2017年2月27日月曜日

コラム 78  冬の夕陽  

細長い西の窓から夕陽を眺める。
沈んでいく太陽は一日の別れを惜しむようでもあるが、それはこちらだけの感傷なのだろう。堂々と怯(ひる)むことなく無言で沈んでゆく。
冬山に生きる生きもの達も、飛び交っていた野鳥達も、毎日のことながら今日もまた陽が沈んでゆく・・・・・と西の空を眺めているだろう。

今日は遠く水平線に雲が立ち籠めて、その中にススススーッと急速に沈んでいった。燃えるように輝く太陽の姿はもはや無く、残るは雲のうしろからその存在を知らしめるかのように緋色の光を見せている。
しかしそれも束の間、やがて漆黒の闇と入れ替わる。 

この漆黒の闇も多くの友を誘(いざな)いながらやってくる。輝く星達だ。
東北に生まれ育った私でさえ、ここに来るまで星の輝きがこれ程のものであることを知らなかった。標高1600メートル。街の灯がかすかに入るが、それでも空が圧倒的に近い。数え切れない満天の星にこの身がすっぽりと包まれる。しばらく眺めていると、まるで宇宙に遊泳しているような錯覚に捕われる。
夜空の序奏の調べ。音も無く月が現れる。あぁ、これはまさに自然が奏でる無言歌だ。ついぞ忘れていた偉大な自然との融和。 

私は先を行かず、空からやってくるものを待っていた。
胸に去来するものは天からの声つぶ。静寂の粒子。
これこそが静寂のひととき,自然と一体となる時。

2017年2月20日月曜日

コラム 77  親の影響・風土の影響  

私は秋田県湯沢市に生まれた。豪雪地帯である。今は年の半分を信州の山の中で暮らしているが、大雪の日にはこの「雪国生まれの雪国育ち」が威力を発揮する。除雪、道つけ、屋根の雪降ろし、かまくらづくり、そして春先になれば鉞(まさかり)で路面の氷を割るのも恒例であった。数年前山は記録的な大雪に見舞われたが、特別驚くことも無い。育った風土の影響である。 

〝タカハシさん、シャベルの使い方うまいですねえ!〟
私のシャベル捌きは私の育ちを知らない人から見ると驚きのようだ。広い駐車スペースなども短時間で除雪が終わる。こうした技は父親から自然に引き継いだものだ。
父親は実に梱包のうまい人でもあった。一つの箱があるとものの見事にピタリと美しく詰めた。
この家風を子供達が引き継いで、私も梱包はうまい方だと思う。〝あのイメージ〟を引き継ぐのである。〝あれに較べてどうもまずいな、うまくないなぁ、きれいじゃないなぁ・・・・・〟となるのである。
親の影響とはこのように知らず知らずの内に身に沁みている。 


器好きと共に料理好きも、きっと母親の影響だ。厳寒期、日本海の真鱈(まだら)は腹に大きな子を孕む。これを絞り出し、刻み昆布とスルメを加えて酒、醤油、味醂で一晩漬け込む。残った皮は細かく刻んで炒めた人参、糸コンニャク、時にシイタケなどと共に出し汁で味付けをする。これなど食べるばかりで作り方を教わった訳でもないから、幾度も挑戦しては失敗し、ああでもない、こうでもないとやるのである。やはり〝あの味〟と比較するのである。 

私には姉が二人居る。秋田にいる下の姉がこの味をしっかり引き継いで、過日そのコツを聞いた。
最近やっと〝母のあの味〟に近づきつつある。
作った二種を長野に居る姉に送ったところ 

〝あまりに懐かしくて、涙を流しながら食べている〟 

とのことであった。

2017年2月13日月曜日

コラム 76  偉大な死  

偉大な死とは人間のことではない。
さわがず、ばたつかず、静かに死を迎える。
偉いと思うのは蜂であり、蝉であり、野鳥であり、鹿である。
人間は口で言えるかどうかはともかく、〝死にたくない〟〝死にたくない〟と命に執着を見せる。
しかし上の者達は自然の摂理に身を委ね、その死はいたって静かである。 

彼らの心中やいかに、と思うこともあるが、どのような境遇で死を迎えようともおそらく、その運命を寂々たる思いで受け入れているのではないかと思う。
仏教では諦観の念といい、悟りの境地などという。しかしこうした境地に最も遠いのは人間なのではないかとふと思う時がある。 


ウソが窓ガラスに当たって死んだ時、残された番(つがい)の一羽が暗くなるまで悲しくさえずっているのを聞いた。
キジ鳩が枝の上で何日も雨に濡れ、何も食べずに悲しみに沈んでいるのを見た。おそらく番の一羽が野生動物にでもやられてしまったのだろうと思う。彼らに寂しさもあれば悲しみもある。それは鳴き声や眼の表情で判る。 
 小鹿が車にはねられて死んでいた。
小鹿は親と一緒のことが多いから、親はその場面を知っているだろう。悲しんだに違いない。だが、スピードを出し過ぎていたやもしれぬ撥()ねた者を恨んだりはしない。運命を運命として受け入れるしかすべが無い。

 人間は嘆き悲しむという。しかし彼らには悲しみはあれど、嘆きはないのではないかと思う。喜怒哀楽はあっても執着を捨てている。
恨みも悔やみもしない――ただ悲しみの感情だけが残る――これを悟りの境地と呼ばずして何と呼ぼう。彼らは偉大である。死の覚悟において、己の命は空の空、無常であることを彼らは知っている。

2017年2月6日月曜日

コラム 75  冬のハエ君  

PART  

昨夜床に就く時、これまでしばしば見せたように仰向けにひっくり返っていた。朝までこのままなら、死んでいるだろう。
朝起きた時、案の定昨夜と同じ位置に、同じ格好で、そのままだった。指でつついてみると、床板の上で転がるばかりだ。到頭・・・・・。
だが、ここからまた奇跡が始まった。あれ?私の指にしがみつくではないか。しばし間を置いて指の上を歩き始めたのだ。生きている!まだ生きているよ!!
私は驚くと同時に、仰向けにひっくり返って死んだように動かなくなるのは眠るのだと確信するようになった。六本の脚(おそらく二本が手で、四本が足であろう)をバンザイするようにのびのびと広げて休んでいるのだ。死んだ時には脚を縮めてしまうから、明らかにそれとは違うのだ。 

ハエにこんな習性があるのだろうか?冬期生きのびる知恵なのだろうか。熊だってエサを食べずに冬眠して生き延びるのだ。ハエにそういうことがあっても不思議ではない。起こしてエサなどやるのは人間の浅知恵か―そう思われてきた。 

ハエの習性に詳しい人に教えてもらいたい。程々の室内でならハエは仰向けになってこうして眠りこけながら越冬するものか。程々といったがここは山小屋だから年中居る訳ではない。時に室温は外気と同じマイナス20度を超えることもある。そんなところででも生き延びられるものか。
しかし考えてみると、冬の寒さで全滅するなら春暖かくなった頃に出てくる訳がない。何らかの方法で生き延びている。そもそもこのハエ君はどこに居たのか。冬ともなれば毎日が厳しい寒さだからそんな中外から飛んできたとは考えられない。してみれば前回山小屋に滞在した12月初旬には、すでに棲息していたことになる。
あれからもう二ヶ月が経とうとしている。不思議なことだ。この室内で何らかの形で越冬していた、としか考えられない。それが暖房によって部屋が暖まり、様子が違ってノソノソと起き出してきた、そう考えればこの動きもピッタリだ。暖房しているとはいえ夜は寒く目覚めの端境期のような状況を呈して、だから起きたと思えば眠り、眠ったと思えば起こされていたく落ちつかぬ生活を強いられているのではないか・・・・・。いっそのこと寒い隅にでも置いてみようか――しかしここまできて、その勇気が出ない。ハエ君に人間心がかすむ。 

普通はひっくり返ったら必死に起きようとするのがハエである。
だが、このハエ君は一度ひっくり返ったら、そのまんまなのである。せいせいと6本の足を空中に向け開いて、微動だにせずスヤスヤと眠りにつくのである。
最初は起き上がれぬ程弱っているのだと思っていたが、これはどうもそうではない。それ以上の、それとは違う別の理由があるようなのだ。
そんなことがあるものか、と人は言うが、実際目の前に居るのである。