2015年11月30日月曜日


コラム 13 <礼節―その①>  

 つい先頃までは、人に物を送るに一文を添えるのが当り前だった。手紙を出すにも、心ならずも慌しく書いた時には〝用件のみにて失礼します〟などと言葉を添えたものだった。だが、今はそれすらない。用件のみが当り前となったからだ。手紙も添え状も文面から余韻余情が消えた。ことばはいのちであったと言われる如くに、ことばと共に人も余情残心を失うに拍車がかかった。 

 礼節とは簡単にいえば、社会の中で人と人との関係が快く保たれるための礼儀・作法だ。
 モノを送る。かつての作法に従えば礼はまずは手紙、次に葉書、致し方なく電話ともなれば〝電話で失礼させて戴きます〟などと言ったものだ。失礼とは最も簡便・簡単な方法による礼であったからだろう。
 今はメールという簡単至極な手段があって一見ありがたいようなものだが、注意しなければならないのは便利な方法が巷にあふれ出すと、途端に思いが簡単になっていくことだ。 

 感心に思う人達がいる。親子間にあってもしっかりと礼を言い合う家族である。親は子に対してありがとう、と言い、子は親にありがとうございましたと然りげなく言う。こうしたことは身近な間柄においてこそ大事なことだと判っていても、なかなか出来ないことだ。最も親しい関係であるからこそ、これが最もむづかしい。もっともむづかしいのはそれが出来ればあとは心配ないからである。 

 身近な関係のひとつ、私の仕事場においても時々危ない現象を見る。礼を忘れないように、礼を欠かないように、と常々心がけてはいるが、以前70代の建主から老婆心ながら、と次のように指摘されたことがある。
 「打合せの後に食事にお誘いする、あるいは何か土産を差し上げる・・・・・その時は勿論ちゃんと礼を言いますよ。でも次にお会いした時には一向に礼を言いませんな。
  〝この前はありがとうございました。〟
  〝先日はごちそうになりました。〟
こういうことは我々にとっては常識だけれども、今は、あの時言ったからもういいだろう・・・・・と考えるんでしょうな。
 住まい塾のスタッフは皆好青年(当時)ばかりだけれども、ひとつこうしたことも訓練して戴けるとうれしいんですが・・・・・」 

 礼節の元には、感謝というものがあるだろう。礼節を失うとは、感謝の心を失うということでもある。感謝の心を失えば人間は知らず知らずのうちに傲慢に向かう。私はあの方の言葉を肝に銘じている。
 差し上げる時には感謝など期待するものではない、というのは差し上げる方の心掛であって、受けた方はちゃんと礼をするというのが心掛でなければならない。相方相俟っての真の礼節であろうと思うからである。

2015年11月23日月曜日


コラム 12 <野鳥のおうち> 
 
 
 
 
  雨の日は
 
  小鳥はおうちで雨宿り?
 
      ( 寒かろう) 雨の夜は 

          どこで小鳥は雨宿り?

 

 

 
 

 
 
 

2015年11月16日月曜日


コラム 11 <〝毎年異常〟という異常>  

 8月初旬までは、こんなに暑い夏は初めてだ、とみんな言っていた。確かに30年近くこの山中に暮らしているが、室温が24度を越えたことはこれまで一度も無かった。それが今年は26度まで上った。 

 だが88日の立秋を過ぎた頃から俄かに涼しくなり、追うように連日の雨、雨、雨、雨・・・・・。さすがのおテントさまも早々に熱を出し過ぎて疲れを起こしたんだよ、などと言っている内に、もうカーディガンを羽織らないではいられない様になった。あちこちでストーブが入り始めた。
 人々は口々に、こんなに寒い8月は初めてだと言い、こんなに雨の続く夏も経験が無いと言い始めた。 

 82日の夜、集まりの最中に、何事が起きたかと思う程の大粒の雹が激しく降った。山小屋周辺は、まるでトロ箱をひっくり返したようになった。あとで聞いたのだが、ここから少し下った標高1400メートルあたりの仲間は、それがピンポン玉大となって車をボコボコにされたと言っていた。 


 それにしても、このしとしと降り続く雨は何なのだろう・・・・・忍び難く悲しんでいることでもあるのかと、空に聞いてみたいものだと思う。
 きっとお天道様も、自然に対して驕り昂ぶる人間と社会を悲しみ、さまざまな形で怒りを発しておられるのだろう。周辺では、バリバリと音を立てて大木が切り倒されてゆく。そのあとの手当てをする者もいない。

 

2015年11月9日月曜日


コラム 10 <天に音楽ってあるのかなぁ>  

 天国に音楽ってあるのかなぁ。いま、いい音楽をかけているけれど、願えば天まで届くのかなぁ・・・・・。
 もし天国に音楽があるとしてもハードロックやヘビーメタルはないだろうな・・・・・・。あっても、きっと静かな音楽に違いない。
 多くの人がなぜバラードに魅かれるかなんて、いくら考えたってわかりゃしないけれど、天で聴いた音楽への郷愁であるかもしれない。 

 こんなことを思ったのも、”一緒に学ぼう“という気持で人間の真理を学んで一段悟ることができたなら、その悟りがあの世でまだ救われていない縁ある霊のもとに届く、ということを聞いたからなんだ。我々が追善供養などと呼んでいるものも、本来はそのような類のことなのかもしれない。あの世には真理の本などというものは無いようだし、だからこの世に生ある者が代わりに学んで、成長しなきゃならないんだ。それが念波にのって届く。
 ところでこれが逆になったら、どういうことになるんだろう。人間の精神は衰退に衰退を重ねることになるんじゃないか。現代の人間崩壊の兆しは、まさにそうしたところから起きているのではないかと思う。人間精神のデフレ・スパイラル・・・・・。 

 標高1600メートルの山中で見上げる星空は、キラッキラッと輝いてとても美しい。夜に私が聴くのはもっぱらジャズだけれど、星にまつわる曲名が多いのに気づく。 

 WHEN YOU WISH UPON A STAR
     ケニー ドリュー トリオ
     ウィントン マルサリス
 STELLA BY STARLIGHT
     ハンプトン ホーズ トリオ
     キース ジャレット
STARDUST
     クリフォード ブラウン
     ブランフォード マルサリス
STAIRWAY TO THE STARS
     バーニー ケッセル
     ニューヨーク トリオ
等々 

元はどんな曲であったのか詳しくは知らないけれど、人はなぜか星空の美しさに魅せられ、星に想いを馳せる。我々の心の故郷と関係しているのだろうか。この理由もまた謎のままだ。 

2015年11月2日月曜日


コラム 9 <おメェたち、歩いてケエレ!>  

 八ヶ岳山麓の原村に、とある寿司屋さんがある。地元書店の店長さんに薦められて行き始めたのである。
 創業して36年というが、山中のことだ、さぞかし苦労も多かっただろうと思う。大将はもう70才に近い。だから二代目の客も多いのだろう。 

 ある時、30代と思われる二人連れの客が酒を呑んで、帰る段になった。二人とも村役場の職員のようであった。
“タクシー呼んでくれや・・・・・”
と、途端に大将は小気味いい調子で、
“タクシー?!
おメェら、オヤジ達がどんなに苦労してここまできたか、知ってんのか
役所づとめして、苦労も知らねえで・・・・・
タクシーなんか呼ぶこたァねえ、歩いてケエレ!”
八ヶ岳山麓には高原野菜をつくっている人達が多い。開墾当時の話も聞くが並大抵のことではなかったようだ。そんなこともあってのことだろう。
だが、このせがれ達は車で来たから代行がいるのだといってきかない。
それでも大将は引き下がらない。
“車置いて、歩いて帰りゃあいいじゃねえか、
あしたの朝、また歩いてくりゃあ済む・・・・・
 甘ったれたことばっかり言ってんじゃ、ね・え・の・!“ 

以来、私はこの大将のファンになった。がんこでぶっきらぼうだが、気骨がある。それが顔に表れている。今は少なくなったが、こういう人がいる街は健全だ。