2022年12月5日月曜日

 コラム298 <コロナワクチンの副反応についての報告②> 


 先日電話で話した友人は、親は一度も打っていないのに大丈夫で、打った娘が感染したと言って笑っていた。考えてみればこの年になるまでただの一度もインフルエンザワクチンさえ打ったことが無いのに、入院となっていきなりインフルエンザワクチン1回と、新型コロナワクチン3回をたて続けに打ったのだから、私の身体はびっくり仰天(ぎょうてん)したのだろう。だがこの副反応は一向に抜けない。

 

 福島市の医療法人『八子(やご)クリニック』(024-533-1215)ではホームページで〝4回目のコロナワクチン接種には命の危険がありますので絶対に止めてください〟と訴えている。訴えだけでなく、予防接種のデータも添えられている。

 コロナワクチンのオミクロン株への予防効果に関してカナダのデータを紹介している。2022年3/21~4/10までのカナダ全土における感染、入院、死亡に対するコロナワクチンの有効性をグラフで示している。

 これによると

  「今回のワクチンには感染予防、重症化予防、

   死亡予防効果は全くないどころか、

   逆に接種が悪影響を与えていることが

   わかります。」

とある。異なるデータもあるのだろうが、第1回接種直後から苦しみ続けている私は危険であることの訴えに共感する。特に脳卒中の後遺症、神経マヒに苦しんでいる人や筋萎縮症などの人には直感的に厳重な注意が必要だと思う。パーキンソン病の人なども注意が必要なのではないか。ワクチン接種前まではリハビリでかなり回復していたのに、接種後は急激にガク、ガクッ、ガクンといった感じで副作用が出た。筋肉のひきつれとそれに伴う筋肉の硬直(筋肉と関節の痛み、あちこちでこむら返しが終日続いているような痛みを越えた苦しみ)に眠れない夜もしばしばだから、慢性寝不足状態が続いている。体内に何か異変が生じたのだ。




2022年11月28日月曜日

コラム297 <コロナワクチンの副反応についての報告①> 


 私は2018年2月に、視床部という少々厄介な部分で脳出血を起こした。あれからもう5年が過ぎた。

 自主トレを含めリハビリに努めてきたつもりだが、後遺症が左半身マヒばかりでなく強烈なシビレから痛み~苦しみへと発展し、悩まされ続けてきた。このシビレとは数値化出来ないから、自覚症状によって1から5までの5段階で評価され、看護師さんから〝今日はどれ位ですか?〟としばしば尋ねられる。最初の頃は4とか4.5とかとか言っていたが、最近では7とか8と答える日が多くなった。因みに5段階の最高5は耐えられない辛さということなのか、涙を流している絵が添えられている。

 

 西洋医学、漢方、鍼灸、マッサージ、気功、波動と色々取り組んできたが、恢復(かいふく)は捗々(はかばか)しくない。リハビリのおかげでいいところまで回復し、一本杖でだいぶスムーズに歩けるようになったところに、コロナ騒ぎだ。ワクチンは国のすすめに従って、第1回目、第2回目共にファイザー社製のワクチンを接種。結果、左マヒ側の筋肉がひきつれ、硬直して、一段とマヒ状態がひどくなり、1年以上経った現在も一向に引かず、それどころか益々ひきつれがひどくなっていく。その副反応に苦しんでいる中、第3回目(モデルナ社製)を打ったものだから、注射を打って3時間後にはもう歩けなくなった。私には明らかにワクチン接種は禍した。

 1回目、2回目がそのようだったから第3回目は打たないと決めていたのだが、2022年3月初旬に二か月余りの冬期リハビリ入院を終えて退院する時点では埼玉県の緊急事態宣言がまだ解除されていなかったこともあって、埼玉県志木市の仕事場に帰るのであれば3回目のワクチンを打って行った方がいいのではないか、との主治医のすすめもあって、私の決心が揺らぎ、結局3回目を接種したのである。

 これが一段と強烈な副反応を示し、同じく左半身の指先まで含む腕、肩、脚、背中の筋肉が終日ひきつり、硬直して、未だそれに苦しんでいる。そんなことに気を揉(も)まず毎日の自主トレーニングに努め、治療も続けているが、後遺症が進行こそすれ、恢復は捗々しくない。



 最近になって嘘か本当か知らないが、ファイザー社の社長も家族も打っていないとか、アメリカで医師をしている私のハトコも自分は決してしない、と言っているだとか、色々情報が届くようになってきた。しかし遅きに失した感のある我々にはこれといった手立てが無い。打つも打たぬも個人の自由だから自分が打つと決めて打ったのだから致し方ない、と思うしかない。国の方針のせいになどせずに、自分が賢くなるしかないのだ。




2022年11月21日月曜日

 コラム296 <人が生きる、とは何か③> 

 一週間ぶりの〈老健〉退所(出所と言って怒られた)の日に、〝来月も一週間程お世話になる予定・・・と、ここまで言ってから、ふと、こっちの命だって来月まであると決まっている訳でなし、あくまで予定だな・・・と思われて、〝あくまで予定〟を二度繰り返した。

 〝御世話になりました・・・〟と所員達に礼を言い、続いて上記のことを言ったのである。

 彼らは冗談とばかり思ったらしく、〝いやいやいや・・・〟と笑っていたが、言ったこっちの方は、いや待てよ、冗談なんかじゃなくて、命はいつでも予定なんだ、と気付かされて、改めてキリリと礼を言った。


 山中で長い間最も親しく交流していた二人が、其れ其れ昨年の12月と今春の3月にすでに亡くなっていた。急なことであった。一人は葛飾柴又生まれで、松戸リハビリテーション病院に入院中は団子を持って毎月見舞ってくれた。もう一人は日本の歴史に詳しく、彼の話を聞くのが私の楽しみのひとつでもあった。今夏も元気に会う予定であったのに、命とは常にこのようなものである。

  


              


 

2022年11月14日月曜日

 コラム295 <人が生きる、とは何か②>


 過日〈老健〉という施設に一週間程お世話になった。先月に続いて二回目である。ここで99才になるという小平定夫さんと出会って、幾度か話す機会に恵まれた。特攻隊員であったが、出陣前に終戦を迎えたらしい。

 小平さんは言う。〝ここに居ると、特に困ることはないけれど、話し相手がいなくてねぇ・・・日本語を忘れそうになる・・・〟


 アララギ派の歌人が多く集まった八ヶ岳山麓の富士見町の出身だという。歌碑も多い。その中で伊藤左千夫(1864~1913)の歌を、確か上諏訪出身であったと思うが同じく歌人の島木赤彦(1876~1926)の筆により、石碑に刻まれた歌について熱く語るのだった。余程胸に沁(し)みた歌だったようで、すっかり諳(そら)んじておられた。詳しくない私は、その歌を書いて戴いた。


  寂志左乃(さびしさの)

  極尓堪写天地丹(きわみにうつるあめつちに)

  寄寸留命乎(よするいのちを)

  都久都九止(つくづくと)

  思布(おもふ)


 万葉仮名で、しっかりとした字であった。(振り仮名は小平さんに確認しながら私が書いたものだから、多少違っているかもしれない。)そしてこう呟(つぶや)いた。〝伊藤左千夫晩年の作だとしてもまだ50才にもならない頃に詠んだ歌ですよ。今の40代でこんな歌が詠めますかねえ・・・。〟

 

 
 人が生きるとは学び続けること、それが直接成長に結びつかなくとも、これ以上先へ行くのはもう無理だ、というところまで歩み続けること。身体だけでなく、心においても・・・。

 ベッドに腰掛けながら、一人でしばしば本を読んでいたり、忘れかけた漢字を、いつも持ち歩いているポケットノートにカタカナで書き記しておいて、部屋に戻っては調べたりしている小平さんを見ていて、そう思った。語り、心動く時の小平さんの表情は輝いた。

 これが人間にしか為し得ない〝人が生きるということ〟なのではないか・・・そんな風に思うようになった。



2022年11月7日月曜日

 コラム294 <人が生きる、とは何か①> 


 トルストイの民話集『人はなんで生きるか』(岩波文庫)を読んだ。1932年9月25日の発行以来2021年10月25日付で104刷を重ねているから、多くの人に読まれているのだろう。〝人はなんで生きるか〟の前に〝人が生きるとは何か〟との問いが心の中に生まれた。

 これまでそんなテーマでさまざまな本を読んできた。さまざまな場所で、さまざまな人に出会い、かつ現在脳出血の後遺症と向き合わざるを得なくなって、改めて考えさせられているのである。

   〝人が生きるって、どういうこと?〟






2022年10月31日月曜日

 コラム293 <本好きについて>

 読みたい本は山程ある。 

 しかし読める本には限りがある。

 読みたい本を心の趣(おもむ)くままに買い求めていると、あふれんばかりの量になる。

 それが今の私の結果である。


 だが、身体が不自由となっては、半地下の書庫にも、中二階のロフトにも取りに行けない。

 よく、読めるだけ買えばいいじゃないか、と言う人がいるがそんな理性的な考えどうりにはいかない。特にエネルギ―がある時には、古美術・骨董などに魅かれていくのに似て、そんな整然とした合理的理性などどこかにけし飛んで、情熱の方がはるかに勝(まさ)ってしまうのである。


 書物は量読めばいいというものでは決してない。それよりも価値ある本を、間を置いて幾度も読み返してみる方がどれ程身に沁みて益になるかしれない。

 そうは判っているが、私の書斎は本であふれ返った。〝どうにも止まらない~♪〟という歌が流行したことがあったが、あれである。「向学心」と云えば聞こえはいいが、それよりも「向読心」の為せることと思って諦めるしかない。単なる本好きじゃないか、と言われても致し方ない。本好きとはそういうものである。




 読み切れない本を前に、それを眺めながら出版界に多少の貢献が出来たか、と自らを慰めている。

 しかしそんな中から、今読みたい本を探して集中的に読む、というのも買ってすぐ読むのとは違ってちょっといい気分のものだ。本が書棚で熟成する訳はないが、こちらの人間が多少熟成して、年月を経たブランデーを飲む気分になるからである。


2022年10月24日月曜日

 コラム292 <自分の本分を全うする努力こそ・・・>


 一を言われて一を為す者───これを指示待ち人間と云う。初期のロボットの如き人間なり。

 一を言われて二、三を為す者───これを一流に向かう人間と云う。知らず知らずのうちに成長するからである。

 一を言われて二、三はおろか一をも為さぬ者───これを、打てど響かぬ鐘の如き人間なりと云う。やがて打ち捨てられてしまうであろうからである。

 

 言われずとも自ら為す者───これを一流という。真に成長するからである。

 言われてはじめて為す者───これを二流という。なかなか身につかぬからである。

 幾度言われても為さぬ者───これを三流という。流されてゆくだけだからである。


 この類のことはこれまでさまざまな場面で言われてきた。しかし人はさまざま。一流ばかりともいかず、三流ばかりともいかない。野に咲く花の如く、自らの本分を全(まっと)うしてみんな力を合わせてこそ、一人一人が理想社会の礎(いしずえ)になる、と考える方が自然である。しかし自分らしく咲くためには不断の努力がいる。不断の努力を怠りながら自分らしくありたい、とだけ望んでいるのは、虫が良すぎるというものである。





2022年10月17日月曜日

 コラム291 <生(しょう)を愛すべし>


 〝生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや〟

 『徒然草』第九十三段にある言葉である。

 今日一日の存命を喜んで過ごそうが、悲しんで過ごそうが、自然は同じように時を刻み、一日一日が過ぎてゆく。

 そんな刹那(せつな)の人生をいかに生きていくべきか、倒れてからのこの5年近くを、自らに問いながら生きてきた。あまりに多くの人の世話にならなければ、不自由な身体は生活していけないからである。

 答えを求めているのではない。感じる手掛かりを求めながら歩み続けている、と言った方がいいかもしれない。


 上掲の『徒然草』の文の枕には〝人、死を憎まば・・・〟とあるのだが、憎む前に存命を悲しんでいては、その人の生はすでに死んでいると言っていい。高齢化社会というだけでなく、病に沈んで生きる意欲を失っている人や、先に何ら希望を見い出せぬまま一日一日の朝を迎えている人々は、辛く悲しいことだが日々に死を重ねるのである。

 

 喜びと感謝は同じコインの裏表。ちょっとしたことで表情にサ~ッと光が差すのを入院生活中に幾度も目にしてきた。言葉を交わすことで、一人でないことを知るのかもしれない。生(しょう)・老・病・死を人間の四苦と呼んだりするが、生のみが喜びの対象で、死は悲しみの対象だというのでは人生の辻褄が合わない。これらはどう見ても一体のものだからである。そのように心得て、一日一日の存命としっかり向き合っていこうと思う。




2022年10月10日月曜日

 コラム290 <〝先生(センセイ)〟その②──今は世の中先生(センセイ)だらけ>

 学校の先生、お医者さんはともかく、作家も工芸家、弁護士、建築士、税理士、会計士まで今は皆先生だ。これに小ぶりの政治家達も仲間入りして、人間の薄い者が大半だから、〝センセイ〟と呼ばれて炙(あぶ)られたスルメのようにそっくり返っている者の何と多いことか。若いうちからセンセイと呼ばれてうれしがっているのは若年性認知症だが、過日ショートステイで世話になった「老健(正式名称は「老人保健施設」)でも〝センセイ〟と呼ばれているうちは機嫌がいいが、〇〇さん、▢▢さんと名前で呼ばれでもすると途端に機嫌が悪くなる人がいると聞いて、若年性認知症のまま老人になったんだな、と思った。


 
 本気かどうかは知らないが、この私だって時々先生と呼ばれることがある。本を書いたり、文を書いたりしているからだろうが、かといっていちいち〝先生と呼ばないで・・・〟などと言うのもどこか白(しら)っ茶けた感じで、後味がよくない。

 私の友人の画家に〝先生〟と呼ばれると怒り出す人がいる。〝センセイ〟などと呼ばれていい気になっている世の中の画家たちが余程癪(しゃく)にさわっているのだろう。画家と呼ばれる位はいいだろうと思うが、本人は〝俺は絵描きだ〟と言ってきかない。これは本気である。一度、先生、先生と二度呼ばれて、ケンカになりかけたことがある位だ。止(や)めてと言ったのに、又呼んだからである。


 一方、私の書いた本や住まい塾の特集雑誌などを見て共感し、スタッフになった者もいる。来た当初は〝先生〟などと呼んでいたのに、〝そのセンセイは止めた方がいい〟と言った途端、即〝センセイ〟は引っ込めて〝タカハシさん〟となったのには、これまた一抹の寂しさを感じるものである。が、やはり心底そう思うのならともかく、〝やたらセンセイ〟はやめた方がいいと思う。


 ある司法書士事務所に〝〇〇さんいらっしゃいますか?〟と電話したら所員が〝あの~、センセイですか?〟には参った。〝所長ですか?〟位ならまだしも、この常識っぱずれめ!──最近はこんな具合である。


2022年10月3日月曜日

 コラム289 <〝先生(センセイ)〟その①──瀬戸内寂聴さんのインタビュー番組を見て>

 

 確かNHK番組だったと思うが、入院中に病室で見たのである。インタビュアが最初から最後まで寂聴さんを、〝センセイは・・・〟〝先生は・・・〟と頻繁に呼ぶ。あれほど頻繁に使われると、〝先生(センセイ)〟もいやな響きがしてくる。

 聞いているうちに

 〝センセイ(先生)って言葉、いやだねえ・・・〟と感じられてきた。


 いい響きの時もあるけれど、何ともいやな響きに聞こえる時がある。これは寂聴さんが先生と呼ばれるにふさわしい人かどうかとは、ほとんど関係が無いように思われる。これは単に〝過ぎたるは云々〟の問題なのか。


 インタビューしている人は寂聴さんを尊敬しているに違いないのだけれど、これはいったい何なのだろうと考えさせられた。

 〝センセイ〟が世に多くなりすぎたせいなのか。媚(こ)びた響きの時もあれば、極めて自然に響く時もある。でもやはり、やたらに〝先生〟〝センセイ〟と呼ぶのは、いやだねえ。

 私は直接寂聴さんにお会いしたことはないけれど、仮にそういう機会に恵まれていたなら、〝瀬戸内さん〟より〝寂聴さん〟と呼んでいただろうな、と思う。それが一番よく似合うし、自然に感じられるからである。


 特に初対面の時など、どう呼ぼうかと考える場合がある。迷ったその時点ですでに、この先生(センセイ)はいやな性質を帯びた言葉になるのだろうと思う。水の流れの如く、であればまだいいけれど、姓でもいいし名でもいい、〝〇〇さん〟これが一番いい。最も自然だし、飾り気がなくていい。第一余計なことを考えなくていいところがいい。

 


 因み(ちなみ)に私は人からどう呼ばれているかといえば、小さい時はよっぽどかわいかったらしく、

 きょうだい、親戚からは75才になった今でも〝修(しゅう)ちゃん〟

 真心の知れた親しい人からは〝修(しゅう)さん〟

 最も多いのはやはり〝高橋さん〟かな。

 〝先生〟と呼ばれる時もあるにはあるけれど、それでも違和感を覚える時もあれば、そうでない時もある。この違和感は真情と関係していることと思う。

 

 どう呼ばれようと大した問題ではないけれど、素直な心で、自然に呼び合うのがやはり一番だ。気楽だしね。

 


2022年9月26日月曜日

 コラム288 <人間としていやなこと>

 

 大言壮語(たいげんそうご)もいやならば、

 説教じみたこと、教訓じみたことを

 他人に向かって軽々しく言うのもいやなことだ。


 


 心の中にじんわりと滲み出てくることを

 静かに、普通に、平常の言葉で思い、考え

 それを素直な言葉で語り、書くようにしたいものだ。

 でもそれが結局、表現の中で一番むずかしいことなのかもしれない。自分にはそんなつもりは無くても、誤ちを犯していることもあるであろうし、相手により伝わり方が違うからである。


 経験の中で心に湧いた思いを極力素直なことばで、メッセージとして表現し伝えること、私にできるのは、それだけ。


2022年9月19日月曜日

 コラム287 <日本三鳴鳥>


 日本三鳴鳥はウグイス、オオルリ、コマドリ、ということになっている。八ヶ岳の渓流沿いに建つ私の山小屋周辺で際立って美しい声で囀るのは、ミソサザイである。日本の野鳥の中で最も小さいといわれる褐色で地味な鳥である。しかし、その声は一際(ひときわ)艶やかで、体躯に似合わぬ高らかな声で、しかも文字で表せない程複雑に、長く囀る。

 ここを訪ねて初めてこの囀りを耳にする人は〝あの美しい声の鳥は何?〟とだいたい尋ねる。全く反応を示さない人もいるにはいるが、余程音感に恵まれていないか、耳が遠いかのいずれかなのだろう。(失礼!)


 動きもちょこまか、ちょこまかと忙(せわ)しなく、一瞬見かけることはあっても、カメラなどで捉(とら)えることがなかなかむずかしい。私見であるが、このミソサザイは日本三鳴鳥のトップに挙げても全くおかしくない。

                                                     

 

 

 私の朝はこの小鳥の囀りと共に始まる。長い間に私の姿に慣れたのか、〝早く起きて!〟と言わんばかりに窓辺の枝に留まり来て、懸命に囀る。

 私だけが辛いの、苦しいのと言っていられない気分になって、気合いを入れてベッドから起き上がるのである。

 野鳥にさえ励まされているのに、私は他の人にいくらかでも励ましを与えられているか、と自分に問いながら生きている。





2022年9月12日月曜日

 コラム286 <赤トンボ>

 

 ちあきなおみの歌に出てくるあの、〝♬新宿駅裏《紅トンボ》♪〟のことではない。こちらは標高1500~600メートルの山中の赤トンボのことである。以前は砂利道を車で走って行くと、夥(おびただ)しい数の赤トンボが一勢に飛び立ったのに、今は飛び立つ赤トンボもほとんどいない。むこうの《紅トンボ》も消えたが、こちらの赤トンボも消えた。


 雨上がりの満月の夜など、まるで月見でもするかのように沢山のカエルが森から道路に出て来て、車で踏みつぶさないよう回り道をして、山小屋まで帰ったものだった。だが今は、そんな光景に出会うこともない。

 山中ですらあちこちの水路が、何のためかU字溝に換えられてヤゴ(トンボの幼虫)やカエル、蛍の幼虫や、そのエサになる川蜷(かわにな)などが棲息できる環境がどんどん失われている。失わしめるのは人間と決まっている。カエルなども横切ろうとしてポトリと落ちたら、摑(つか)まる所が無いから一気に下流に流されていく。勿論産卵する所さえ無い。その先に待ち構えているのは大方農薬の水田だ。


 人工池ではあるが、標高1500メートルにある美濃戸池周辺には、つい15年程前までは蛍が飛び交っていたのに、今は全滅だ。この主たる原因はこの池にブルーギルを放った不届き者が居て、肉食系のこの魚の食欲と繁殖力はすさまじく、数年も経たぬうちに美濃戸池はブルーギルだらけとなり、在来種の魚も、蛍も、絶滅した。静かな池は一気にヘドロの沼と化した。これも人間の仕業(しわざ)である。





 下の方の原村では毎年夏になると蛍狩りが楽しめたというが、大型のU字溝に換えられてからビオトープが破壊され全滅したらしい。全滅させておいて、元のビオトープを甦(よみがえ)らせようと、また公共事業予算を申請する事例もあるという。公共事業という名のもとに自然破壊への巨額の無駄使いをいつまで続ける気なのか。管轄する省庁は今でいう経済産業省か?日本という国の将来へのしっかりとしたヴィジョンと見識を持って、公人たる政治家と役人は勤めを果たしてもらいたいものだと思う。

 人間は自然に対して何と愚かしい所業を、何の反省もないまま続けてきたことか。人間程他の生物から恨(うら)みを買っている生き物は無いだろう。自分らのことしか考えていないのだから・・・。


 天が罰を下すことはないと教える人もいるが、これまで自然に対して人間が積み重ねてきた所業を思うと、人間に対して天が罰を下すのも当然のことと思われる。結局は因果応報、自業自得の世界を人間自らが作り出してきたのである。

2022年9月5日月曜日

コラム285 <便利よりはるかに大切なこと>


  この方が速いって?

  この方が安いって?

  この方が便利だって?


 私が志木市の本部に居た時、岩波新書二冊と文庫本一冊をいつもお願いしている八ヶ岳山麓の今井書店の齊藤さんに電話し、レターパックで送ってくれるよう頼んだ。支払いは郵便振替でね・・・と。

 齊藤さんは長いこと私の担当をしてくれている女性だ。


  アマゾンで買えば、翌日には着くじゃないかって?

  古本で探したほうが、ずっと安いじゃないかって?

  お互い、手間もかからないじゃないかって?


 そんなことは大したことじゃないよ。
 山中にいる時には動けない私のために車で片道30分程かけて、山小屋まで本を届けてくれる。お互い本好きだし、本文化の重要さを思っているから談議も楽しい。単に本の売買いだけの問題じゃない。それを通じて人と人の関係が出来、深まっていく。本を機縁に、いろんな話に花が咲く。だから私は齊藤さんに頼むのが楽しいんだ。私の本が平凡社から出た時も、長いこと平積みにして応援してくれたし、今も在庫を切らさずに置いてくれているようだ。

 そんなにフーハーフーハー言いながら生き急ぐことはない。ゆっくり本を読みながら、ゆっくり語り合いながら、人間らしく生きたいよ。みんな、そうは思わないかい?もっとゆっくりと、深く・・・。

 


2022年8月29日月曜日

 コラム284 <マナティーのように>


 沖縄水族館のマナティーのように、

 もっと静かにゆっくり、ゆったり生きようよ。

 その泳ぐ姿は、今日の人間達に訴えかけているようだ。

 〝ゆっくりゆっくり、人生を味わいながら悠然と生きようよ〟と。


 スマホのアプリ、SNS、スナップチャット、ツィッター、フェイスブック・・・何が何だかよく判らないし、判りたいとも思わないから、私にとってはどうってことはないが、すべてがデジタル上のマーケティングに利用されているってこと位は知っておいた方がいいと思う。

 〝フェイスブック、スナップチャット、ツィッター各社〟などと表現されるところを見ると、それぞれが会社なんだ!そんな事も私は知らない。知らなくて困ったことも、これまで一度も無い。



 

 「学生寮のプロジェクトから始まったフェイスブックが、15年で全世界の広告マーケットを掌握した理由はこれだ」などという文を読んでも、これが何だかよく判らない。

 「2019年のフェイスブックの時価総額は、スウェーデン国内総生産の5分の4に相当する額だ」などと聞かされても、ヘェ~と思うだけで何のことやら判らない。桁外れの大金持ちが出現する訳だ、とは思っても、その仕組みも、からくりも判らない。そんな世界に足を踏み入れたいとも、関与したいともこれっぽっちも思わない。全員、使うのを止めれば、その会社達は立ち行かなくなるのだな、とは判っても、もう不可能だろう。第一、この先人間幸せになるのだろうか?


 マナティーのようにゆったり生きることが、人間にとっていかに困難になっているか───自業自得の世界。閑に入りて静かに一日一日を送る楽しみや大切さを説いたのは昔のことだが、真理は今も変わらない。 


2022年8月22日月曜日

コラム283 <万歩計>


  300歩行けば 500歩が見える

  500歩行けば 700歩

  700歩行けば 1000歩が見える

  1500歩行けば 2000歩

  2000歩行けば 3000歩が見える


 ある大安の日、2200歩のところで〝もう少しで3000歩ね〟の連れ合いの激励に、調子者の私は悪乗りして、ついに3162歩を記録した。外でならともかく、室内の広間をネズミの如くぐるぐる歩き廻って、2000歩、3000歩はそう簡単ではない。そして、翌日ではなく、三日後にバテた。マヒ側左脚が棒になった。リハビリとはいえ、やり過ぎは禁物である。




2022年8月15日月曜日

 コラム282 <あのスマホってやつ、どうにかならないものですかねぇ>


  みーんな手に手にスマホ持ち

  今の私は、万歩計(自主トレ用だぞ!)


 来る人来る人、み~んなスマホを手離さない。スマホ中毒だ。中毒になるにはなるだけの魅力があるのだろう。


 その脇で、私は『万葉集』を読んでいる。となりとの差は1500年。

 たまらぬ世の中になったもんだねえ・・・。




2022年8月8日月曜日

 コラム281 <山の天気は変わりやすい、というけれど・・・>


 山の天気は変わりやすい、と昔から言われてきたけれど、昨今は里の天気も変わりやすい。二酸化炭素のせいだとも、地軸がずれているのだとも、科学者達は色々言うのだけれど、地球がおかしくなっていることに違いはない。おかしくした元の元を辿れば、きっと人類の生き様(さま)に突き当たる、と私は思う。


 今夏の山の空は、私が山中生活を始めてから約半世紀中、最もヘンテコリンである。

 青空が見え、樹々の間から陽光が差していたかと思うと、急に暗くなり、太陽が暗雲の塊(かたまり)に遮(さえぎ)られ、雷鳴が轟(とどろ)き、突然スコールのような雨が降ってくる。

 ここ数日も、同じような天気が続いている。妙な空だ。妙な天の気だ。


 今日も午後3時頃、デッキに出てアームチェアに腰掛けて陽を浴びようと思っていた矢先、辺りが急に暗くなり、俄に雨の粒が落ちてきた。続いてスコールの孫の様な雨だ。

 午後4時に見えたヘルパーさんと〝また雨ですねえ・・・〟などと言葉を交わしたのも束の間、その雨はものの10分程でピタリと止んだ。そのあと驚きの光景が待っていた。

 紅葉にはまだ早いカツラやソロなどの葉に残った雨滴が、樹間を抜けて突然差してきた夕陽に照らされて、ダイヤモンドのように輝き始めたのだ。七色に変化しながら、キラッ、キラキラッ、と輝くその姿に、私はしばし見蕩(みと)れていた。それはまた夥(おびただ)しい数のホタルが樹々に集結したような光景であった。

 何か奇跡が起きるような予感さえした。特別何も起きはしなかったが私の胸の中は、この雨滴のダイヤモンドの輝きに満たされていた。これこそが奇跡だった。


 雨上がりの林の中にウグイスが鳴いた。

 ウグイスも私と同じ光景を見ていたのだろうか。 (2022年8月1日 記す)         

 




2022年8月1日月曜日

コラム280 <プッチンした野望>


 帝国時代や植民地時代じゃあるまいし、時代錯誤の野望がプッチンした。同朋と呼びながら、あんな理屈が、軍事の力を後ろ盾にまかり通るなら、類こそ違えども、我々が知る限りでの下記の先住民族たちの無念を、どう表現したらいいのだろうか。勝手な野望のもとには、そうした無念を察する人間の心など微塵も無いに違いない。


  • 日本の先住民族:アイヌ

  • 一夜にしてスペイン軍に滅ぼされたと言われるインカ帝国の先住民族:インディオ

  • インディアンと呼ばれたアメリカの先住民族

  • オーストラリアの先住民族:アボリジニ


 彼らと静かに共存できていたならば、どれ程多様で多彩な文明社会、文化社会、即ち人間社会ができていたことかと思う。


 近代文明から取り残されたかの如くに見られる彼らの精神の価値観の中には、近代文明に染まった我々が見つめ直さなければならないものが多く含まれている。それらは人間として失ってはならないものだった。

 私は以前、ある人との縁でアイヌの家族に招かれて、夕食を共にする機会があった。表立って表現することのない彼らの無念の思いが今も、胸の底深くに沈んでいることを思った。少々酒が入った頃だったと思うが、私が〝我々日本人は・・・〟と言った途端、長老がすかさず〝あなた方は和人(わじん)だ。本当の日本人は我々だ〟と静かに言ったからである。


 プッチンと糸の切れた野望の主は、こんな無念の思いなどには全く、耳を貸さないに違いない。もうすでに人間の感覚を失ってしまっているからである。







2022年7月25日月曜日

 コラム279 <何を目標にすれば、地球を救う道が開けてくるか ── その③>

       ── 持続可能(サスティナブル)な使い方──

 

 地下水は無尽蔵にあるのではない。

 いい水があると聞けば、私企業が権利を得てどんどん、しかも無料で汲み上げ、商品化(ペットボトル化)する。きれいでうまい地下水、湧水を生むには、何十年、何百年とかかる。故に環境保全を厳しくし、使用量の限度を設けることが必要である。消費を地球の力の限度内に納めなければ、やがて枯渇する。


 日本ではただ同然に考えられてきた水の無駄な使用を控えること。

 〝水の都〟パリ

 〝水の都〟ヴェニス

といった景観上の美しさばかりでなく

 〝地下水の都〟日本

 〝湧水の都〟日本

とでも呼ばれるようになったら、さぞかし痛快なことではないか。この目標を掲げるに適した国は、そう多くはない。

 鉱物資源に乏しく、核ミサイルも持たない国日本は、こうした面で世界のモデルになれるのではないか。これは国及び国民の決心さえあれば、可能なことである。

 少なくともプーチンの野望より、はるかに平和な目標である。