2021年8月16日月曜日

 

コラム230 <『近代日本150年』(岩波新書)の読後感>

  山中で上記の本を読んで、読後深い虚無感に襲われた。万物の霊長と言われる人類は天国と地獄のどちらを多く創り出してきたのか?と思われたからである。

  早朝デッキでコールマンの椅子に腰かけ、朝陽を浴びながら心を澄ませば、渓流の音が聞こえる。野鳥の囀(さえず)りが聞こえる。樹間を吹き抜けるかすかな風の音が聞こえる。梅雨が明けて一斉(せい)に鳴き始めた蝉の声が聞こえる。静かな朝だ。一角を白い山法師の花が飾っている豊かな樹々の緑に包まれながら、自然と一体であることを忘れた人類のことを思った。

  私の故郷秋田は摂氏34度、本州最北端の青森ではさらに36度だという。秋田に住んでいる姉は〝地球がすっかりおがしくなってしまったぁ……〟と秋田訛りの言葉で言った。いかなる意味でも人類は地球を傷つけ過ぎた。経済発展のために、軍事・戦争のために、そして今、エネルギー革命の最終章原発のために、その元を繰っていけば結局カネのために大いなる自然と素朴な民衆を犠牲にし続けてきた歴史に突き当たる。巨額の富を手中にした個人・組織・国家……それで得たものは平和であったか?人類にとっての幸福であったか?経済格差社会はこれからも益々深刻度を増していくだろう。その先に待ち受けるものは決して平和ではないだろう。

  人類にとって幸福、平和とはいかなるものによって成立していくのか。巨額の富を手にしながら、幸福とはとてもいえないような人にあなたはこれまで出会ったことはなかったか?かえって幸福から遠ざかった人々、平和・平安から遠ざかった人々は数多くいる。
 知足:程々で足るを知るところにこそ平和・平安があるという古(いにしえ)からの真理をどうして人類は悟らないのだろう。不知足とは足ることを知らず、欲が欲を呼んで欲の蟻地獄にあがいても、もう抜け出せない、はい出せない、それがいかに平和に遠いことであったかを上記の本は教えてくれる。決して楽しい本ではないが、皆読まれたらいいと思った。