2021年9月27日月曜日

 コラム236 <こんな人がいたら、その人へ>

  朝、鏡の中に自分の顔をじっと見る。
 〝病面(やまいづら)してるなあ!〟
 〝そんな顔を見て喜ぶ人がいるかい?〟
 自分に問いかける。特に苦しかった朝など、辛い顔をしているの、当然だよな。 

 片手でブリブリと顔を洗い、気合を入れる。部屋に戻り、そのあとストレッチ、スクワット、その他一通りの自主トレメニューをこなし、最後に広間を五廻り歩く。辛い時は三廻り。 

 〝さあ、今日一日の命の始まりだ!〟



2021年9月20日月曜日

 コラム235 <何事も口で言う程、容易(たやす)くない?>

  

 人はしばしば、〝何事も口で言う程容易くはない〟などと言うけれど、果たしてそうだろうか。それは逆に、人間の口(言葉)が年々軽くなっていることの裏返しではないのか?

  重い言葉になればなるほど、言葉を紡ぎ出すのは軽々しい行動よりはるかに難しいことだと思う。学び、鍛えて、そんな言葉を吐ける人間になりたいものだ。

    本が売れない。
  古典も売れない。
  急須も売れない。

 本に親しむ人がそれだけ少なくなった、ということだ。
 古典も茶も、深く味わう人がそれだけ少なくなった、ということだ。
 素晴らしい古典文化、生活文化を持つ日本にありながら実に勿体無いことだ。


2021年9月13日月曜日

 コラム234 <病について>

   治すは人間の意志
   治るは天の意志
   奇跡は、この二つが合わさった時

 身体が自由に動かぬ自分を腑甲斐無いと思うこともあるだろう。
 自分に苛立ち、人に苛立ち、事に苛立って気が萎(な)えることもあるだろう。本当のところ全ての苛立ちは自分への苛立ちなのだ。

 死んだ方がましだと思うことすらあるだろう。

 だが命は自分の意志だけで支えられているのでは決してない。よくよく考えてみれば、天の恵み、人の恵みにどれ程多くを負うているだろう。それを考えれば、自分にできる最大限・最深の形で恩を返しながら生き切らなければ、恩知らずの誹(そし)りを免れ得ないだろう。決意のまま、自分らしく生き切れればいいのだが……。



2021年9月6日月曜日

 コラム233 <偉い人になることと、りっぱな人になることと>

  慢(おご)らず、誇(ほこ)らず、偉(えら)ぶらず
 ありのままに素直に生きよう

真理は足元にあり

 即ち、幸・不幸の基は足元にあり
頭のいい人は注意せよ、それより人間の出来に留意せよ
仕事ができると思い始めた人は注意せよ、自信と慢りは違うからである
えらい人こそ注意せよ 

 私は若い時分に師匠の奥様から諭された。 

〝偉くなることと、りっぱな人になることと
 若い時は同じこととよく感違いするものよ。
 だけどこの二つは違うことなの。偉くならなくてもいいから、
 りっぱな人におなんなさいよ〟

 私はあの言葉を生涯忘れない。
   〝人間偉くなったら、かえってりっぱな人間になれないものなのよ〟…とも。