2024年3月25日月曜日

 コラム366 <恩> 


 これまで沢山の人々の恩を山程受けてきた。よく通った宝塚の古美術屋さん『昔々庵』の有井日出子さんもその一人である。随分長いことお世話になった。骨董・古美術 ─── 器、茶道具、掛軸、等々色々見せてもらい、手で、眼で、触れさせてもらった。毎日新聞社系の広告会社に居た頃から好きで買い集めたというだけあって、知り合った初期には通称古伊万里の名品を数多く持っておられた。ほぼ毎月、大阪に行く度に伺って、楽しかった。訪ねる度に必ず食事を準備してくれていた。食事時間を避けて伺ってもそれは変わらなかった。あのように世話好きで面倒見のいい人はもう浪花(なにわ)のあの年代にしか残っていないと思われた。交際範囲の広い方だったから、家を造りたいという人を住まい塾に幾人も紹介してくれた。おもしろい話、益になる話、諭される話を随分聞いた。想い出に色濃く残る方であった。すぐに想い出すのは次の言葉である。


  〝受けた恩は石に刻み、

   かけた恩は水に流せ〟


 これは有井さんが座右の銘にしてきた言葉だそうである。

 現代はこれが逆転してしまっている人の何と多いことか。





2024年3月18日月曜日

 コラム365 <頑固もしなやかに> 


 時には頑固も必要だ。だがしなやかに、しなやかに・・・。ただ固いだけならそれを頑迷と云う。

 木造住宅と同(おんな)じだ。堅牢(けんろう)かつしなやかであってこそ真の丈夫さというものだ。


 時代と共に頑迷な人間が増えてやしないか?年のせいばかりではない。運動不足によって身体が固くなるように、心が固くなるのも、同じく心の運動不足だ。感動、感激、喜怒哀楽の感情の動きが不足している結果だ。その好例が愚痴である。痴は以前にも書いたが癡とも書く。知る病、疑う病。それに加えて愚(おろか)の字まで付いているのだ。

 他人の話を聞かない、聞こうとしない。耳では聞こえはするが心で聞こうとしない。故に心に響かない。心の運動不足、心がしなやかさを失っている証拠だ。

 いろんな意味で美しいもの、ことに触れること、思いやること、笑顔(へらへらはダメだぜ)等々、心の運動はいっぱいあるじゃないか。


 振り返ってみると、仕事の上でも、人間としても成長していない人間に限って愚痴が多い印象だ。だから愚痴が多くなったら、自分は成長していないんだな、と思って間違いない。





2024年3月11日月曜日

 コラム364 <下さい、に御用心> 


 この「下さい」は語調によってはきつく響く時がしばしばある。

 ほとんどの人がこの言葉を丁寧語だと思っているが、基本は命令形だ。だから口調、語調には要注意を!乗せる心の問題でもあるが・・・。





2024年3月4日月曜日

 コラム363 <街の野鳥> 


 街の野鳥は早朝から騒音に近い。特に多いのがムクドリだ。ギャア、ギャア、ギャア、ギャア、鳴く。駅前広場の樹木に夜大量に群れてギャア、ギャア・ポタ、ポタやっているのがムクドリだ。いつ頃からか、こんな風になったのは・・・。

 最近ではこれにカラスが加わった。しかも昔のようなカァ~、カァ~、カァ~、ではなく、グヮッ、グヮッ、グヮッ、グヮッ、とせわしない。これも世相の反映か。


 久々にシジュウカラが来て囀った。帰塾して4日目の朝だ。明かり障子の外で何かの実をついばんでいるようだ。八ヶ岳山中から3日もかけて追いかけてきたのかなぁ・・・。

 春になればこの辺でもウグイスが鳴き始める。しかしなぜだろう・・・山中ではよく聞くウグイスの谷渡りというものを、街では聞かない。谷がないから当然か・・・。枝から枝へ飛び移るときも鳴くというが、飛び移るだけの樹間も無いしね。