2020年12月28日月曜日


 

コラム197 <気力はどこから出てくるものか②>

  発症後あと二か月足らずで、三年になる。やっと、やる気という意味での気力が甦りつつある。私にとっての本当の自主トレーニングはこれからだ、と思えるようになってきた。発症後半年経過したら、以後大きな回復は望めないなどという医学界の常識に捉われずに、73才になった私は淡々と自主トレを続けるだろう。そして発症後5年後にはどこまで恢復しているか改めて報告したいと思う。息巻いていた割に恢復していないという結果になるかもしれないが、生きるとはそのプロセスだから……結果は天のみぞ知る、である。

 自主トレの自分なりにの組立を考えるに、若い頃やっていたスポーツ(陸上競技やスキー)が大いに役立っていることは確かだ。病院では入院中も退院後も転ばないように、転ばないようにと再三注意を受けたが、転んで起き上がるのも経験の内だろう。特に退院後はこれまで幾度も転んだし、笹ヤブの坂を滑り落ちて大きな石に頭をぶつけ、血を流したこともあるが、大したケガもなく済んでいるのは、若い時分、柔道をやっていたおかげであると思う。転び方がうまいのである。セラピスト達はトレーニング中にケガでもされると責任問題となるから、チャレンジャブルなトレーニングをどうしても控え気味になる。だから私は最初から宣言した。
 〝トレーニング中に転んでケガしようが、私は病院の責任など決して問いませんから……〟
 こうしてセラピストとの気も合って思いっきりのいいトレーニングを随分させてもらった。1階のリハビリルームから病室のある4階までの階段を許可もなく登ったこともある。挑戦しなきゃ、楽しくないよ。
 気力とは、気質にもよる。気質とは生まれた時に身についてくるもののようであるから、簡単には鍛えられない。熱き胸(思い)と、力の入らぬ丹田では、気力はどうにもならないのである。志(胸)と気(丹田)はどこかでつながっているものかもしれない。
 もっと日常的な気分でいえば、

 Ⓐ・今日の体調は最悪であるし、ベッドに横になったまま休んでいたい……
  ・ああ、腿(モモ)の筋肉がもう限界である。こんな調子では歩けそうにない……
  ・風も強いし、空は暗いし、今日は歩きに出かけるのはよそう……
 Ⓑ・そんなことはどうでも、よ~し、一丁やったるか……!

 ⒷマイナスⒶがプラスとして残れば行動が起こせる。気力があるとは、このプラス部分が残ってこそはじめて言えるのである。自分との闘い、気力との闘いとはこういうことである。

Ⓐに勝るⒷということである。

2020年12月21日月曜日

 コラム196 <気力はどこから出てくるものか①>

 最近やっと〝がんばってるよ〟と他人に少し言えるようになった。がんばろうにも気力が出なければがんばれない。これまでもがんばってきたつもりだが、気力がないと〝がんばってるよ〟とは他人には言えないものだ。気力と一口に言うが、この〝気力〟とはどこからどうやって出てくるものか判らないし、医学の世界でもきっと判らないことだろうと思う。どうも脳や特定の内臓から出てくるものではなさそうだし、栄養を沢山とって出てくるのは体力の方であって気力とは言い難いし、歯を食いしばっても持続して出てくるものでもない。漢方では丹田が全身の精気の集まるところとされるが、これは少し当っているような気がする。スキーで〝リラックスして〟と言っても、丹田まわりも含めて腹筋の力を抜いてはギャップで飛ばされて安定した滑りが出来ないことを経験上知っているからである。 

 リハビリのセラピスト達は気力のない人(やる気のない人)にはどんな名トレーナーが付いてもどうにもならないと言う。確かにその通りだろうと思う。しかし、私の経験から言うと、名トレーナーとは専門技術が高いというようなこともさることながら、患者にやる気を起こさせる人のことを名トレーナーというのではないかと思うようになった。
 退院後の自主トレーニングの段階となれば、基本的にやる人は自分しかいなくなるから、気力の問題が大きくなるが、それでも一緒に添って歩いてくれる人、励ましてくれる人、誉めてくれる人の存在は大きい。

  私は入院中は主治医にも恵まれた。リハビリのセラピスト達にも恵まれた。とにかく、多く住宅の話を交えながら楽しくやらせてくれたのが何よりだった。退院後も多くの人々に恵まれた。連れ合いや二人の姉を筆頭に、別荘地内の友人達にもよく助けられた。自主トレの環境にも恵まれた。勿論、私が不在の間、住まい塾の活動を支えてくれた仲間達もよくがんばってくれた。
 こうしてみると、気力というものは自分の身体内のどこかで生み出されるものというよりも、もっと複雑にさまざまの要素がからんで生まれてくるもののように思われる。〝湧き所は胸〟という表現が一番実感に近い。

2020年12月14日月曜日

 

コラム195  <脳卒中(脳出血や脳梗塞など)の後遺症に苦しんでいる方々へのはげまし その① >

  脳出血とか脳梗塞などを総称して脳卒中ということすら、私は知りませんでした。脳出血などは特に一瞬にして気を失い、バタンと倒れるもののように思っていましたが私の場合は全く違いました。2018211日日曜日、午後1時からの定例勉強会のあと、ユーザーとの打ち合わせをひとつ済ませて、スタッフが用意してくれていた遅めの昼食をとり終えて、お盆を寄せようとしたら、アレッ?といった感じで左手に力が入らないことに気付きました。定例の勉強会後だったのでスタッフがまだ残っていましたし、声をかけて2階の自室に呼んだ時にはすでに左脚にも力が入らず、スタッフの山上君に左肩を支えられながらも床にへたり込みました。こうして救急病院に運ばれました。意識は自分でははっきりしていたように思います。

  あの日からもう三年近くになります。恢復が捗々しいとはいえないまでも、二つのリハビリ病院での基礎トレーニングで、一本杖で歩けるようになりましたし、多少のことなら左手も使えるようになりました。私が基礎トレーニングと書き、今日のコラムに〝はげまし〟と付けたのは、国が定める入院リハビリテーション期間は6ヵ月が最大と決められているからです。その期間を過ぎると大きな恢復は望めないとされていて、ベテランの医師程そう確信しているようです。国の定めもこの考えに基づいています。ですから、その後は別の形のトレーニング方法をとるか、どうしても自主トレーニングが中心にならざるを得ないのです。はげましとして書きたいと思ったのは私の場合、一本杖で比較的安定して歩けるようになったのも、左手の握力が10kgを超えて15kg位まで回復したのも(半年まではゼロでした)、グー・チョキ・パーが何となく出来るようになったのも、左手でボールを投げられるようになったのも(勿論下手投げですが)、左指先で動き曲がりなりにもファスナーを上下できるようになったのも、作務衣のひもをたどたどしくも時間をかけてやっと結べるようになったのも、すべて半年を過ぎてからです。ですから、〝半年〟などという医学界の常識に捉(とら)われずに、坦々と自主トレーニングを中心に励んで欲しい、というのが私からの励ましなのです。時には奥歯をかみしめて折れそうな自分の心と闘わなければならない日もありますが、これまで心が折れて自主トレーニングをあまりしなくなった人を数多く見てきました。心が折れたら回復は望めません。私はそう思って主たる病院である信州上田の鹿教湯(かけゆ)病院でもセラピスト達に〝高橋さんはこの病院でも自主トレランキング、No1だよ〟などとおだてられながら調子にのってがんばれたのです。あまり無理せず、継続して自主トレーニングをしていけば、ほんの少しずつでもできることが増えていきます。
 私の現段階での最大の難敵は左脚及び左肩から指先までの強烈なシビレです。それでも折れずに、マッサージ師の助けをかりながら毎日トレーニングに励んでいます。もうダメだ!と思って諦めかけている人々にエールを送りたいのです。私だって時々、〝こんなに沢山の人達に世話と迷惑をかけながら生きるのならば死んだ方がましだ!〟と思う時があります。他人の役に立てないまま 生きる というのは辛いことです。〝この役立たず!〟と心の中で自分に向かって自分が言うのです。 

 私の挑戦はこれからも、まだまだ続きます。きっと人々の役に立てるようになるまで……。そうならなければ、恢復を願って多大の犠牲を払ってくれている、特にまだ現役で仕事をしている連れ合いや姉に、そのほか心配してくれている多くの友人や仲間達に申し開きができないではありませんか。


 

2020年12月7日月曜日

 

コラム194 <いい人間関係を築いていくには>

 

 ・喜びの感情を伝え合うこと

 ・感謝の思いを示し合うこと

 ・相手への敬意を抱き合うこと

 人間関係を悪くするには、この逆を歩めばいい。その前提には互いに素直な感情が必要だ。人間である限り、それぞれに多少なりとも課題はある。それでも、責めるよりもずっと多く上記の感情を伝え、示し、抱き合うことだ。

  〝人間は第一に考える動物であり、第二に感じる動物でもある〟としばしば言われる。しかしそれは逆であると、ある脳医学者は言う。〝人間は第一に感じる動物であり、考えもする動物である〟……と。私は なるほど そうだ、と合点した。そうした認識に立てば人の見方も変わってくる。対処の仕方も、発する言葉も、人間関係も違ってくる。40年程前に、この山小屋を作ってくれた大工さんは毎年数回訪ねて来てくれる。世話になったリハビリ病院のセラピスト達も忙しい時間を縫って片道2時間の距離を遊びに来てくれた。うれしいことではないか。互いに上記の感情を持ち合っているからである。