コラム245 <愛の安定>
愛についてこれまで古今東西さまざまな人が思索してきた。愛には最も身近な男女間の愛や、親子の愛・家族の愛にはじまり、友人愛・知人の愛、それに「痴人の愛」というのまであったな、又これらの愛よりもはるかに大きなスケールの人類愛まであって、これに自然に対する愛や動物に対する愛などを含めると果てしなく拡がってゆく。
特段深遠な思想というようなものではないが、病になってみて初めてそのことに気付かされたのである。
コラム245 <愛の安定>
愛についてこれまで古今東西さまざまな人が思索してきた。愛には最も身近な男女間の愛や、親子の愛・家族の愛にはじまり、友人愛・知人の愛、それに「痴人の愛」というのまであったな、又これらの愛よりもはるかに大きなスケールの人類愛まであって、これに自然に対する愛や動物に対する愛などを含めると果てしなく拡がってゆく。
コラム243 <病人(やまいびと)の孤独>
〝我々は判ったような顔をしているけれども、本当のところ患者の痛みや苦しみは判らないんですよ〟と。
こう言える医師はまっとうな人間だ。仮に判り得たとしても病人と苦しみを分かち合う、共に背負おうと思う感情は人の心として人間らしく、気高いものだが、現実にこんなことを実践していたら、医師は長く務まらないものと思う。癌(がん)になってみなきゃ、癌患者の苦しみはわからない、なんて言われたって癌も多様だし、一人一人皆違うのだから、とてもそんな訳にいかないのが道理というものである。
このことは肉体の痛苦に対してばかりでなく、心の痛苦に対しても同様であろう。
いかなる愛情をもってしても、慈しみをもってしても、他人の心の痛みを真に理解することはできないものだ。せめてそのことだけでも生きている内に知り得て幸いであった。それを補い得るのは、静かに寄り添い得る愛情であり、慈しみの心である、ということも……。
理解し得ない中にあって、人間として最も気高いのは、他人のために祈り得ることである。
この言葉を胸に響かせながら、死ぬまで生きよう。
( 2021.10.27 記す )
コラム242 <野鳥にまで励まされ……>
十月末、八ヶ岳山中、特に標高1600メートルに位置する私の山小屋周辺は、もう冬だ。同じ別荘地内から来て夕食づくりをしてくれているヘルパーさんが言っていた。今朝はマイナス5度だった、と。
しかしそれもせいぜい10分か15分だ。寒くて身体がさらに強張(こわば)ってくるからだ。健康な時にはこんなことはなかったのに……と思いながら、足元から先1メートル程のところに置いた野鳥のエサ台と、鉢の受皿を代用したプラスチック製の水皿を見る。
エサはすっかり無くなり、水皿のまわりに水が飛び散り、野鳥達が水浴びをしたあとが見える。こんな寒い中でも野鳥達はちゃんと水浴びをするんだ……えらいものだ。
二度のコロナウィルスワクチン接種以来、マヒ側の筋肉が一段と硬直して危ない。それに先週の鍼(はり)治療以来この硬直がさらに度を増して、歩くのも辛くなった。加えて寒さが身体を強張らせる。
入浴を一日一日と日延べしていたが、野鳥達に励まされて入浴を決意。やっとの思いで湯船に浸かり、身体を洗って上がった。筋骨隆々だった身体が、鏡に写った姿はまるで釈迦の断食像を想起させる程あばら骨が浮き出てガリガリだった。80キロあった身体が60キロになり、一時65キロ近くまで戻ったが、今は明らかに60キロ以下だろう。
それ程極端に食欲がない訳でもないのに、なぜこんなに痩(や)せてしまったのか。癌(がん)に冒されている訳でもない。きっと強烈なシビレから来る痛みと苦しみが、身体のエネルギーを奪い取っているに違いない。中程度の腓(こむら)返りが左マヒ側全体に終日続いている、といえば、いくらか想像がつくだろうか。これが心臓や肺、その他の臓器に負担をかけているのが、自分でも判る。
しかし静かな思いで辛抱するしかない。いつかピークを迎えるだろう。それまで私の臓器よ、持ち堪(こた)えよ!
( 2021.10.31 記す )
コラム241 <学び、習い、反省す >
本当はいつでもそうなのだ。健康体の時はそのことに気づかないだけだ。
その気で見れば、まわりには病に苦しんでいる人が殊の外多い。高齢の人が比較的多いということもあるが、別荘地でも親しくしていた人が毎年1人、2人と欠けてゆく。自然の理(ことわり)とはいえ寂しいことだ。
一人が病に倒れると家族はじめ、周囲の人達も大変だ。私も計り知れない程、周りの人々の世話になっている。恩返ししたい。でもできない。今の私にできることに何があるだろうかと考える。
第1に そうした人々を気が萎(な)えないように元気づけること。
第2に 自分がこれまで読んだ本の中で、今この人のためになるであろうと思われるものを送ること。
第3に こちらも病中にあるが、極力元気な声を短い時間聞かせて語り合い笑い合うこと。
第4には 何よりも自分の徳を高めることだ。
これ位しかない。