2017年1月30日月曜日

コラム 74  冬のハエ君  

PART  

ビル エバンスが流れる。
スピーカーの前で、ハエが踊り始めた。 

〝おい・・・・・どこからやってきたんだい?・・・・・〟
〝こんな寒い冬に何を食べて生きているんだい?〟 

おぼつかない足であっちにちょこちょこ、こっちにちょこちょこ。静かなソロ・パートでは足をスッと止める・・・・・。やがてワルツ風のリズムにのってツツツ―、ツツツ―、ツツツ― ツ―
・・・・・。コードのところでころんで宙返り。一月二十五日夕刻のハエの刹那。 

もうよたよただ。
リンゴのかけらを置いた。
ひっくり返って起き上がり、しがみついてスースー吸っている。

PART  

 一匹のハエと親しくなった。
 この寒い冬に食べ物とてない室内で生きのびていたのである。
 スピーカーの前でジャズに合わせて踊っていたあのハエが、あれから数日経った今日もひょっこり姿を現した。やはりジャズのかかる同じスピーカーの前である。あの日リンゴを吸って少しは元気を取り戻したかに見えたが、だいぶ弱って羽ばたくことさえ出来ないのだから、このまわりにじっとしていたのだろう。 

 今日もリンゴを置いた。よほどノドがかわいているのだろう、それに果汁の甘さがいいのか吸いついたまま、じっとしている。
 しばらくして、リンゴだけでは栄養のバランスが悪いかとチーズをひとかけら置いた。しかし以外なことにこちらは全く素通りだ。もう体が水分をのみ欲しているのだろう。 

 暖炉の前で読書をして、小一時間も経ったろうか・・・・・
 姿が見当たらない。あのハエ君はどこに行ってしまったのだろう・・・・・暖炉の熱とリンゴの水分で少しは羽ばたけたか・・・・・。
 しかし姿はどこにも見えなかった。 

 見つけた時には6本の足を上にしてひっくり返っていた。死んでいるように見えた。指を近づけても動かない・・・・・あぁ、やはり・・・・・。
 と、指先でツンツンつつくとかすかに足を動かした。腹がいっぱいになってジャズを聴いているうちにウトウト眠ったのだな・・・・・と私は思った。それから6本の足をしきりに動かして、私の指にしがみついてきた。それからというもの、手の甲を行ったり来たりして離れない。我々はすっかり親しい仲になっていた。むこうも、こちらも・・・・・そんな気になっていた。 

 また、しばらく時が流れた。
 〝ハエ君~ン どこだい?〟
 と言ったら、ブルルルル~と小さな羽音がした。

2017年1月23日月曜日

コラム 73  人間の芯  

人間に芯があることは大切だ。
だが、あの人は芯が固過ぎる、と批判的にも使われる。 

炊き上がった飯に芯があるとは、
これは食えぬということだ。食えぬまではいかずとも、少なくとも最上ではない。
 

人間の芯は芽が出る程には常にやわらかさを保っておくことが必要だ。
 
〝しなやかな頑固さ〟

なかなかそうはいかないが、わたしの常日頃の心がけである。
 
 

2017年1月16日月曜日

コラム 72  言葉使いに品性を見る  

ある出版社に在庫確認のための電話を入れた。
その時の応対も感じがよかったが、その後本を注文してから戴いた電話での、品のいい丁寧な言葉使いに感心した。その女性の名は大井さんと言った。
ちょっとしたことなのだ。 

〝少々御待ちいただけますでしょうか〟
〝今後共宜しくお願い申し上げます〟 

丁寧な言葉も、取って付けたようなものでは却って印象を悪くするものだが、この人の言葉はしっかりと身に付いていて、だからさらりと美しかった。
言霊(ことだま)
あるいは言魂と表される如く、言葉使いというものは人間の内面をも表わすようでとても大切なものだ。
私は爽快な気分になった。
人間のあり方を問い続けるこの出版社は、私にとってぐんと信頼を増す出版社となった。




2017年1月9日月曜日

コラム 71  人の道 その④ ―人間とつくる―  

人間が出来ていること程、この世を快くするものはない。 

昨夜降り積った雪道を除雪車が通る。
〝あぁ大変ですねえ、御苦労さんです〟
という人もいれば
〝何でもっと早く来ねえんだよ!〟
と怒鳴る者もいるという。
坂の多い山中の、しかも管理事務所に備えられた小型除雪車二台で500区画以上を行うのだから、計画順番もあるだろう。世には身勝手な者がいるものだ。 


        ちょっとした言葉
        ちょっとした目つき
        ちょっとした微笑
        ちょっとした気使い
              
           ・
           ・
すべてがちょっとしたしたことだが、その影響は大きい。

ことばに、目に、態度にトゲのある人間は他人にはすぐに判っても、本人には判らないものらしい。指摘してくれる人がいたとしても聞く耳を持たない。耳はあっても心が無いからだ。
ちょっとしたことがなぜ大きな影響をもたらすのか。
それはその小さな事柄に人間の出来具合という重いものが乗って出てくるからだ。
人間が出来ているとは、心が出来ているということだ。どこでどう道を間違えたのか、いつの頃からかこの事がどれ程なおざりにされてきたことだろう。

人間が出来ているとはいかなることなのか、人間をつくるとはいかなる実践をいうのであるか。人間が加速度的に人間離れしていく中で、今我々は一人一人真剣にこの問題と向き合わなければならないと思う。 人間が出来ているとは 

 ・学業成績に優れていることではない
 ・金儲けの術に長じていることでもない
 ・人を貶めてこの世の勝者となることでもない
 ・名を成し、えらくなることでもない 

人の道を説いた賢者がこれまでどれほど多く存在したことだろう。この世に生を受けた意味を問えば、命ある限りこれらを播くことは、人間としての務めであると思う。 

人間として出来ていない人間が増えれば増える程、社会は不快を増していくということを、幼い時から学ぶことが必要だ。快い社会とするためには何よりも各自人間をつくることが必要だ。これは教育の基本である。このことを教え学ぶ機会が今、どこにあるのだろう。
人間が崩れていくことへの限りない不安が、ひたひたと忍び寄ってくる。

2017年1月2日月曜日

コラム 70  人の道 その③ ―言える人は―  

〝他人のことを言えた義理じゃない〟・・・・・と言って皆口をつぐみ始めたら、どうなるだろう。失礼なことがあっても、驕り高ぶりがあっても誰も言ってくれなくなったらどうだろう。世に人間の出来た人はそんなに多くないのだから、心は澱んで腐ってしまうんじゃないだろうか。 

人間社会のことだ。言いたくとも言えない時がある。言いたくとも言えない人が沢山いる。悲しいかな、言っちゃいけない、言っちゃあならない立場だってある。みんながみんな、思ったことを口にできる訳がない。
だから、言える人は精一杯勇気を出して言うことだ。人が人の道を誤たないように・・・・・。 

〝自分というものは、棚に上げるものです〟
こう心強いことを言って下さったのは小林秀雄さんであったか・・・・・。
〝自分のことを思ったら何も言えない〟などと言う人がいる。まじめに考えれば大概の人はきっとそうだろう。だが、本当にそう思っているんだろうか?
軽々とこんなことを言い得る人には、重いものを上げる棚などないに違いない。 

あるべきことを、あるべきようにやろうよ。
人の道を誤たなければ、一歩一歩平和な世界に近づいていくのだから・・・・・。