを討議している。人間とは勝手なものだ。まるで一部の人はゴミを捨て、一部の人はゴミを拾っているようなものではないか。
定期健診をうっかり定期点検と書くところだった。
ほとんどの人が長生きしたいと思うのだろう、この定期健診も人間ドッグも、思えば肉体のことばかりである。肉体の健康はたしかに大事には違いないが、今日最も重要かつ重大事なのは心の健康の方である。こう考えれば、定期健診で診てくれるお医者さんも同様の問題をかかえていることになる。
信仰を持つ者が少なくなったから大騒ぎにはならないが、死後も永遠に残り、生き続けるのは魂ばかりであることを思えば、心の不健康は重大事なのである。〝私は信ずる〟とか〝信じない〟とか言っても宇宙の原則・真理はひとつであるから、死後の世界が無いならいいがあったらどうするのか?
「心」とは「魂」を動かす中心部分を指すというが、定義はともかくも人間であることから次第次第に離れていく印象を受ける現代人は、肉体の健康以上に心の健康というものにも関心を向ける必要があるのではないか。
有限である肉体の健診と、無限であるかもしれない心の健診と・・・・・。この行き過ぎた物質社会の中でいかに成功をおさめても、地獄行きの人の何と多いことかを思えばなおさらである。