2021年2月22日月曜日

コラム205 <薬 ②>

 

 記されている薬の説明書を読むと、効能より副作用の方がはるかに多い。その副作用のためにまた薬が加えられるから、素直にこれ式でいけば際限なく増えていくことになる。それぞれの薬の副作用は記述されているが、三種以上も混合された場合の複合副作用については医師や薬剤師にも判らないことが多いと聞く。判らないことが多い、ということは判らないということだろう。

 

 私の経験からいうと、こちらから申し出ない限り出される薬は減らないということだ。明らかに副作用が強い場合にははっきり止められるが、どんな程度かはっきりしないことがほとんどだ。少なくとも医師の判断でもう必要ないでしょうと言われて減ったことは一度もない。素人ながらに考え、こちらから申し出て減った薬は以下のものである。

      糖尿(インシュリン)

 ある日食卓テーブル仲間(4人)の内の一人が〝インシュリンを長くやってるのは体にあまりよくないらしいね〟と言ったのがきっかけである。そもそも4人が4人共、毎朝シャツの裾をめくり上げて注射(インシュリン)を打たれている姿は格好いいものではないし(中にはデブッチョもいるし)、〝このテーブルは麻薬患者の集団みたいだな…〟と言って笑い合った。そもそも私の血糖値は見舞いに持ってきてくれた団子だの、饅頭(まんじゅう)、それに糖度の高い果物を食べた後が高い位で大したことはなかった。

      血圧を下げる薬

      鬱になりにくくする薬

      便通をよくする薬(マヒによって腹筋力他が低下するから、ほぼ全員に出されるようだ)

 

極力薬を少なくしたい旨を医師に伝え、自分なりに知った代用となる食品で対処したいと申し出てOKがとれた。

①については、うまい!といって饅頭などををパクパク食べないようにし、

②については、黒酢ニンニク、黒ニンニクを毎日食べるようにし、

③は体が自由に動かないのだから、多かれ少なかれ皆ウツウツしている。だが、〝私は音楽を聞いたり、読書をしたり、文筆したりするから薬が必要な程にはならないと思います〟と申し上げ、

④についてはキノコ(特に舞茸がいいらしい)、キウイフルーツ、オリーブオイル、野菜サラダ、チーズ、ヨーグルトを食するようにすることで合意が取れた。できることなら、これが一番自然なことである。

については鹿教湯病院の主治医だった院長先生が、〝脳卒中(脳出血や脳梗塞など)を起こした直後はどうしても血糖値が上がるからね。高橋さんは元々は糖尿病ではなかったと思いますよ〟と言ってくれたので、これでスッキリした。おおらかな良い先生だった。

 

 

 

 

2021年2月15日月曜日

 コラム204 <薬 ①>

  
 高齢者ともなれば保険の自己負担割合が低くなるからくれるだけもらってきて、長年の経験で大して効かないと判っているから、ゴミ箱にそのままどっさり捨てているような人をこれまで幾人も見てきた。自分の懐(ふところ)はそんなにいたまなくとも、これも税金の無駄使いに違いはない。

 私も二カ月・三カ月単位でもらうことが多い。居場所が本部、山小屋、冬期リハビリを兼ねての入院生活と数カ月ごとに変わるからである。その量たるや、見ただけで〝こんなに大量に薬を飲んで大丈夫かい?これだけで病気になりそうだ!〟というのが第一印象だった。しかも不思議に思うのは病院が変わっても最初に運び込まれた病院で処方された薬とほとんど変わらない。医師によって判断や見解が違ってよさそうなものだが、しかも、左半身のシビレに関していえば段階的にひどくなるばかりで一向に快方に向かわないまま三年近くも続くと、これは医師の責任逃れのように思えてくる。


 

2021年2月8日月曜日

 

コラム203 <戦争>

  人間は残酷な戦争をいつまで繰り返すのだろう。地球が、人類が滅びるまで永久に止(とど)まらないのだろうか。今日の言葉で言えば、憎しみ・悲しみ・惨酷・悲惨のクラスター,パンデミックを生むだけで、いまだ恒久平和を生んだことがないというのに……

 第二次世界大戦では日本人だけで300万人が死んだという……この悲しみと苦しみの拡がりはどれ程埋めがたいものであったろう。この美しい自然に恵まれた奇跡の星・地球上で兵器を開発する科学技術者達は人間を殺すための高度な殺戮兵器を、どこまで開発し続けるつもりなのだろう。

  そんなことを思いながら寝ついた。一夜が明けて障子越しに朝陽が差し込んできた。障子越しに野鳥達の囀(さえず)りが聞こえてくる。枝から枝へ飛び交う影が明り障子に映る。枯枝に残る木の実でもついばんでいるのだろうか。
 野鳥達は兵器を作ったり開発したりはしない。残酷も悲惨もつくったりはしない。神様が作ったままに、期待したままに生きている。これが平和というものではなかろうか。



2021年2月1日月曜日

コラム202 <カラスがトンビに恋をした?>

 毎夕方4時を過ぎた頃から、病室から見える西の山林の上の方から
  トンビが一羽 ヒューッ、ヒュルヒュルヒュル……
  カラスが一羽 カァカァカァ……
 そのかけ合いが寒い日も雪の日も続く。
余程気の合った仲間どうしなのだろう。姿は見えなくとも幾日も聞いていると、それだけは判る。

 そのうち、こう思うようになった。
ある日カラスがトンビの声に魅せられて、気の合ったトンビに
〝私もあんたのように美しい声で鳴きたい。鳴き方を教えて〟とお願いした。
気のやさしいトンビは、毎日夕方には陽の沈みかけた西の林まで飛んでゆき
〝こう鳴くんだよ、ヒュー、ヒュルヒュルヒュル……〟と懸命に教える。
カラスは懸命にそれをまねようとするのだが、それでもやはり
〝カァカァカァ〟
私にはそのように聞こえる。

 暗いニュースの多い中、何はともあれ、互いの違いを認め合って仲よくするのは皆の心を和ませる。