2026年3月16日月曜日

 コラム461 <他人の苦しみは判り得るか②> 



 病人の苦しみは当人以外には判らない、とは自らも感じていたが、何ということもなく当然のことのように考えていた。


 だが最近はそれが恵みであるとさえ感じるようになった。他人の苦しみを判る原理を神様がおつくりになっていたなら、医師は長くは務まらないだろうし、命がいくつあっても足りないようなことになるだろうし、連れ合いはじめ、数え切れない人達の好意と世話を受けているのだから・・・。


 苦しむは当人一人で十分。苦しみを察してくれたり、気使ってくれたりする人間のやさしい心使いは勿論うれしいが、この苦しみを判ってくれたりするのは苦しみの連鎖であって神様はそれをくい止めてくれているのだ、と思うようになった。以来一人で苦しむのは、眠れない程苦しい日々が続こうともある意味自分自身に閉じられた問題として考えられるようになって、少し気が楽になった。


 最も苦しんでいる人は辛い顔を見せないかもしれない。最も悲しんでいる時人は悲しい顔を見せないかもしれない。その人の真の状態を知るには、人の心の内を察するしかない。豊かな感性・情感が無ければ、人の真の状態を察することはできない。察する力が無かったら、うわべのことしか判らない。

 病院で言葉を交わせるようになった人の殆どは


  〝病の苦しみは、なった者にしか判らない〟


と言う。苦しみの少ない病、重い苦しみを伴う病等、人それぞれだが、心の問題を含めて、他人の苦しみは他人には判らないものだとつくづく思う。これは私のひとつの悟りである。



 



2026年3月9日月曜日

 コラム460 <他人の苦しみは判り得るか①> 



 救急病院での二か月の入院のあと回復期のリハビリテーション病院に移る。この転院先は自分のほうで探さなければならないから、先妻に苦労をかけた。二、三候補に挙がった。一か月程空くのを待たなければならなかったが病院設立の志のよさそうなところを選んだ。入院期間のMAXは6か月。後半は上田市山中にある鹿教湯(かけゆ)病院に転院した。最初からそこに行きたかったが、身体が全く動かぬ状態でそんな遠くの病院に入院するのは無理であった。


 5月から7月までの3か月間、松戸リハビリテーション病院に入院。この病院は新しくきれいであったし、従業員の人々も皆気持のよい人々であった。3か月間で不快な思いを一度もしたことがない。特に理学療法士の荒堀さんは後半の転院までには一本杖で何とか歩けるように、と懸命に努めてくれたが、途中急性胆のう炎を起こして転院手術を受けたので、この2~3週間分が及ばなかったと悔しがった。鹿教湯病院には予定通り8月には転院した。一本杖で何とか歩けるようになったが、足どりはまだおぼつかなかった。


 一年目の主治医は院長の大沢先生が担当して下さった。入院初日、面接の中で大沢先生はこうおっしゃった。


  〝医者ってのはねえ、判ったような顔をしてやってるけども、患者の苦しみってのは判らないもんだよ・・・。〟


 その表情はおだやかで人間的であったことも手伝って、そのフランクな語り口に即、親近感を覚えた。以来毎年廊下でウォーキング中にお会いする程度であるが、親しみを感じ続けている。あれからもう8年が経つ。2年目からは瓦葺(かわらぶき)先生が主治医を務めてくださるようになった。毎冬2か月余りの入院リハビリ生活を続けているが、毎年院内で幾人かの話し相手が出来る。毎年お会いする患者さんもいるが、私が必ず聞くのは第一に仕事柄


  〝家に帰りたくないですか?〟


ということと、第二には

  

  〝病んでいる人の苦しみは当人以外には判らないもんですねえ。〟


の二つである。第二の質問にはすべての人が同意するが、別の施設内でのことであったが、第一の質問にはこれまで一人だけ帰りたくないという人がいた。どこかの校長先生をしていた方らしく、99才というのにしっかりした方だった。どうも家族関係に問題があるようだった。〝こういうところに居ると何も困ることはないんだが、話し相手がいなくてねえ〟とポツリとこぼすように言った。この日以来、家とは一体何なのだろうと、改めて考えさせられるようになった。









 


2026年3月2日月曜日

 コラム459 <専門家の陥(おと)し穴> 



 多くの医師は病を看て人を看ない。私の仕事は住宅の仕事だから、住宅を見て人を見ない設計者が殊の外多い。建物への要求ばかりを聞いて、人間あるいは家族を顧(かえり)みなければ、多く失敗する。


 仕事において、この人間を見ない失敗をどれ程多くの専門家がしているだろうか。

 その原因は専門家というものは多く人を見るだけの人間の力量を欠いているからである。必要とさえ思っていないから死ぬまで気づかない。きっと死んでも気が付かないに違いない。それは驕(おご)りの一形式だからである。

 人間としてのやり直しである。人生のやり直しである。


 この時代は多くのモノに恵まれた。カネと科学技術。しかし一方で大きく、深く失ったのはそうした価値観であり、人間観である。まるで注ぐ愛情も鑑識眼も無いままモノを集める美術・古美術・骨董品の蒐集家のように・・・。

 





2026年2月23日月曜日

 コラム458   <百聞は一見に如かず> 



 出典は「漢書」とあるから大昔から言われ続けてきた言葉なのだろう。確かにこれもひとつの真理である。


 だが、大方百聞しても悟れぬ者は一見しても悟れないものだ。それが私のこれまでの経験上の実感である。現代に近づけば近づく程この現象はひどい。

 感性に張り無く、緊張感が崩れているからである。おごれる者──これもそのひとつである。素直であり、謙虚であり、常に自分の中に不足を感じている者──そんな鋭敏な感性をもってして初めて


  〝百聞は一見に如かず〟


なのである。百聞しても一見してもボケーッとたるんでいるようでは何をかいわんやである。


 たしかに百聞しても捉えられなかった真理を一見して初めて捉えられることもあるだろう。しかしこの意味を取り違えてはならない。如かずとは及ばぬという意味であって、百聞しても悟れぬ者が一見したら悟れる、あるいは百聞しても理解せぬ者が、一見すれば理解できるようになるということではない。百聞には百聞なりの意味と価値があり、一見はそういう者に対してさらに意味を加えるものだろうと思う。


 百聞に意味を見い出せぬ者は一見しても百見しても一聞にも及ばぬのである。いずれにせよ鋭敏な感性が底辺に無ければ、百聞も百見も意味を為さないのである。

 この鋭敏な感性とは天性のもの、ということもあるが、日常の生活の中でこそ磨かれていくものである。




 




2026年2月16日月曜日

 コラム457 <人間とはかくも成長しないもの> 



   吾十五にして学に志し

   三十にして立ち

   四十にして惑わず

   五十にして天命を知り

   六十にして耳順(したが)い

   七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰(こ)えず

                   孔子(前551~479)


   40,50はハナタレ小僧

   60,70は働き盛り

   80,90になって迎えが来たら、100まで待て、と追い返す

                  渋沢栄一(1840~1931)


 この二人の間には2000年以上の時が流れた。その先にも、後にも、数多(あまた)の賢人達が遺した言葉が、書物が数え切れない程ある。

 

 現代の我々は学ぼうと思えばそれを学び得たはずである。しかし、人間とは成長の糧(かて)がいか程あっても成長し得ないものだなあ、と上記二つの言葉を読んで思った。しかも現代は長きに亘って続いてきた書物文化が衰退はおろか崩壊の危機にすらある。本は売れず、読まれず、街から本屋さんは次々と消え、出版社は生き残りをかけ喘(あえ)いでいる。情報の量だけは間便に入手できるようになり、人間そのものは益々幼児化している。長寿にはなったが、なんと寂しいことではないか。







2026年2月9日月曜日

 コラム456  <真に思いやることの、むずかしさ> 



  
これの困難さはその人の人間性の芯に直結する問題だからである。真実であるかどうか、本物であるかどうかの問題は、身体ごとそうなのかという問題と同義である。それは長年私を悩まし続けた。

 しかしそうなってこそ、真の人間性を帯びた人間といえるのである。生涯の課題であり、幾生涯をかけての永遠の課題といっていいものかもしれない。

 






2026年2月2日月曜日

 コラム455 <人間っていいなあと思う時> 


 

   美しい音楽に出会う時

   美しい器に出会う時

   心の美しい真実の人に出会う時


 こういう時私は人間に生まれてよかった、とつくづく思う。


   美を愛する人に出会う時

   人間であることを求め続けている人に出会う時


 私は人間であって、よかったと思う。


 それが最近そのような真っ当な人間に出合うことが極端に少なくなった。

 その点私は恵まれていた。


   心やさしき人々に多く出会った。

   人間であることの意味を深めている人々

   ひたむきに何かを求めて生きている人々にも

   多く出会った。

 

 私の人生に喜びと彩りを与えてくれた。小さいことでいい。私と出会った人に何がしか彩りを添えられる人間になってから、この世を去りたいものだ。