コラム162 <人の心に4つあり : 再び ―― 心根のやさしさ>
随分前のことになるから正確には覚えていないが、どこか地方の野街道の脇の斜面に、雑草にうずくまるようにひっそり置かれた石仏か石碑に刻まれていた言葉である。相当古いものらしく、石も朽ちかけていた。そこにはやっと読める字で、こう刻まれていた。
〝人の心に4つあり〟そのあとには〝裏と表と陰と底〟と続いていた。
人の心の辛酸をなめた人が刻んだものに違いないと思われて、この言葉は私の心に鮮明に刻まれた。
〝人の心に4つあり 裏と表と陰と底〟
2018年2月11日(日)の住まい塾東京本部での定例勉強会後に私は脳出血で倒れた。以来、一年余りの長期リハビリ生活を余儀なくされた。退院後の快復も捗々しくなく、今冬も二カ月余りの再入院をはさんでリハビリに励んでいる。
2018年2月11日(日)の住まい塾東京本部での定例勉強会後に私は脳出血で倒れた。以来、一年余りの長期リハビリ生活を余儀なくされた。退院後の快復も捗々しくなく、今冬も二カ月余りの再入院をはさんでリハビリに励んでいる。
身体の自由を失えば、人の心がよく見える。最初に想い出されたのが、上記の言葉である。その他、考えさせられたことが山程あるが、左半身のシビレが強く、今はそれを整理する気力も脳力もない。
あの世に持っていけるものは心しかないと言われる。地位・名誉・財産・権力などという重た過ぎるものは持って行きたい人もあろうが、持ってはいけない。
心の底とは平たくいえば、心根というものであろうと思う。4つの心のうち、持っていけるものは、究極、この心の底―― 心根だけではないかと思われてきた。
どんなに虚飾に満ちたことばよりも、どんなに美味なみやげよりも、優しい心、優しい気遣い、即ち、優しい心根というものが何よりも心のなぐさめになるということを感じ続けた。それが表情に、言葉に、眼差しに、ほほえみに表れる。何と静かななぐさめであったろうか。
どんなに虚飾に満ちたことばよりも、どんなに美味なみやげよりも、優しい心、優しい気遣い、即ち、優しい心根というものが何よりも心のなぐさめになるということを感じ続けた。それが表情に、言葉に、眼差しに、ほほえみに表れる。何と静かななぐさめであったろうか。
献身的に尽くしてくれた連れ合いや、二人の姉は勿論のこと、主治医、看護師、介護士、リハビリのセラピスト達、見舞ってくれた多くの心やさしき人々……。そして仕事の仲間達。
人間にとって最高のもの―― それは心根の優しさにあることを感じ続けさせられた二年間であった。これからもこの実感は決して変わることはないだろう。心のやさしい人々に囲まれて生きていることは何と幸いなことであろう。病を通じて心の底を磨き、澄んだものとすることが、人生最大の目標であると神様が教えてくれたのだ。