2021年1月25日月曜日

 コラム201 <気力とは>

気力とは滲(にじ)み出る清い湧き水の如し。
水脈が切れぬ限り、長い距離と期間をかけてとうとうと湧き出ずる時もあれば、岩清水の如く岩と岩の間から細々と滲み出てくるような時もある。枯れたかに見えても、また復活する時があるかもしれない。

 無理をしないことだ。岩くぼみに水が溜まるまで焦らずに待つことだ。

 気力とは気の流れの如し
湧き出ずる岩清水の如し
たとえそれが滲むような少量の時でも
どこかに向かって流れてゆく。

 

ほんの少し岩のくぼみにたまった時には、その時やれる分をやればいい。
少量たまった時には、その時やれる分をやればいい。
大いにたまった時には、その時やれることを大いにやればいい。 

無理しなくとも、焦らなくとも、やれることは自然が決めてくれる。



 

2021年1月18日月曜日

 コラム200 <便利は忙しさを増幅するという原理>

  持たない、と決めていたケータイ電話を持つ羽目になった。入院して掛けるも受けるもできなくなって持たざるを得なくなったからである。掛ける/受ける、と着信履歴/発信履歴がやっと使いこなせるようになったと思ったら、auから〝あなたのケータイはタイプが旧くて数年後には使えなくなります〟と通知が来た。どういうこっちゃ!こちらは何も困っていないし、これで十分だというのに……。勿論便利といえば便利にはなったがその後、確実に忙しさも増した。生活のリズムが確実に気忙(きぜわ)しくなった。ケータイを一定の場所に置いてそこにじっと座っている訳にはいかない。特に片マヒの私には室内の移動も大変である。ベッドに横になっている時などは起き上がり、装具を付け、クツを履いて、あっちへヨッチヨッチ、こっちへヨッチヨッチ、ケータイにたどり着いた頃には切れてしまうから、また掛け直さなければならない。 

 便利になればその分、時間も浮いて忙しさから少しずつ解放されそうなものだがそうはいかないのには原理がある。例えば、私は秋田県の湯沢市に生まれたが、小さい頃には東京まで寝台特急で9時間程度かかったものだった。それが、今や新幹線で3時間で着くようになった。ここで浮いた6時間はどう使われているのだろうか。ゆっくり本でも読み、音楽など聴いて感動などしていられるか?せめても昼寝でもして休息に当てられるかといえば、そういう訳にはいかない。大方浮いた6時間をせわしなくなった社会のリズムの中でさらに新しい仕事で埋め込んでいく。これが便利になればなる程、さらに忙しくなっていく原理だ。秋田銀行に勤めていた義兄の時代は仙台に出張となれば、一泊して帰るのが当然だったそうだ。その息子が今同じ職についているが一泊どころではない。用を終えたらそそくさと日帰りである。ある大手出版社の営業マンも同じようなことを言っていた。地方の書店まわりをする時は一泊して、店長はじめ仲間達と一杯やりながら色々雑談に花を咲かせたものだという。私が思うにその雑談の中にこそ、大切な人間模様が生まれ、知恵も人間関係も育まれていったものではないかと思う。便利に注意せよ!多忙に注意せよ!気忙(きぜわ)しい生活の中からは、特に人間的なものは何も生まれないのだから……。これまでのコラム(コラム122、コラム156)で何度か〝忙とは心を滅(亡)ぼす意なり〟と書いてきた。このことを自覚している人は意外に少ないのではないか。その忙と便利は密接に関係している。

2021年1月11日月曜日


 コラム199 <この小さな島国に原発54基?———その② >

 

 むずかしいことを多く知って中途半端な専門家まがい、知識人まがい、もの知りまがいになって、結局何も行動しないよりは、基本的なことを知って何か行動した方が意味がある———これは私の若い頃からの考え方だ。コラム198の二冊に続いて読んだのが、原発に関連した岩波ブックレット6冊である。

 ①      今こそエネルギーシフト          岩波ブックレット 810
 ②      取り返しのつかないものを取り返すために    〃      814
 ③      福島原発震災のまち              〃      816
 ④      ドイツは脱原発を選んだ               〃      818
 ⑤      原発への非服従                〃      822
 ⑥      さようなら原発                〃      824

 

 今の総理大臣の出身は私の生まれ育った町と同じ秋田県湯沢市だそうである。以前は湯沢市と秋の宮(村だったか町だったか)は別の町だったが、合併されて今は同じ湯沢市となっている。秋の宮には私の建築の師匠白井晟一が設計した秋の宮村役場があり、近くには稲住温泉、雄勝町役場もあって、縁(ゆかり)の地でもある。もうしばらくして、体調・気調が戻ったらどうにも解せない問題を整理して一国民、一同郷人として、直訴状を出そうと思っている。田中正造の時代とは違うから幟(のぼり)を立てて迫る訳にはいかないだろうが、秋の宮では今、初の総理大臣誕生ということであちこちに幟が立っているらしい。皆、福島原発のことばかりを問題にしているが、それさえももう関心が薄れ始めている。それ以前にも危ないところ、危なかった所があちこちにある。
 福島第一原発の問題がまだ解決不能状態のまま、廃液の行き場をも失い、水で薄めて海に流すしかないといった状態にまで追いつめられているのに、前首相自らが出向いて原発を海外に輸出しようとしているなどは、単なる経済のためなのか、それ以前に人間としてあまりに節操を欠いた姿勢に思えるが、その魂胆はいったいどこにあるのか。トラブル続きの核燃料サイクル、それでも六ケ所村に長きに亘って厖大(ぼうだい)な金をつぎ込み続けて核廃棄物再処理施設をどうしても作ろうとしている真の目的は何なのか?サイクルしたところで、煙のようにどこかに消えて無くなる訳ではないから、そのあとにまた残る第二次核廃棄物はどうするつもりなのか、何か不測の事態でも起きたら、日本が亡びるだけならまだいいが、地球規模で亡びる可能性すらある。六ケ所村周辺の住民達は大型工業開発の名の元に、何せ寒村のこと故安く土地を買いたたかれ手離したが、実は今日にしてみれば核燃料廃棄物処理工場建設のためであった。バカげたことに当初あの地帯に東北電力、東京電力の手で10基もの原発が予定されていたという。何故そんな計画が立てられたものか、勿論国もかかわりを持っている。聞いてみたいことが山程ある。少なくとも国家の歩む方向を決定づけてゆく国会議員と名のつく者達にとって、これ位の基礎的歴史の事実に目を通し、これまでいかなることが行われてきたかを知っておくのは最低限の義務であり、責務であると思う。

 日本の国策には、この国をどのような国にしていきたいかという大きな夢や展望がない。おめかしして、桜でも梅でも見たい者は観るがいいが、邪念まじりで観られるよりも無心に愛でられる方が花の心はどれ程喜ぶかしれない。原発の話に話を戻せば、中曽根さん、元々あなたが火をつけたことなのだから、一応の結末を見るまでは、まだ死んではいられませんよ。

 

2021年1月4日月曜日


 コラム198 <この小さな島国に原発54基?———その① > 

新年であるから、めでたい話でもしたいところだが到底そんな気分にはなれない。地球も人類も滅亡に向かっているのではないかとさえ思われるからである。新型コロナウィルスのせいばかりではない。原発問題をはじめ人類の生きる方向に対する不安である。

この小さな島国日本に原発が54基あるという。現在稼働しているのが何基あるのか知らないけれど、また54基中何基稼働してのことであるか知らないけれど、原発の全発電量にしめる割合は約30%という。私は知って何もしないのは性分に合わないから、山中生活で〝この電力消費を30%減らしてやろうじゃないか!〟と思い立って実践したことがある。使いたい放題に電気を使って原発反対でもないだろうと思ったからである。

その時も、かしこい(時々かしこくないものもいるけれど)日本人なら〝原発を不要のものとするために電力消費を30%減らそうじゃないか!〟と国が強いリーダーシップを発揮したら十分可能なことだと思った。

私は今、車でスーパーに買物に出かけても十分歩けないから買物の方は連れ合いに頼んで私は玄関脇の椅子に腰かけて入ってくる客達をじっと見ている時がある。今回の新型コロナウィルスで、一人たりともマスクをしていない客はいないし、入口ではアルコール消毒を忘れない。この徹底ぶりを感心して眺めていた。信州人だからこんなに律儀なのかと感心に思っていたら、秋田の姉は〝秋田だってそうだってば〟と言う。これなら原発廃止のために、30%の電力削減を!と国策として具体的にやろうとしたら、確実にできると改めて確信した。

なぜ国はやろうとしないのか。〝そんな簡単な話じゃないんだよ。闇の世界に張っている根が深いんだよ〟などと判ったようなことを言う者も多いけれど、大して判っていないで判ったような顔をしている人間が多いのが一番いけない。行動を生まないからである。

 

この半年、山中で読んだ本は以前からぜひ読んでおかなければならないと思っていた下記の二冊である。

『六ケ所村の記録(上)、(下)核燃料サイクル基地の素顔』:鎌田慧著(岩波現代文庫)

私は行動を共にした訳でもないし、その場に住んで実体験をした訳でもないから、内容を解説したりできる立場にはないが、表紙の帯だけはここに記しておこう。

 

 (上)巨大開発のために土地が収奪される中で抗い続ける多くの人びとがいた。やがて核廃棄物再処理工場が村に———。寒村の百年を描く渾身の書下ろし大作

(下)使用済み核燃料再処理工場建設は何の為か?原子力開発の拠点とされた村の歴史とその人々の肉声を40年間聞き取った労作

 

 上記の二冊を私は歯ぎしりしながら読んだ。そして当時私が同じ地域に住む村民、漁民だとしたらどうしただろうかとしきりに考えさせられた。歯ぎしりし過ぎたおかげで奥歯の親知らずを二本抜く羽目になった。

上記の本を読んだ者は巨大開発だの国策だのというものは、いかに多くの村民や町民達をあざむきながら進められるものであるかを思い知らされるだろう。