コラム145<一番のなぐさめ ②>
前コラムにも書いたジルボルト・テイラーは同著にこんなことも書いている。
〝病院の一番の責務は患者のエネルギーを吸い取らないことだとこの朝、教えられました。
この若い女性(病歴を調べるために朝早く、突然ばたばたと入ってきた医学生)は、まるでエネルギーの吸血鬼です。〟
〝その人の身になって情を通わすことが、いかにむずかしく、また安心につながるかも学びました。〟
ここまで読んで、私を担当してくれた2つの病院の二人の療法士のことを想い出しました。そして良い療法士とは本人にやる気を起こさせる療法士のことだと思いました。
前の病院で、ある日、迎えに来るまでの少しの間、車椅子から立ち上がって足に装具をつけ、杖をついて部屋の中を歩いていたら
〝誰が一人で歩いていいって言いましたか !! 〟
とけんまくに近い言い方で怒られました。こちらはリハビリ前のウォーミングアップのようなつもりでしたが療法士さんにとっては万一転倒でもして、けがでもしたらどうするのですか!といった心境だったに違いなかったのですが、言い方を少しかえていたらその後はだいぶ違った関係になっていただろうと思います。
最後の病院の療法士さんは少しの危険は省みず、チャレンジ精神旺盛で、かつ ほめ上手でした。
〝いいね、いいね。でもくれぐれも注意深くね……〟
階段の登り降り練習でも最初は右・左とイチ・ニ、イチ・ニ、と一段ずつ確実に上っている最中に、こちらが面倒になって、右・左・右・左とイチ・ニ・サン・シーと片足一段ずつ登り始めたら
〝おぉ スゴイ、スゴイ!いいねぇ!〟
こんな風にして一階から四階まで登ったことがありました。
勿論パーフェクトにはできませんでしたが、こんな具合に言われると、こちらもチャレンジ精神が湧くというか、元気をもらうのです。
〝こっちが勝手なことをするのですから転んでケガなどしても
絶対、病院の責任になどしませんから……〟 〝転ぶのも経験のうち!〟と宣言しておきました。
安全を第一に考え過ぎる病院と、すこしチャレンジしていかないと、と考える療法士の在り方のバランスにはむずかしい面がありますが、私はチャレンジをして多少のケガをしたらこちらの責任とはっきり言ってやらせてもらいました。脇で見ていてそれはまだ無理ということはさせてくれませんし、こちらもする気がしないものです。いい療法士さんはちゃんと人を見ているのです。
私の何よりも幸福だったことは心優しき人々に恵まれていたことでした。病に伏した時に特にこのことを感じるのであって、日常健康状態では悲しいかな、このことを我々は感じにくくなるのです。実はこれ以上貴いものはないというのに……。
みんな、みんな、ありがとう!!
病によって新しい人々とのつながりも増えました。
ジルボルト・テイラーの文中のことばを最後に添えてしばらく続けた病牀日誌を終わりにします。
〝優しい思いやりこそ、お金で買えないものの筆頭でしょう〝