2022年9月26日月曜日

 コラム288 <人間としていやなこと>

 

 大言壮語(たいげんそうご)もいやならば、

 説教じみたこと、教訓じみたことを

 他人に向かって軽々しく言うのもいやなことだ。


 


 心の中にじんわりと滲み出てくることを

 静かに、普通に、平常の言葉で思い、考え

 それを素直な言葉で語り、書くようにしたいものだ。

 でもそれが結局、表現の中で一番むずかしいことなのかもしれない。自分にはそんなつもりは無くても、誤ちを犯していることもあるであろうし、相手により伝わり方が違うからである。


 経験の中で心に湧いた思いを極力素直なことばで、メッセージとして表現し伝えること、私にできるのは、それだけ。


2022年9月19日月曜日

 コラム287 <日本三鳴鳥>


 日本三鳴鳥はウグイス、オオルリ、コマドリ、ということになっている。八ヶ岳の渓流沿いに建つ私の山小屋周辺で際立って美しい声で囀るのは、ミソサザイである。日本の野鳥の中で最も小さいといわれる褐色で地味な鳥である。しかし、その声は一際(ひときわ)艶やかで、体躯に似合わぬ高らかな声で、しかも文字で表せない程複雑に、長く囀る。

 ここを訪ねて初めてこの囀りを耳にする人は〝あの美しい声の鳥は何?〟とだいたい尋ねる。全く反応を示さない人もいるにはいるが、余程音感に恵まれていないか、耳が遠いかのいずれかなのだろう。(失礼!)


 動きもちょこまか、ちょこまかと忙(せわ)しなく、一瞬見かけることはあっても、カメラなどで捉(とら)えることがなかなかむずかしい。私見であるが、このミソサザイは日本三鳴鳥のトップに挙げても全くおかしくない。

                                                     

 

 

 私の朝はこの小鳥の囀りと共に始まる。長い間に私の姿に慣れたのか、〝早く起きて!〟と言わんばかりに窓辺の枝に留まり来て、懸命に囀る。

 私だけが辛いの、苦しいのと言っていられない気分になって、気合いを入れてベッドから起き上がるのである。

 野鳥にさえ励まされているのに、私は他の人にいくらかでも励ましを与えられているか、と自分に問いながら生きている。





2022年9月12日月曜日

 コラム286 <赤トンボ>

 

 ちあきなおみの歌に出てくるあの、〝♬新宿駅裏《紅トンボ》♪〟のことではない。こちらは標高1500~600メートルの山中の赤トンボのことである。以前は砂利道を車で走って行くと、夥(おびただ)しい数の赤トンボが一勢に飛び立ったのに、今は飛び立つ赤トンボもほとんどいない。むこうの《紅トンボ》も消えたが、こちらの赤トンボも消えた。


 雨上がりの満月の夜など、まるで月見でもするかのように沢山のカエルが森から道路に出て来て、車で踏みつぶさないよう回り道をして、山小屋まで帰ったものだった。だが今は、そんな光景に出会うこともない。

 山中ですらあちこちの水路が、何のためかU字溝に換えられてヤゴ(トンボの幼虫)やカエル、蛍の幼虫や、そのエサになる川蜷(かわにな)などが棲息できる環境がどんどん失われている。失わしめるのは人間と決まっている。カエルなども横切ろうとしてポトリと落ちたら、摑(つか)まる所が無いから一気に下流に流されていく。勿論産卵する所さえ無い。その先に待ち構えているのは大方農薬の水田だ。


 人工池ではあるが、標高1500メートルにある美濃戸池周辺には、つい15年程前までは蛍が飛び交っていたのに、今は全滅だ。この主たる原因はこの池にブルーギルを放った不届き者が居て、肉食系のこの魚の食欲と繁殖力はすさまじく、数年も経たぬうちに美濃戸池はブルーギルだらけとなり、在来種の魚も、蛍も、絶滅した。静かな池は一気にヘドロの沼と化した。これも人間の仕業(しわざ)である。





 下の方の原村では毎年夏になると蛍狩りが楽しめたというが、大型のU字溝に換えられてからビオトープが破壊され全滅したらしい。全滅させておいて、元のビオトープを甦(よみがえ)らせようと、また公共事業予算を申請する事例もあるという。公共事業という名のもとに自然破壊への巨額の無駄使いをいつまで続ける気なのか。管轄する省庁は今でいう経済産業省か?日本という国の将来へのしっかりとしたヴィジョンと見識を持って、公人たる政治家と役人は勤めを果たしてもらいたいものだと思う。

 人間は自然に対して何と愚かしい所業を、何の反省もないまま続けてきたことか。人間程他の生物から恨(うら)みを買っている生き物は無いだろう。自分らのことしか考えていないのだから・・・。


 天が罰を下すことはないと教える人もいるが、これまで自然に対して人間が積み重ねてきた所業を思うと、人間に対して天が罰を下すのも当然のことと思われる。結局は因果応報、自業自得の世界を人間自らが作り出してきたのである。

2022年9月5日月曜日

コラム285 <便利よりはるかに大切なこと>


  この方が速いって?

  この方が安いって?

  この方が便利だって?


 私が志木市の本部に居た時、岩波新書二冊と文庫本一冊をいつもお願いしている八ヶ岳山麓の今井書店の齊藤さんに電話し、レターパックで送ってくれるよう頼んだ。支払いは郵便振替でね・・・と。

 齊藤さんは長いこと私の担当をしてくれている女性だ。


  アマゾンで買えば、翌日には着くじゃないかって?

  古本で探したほうが、ずっと安いじゃないかって?

  お互い、手間もかからないじゃないかって?


 そんなことは大したことじゃないよ。
 山中にいる時には動けない私のために車で片道30分程かけて、山小屋まで本を届けてくれる。お互い本好きだし、本文化の重要さを思っているから談議も楽しい。単に本の売買いだけの問題じゃない。それを通じて人と人の関係が出来、深まっていく。本を機縁に、いろんな話に花が咲く。だから私は齊藤さんに頼むのが楽しいんだ。私の本が平凡社から出た時も、長いこと平積みにして応援してくれたし、今も在庫を切らさずに置いてくれているようだ。

 そんなにフーハーフーハー言いながら生き急ぐことはない。ゆっくり本を読みながら、ゆっくり語り合いながら、人間らしく生きたいよ。みんな、そうは思わないかい?もっとゆっくりと、深く・・・。