2015年7月19日日曜日


コラム 1 <山小屋生活の始まり-その①>  

 平成3年(1991年)信州八ヶ岳の山中に小さな山小屋を建ててから足掛け25年が経つ。八ヶ岳は山梨県と長野県の県境に位置するが、私の小屋は長野県側の、しかも標高1600メートルにあるだけに夏はこの上なく涼しく、逆に冬はマイナス20度を超える。この山中で与えられたインスピレーションは、限りなく豊かだ。それをこれからコラムの形で書き連ねていこうと思う。 

自然の中に、とは云っても山を求める者と海を求める者があるという。山々に囲まれた東北の盆地に生まれ育った私は、明らかに山派だ。
・山中深く
・飲める程に清らかな水が流れ
・通過交通のないどん詰まり
これが私の立地に求めた条件だった。しかしながら数年かけてあちらこちらと探し歩いたが、そんな条件に適うところはありそうでいてなかった。 

  ふとしたきっかけで出会ったのが、八ヶ岳のこの地だった。電柱に"この土地売りたし"の貼紙を見つけた。通りがかりの全くの偶然であった。別荘地であることだけが私の描いた理想に適わなかったが、今にして思えば、もしここが別荘地でなかったならば、冬期は除雪不能となり全く接近出来なかったに違いない。ここから上は別荘地開発が許可されず登山客用の宿泊小屋が数軒あるのみだから、敷地に沿って流れる渓流は飲める程に澄んで、夏でも長く手を入れていられない程冷たい。周辺の人々は“いくらきれいだって飲んじゃあいけないよ”と言うが,秋田育ちの私の直感は消毒剤入りの都市水道よりははるかにましだろうとこれまで度々飲んできた。それで腹をこわしたことも無い。 

 私が山中を求めたのには訳があった。「住まい塾」という家づくり運動をスタートさせて78年目の頃、さまざまな事情から私の精神は限界に達し、このままでは自分が駄目になるとも思った。そして私の思いはおのずと山中に向かった・・・・・あれから25年、今は一年の半分が山中生活である。

 現役でありながら、なぜ一年の半分を山中で暮らせるようになったのか?私よりはるかに経済的に恵まれ、自由のきく立場にある人であっても私のような生活をうらやましいとは言いながらも実行できないところを見ると、これはやはり意思と決断によるとも思えるけれど、しかしその意思と決断をもたらしたものは何であったかと考えると、これは単に個人の思いや置かれた状況のせいばかりではないと思うようになった。これは明らかに恵みでもあった。