2024年2月26日月曜日

 コラム362 <ユーモア>


 ある高僧に死期が迫っていた。床に横たわる高僧に、弟子の一人が問う。


  〝最後に我々弟子に言い残すことは・・・?〟


まわりの人々は耳を澄ました。一瞬沈黙の時間のあと返ってきた言葉は


  〝死にとうない・・・〟


高僧がそんなことを言うはずがない、何か聞き違えたか、ともう一度聞いた。


  〝我々に言い残したいことは・・・?〟


少しの間を置いて返ってきた言葉はやはり


  〝死にとうない・・・〟


であったと云う。この話を私は何かの仏教関係の本で読んだ。笑い話のようでもあり、本音と受け取る向きもあるようだが、悟りに近くある高僧のことだ。死期に及んでユーモアとしてこのように言ったのだとすれば、さすが高僧だ、と私は思う。死ぬまでユーモアを忘れず、死んでもユーモアを忘れず、あの世までユーモアで充たせたらさぞかし愉快なことだろう。






2024年2月19日月曜日

 コラム361 <眼醒め> 


心は真理に触れた時に眼醒(めざ)める。

インスピレーションよ、静寂の風に乗って真理を運んでくれ。


 



2024年2月12日月曜日

 コラム360 <目覚め>


八ヶ岳の山小屋では、野鳥の囀(さえず)りに目が覚め

毎冬リハビリ入院する上田市山中の鹿教湯病院では山寺の鐘の音に目が覚め

町に帰れば車の騒音に目が覚める。 





2024年2月5日月曜日

 コラム359 <白井晟一 照子夫人の言葉──偉くなることと、りっぱになることとは全く違うことなのよ──> 


 白井晟一が関西出張で不在になることが多かったから、リビングルームで照子夫人と話す機会が多くなった。普段は日常的な雑談に過ぎないが、ある日の話が忘れられない。

 いつ頃のことであるか、若かりし頃は仕事にも恵まれず、随分貧しい生活を送られたようだ。秋田での講演をきっかけに秋田での仕事の依頼が増えた頃も、行く汽車賃に事欠き、その度に自分の持っていた着物を質に入れて、交通費を捻出(ねんしゅつ)していた話なども聞いた。後に白井晟一は芸術院賞の候補に幾度か上がったが、私が入ってからの中期頃であったか、芸術院賞を受賞された。建築家では村野藤吾氏に次ぐ二人目であったと記憶する。私が学生の頃にはすでにファンの多い有名人であったが、さらにさらに偉い人になっていったのである。夫人はこれまでの人生を振り返って、


  〝貧しくて、軒の下で七輪でごはんを炊いていた頃が一番充実していたように思えるわ〟と云い

  〝懸命に生きている時が幸せな時だと思わなきゃだめよ・・・〟


と諭された。さらに


  〝人間偉くなることと、りっぱになることとは全くちがうことなのよ。若い内はこの二つを同じことのように考えがちだけど、これは違うのよ。偉くなったらかえってりっぱになれないかもしれないわ。あなたもりっぱな人間におなんなさいよ〟


この言葉は胸に深く刻まれて生涯忘れられない言葉になった。