コラム413 <溜(た)まって汚くなるのは金(カネ)と灰皿 ── その②>
今日も道路のあちこちに設置されている拡声器から注意勧告が流れている。
〝こちらは朝霧警察署です。市内の沢山の家庭に市役所員と名乗る男の声で、還付金がありますから・・・という電話が沢山かかってきています。そういう電話がかかってきたら、すぐに110番通報してください。〟
こうしたことが度々だ。手口が年々巧妙になっているから、判っていても引っ掛かってしまうらしい。今は高齢化社会だから余計だ。
聖書には〝神と金に同時に仕えることはできない〟とあるし、仏教では因果律を説く。因果応報・・・〝現世でこの法が適わなくても魂の長い歴史の中で、必ず辻褄(つじつま)が合うようになっている〟と説く。しかし現代社会ではそんな言葉を聞いてもどこ吹く風である。その罪を背負うのは、人類であるというのに・・・。
紀元前から教えられ続けてきた人間としての基本的な心構えを未だに実践できていないとは、人間とはあさましいものである。
しかしいつの時代にも天から遣わされた心美しき人間、美しき魂の人間は身近に必ず居るものである。ただ我々の心のアンテナが歪んでいるから発見できないだけである。あさましきは人間、心美しきは人間、というところか。