2024年9月30日月曜日

 コラム393 <山梨県北杜市の太陽光発電にもの申す Ⅱ > 


 土台我々の現在の文明生活を改めることなくこのまま続けて地球環境改善を実現することは無理だということだ。やれることはやった方がいいに決まっているが、いかな技術革新を進めても、いかに電気自動車を大量生産し、現在の主流・ガソリン車を転換したとしても同じ問題がつきまとう。蓄電池には、多くのレアメタルが必要だ。産出国も限られている。我々の見えないその陰では、レアメタルの奪い合いによって広大な環境が破壊されているだろう。原子力発電は巨大な発電力を誇るし、CO2の排出も少ないなどと言う人達がいるが、ウラン採掘のためにどれだけの人間が犠牲になっているか、また自然環境の破壊、チェルノブイリや福島原発で経験したように巨大な危険が常についてまわることに違いはない。


 世界のあちこちには巨大な砂漠が存在する。その多くは元々砂漠だった訳ではなく、緑を失って保水力を失い砂漠化していったのだという。この事実を我々は身に迫った問題として真剣に知るべきなのだ。


 地球の保有する地下水も年々その総量を減らしているという。経済のあり方、産業のあり方、我々の生活のあり方を大きく方向転換しなければ、いかにジタバタしても地球は破滅、滅亡に向かう流れをくい止めることはできないことは目に見えている。


 地球上の食糧生産量も人類の食糧必要量をはるかに下回って、人類の食糧自給が困難を迎える日がやがて来ると叫ばれている。既に地球上のさまざまな事象がそれを示しているのに、文明国はそれを気にもとめずに、のうのうと今までの生活を改めようともしない。未だ(いまだ)にどこか遠いところの他人事だ。

 破滅は徐々にやって来るのではなく、急激に、突然やってくるものだということを我々は知りたくはないだろうが、長い歴史が物語っているのだから知らなければならない。知らざるを得ない時を必ずや迎えることになるのだから・・・。


 私の住む茅野市の八ヶ岳西麓玉川、泉野地区でも森の大量伐採、太陽光発電の計画が進められている。さすがに住民達の反対にあって、道路の片側エリアだけは太陽光パネルがすでに設置済みだが、もう片側のエリアは大量の樹木が伐採されたまま放置状態になっている。今や暑い時期には別天地とも呼ばれる地帯においてすら無自覚にも北杜市と同じ過ちを重ねようとしている。(2024年8月初旬に記す。写真は後日撮影予定。


2024年9月23日月曜日

 コラム392 <敬老の日> 


   敬老日 親はパートで子は休み、

   

   これも世相の反映か

        

          (2024.9.16 敬老の日に記す)





2024年9月16日月曜日

コラム391 <山梨県北杜市の太陽光発電に物申す Ⅰ > 


 山梨県北杜(ほくと)市は清里・小渕沢を含む八ヶ岳東南麓5町3村が合併した比較的新しい市だ。標高が高く、緑豊かな美しいエリアだ。市長は自然エネルギー(と云っても太陽光発電のことだが)推進を政治公約にうたって当選し、正確には知らないが、もう何期目かを迎えている。

 自然エネルギー推進は時流にも適って、その方針に異を唱(とな)えるものではないが、その後の姿を見ていると、あちこちで山林が大規模に伐採され、広大な森林を失わしめて、太陽光パネルによって豊かな自然環境に傷を残し続けている。

 この自然環境破壊のみならず、景観破壊に反対する市民も多いと聞くが、自由主義経済の元では民間のプロジェクト申請を退ける術(すべ)を持たないのだろう。やろうと思えば条例などで規制するなどいくらでも可能なのだが、何せ市の方針が推進ときているのだから規制などする訳が無い。

 自然エネルギーと云えば聞こえはいいが、森林を広大に皆伐しての太陽光発電パネルの設置には、私も大いに疑問を持つ。疑問どころではない、SDGs対策を総合的に考えての判断かと、この本末転倒の施策には憤りすら感じる。樹々の果たす役割にはCO2の吸収や酸素の供給ばかりでなく、気温に果たす役割もきわめて大きいからである。

 私の山小屋は標高1600メートル付近にあるから、涼しいのは当然だと皆思っているだろう。しかしそうではない。同じ別荘地内でも樹々を皆伐した区画などに入ると気温が急上昇する。標高1100メートル~1200メートル位に開発された大きなマーケット、さらには1000メートル地帯の街まで下がると、もう都会と変わらぬ猛烈な暑さだ。これは7年程前に、一人で実測して歩いて実証済みだ。その結果はコラム103 (2017年8月21日)に載せてあるが、私の山小屋の室温が窓を閉めた状態で24度の時、街は36~7度にも達していた。考えてみれば都市に限らず街というのは、表現を変えれば元々あった緑を人間達がすっかり無くしてしまった地帯だと言える。

 このような例を待つまでもなく、大規模な森の消失は地域気温の急激な上昇をもたらす。のみならず、太陽光パネルの製造にも、設置工事にも、はたまた寿命が来て廃棄時期が来たらこの処分にも大量のエネルギーを消費するだろう。設置されたあるところでは周辺の人々はもう住めないとまで言っていた。北杜市の最大の魅力、宝は何であるのかを市長をはじめもっと総合的に見つめ直してもらいたいものだ。(2024年8月初旬に記す)




2024年9月9日月曜日

 コラム390 <若い時分からの私の人生目標②> 


 これも私の学生の頃か白井研究所に入りたての頃に思ったことだ。その頃は吉野屋の牛丼が大はやりで、よく食べた。その思ったことというのも妙なことだ。


 〝将来えらくなって吉野屋に入るのに抵抗を感じるようになったら、私の人生は終わりだ!〟


というものだった。新橋駅前の吉野屋に入った時に思ったことだった。だからという訳ではないが、今でも時々食べる。当時のことが想い出されて懐かしくなる、というよりも単純にうまいからだ。住まい塾を始めた頃、縁のあった高級料亭で、高級ブランド牛のスライス肉がのせられた牛丼ランチ(当時の値段で一杯1800円か2000円だったと記憶している)をご馳走になったことがあったが、やっぱり牛丼は、クズ肉のようなもので作られたものの方がうまい。今でもそう思う。


 人生目標という程の大げさなことではないが、若い時には若い時なりにおもしろいことを本気で思うものだ。そこに自分らしい大事な種が隠されているかもしれない。



 




2024年9月2日月曜日

 コラム389 <若い時分からの私の人生目標①> 

 

 若い時分には妙なことを思うものだ。私の人間としての人生目標は


  〝天皇陛下から浮浪者まで差別なく相手にできる人間になること〟


 色んな人に平等に接することのできるようになること位の意味合いだったのだろうが、こんなことを思ったのは大学卒業直後の頃か、あるいはもう少し若い時分のことであったかもしれない。何かきっかけがあったのだろうが、少なくとも考えたのではない。自然にそう思われたのである。この思いは今も大きく変わらない。

 なぜ天皇陛下なのかは、単にえらい人といったニュアンスに過ぎなかっただろうが、白井晟一研究所時代の早朝配達の仕事や自転車でのデパートの御中元・御歳暮配達、夜中の洗車場や土工、それにキリスト教会でさまざまな立場の人々と出会ったことが大きかったに違いない。


 住まい塾の活動を準備していた頃にはすでに山谷の住人二人との交流が始まっていた。こちらが望んで始まった訳ではなく、教会に集っていたある人との縁で、困っている人の相談を持ち掛けられたのが機縁で、期せずして交流が始まったのである。私には全く自然なことであった。経験も知識も浅いというのに何せ教会の支部長に任ぜられていたのだから・・・。人々には色んな境涯の人がいることを知ったのもこの頃のことである。


 今振り返ると、この頃の経験によって人間としての肝っ玉を座らせられたといった印象がある。