コラム243 <病人(やまいびと)の孤独>
〝我々は判ったような顔をしているけれども、本当のところ患者の痛みや苦しみは判らないんですよ〟と。
こう言える医師はまっとうな人間だ。仮に判り得たとしても病人と苦しみを分かち合う、共に背負おうと思う感情は人の心として人間らしく、気高いものだが、現実にこんなことを実践していたら、医師は長く務まらないものと思う。癌(がん)になってみなきゃ、癌患者の苦しみはわからない、なんて言われたって癌も多様だし、一人一人皆違うのだから、とてもそんな訳にいかないのが道理というものである。
このことは肉体の痛苦に対してばかりでなく、心の痛苦に対しても同様であろう。
いかなる愛情をもってしても、慈しみをもってしても、他人の心の痛みを真に理解することはできないものだ。せめてそのことだけでも生きている内に知り得て幸いであった。それを補い得るのは、静かに寄り添い得る愛情であり、慈しみの心である、ということも……。
理解し得ない中にあって、人間として最も気高いのは、他人のために祈り得ることである。
この言葉を胸に響かせながら、死ぬまで生きよう。
( 2021.10.27 記す )