コラム460 <他人の苦しみは判り得るか①>
救急病院での二か月の入院のあと回復期のリハビリテーション病院に移る。この転院先は自分のほうで探さなければならないから、先妻に苦労をかけた。二、三候補に挙がった。一か月程空くのを待たなければならなかったが病院設立の志のよさそうなところを選んだ。入院期間のMAXは6か月。後半は上田市山中にある鹿教湯(かけゆ)病院に転院した。最初からそこに行きたかったが、身体が全く動かぬ状態でそんな遠くの病院に入院するのは無理であった。
5月から7月までの3か月間、松戸リハビリテーション病院に入院。この病院は新しくきれいであったし、従業員の人々も皆気持のよい人々であった。3か月間で不快な思いを一度もしたことがない。特に理学療法士の荒堀さんは後半の転院までには一本杖で何とか歩けるように、と懸命に努めてくれたが、途中急性胆のう炎を起こして転院手術を受けたので、この2~3週間分が及ばなかったと悔しがった。鹿教湯病院には予定通り8月には転院した。一本杖で何とか歩けるようになったが、足どりはまだおぼつかなかった。
一年目の主治医は院長の大沢先生が担当して下さった。入院初日、面接の中で大沢先生はこうおっしゃった。
〝医者ってのはねえ、判ったような顔をしてやってるけども、患者の苦しみってのは判らないもんだよ・・・。〟
その表情はおだやかで人間的であったことも手伝って、そのフランクな語り口に即、親近感を覚えた。以来毎年廊下でウォーキング中にお会いする程度であるが、親しみを感じ続けている。あれからもう8年が経つ。2年目からは瓦葺(かわらぶき)先生が主治医を務めてくださるようになった。毎冬2か月余りの入院リハビリ生活を続けているが、毎年院内で幾人かの話し相手が出来る。毎年お会いする患者さんもいるが、私が必ず聞くのは第一に仕事柄
〝家に帰りたくないですか?〟
ということと、第二には
〝病んでいる人の苦しみは当人以外には判らないもんですねえ。〟
の二つである。第二の質問にはすべての人が同意するが、別の施設内でのことであったが、第一の質問にはこれまで一人だけ帰りたくないという人がいた。どこかの校長先生をしていた方らしく、99才というのにしっかりした方だった。どうも家族関係に問題があるようだった。〝こういうところに居ると何も困ることはないんだが、話し相手がいなくてねえ〟とポツリとこぼすように言った。この日以来、家とは一体何なのだろうと、改めて考えさせられるようになった。