2022年6月27日月曜日

 コラム275 <東京本部:樹木伐採のお祓(はらい)>

 

 この家と共に生きてきた樹々達よ、家を風雨から守り、我々に涼やかな風を送り、日々の生活に潤いを与え続けてくれた樹々達よ、君達の心は我と共にあった。これまで道往く人々に、バス停で待つ人々に、どれほど安らぎを与えてくれたことか。


 だが許したまえ。人間が勝手に作ったこの近代文明社会の中では、人間の自然に対する感謝の念は薄れ、街の中で君達の命を守り続けることは困難であった。深い感謝の思いを抱きながら、無念の思いで祈りを捧げる。

 大空に向かってもっともっと伸びたかっただろうに…

 

〝樹々の命達よ、天に登れ!〟

 


 


 伐採が始まる二日前の夕方、神主さんは、心を込めて我々に理解できる言葉で一本一本丁寧にお祓をしてくれた。私の心はひとまず安心した。同席した皆も同じ気持ちだったろう。


 見事な連携作業であった。高所作業台の付いた大型のリフターが二台。枝が効率よく伐り落とされてゆく。それが大方済むと次は幹の吊り伐りだ。先端から徐々に徐々に…。東京本部を囲っていた多くの中・高木達が今日で命を終える。私は二階の私室の窓からその姿を眺めていた。さすがに涙が零れた。机の上にローソクの火を灯し、線香を煙らせ、鈴(りん)を三度鳴らした。涼やかないい音色だった。

 翌朝いつものシジュウカラが寂しく鳴いた。(2022.4.14 記す)

 

2022年6月20日月曜日

 コラム274 <やれない時が突然やって来る>

 

やりたいことが、沢山ある。

学びたいことが、山程ある。

だが、やれない時が突然やって来る。

やりたいことをやれる時にやらなければ、なりたい自分に近づくことはできない。

近づいていくには、一歩一歩、たゆまず歩むしかない。


真実は単純だ。


 〝歩けるようになりたければ歩くより他ありません〟

 

最初のリハビリ病院で理学療法士(セラピスト/トレーナー)に言われた言葉である。


 〝歩けるようになるには、歩くしかない…〟


生き抜く、生き切るとはそういう思いを抱きながら学び続け、歩み続けることをいうのだろう。

報われる努力もあれば、報われぬ努力もある。

それでも歩め、歩め、歩みを止めずに!それが人生だ。

 

 ・日本の歩んだ道の真実をもっと掘り下げたかった。

 ・日本人の日本人たる特質についても、もっと深く考えたかった。

 ・能についても

 ・茶の湯についても、もっともっと学びたかった。




2022年6月13日月曜日

 コラム273 <人間はなぜかくも、問題を起こすのだろう>


 戦争、侵略、戦さ、闘い、抗争、対立、憎しみ合い。人類は問題を起こすのが好きなのかといえば、そんなことはないだろうと思われる。

 だが、いや好きなのかもしれないと、そう疑ってかからなければならない事態が次から次へと起きる、起こす…しかも歴史を繙(ひもと)くまでもなく、古代から数多(あまた)の戦さを繰り返している。誰の幸せにもならないというのに…。世界中で、国家間で、民族間で、集団内で、日常生活における個人間で…心が安らぐ暇がないほどだ。


 残酷、残忍、残虐を好む者はそう多くはいないだろう。だが、人類の歩んできた歴史をたどると、いやそうではないかもしれない、と思われてくる。性善説を説く者あれば、性悪説を説く者がある。結着を見ないところを見ると、この二つは表裏一体なのではないか。


 寛容、優しさ、思いやり―――人間の心の美しさは泥の沼池に沈み、その底から叫び声が聞こえてくる。

 2500年も前に孔子は言ったではないか。

 

 〝おのれの欲せざるところは人にも施すなかれ〟

 

 これが仁の根本、即ち人間が人間であるための第一義である、と。聖書にも同様のことが説かれている。仏典でも同じことを教えているのではないか。


 朋よ、朋よ、心を結ぼう。

 皆、自分の胸に手を当てて省みてみよう。自分ははたして人間であり得ているか…と。やさしい心で、苦しんでいる者により添い、小さな声で励まし続けているか?…と。






2022年6月6日月曜日

 コラム272 <今日は、心掛けをひとつ変えた>


 〝今日はひどいシビレだ〟とか〝最悪だ〟とかいう言葉は使うまいと決心した。いくら言ってみたところで恢復にはつながらないし、苦しみが和らぐこともないからだ。それに聞かされた方もそれで元気が出ることもない。


 〝今日はすばらしいシビレだ!〟

これがいい。今日からは誰に聞かれてもこう言うことにしよう。

力を込めて

 〝今日のシビレは最高だ!〟

 〝すばらしいシビレだ!〟の方がいいな。


電話で調子はどうですか?と聞かれても、よし、これでいこう!

 

 〝すばらしいシビレだ!〟

 〝ワンダフル!〟


でも、身近な人間には、

 〝ああ苦しい…どうなっているのかねぇ、この苦しさは…〟などと、つぶやいてしまう。

人間の決心なんて、弱いもんだな。






2022年5月30日月曜日

 コラム271 <私は何級?>


 言われずとも、自ら気づき行う者、これを一級と称す。

 言われて初めて気づき行う者、これを二級と称す。


建築士の資格の事ではない。

まさしく人間そのもののことである。人の心を察するに通じることだからである。


さて、言われても、言われても、気づかず、行わぬ者を何級と称しよう。無級か?







2022年5月23日月曜日

 コラム270 <原発と地球滅亡の可能性———無きに等しい非核三原則>


 原子力空母は原子力に頼っている以上、廃液が出るはずだ。こんな指摘をこれまで一度も聞いたことがないが、大丈夫なのか?


 日本の政府が国民のためにあまりならないのは、政治家自身が現場にあまり出ないからである。票集めにつながるような会合には、出しても出さなくても大差ない顔をよく出すけれども、それらは少なからず単なる顔見世興行である。


 東日本大震災の時でも、現地を訪ね、悲惨な現実を目(ま)の当たりにして、困り、苦しみ、悲しんでいる地元住民達に、どれ程の議員が親身になって接したか。

 人の痛みを知るってことはそんなに簡単なことじゃないけれども、その行動なしには、人の苦しみや悲しみに同情し、それを政治の場に活かすエネルギーにしていくことはできないと思うからだ。他人の作ったデータや報道を見て、知ったかぶりをするのがせいぜいだ。生の現地には耐えがたい悪臭が立ち籠めていたが報道には臭いがない。


 同時に起きた福島第一原発を代表とする原発事故の実態がどんなものであったか、故郷を追われ、現地で放射能事故と闘った人々の悲惨な現状、その中には直接・間接にさまざまな形で死に追いやられた人々が沢山いる。

 この私でさえ5回訪ねたからこそ、少しは肌で理解することができる。津波は避けられなかったとしても、原発は人間がつくり出したもの、日本の政治家達が長きに亘って原発政策を推進してきたこと———遅きに失したがこれはもうストップしなければならない。

 核廃棄物の処理もままならない。その前段階を中間貯蔵と呼ぶのは易しいけれど、いってみれば定期借地権付のような仮置場なのだ。それが国が民間人と約束した期限が来ても、全くどかす気配すらない。元々見込みの立たない約束をするとは、これは完全に住民を欺(あざむ)く騙(だま)し打ちではないか。


 仮に廃炉を決めたとしても、それが効力を失うまでには厖大な年月と金を要するという。その前に戦争でも起きてミサイルでもぶち込まれたら終わりだ。何せいつの間にか日本には54基もの原発があるのだから。現代の軍事技術からすればその気になりさえすればそんなことはたやすいことだ。この小さな島国にありながら、何を根拠に54基にまでふくれ上がったのだろう。40年の使用期限が過ぎた浜中原発も60年までの延長稼働が認められたという。他の原発もこれに倣(なら)って、延長、再延長の道を歩むだろう。止めても巨額の金がかかっていくだけなのだから……。


 いかなる理由、いかなる言い訳、いかなる科学的根拠に基づこうと、何かあったら人間の手には負えないようなあんな危険極まりない原発は地球上に作ってはならないのだ。そんなものを必要としないで成り立つ生活・社会を我々はぜがひにも創り出さなければならないのだ。(2021.1.19 鹿教湯病院病室にて記す)

(※写真はうず高く積まれた除染土の山:仮置場 福島県飯舘村で撮影。)

       



       

2022年5月16日月曜日

コラム269 <薬について———その②>

 今回のこの3ヵ月分の薬の量を見て、この4年間、こんなに多量の薬を飲み続けてきたのだから私は薬の漬け物のような体になっている、と直感した。 

 今シーズンは連れ合いが元々悪かった股関節の手術をし、その後のリハビリ期間もあったから、その分長野市に住んでいる上姉がよくよく面倒を見てくれた。  食事中この薬の多さが話題に上がった。姉も病院まで薬をもらいに同行してくれたからである。  姉はいいことを言う。  〝薬って草葉の下(陰と同意)で楽になるって書くのよ〟  なるほど名解釈である。

 ある人が貸してくれた本の中にはこうあった。

 〝薬は全て毒である。

  毒をもって毒を制するというのが西洋医学の対症療法の考え方であって、

  効かない薬を処方されるままいつまでも飲み続けているのは、

  単に毒を飲み続けているのと同様である……。〟

 ああ、その一人が私だ、と思った。そこで自己責任で、自主的に、徐々に計画的に減らしていくプランを立てた。そうでもしない限り薬は減らない。根本は自らの免疫力を向上させること、という主張にも同感だ。薬に頼った生活をしていてはこの免疫力即ち自己治癒力をどんどん弱めることに通じていく、という。  薬や手術なしにはどうにもならないことも中にはあるだろうが、今のこの私がそんな状態にあるとも思えない。生きるも死ぬも自己責任。処方されたこの大量の薬を前に私はそう決心した。主治医の意見も聞くつもりだが、そんなに減らないであろうことは察しがつく。だから自分の身体に聴きながら、自分でプランを立てて実践してみるのである。これは自らが行う臨床実験のようなものである。  処方箋には注意書きとして必ず、〝勝手に止めたり量を減らしたりしてはなりません〟とあるが、それに4年間従ってきた結果が現在である。さっぱり改善されないどころか、かえってシビレは段階的に強烈なものとなり、それが痛みと苦しみに発展し、その苦しさに一睡もできぬ夜がしばしばである。

 現在の薬の組み合わせが最良と考えられているのだろうか。シビレ専門の病院にもいくつか行ったが、結局薬がプラスされる位でこれといって打つ手はなさそうなのである。だからあとは自己責任でチャレンジするしか無い。草場の下(陰)で楽になるのはもう少し先にして、チャレンジ!チャレンジ!

2022年5月9日月曜日

コラム268 <薬について———その①>  
 
 病院にしばらく来れないので、今回は3ヵ月分の薬を処方してもらった。もらってびっくりした。その量の多さと重さに、である。  
 私は年間埼玉県志木市の住まい塾東京本部、信州八ヶ岳の山小屋、それに冬期2ヵ月間は信州上田市山中の鹿教湯(かけゆ)病院にリハビリ入院して大きくは三ヵ所を点々と動くから、主たるかかりつけの病院も三ヵ所ある。  
 病院が変わるのだからその都度医師の判断で薬を変えたり減らしたりしてもよさそうなものだが、どこも4年前に倒れて運ばれた救急病院の最初の処方に、基本的には右へ倣(なら)えの形だ。あまり効果が出ないというのにである。  
 現在処方されているのは、食事や日常の心掛けで補うからこれこれは減らして欲しいとこちらから願い出て減ったもの三種(血圧降下剤、血糖値を下げるインシュリン、それに鬱に対する薬以外はずっと同じである。これは医師の責任放棄ではないかと思うことさえある。  
 
 冬期リハビリをしている病院の最初の主治医は院長が担当して下さったが、ゆったり気楽に話せる先生だったから助かった。前の病院から「糖尿病」の引継ぎ(報告)が為されていたらしく、毎度糖尿食が出てくるので、私は〝インシュリンは疾(と)うに卒業したんですが……〟と言ったら、〝高橋さんは元々糖尿病ではなかったと思いますよ。脳出血を起こしたあとは一時的に血糖値が上がったりするものです〟〝でもまあ糖尿食も普通食も大して変わりませんから(面倒だから……とは言わなかったけれど)そのままにしときましょ……〟こんな調子だった。このインシュリンについても前病院で毎食時顔を合わせる食卓仲間が、〝インシュリンってあまり長く打ってるとよくないらしいよ〟と言ったから願い出て止めてもらったのであって、医師の判断で止めた訳ではない。血圧だってマイタケやシメジをほぼ常食とすることで正常値の範囲を今もずっと保っている。脳卒中を起こした人には鬱になる人が多いという理由だけで抗うつ剤が処方されているが、私の場合は原稿を書いたり、本を読んだり、好きな音楽を聴いたりすることで問題はないと、やめてもらった。テーブルスタンドの電球も白熱球に替えてもらったり、家具のレイアウト替えを手伝ってもらったりして、それだけで入ってくる看護士さん達は〝高橋さんの部屋に来ると、気持ちが落ち着きますねえ。他と同じ部屋とは思えない〟などと言い、夜勤の人などは〝疲れた時、時々寄らせてもらっていいですか?〟という人まで現れて、静かにかかっているジャズバラード談義を短い時間ながら楽しんだりもした。  
 たまにウツウツするのは健康体の人にだってあるだろう。処方された薬の説明リストをもらっても効果の行は一行、副作用の行は五~十行といった按配である。

2022年5月2日月曜日

 

コラム267 <骨が折れるより恐いもの>

 

 骨が折れるよりもっと恐いのは、気が折れることである。
 リハビリの世界でも、気が折れてはいかに名トレーナー(セラピスト)が付こうが、どうにもならない。
 そんな姿を私は沢山見てきた。〝さあ、車椅子から立ち上って、あそこまで歩きましょう!〟と言っても頭を横に振るばかりで一向に立ち上がろうとしない。これではトレーニングは始まらないのである。
 色んな人を見ているうちに、名セラピストとは患者にやる気を起こさせる人かと思った程である。 


 気力はどこで発生するものか、私にもいまだ定かでない。気を溜(た)めるには力まず、リラックスして……そのためにも身体の緊張・強(こわ)張りを解いておくことは重要だ、と言われても、時には歯をくいしばらなければならないこともある。元気とは気の元と書くがこれはどこにあるのか、どのようなメカニズムで発生するものか、私には判らない。が、心の持ちよう、心の状態と関係していることは確かなようだ。体調が万全な時程気力も充実するかといえば、そうとも言い難い。

私の好きだったジャズサックスプレイヤー:スタンゲッツがガンに冒され、闘病生活を続けながら、亡くなるほぼ一年前に演奏されたライヴ盤『ピープルタイム』(日本版二枚組)中の「ファーストソング」はまさに一世一代の名演である。デュオの相手をつとめたピアニスト:ケニーバロンは「途中息が続かず、演奏を中断し、ケニーバロンに演奏のつなぎをまかせる場面もあった」と、ライナーノーツに書いている。そんなスタンゲッツに触発されてか、この日のケニーバロンもまた神がかり的な名演を残すのである。スタンゲッツは愛する女性との結婚を間近に控えていたのである。私はそのあたりの背景を多少知っているだけに、この時のプレイを聴く度に心中が察せられて涙が滲んでくる。
 今は無きジャズ喫茶『BUNCA』(バンカ)における、CD、LP視聴会では、自分で推薦したにもかかわらず、薄暗い中で聴きながらむせび泣いた。音楽の感動とはこういうものだとこの夜思い知ったのである。

2022年4月25日月曜日

 コラム266 <いつ、何時、何が役立つか判らない———その②>

  入院中、リハビリトレーニングで転倒したことは幸いなかったが、病室の中では数回転んだ。退院後は、まぁ、転んだ、転んだ。山小屋は斜面に建っているから、二棟をつなぐ下り階段(A)、郵便ポストのある道路までの登り階段(B)、それに縁の下の灯油タンクまでの下り階段(C)と、三本の外階段がある。後に手摺を付けてもらったのはA階段のみであるから、残りの二本にはいまだに手摺が無い。
 B階段は勾配が最も急で巾も狭い。少し調子のいい日には一本杖で登っていけることもあるが、途中バランスを崩してもんどり打ってひっくり返ったのが3回、A階段でも退院後まもなく、まだ手摺が無い時に転倒して頭を下にして斜面を滑り落ち、大きな石に頭をぶつけて血を流したのが一回。室内にあっては、これも退院後まもなくのことだが、敷ゴザの縁(へり)に脚の装具の先をはさんで厚い一枚板の座卓に左顔面を強打し、三年以上になるというのにその時の打身がしこりとなって残り、いまだに痛い。
 車で10分程のところに広い芝生広場のある八ヶ岳農場があり、ちょっと方向を変えれば八ヶ岳美術館の散策コースもあって恵まれた環境にあるが、そちらでも数回転んでいる。内外合計すれば転倒は10回ではきかない。

  その都度思うのは転び方と、起き上がり方である。これが大けがもせずに済んでいるのは私が若い頃にやっていた柔道と、小さい頃からやっていたスキーのおかげであるということである。転び方は柔道の受け身が咄嗟に役立っていると思うし、スキーの方は転倒の仕方並びに斜面での起き上がり方に役立っている。足が斜面の上の方にあっては立ち上がれるものでないから、その時は身体が不自由ながらも、もんどり打って両足を斜面の下の方へ持ってくる。こうして立ち上がる体勢を整えるのである。こうした経験がこんな場面で役立つとは思ってもいなかったが、いつ、何時、何が役立つか判らないものである。
 だから好き嫌いはともかく、若い内は色んなことを経験しておいた方がいい、と今更ながらに思うのである。



2022年4月18日月曜日

コラム265 <病と向き合う———その③>

  入院中は勿論のこと、退院後もたびたび注意されるのは〝転倒しないように〟ということだ。しかしこれに対して私は初期から異論があった。
 入院中に転倒して骨折でもされたら、病院の責任問題にもなるし、担当セラピストもその責任を問われて始末書を書かされたりと、対応が大変らしいことは理解できた。それにこんな時代だから裁判沙汰になることもめずらしくないらしい。
 それよりもリハビリ中に骨折したら、せっかく回復途上にあるリハビリは元の木阿弥になるし、転倒しては人間の骨の中で最も大きいとされる大腿骨の骨折が多いと聞く。こうなっては折角積み上げてきたリハビリも一からやり直しになるから、厳重注意とされるのも私にはよく理解できる。
 しかし、一方これでは入院中も挑戦的なリハビリが出来ないし、それに退院後の日常生活において転ぶことなど、いくら注意してもしばしば出てくるだろう。そうした時に転んだこともない、立ち上がり方も判らないではどうしようもない。転倒も経験の内と思って私は入院中リハビリのトレーナー(セラピスト)には、第一にトレーニング中に転んで骨折しても、病院やセラピストの責任など問わないこと、第二に転倒もリハビリの経験の内と私は考える旨をはっきり伝えておいた。そうしなければチャレンジングなリハビリなど出来やしないと思ったからである。
 セラピストの中には私と同意見の人も少なからず居ることも判った。しかし患者の中には私のような考えの者ばかりでなく、何カ月間もリハビリしたが成果が上がらないから金も払わないなどと言い出す者もいて、こんな時代では慎重論が優位に立つのも無理はないと思われた。



 


2022年4月11日月曜日

 コラム264 <病と向き合う———その②>

  脳出血(視床部)の後遺症で左半身に強烈なシビレを伴うマヒが残った。後遺症とは辞典によると「初期の急性症状が消失した後に長く残る非進行性の機能障害」(『辞林21』)ということになっているが、私の場合はこの定義とは違って総合的には少しずつ回復傾向にあるものの、メインのシビレに関してだけは段階的に進行している。



 筋肉の萎縮・硬化症状が左腕・左脚・左背筋に起き、これが緩まない。二度のコロナウィルスワクチン接種後はさらに強烈なものとなり、数段悪化した。まるであちこちでこむら返しが、起きているような感じだから一睡もできない夜がしばしばである。これが体力を奪う。

  法定のリハビリ期間67ヵ月を過ぎてから、冬期には毎年二ヵ月間の入院リハビリを続けて、今冬で4年目を迎える。仕事場や山小屋での自主トレーニングも普通以上にやってきたと思うが恢復にはなかなかつながらず、視床部脳出血の厄介さを痛感している。

2022年4月4日月曜日

 

コラム263 <死者と共に生きる>

 

 これは観念論だろうか、それとも事実だろうか、真実だろうか。これまでの74年の間に、さまざまな人の死に接してきた。

 病や震災、突然の事故による死に別れ。言葉では表現し切れない悲しみや寂しさを胸に抱き続けている人々が大勢いる。

 だが死は別れではない。歴史上に残された古の人々の書物に触れて共感を覚えたりする時も、生命の繋(つな)がり、魂の共感関係が続いていることを思う。死に別れた人の分まで長生きしよう、そうしなければ、などという人がいるが、そんなことは可能な訳がない。その心情はわかるが、命はその人固有のものだから、その人の命を他の人が引継ぐことはできない。

 

 人の命が魂として永遠であるとすれば、今の私がまわりの人々と共に生きているのと同じように、過去に亡くなった人々とも共に生きているのだと思うことができる。古の本を読むのも、その人達と魂が繋がっていたいと願うからだ。だから書物は過去の人々と繋がるかけがえのない媒体である。書物がある限り数千年前の人々とも何らかの形で繋がることができる。死者と共に生きていると私が感じるのはそういう時である。それ故、書物はこの上なく大切なものなのである。

 

2022年3月28日月曜日

 コラム262 <山小屋のエサ台に集まる野鳥達>

 

 野鳥達がエサ台に最も多く集まってくるのは冬だ。逆に一番少ないのは青虫等の生エサの多い新緑の季節と、樹々がさまざまな実をつける秋だ。

 私の山小屋のエサ台に通年集まって来るのはヒガラ、コガラ、ヤマガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ等のカラ類、それにキジバトだ。冬になって一面雪におおわれる頃になると、アトリ、ウソ、オオマシコなどの冬鳥が飛来し、にぎやかだ。留鳥とされているカワラヒワも、この辺では圧倒的に冬に多い。

 古代ローマの闘士を思わせる風貌のシメや、睨(にら)みのきいた顔つきのカケスなども時々姿を見せて、冬の山中は多彩な顔ぶれだ。

 しかし人が多くなるにつれ、姿を見せなくなった鳥達も多い。辛うじて昼にはウグイスが鳴き、カッコウが鳴き、夕闇迫って寂しげに、ホトトギスが泣きながら飛び去ってゆく。




2022年3月21日月曜日

 コラム261 <野鳥もメタボ?>

 

 都会では、飼い主に連れられて太った犬がヨチヨチ・ヨタヨタと散歩している姿をしばしば見かけるようになった。昔には見かけなかった姿である。これも物質的に豊かになった時代のひとつの証なのだろう。

 運動不足ということもあろうが、それ以前にかわいさ余ってうまいもののやり過ぎが第一原因と思われる。過食プラス運動不足である。

  過日、麓のホームセンターまで野鳥のエサを買いに出かけた。何か企画があったのだろう。売場に「野鳥の会」のメンバーが来ていて、少し話を聞くことが出来た。

 最近は野鳥にエサを与える人が多くなり、野鳥達が栄養過多となって短命になっているという。この日まで私もヒマワリの種ばかりを与えていた。最も好んで食べるからである。その分栄養価が高く、カロリーも高いのだろう。

 その日からヒエとヒマワリを半々に混ぜてやるようにした。しかしヒマワリから先に食べるから、まずヒマワリが無くなる。かわいさ余って次々に足してやると、ヒマワリばかりが無くなってヒエは残る一方だ。ここが辛抱どころだ。ヒマワリの種が無くなっても、しばらく放っておくと、やがてヒエも食べるようになる。

 人間の身体に雑穀米がいいと言われるのと同じなんだな。かわいいからといって、好んで食べるものをどんどんやる。結果それが野鳥達を短命にしている、とその人は言うのだった。

 それでも別荘地に人が来る期間は限られているから幸いだ、と思ったが、常住組やレストラン等も年々増えて、そうとばかりも言っていられない状況になっている。〝野鳥もメタボの時代?〟と、ふと頭を過(よぎ)った。

  コロナウィルスの蔓延(まんえん)がきっかけとなって、自然の中で暮らす人が増えていると聞く。人間が多くなると碌(ろく)なことはない。移り住むのは結構だが、自然界のバランスを崩さないよう心掛けたいものだ。






2022年3月14日月曜日

 コラム260 <「診る」は「見る」のか?>

  一時間、ひどい時には数時間待って、診察は23分。大学病院や総合病院などでは特にそうだ。初診ならまだしも、予約していてこうであれば予約の意味はどこにあるのだろうか。これはしばしば話題にのぼるから、大きな病院では常態化していると見て間違いはないだろう。 

 さらにこの診察の23分についてである。人を見るならまだしも、パソコンを見るだけを診察と言うのだろうか。電子カルテになり、データを正確に打込まなければならない事情は理解しても、患者達が抱くこの異和感は消えない。中には患者の容態を一瞬にして見抜く神がかり的名医もいないとも限らないが、そんな医師が数多くいるとは到底思えない。 

 同様の状態が何年も続く。患者の側はそんなものだと感覚マヒを起こして、誰も文句を言わないし、病院側にも改善の兆しが無い。こうした状態を恒常的に生んでしまっている根本原因はどこにあるのか。
 患者にメスを入れる外科はあっても、改善もされないまま続く病院のあり方にメスを入れる外科は無い。医師の方も感覚マヒを起こして大きな問題だと思っている人は少ないようだが、容態の思わしくない患者は、待つのに疲れてさらに具合が悪くなって帰ってくる———何とかしなきゃならないんじゃないの?とその都度思う。




2022年3月7日月曜日

 コラム259 <価値ある本は何遍も読むべし >

  いい本は何度も読んで、学ぶべき内容を自分の心にすり込んでいくようでなければ、身につくものではない……などと思っているうちに、以下のようなことに気がついた。
 大事なことを他人から一度言われて身につく人がいるだろうか?何度も何度も言われて、やっと身につくかどうか……。それと同じことだ、とハッと気づかされた。

 私が今病院からもらっている軟膏に、こう書いてあった。
  〝できるだけ薄く、よくすり込んで下さい。一度に厚く塗っても効果が上がるものではありません。〟
 これと同(おんな)じだ。

 反省も同様だ。
 一度反省した位では、なかなか身につくものではない。価値ある話も、余程頭のいい人なら一度聞いて覚え込むことは可能だろうが、それは身についたこととは訳が違う。
 次々と新しいものを読む。学者や研究者ならいざ知らず、素人は人間をつくるためにこそ学び、知るのだ。それなのに、知ったことを身についたと錯覚しがちである。特に知識偏重の人間は厳重な注意が必要だ。



2022年2月28日月曜日

 コラム258 <信じるに力弱くなった時代 >

 

 信じるに弱くなった時代よ、人間よ。人が徹底して人を信じることの少なくなった時代よ。

 疑うことが頭のいい人間の証でもあるとお思いか?
 〝疑心暗鬼〟という言葉を待つまでもなく、
  〝疑心は疑心を生んで限りなし〟という。
 こんな人間が、徐々に徐々に増えていく社会に真の幸せや人生の充実がやってくるとは思えない。人としての道を誤っているからである。

 気をつけよう。そんな社会に生きることを誰も望みはしないのだから
  心掛けよう。親切で優しい、慈しみの心で人と接することを。
  それが人間を信じることに通じていくのだから……。
  それが何よりも真に人間らしいということだから……。
  それが人間であるために最も必要とされることなのだから……。
  名ばかりの高学歴社会は多くのうすら物知りを生み、大きな弊害を生んだ。
  人間であることの条件を忘れさせたからである。

 疑い深いのは明らかに〝人間の病〟である。
 以前にも書いたが疑う病と書いて「癡」———おろかと読む。どうおろかなのかといえば、人間として愚かなのである。人が人を信じなくなり、疑い深くなるのだから……。
 知る病も「痴」と書き、同様におろかと読ませる。なぜ「疑う」と「知る」が病におおわれれば同義なのか、よく考えてみようではないか。




2022年2月21日月曜日

 コラム257 <私のブログ———『マンデー毎日』>

  短文ながら毎週月曜日に書き続けている私のブログ(コラム)は、これまで縁のあった人々に向けてばかりではなく私から今の世間に向けてのメッセージでもある。これはある意味で我が身を削りながらの作業であると思うのは、これに熱中して書いている間だけ、不思議にもこの病の苦しみを忘れられるからである。

  私の理想としてきたことのどれ程が数十年歩みを共にしてきた仲間達に理解され、伝わってきたか、私には判らない。そうした問いに対してブッダは初期仏典のひとつである『ダンマパダ』(漢訳では『法句経』)の中で

 〝それは偏(ひとえ)に弟子自身の問題であり、私にはどうすることもできない。私はただ道を説くだけである〟

 と語っている。それに較べれば私のこれまで述べ、書き記してきたことなど、大した内容のものではないと自覚しているが、中には普遍的な事柄も含まれているから、折角長い間歩みを共にしてきたのだ。それだけでも伝わってほしいものだ。
 しかしそれは私の望み、希望であって、結局は上記の言葉に託さざるを得ないのです。



2022年2月14日月曜日

 コラム256 <好きこそ物の上手(じょうず)なれ >

  〝好きこそ物の上手なれ〟とはたいていの人が小さい時から知っている言葉である。知ってはいるが、ほとんどの人はこの言葉をあまり真剣に、まじめに考えたことがない。言葉の意味は簡単だが、私はこの〝好きだ〟ということはこの地上に生まれ出た人間それぞれに与えられた使命と何らかの関係があると思ってきた。
 人間皆平等に生まれてくるとは言っても特に物づくりの世界に生きていると、向き・不向きといったことが必ずあり、素質や才能といったものが歴然としてあると感じる。これは建築家ばかりでなく、各種職人にも、工芸家にも言えることである。
 昔ある料理人から板前修業で最も教えにくいのはセンスであると聞いたことがある。これはどの道においても共通している。

 二千年以上前の『論語』にも次のような言葉があった。

〝子(し)曰(のたまわ)く。之を知る者は、之を好む者に如(し)かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず〟

 子とは子供のことではない。子供がこんなことを言ったら明らかに天才、天の子である。

 私も〝シ、イワク〟を長年、〝師、曰く〟と思い込んできた。ある日、子とは先生という意味であることを知った。だから孔子とは孔先生、子曰くとは孔先生が言われたという意味になる。因みに如かずとは及ばない、という意味である。
 何だか漢分の基礎教室のようになったが、しかしながら「知る」とは努力で何とかなるが、「好む」となるとかなりむずかしいことになり、「楽しむ」となると天性との関わりが俄然深くなってくる、生涯をかけて取り組む職業選びには上記のことを念頭に起きながら為されるといい。いびつな経済社会の大渦の中で益々自由のきかぬ世の中になっていることを百も承知の上で言うのである。



2022年2月7日月曜日

 コラム255 <ブッダの教えの実践>

  学び、知ることだけでなく、学んだことを実践してこそ果があるとは誰でも知っている。このことに関して、少々長くなるが『ブッダが説いた幸せな生き方』(今枝由郎著:岩波新書)からその一部を引用してみたいと思う。 

 第二次世界大戦を終結したサンフランシスコ対日講和会議(1951)で、仏教国セイロン(現在のスリランカ)は、日本に対する損害賠償請求権がありました。ところが、セイロンを代表したJ.Rジャヤワルダナ蔵相(後にスリランカ大統領。19061996)は自発的にそれを放棄しました。その理由として引用したのが(初期仏典)『ダンマパダ』の次のことばです。
 

〝じつにこの世においては、怨(うら)みは怨みによって消えることは、ついにない。怨みは、怨みを捨てることによってこそ消える。これは普遍的真理である。〟

(以上、同219220ページ)

このような心打たれる話を、私は社会科の授業でもこれまで一遍も聞いたことがありませんでしたし、こういう事実こそしっかり教え、伝え、知ってこそ両国の関係並びに人間の心が実践的に美しく、磨かれ鍛えられていくのではないか。私はそう思います。
上記のような事実を知ったならば、日本の政治家も一般国民も若者もそうした歴史を背景に持つ現スリランカへの感謝の基盤の上に親愛の情を深めるに違いなく、少なくとも二国間は学び合い、協力し合いながら現在以上に平和な関係を築き得るはずです。J.Rジャヤワルダナ氏及び彼を支えた人々の素朴で、シンプルな信仰心に感動するのです。