2023年2月27日月曜日

 コラム310 <漢字に遊ぶ その⑤:察する、擦る>

 身体の痛さや辛さ、心や思いなどを「察」する、と云います。それに手を添えると、「擦(さす)」るという字になります。そっと擦る ── これが強い指圧やマッサージより、意外に効果があるのです。思いがこもっているからでしょうか。


 小さい時に怪我だの捻挫(ねんざ)だのした時に母がよく〝イタイトコ、イタイトコ、飛んでけ~〟と脚を擦ってくれたのを想い出します。姉達も同じようにしてもらったらしく、先日その想い出話をしたところです。

 ほんものの母親の愛情と云うのは他の何にも代えがたいものがあります。完全な形で無償の愛ですから・・・。


 住まい塾の活動以前から最も長く付き合ってきた名棟梁・高橋勉さんを、ガンで亡くなる数日前だったか、前日だったか病室に見舞い、骨と皮だけになった足を擦ってやったら、〝気持ちいい・・・〟とにっこり笑ってくれました。何もしてやれなかった私の、せめてものなぐさめとなりました。勉さんも天で〝あれは気持ちよかったよ〟と言ってくれているような気がしています。 



2023年2月20日月曜日

 コラム309 <ありがとう・・・> 


 尿が出て・・・ありがとう。

 便が出て・・・ありがとう。

 順調に作動する便器に向かってさえ・・・ありがとう。

 不自由な左腕よ、辛いのによくがんばってくれて、ありがとう。

 不自由な左脚よ、辛いのによく耐えてくれて、ありがとう。


 動く右腕よ、よく支えてくれて、ありがとう。

 動く右脚よ、よく支えてくれて、ありがとう。

 脳も臓器も、みんな支えてくれて、ありがとう。

 私のこの命あるのはみんなのおかげだ。


 気がつけば、感謝の対象には、限りがない。

 気がつけば、命を支えてくれている対象には、限りがない。


 だから感謝こそすれ、

 イライラするのはよそう。

 辛い、苦しいと言うのもよそう。

 み~んながんばってくれているのだから・・・。


 みんな、ありがとう。



2023年2月13日月曜日

 コラム308 <漢字に遊ぶ その④:感謝の意味するところ> 

 諦めもせず  期待もせず  期待もせず、と云うのは正しくないな。  無心で、と云った方がぴったり来る。  毎日坦々とリハビリトレーニングに励む。 

 この5年間、実に多くの人の世話になった。見舞ってくれた人、励ましてくれた人達を含めると、数えきれないほどだ。どれほど感謝してもし切れない。

 感謝の意味はありがたく感じる、思うということだが、人の顔を思い浮かべている内に、興味深く思われてきたのは感謝という言葉に謝(あやま)る、という字が入っていることだ。〝ごめんなさい・・・〟という気持が含まれていることにはじめて気がついた。

 「謝」という字について『漢語林』にはやはり

  • 礼を述べる

  • あやまる、わびる  の二重の意が書かれている。

 因(ちな)みに「謝意」とは

  ①お礼の心

  ②おわびする心

とある。事実、感謝の気持にはさまざまな意味で、おわびする心が含まれている。振り返ってみると、そのことがよく判る。




  


2023年2月6日月曜日

 コラム307 <仕事とは、人間と人間の関係を創る媒体である>

 いつの頃からか、私は自分の仕事というものを〝人間と人間の関係を創る媒体である〟と、そんな風に考えるようになった。これはどこかで読んだり、学んだりして、その影響を受けて得た考えではない。おそらく、どこかで胸に湧いてきた私の思いである。

 

 当然のことながら、人間は一人では生きてゆけない。しかし経済活動中心の現代では、人間が仕事をつくる媒体であって、人間はそれ以上でも以下でもないところまで、貶(おとし)められている。

 だから人間関係とは云っても、大方仕事上の利害関係でしか成立しない。それで十分だ、という人もいるかもしれないが、私が思うに、それだけでは人間として実につまらぬことではないか。仕事が機縁になることはあっても、以後仕事を離れても、もっと自由で拡がりのある人間関係を創っていくのでなければ、人生は深まりを見せないだろう。


人間関係の深まりこそが、人生を味わい深いものにしていくのではないか。互いに自分の人生を深めるために他者が要る。他者の人生を深めるために自分が要る・・・そのためにもよき人間関係に恵まれることは殊の外、大切なことに思われる。これには書物などを通じての古(いにしえ)の人との交流も含まれる。

 自分の仕事が、こんな人間関係を創る媒体になれればと思う。そのためにも、私は学び続ける。命の見守り役が迎えに来るまで、自分の心を、自分という人間を、育(はぐく)み続ける。