2022年12月26日月曜日

 コラム301 <人生へのささやかなプラスのために>


 命はいつ終わるとも知れない。

 しかし、いつかは必ず終わる。

 それを考えると、命を与えられている限り、せいいっぱい生きなければ・・・と思う。死を通りすぎるような勢いで・・・。気が付いたら、〝アレッ?死がだいぶ過去のことになっている!〟というようなのがいいねえ。


 現在病を患っている人や、長く臥(ふ)して希望を失いかけている人々に対してはほんの僅(わず)かでもいい、光のある中に人生を送ってほしいと願う。

 そのためにささやかなことでも、自分にできることがあればやりたいと思う。

 できることと云っても、入院中の身ともなれば、言葉をかける、微笑(ほほえ)みかける、励ます、語り合う、可能なら苦しい所を擦(さす)ってあげる、といった程度のことに過ぎないが、こうしたことによって人と人との間にわずかな交流が生まれる。それを私は人生へのささやかなプラスのために、と言うのである。交流の線上に暖かい光がぽーっと灯るのである。




2022年12月19日月曜日

 コラム300 <野鳥に学ぶ:プーチンさんに献ぐ>


 山鳩だって、他を追い払いながら自分だけ啄(つい)ばんでいる姿は見苦しい。それより仲間と仲よく啄ばんでいる方が、どれほど穏やかで平和な世界であるか知れない。山の鳥達がそうであるなら、人間はなおのこと、勝手な野望を捨て、隣人と仲よくあること、そのためには隣人のことを思い、敬い、察し、愛することが必要だ。それは神様から人間一人一人に与えられた、永遠の課題だ。


 聖書にもあるではないか。


 ・われら言(ことば)と舌とをもて相愛することなく、

  行為(おこない)と真実(まこと)とをもてすべし。

 ・愛なき者は、神を知らず、神は愛なればなり。

 ・われらもし互いに相愛せば、神われらに在(いま)す。

 ・愛におる者は神におり、神もまたかれにい給う。

 ・人もし『われは神を愛す』と言いて、その兄弟を憎まば、これ偽(いつわり)者なり。

  すでに見るところの兄弟を愛せぬ者は、まだ見ぬ神を愛すること能(あた)わず。

                         (新約聖書 ヨハネ第一の書より)




 トルストイの民話集『人は何で生きるか』の冒頭にも引用されている。透明でキラキラと輝く、なんと美しい言葉達であろう。

  

 もしやプーチンさんは、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』を著した、あの文豪トルストイと同じ民族ですか?



2022年12月12日月曜日

 コラム299 <人の苦しみを察せられる人間でありたい>


 この5年近く、リハビリ病院での入退院を繰り返している。

 最初は二つの病院でそれぞれ3か月と4か月、その後は毎冬1・2月の2か月間、入院してリハビリトレーニングに努めている。


 院内ではこれまでさまざまな人に出会った。

 やはり一番多いのが脳卒中(脳出血や脳梗塞等)を患った人、それにパーキンソン病の人も意外に多い。その他、肘(ひじ)から先や、膝(ひざ)から下を失った人など様々である。他にも私の知らない、色んな人達がいるのだろう。


 

 入院中廊下ですれ違う人には、゛今日もお互い、がんばりましょうね〟とか〝リハビリがんばりましょう!〟といった程度のことだが、極力声をかけるようにしてきた。言葉が返ってくる人もいれば、表情で返してくれる人もいる。

 人それぞれに辛さが違うから、〝病の辛さ・苦しみというのは、なった人でないと分からないものですね〟という意見には皆同感する。お医者さん曰(いわ)く、〝我々も判ったような顔してるけど、患者さんの苦しみというのは、本当のところ分からないんですよ〟。

 こんな気楽に話せるお医者さんに担当してもらえてうれしかった。その内、一人一人の苦しみや辛さが本人のように解(わか)っていたら、医師は勤まらないな、神さまがそのようにつくって下さっているのだ、と思うようになった。

 それでもさぞかし辛いだろうなあ・・・と思わせられる人にしばしば出会う。そんな時には分からないまでも、人の辛さや苦しみを察することのできる人間になりたいものだと感じるようになった。それは身体の苦しみばかりでなく、ちょっとした表情の変化に心の苦しみを読み取る力に通じていくであろうからである。しかし人の辛さ、苦しみ、心の悲しみを察するのはなかなか困難なものだということを、身に沁みて感じるようになった。


 脳卒中の後遺症に苦しんでいる人はしばしば長い時間座っていられないと言う。私もその一人である。腰から尻にかけて耐え難く苦しくなってくる。それ故車で送迎してくれると言われても、コンサートなどには、どうしても足が遠のくことになるのである。


 電話を受けたり、電話会議をしたりする時も同様である。

 以前は限界が2時間位であったが、3回のコロナワクチン接種後どこがどうなったのか、左半身の筋肉がひきつれ、硬直を起こしてこの限界が、1時間程になった。

 このことを電話に出た時、相手に告げるのだけれど、告げられた方は電話に出た時から1時間と理解するらしい。しかし、それ以前から座っていて、電話に出た時にはすでに限界状態を迎えているかもしれないではないか。私の見るところ、会議の途中でも気遣いを見せてくれる人はなかなか居ない。

 経験がある程度無いと、察することは愚か、想像すらできないものなのだろう。


 病人を病室に見舞う時には短めに、と言われる意味が、今の私にはよく解る。察するというのはその人の身になって感じるということであって、口で云うのは簡単だけれど、身につくまでには気がつく、気を使う、気を配る、といったことと相俟(あいま)って小さい時からの躾も含めて、長い経験の積み重ねを必要とするものなのだろうと思う。

 察するにも深浅あり、である。



2022年12月5日月曜日

 コラム298 <コロナワクチンの副反応についての報告②> 


 先日電話で話した友人は、親は一度も打っていないのに大丈夫で、打った娘が感染したと言って笑っていた。考えてみればこの年になるまでただの一度もインフルエンザワクチンさえ打ったことが無いのに、入院となっていきなりインフルエンザワクチン1回と、新型コロナワクチン3回をたて続けに打ったのだから、私の身体はびっくり仰天(ぎょうてん)したのだろう。だがこの副反応は一向に抜けない。

 

 福島市の医療法人『八子(やご)クリニック』(024-533-1215)ではホームページで〝4回目のコロナワクチン接種には命の危険がありますので絶対に止めてください〟と訴えている。訴えだけでなく、予防接種のデータも添えられている。

 コロナワクチンのオミクロン株への予防効果に関してカナダのデータを紹介している。2022年3/21~4/10までのカナダ全土における感染、入院、死亡に対するコロナワクチンの有効性をグラフで示している。

 これによると

  「今回のワクチンには感染予防、重症化予防、

   死亡予防効果は全くないどころか、

   逆に接種が悪影響を与えていることが

   わかります。」

とある。異なるデータもあるのだろうが、第1回接種直後から苦しみ続けている私は危険であることの訴えに共感する。特に脳卒中の後遺症、神経マヒに苦しんでいる人や筋萎縮症などの人には直感的に厳重な注意が必要だと思う。パーキンソン病の人なども注意が必要なのではないか。ワクチン接種前まではリハビリでかなり回復していたのに、接種後は急激にガク、ガクッ、ガクンといった感じで副作用が出た。筋肉のひきつれとそれに伴う筋肉の硬直(筋肉と関節の痛み、あちこちでこむら返しが終日続いているような痛みを越えた苦しみ)に眠れない夜もしばしばだから、慢性寝不足状態が続いている。体内に何か異変が生じたのだ。