2016年3月28日月曜日


コラム 30 <季節の巡り>
  

      ミソサザイ 春のさえずり
             いつもとかわらず
      鳩 むつまじき
             いつもとかわらず

   
      春の瀬音
           いつもとかわらず
      西の空
           いつもとかわらず
 

2016年3月21日月曜日


コラム 29 <山と運動不足>  

 山中ではうっかりすると運動不足になる。というと意外に思われるかもしれないが、屋久島の人が東京に来て〝東京は足が疲れる〟というのと同じである。裾野の店まで10キロ以上あるから買い物は致し方ないが、どこに行くにも車だ。郵便を出しに行くにも車、近くの家を訪ねるにも車・・・・・歩いて10分か15分の距離なのに、である。 

 急な登り坂を数十メートル歩いただけで息が切れる。私は心掛けを改めた。さっぱり歩きもせず、掃除とてめったにやらずに、運動不足だからと室内でストレッチをやったりしている愚かな生活を・・・・・。
 そう言われれば、我々が小さい頃、親が室内でストレッチや筋トレなどやっている姿はあまり見たことが無い。ほとんどの家がそうだったのではないか。歩きもしたし、掃除もよくした、させられた。薪割り、餅つき、トンカチやノコギリを持っての大工仕事、冬には雪囲い、道つけ、雪下ろし・・・・・こどもの遊びにも体を使うものが多かった。木登りに川での潜りや水泳ぎ、長~い棒を使っての川飛びや、ア~ア~ア~ッのターザンごっこ、冬にはスキー、スケート・・・・・学校では廊下で相撲を取って先生に叱られ、田圃で草野球をしてはお百姓さんに叱られて・・・・・。どの家の小僧もだいたいこんなものだった。
それ程体を使い、体を動かして日々生活していたのである。親に釣られて子も自然と体を動かしたのである。ケータイゲームも、車もなかったし・・・・・。 

 いつもなら車でさっと出かけるところを、今日は郵便を出しに山道を歩いた。往復40
―――山の空気を存分に吸って、実に爽快な気分だ。

2016年3月14日月曜日


コラム 28 <私が今、ここに存在するには・・・・・>  

 最近、ある雑誌で「日本人の使う箸で一番位の高いのは、杉で作った両細八寸」であると知った。『図書』2015.1月号 岩波書店:対談 村田吉弘(日本料理)/巽好幸(地球科学)
 その中で村田さんは次のように語っている。
 〝両細ですから両方使えるから便利やな、というのと違ごうて片方は自分のための箸、片方は自分がここにいるために過去に存在した何万人のご先祖のための箸です。ご先祖と一緒に自分の命を養う・・・・・〟
日本人の多くがこうした心掛で生きていたなら、少しは両親やじいさん、ばあさんのことをもっと大切にしようと思うであろうし、工務店の若社長が現役を引退した先代にもう用はないとばかりに横柄な口をきいているような光景に出会うこともないであろうに、と思われる。 


自分が今ここにいるためには、過去幾人の先祖が必要となるのだろう。私が存在するためには少なくとも二人の親が必要だ。その親にもそれぞれ二人の親が要る。仮に一世代30年として計算を繰り返していくとどのようなことになるか。ざっとのことだから、現在を西暦2000年とすると以下のようになる。
            <西暦>      <必要とされる先祖の人数:累計>
  ※1 19代前 570年前 1430年(室町中期)      1,048,574
      20代前 600年前 1400年(室町前期)       2,097,150
  ※2 25代前 750年前 1250年(鎌倉中期)   134,217,726
        30代前 900年前 1100年(平安後期) 2,147,483,634
  ※3 31代前 930年前 1070年(平安後期) 4,294,967,268
                      (参考『てくてく』2015.1 28Roots
 私は秋田県に生まれた。驚いたことに、19代前(※1)ですでに秋田県の現全人口123万人に近い先祖が必要となる計算だ。さらに25代前(※2)まで遡ると日本の全人口12千万人を上回り、さらに31代前(※3)ともなると現地球全人口50億人にほぼ近づくことになる。
 ※1の室町中期というと、我々のよく知る人の名を挙げると一休さん(13941481)が生きていた時代である。
 ※2の鎌倉中期は『新古今和歌集』成立が1205年とされているからその少し後、私の知っている句を当ててみると
 藤原家隆(11581237)が
   〝花のみを待つらん人に山里の
        雪間の草の春をみせばや〟
と詠み
藤原定家(11621241)が
   〝みわたせば花も紅葉もなかりけり
         浦の苫屋の秋の夕暮れ〟
と詠んでいた頃のことである。
 この頃まで遡れば私の先祖は現在の日本の全人口を超えてしまうのである。
 また、平安後期の1100年頃というのは西行(11181190)が生きていた時代であり、
〝心なき身にもあはれは知られけり
鴫立つ沢の秋の夕暮れ〟
の歌が生まれ出た頃である。さらに『源氏物語』の起筆が10015年の間とされているからその頃まで遡れば私一人が存在するために、現地球人口50億人をはるかに超える先祖が必要とされることになる。何とも想像を絶する話ではないか。

 人間の生命が幾世代遡れるものか私には判らない。唯物思想が主流を占める現代では、自分の命は自分が死ねば消滅すると考える人も多い。それだから自分の命を自分がどうしようと勝手だと考える人もいる。「永遠の命」などという言葉は宗教上のつくり話だと考えている人も多い。しかし果たしてそうだろうか?
 脈々と続いてきたこの生命の連鎖と生命そのものに関する普遍の真理を、軽はずみにも浅はかな人智によって断定することは避けなければならないと思う。生命の脈動というものは我々人間の想像をはるかに超えた世界のものなのだから・・・・・。

2016年3月7日月曜日


コラム 27 <滑落事故その②> ――「汗」と「居眠り」――  

 いつも眠い。仕事柄スケッチ中に眠くなることはさすがに少ないが、本を読んだり音楽を聴いたりしていると、すぐに居眠りが始まる。常日頃の寝不足が祟ってのことかと思うが、若い時分からこのようであったから、あるいは別に原因があるのかもしれない。 

 このところ春先のような天気が続き、凍結道路の表面がだいぶ融けたこともあって山道の氷割を思いついた。これは雪国に生まれ育った人間の春先の知恵である。タイヤがグリップできるようにツルハシで巾にして50センチ、ほぼ5メートルおきに計5ヶ所、帯状に土を出した。これで万一滑っても滑落するまでには至らないだろう。この作業に約2時間。土工のような仕事だから、ひとしきり汗をかいた。 

 
 このあと、不思議な経験が待っていた。体を使い、エネルギーを費やしているのだから余計眠くなってよさそうなものだが、小屋に帰ってシャワーを浴びて後は不思議にも冴え冴えとして、読書しても、音楽を聴いても一向に眠気が襲って来ないのだった。この時居眠りはきっと心と体のバランスが崩れているところに生じる現象なのではないか、と思った。適度に体を使って汗をかく――その方がかえって身体が生き生きしてくるというのに、そういう場が生活の中にいかに少なくなっているかにも気づかされたのである。 

 あの「滑落事故」と「居眠り」との間には何等関係が無いように思われる。しかし経験は不思議な縁を結ぶものだ。これまで土の偉大さ、有難さをこれ程感じさせられたことも無かった。何せ土は滑らないのだから・・・・・これらの気づきはすべて、滑落事故のおかげであった。