2023年5月29日月曜日

 コラム323 <白井晟一の想い出 ③>        ─── 白井晟一ってどんな人だったんですか? ───


 毎冬2か月余りの間入院リハビリを続けている。もう5年が過ぎた。2022年4月、退院してまもなく開かれた住まい塾東京本部の設計者養成塾で、塾生から私はこんな質問を受けた。

  〝白井晟一さんって、どんな人だったんですか?〟

 同年1月のNHK『日曜美術館』の白井晟一特集を見てのことだったろう。

  〝あなたはどんな人ですか?〟

 と問われたって答えようがないのに、そんな質問に答えられる訳ないじゃないか!と思ったが、年度初めの養成塾でもあるし、断片的な想い出を二・三、語った。それ以上知りたければ自分の想像力を総動員して、建築そのものを眼るしかない。偉大な人は建築評論家他、さまざまな人達が書いたり語ったりしているが、私の感じるところその多くはきっと真実に遠いだろうということだ。だから眼るしかない、と言うのである。

 

   


2023年5月22日月曜日

 コラム322 <白井晟一の想い出 ②>


 1973年、白井晟一の元に弟子入りしてまもなく、リビングルームの障子の張り替えを仰せつかった。白井晟一はヘビースモーカーであったし、張り替えてからだいぶ月日が経っていたようで、かなり黒ずんでいた。

 私は障子の張り替えとはこうするものだと思い込んでいたから、古い障子紙をバリバリと破いてはがし始めた。その時えらく怒られた。

 白井晟一の障子の組子の升目は一般の障子より大分大きい。その方が自分の建築空間に調和すると判断してのことだったろう。

  〝なんと乱暴なはがし方をするんだ。升目ごとにきれいに切り取って、埃(ほこり)を払い、重ねて束ねておきなさい!私が書の稽古に使うんだ〟

 そう言われてNTカッターで組子に傷つけないようにえらく気を使いながら切り取ったのを記憶しているが、その後その紙を書の稽古に使ったところは見たことが無い。古新聞と一緒に出されたか、あるいは単にゴミとして捨てられたかは、私は知らない。


 『徒然草』の第184段に「松下禅尼の障子つくろい」という話がある。話が少し長くなるから、興味のある方はご自分でどうぞお読み下され。

 


 概略現代語訳では次のようである(中野孝次訳)。


 松下禅尼という方は相模守時頼(さがみのかみ・ときより)の母である。その偉い方が煤けた障子の破れたところばかりを御自分で小刀で切り張りしておられた。

  〝切り張りはかえって大変で、しかも斑(まだら)になって見苦しくはございませんか、その仕事は某(なにがし)という男に張らせます〟

と禅尼の兄義景(よしかげ)が云うにこう応えるのです。

  〝物は破れたところだけを直して使うものだということを、若い人に見せて教え、注意させるためにこうしているのです〟

 天下を保つほどの人物を子に持っておられただけあって、さすがに凡人ではなかった、と結んでいる。



2023年5月15日月曜日

 コラム321 <白井晟一の想い出 ①> 


 1973年(昭和48年)から1984年(昭和58年)の白井晟一最晩年の10年間、私は最後の弟子として白井晟一のお世話になった。その前の3年間は大学で助手を勤めた。大学紛争のピークの頃である。


 昨年NHKの『日曜美術館』で白井晟一の特集が組まれることになり、数少ない弟子の一人として取材を受けた(放送2022年1月23日、再放送1月30日)。驚いたことに、この番組で建築家が取り上げられるのはこれが初めてだという。

 冬期のリハビリ入院時期が迫っていたこともあり、大して準備もせずに取材に臨んだが、何せ40年以上前のことだから取材を終えた後、詰まった毛穴が開いたように色々語るべき大事なことが想い出されて悔やまれた。入院前の慌しい中、再取材を検討してくれたが、日程の調整がつかず、断念することになった。取材は3時間程に及んだが、TVの常でその中から使われたのはごく一部である。プロデューサーとは〝退院して一段落したら、番組とは関係なくまた語り合う機会を持ちましょう〟ということで別れた。


 今病室でふと想い出したことがある。私が居た10年間のうちの中期頃だったと思うが、白井晟一が私にこう問うた。

  〝最近君はどういう勉強をしているかね?〟

私は〝日本の歴史を学んでいます〟と応えた。

 白井晟一はすかさず 

  〝何のために、だ?〟

 突然のことであったし、どう応えたかも記憶していないが、30才前後と若かったし、気の利いたような返答をしたに違いない。これまた間髪を入れずに白井晟一の言葉が返ってきた。

  〝君、そんな腹構えで歴史なんぞ学んでも、何の役にも立たないぞ!〟

  〝歴史だけじゃない。学ぶには、構えというものが大事なんだ・・・〟

こう言われたことだけは記憶している。自らに不足を感じ、一歩でも二歩でも生きる確信に近づこうというのでなければ、学びは私の嫌いな「知識人(物知り)」に近づいていくことになるだけじゃないか・・・。学んで、生きる力を篤くしていくというのでなければ学びに大した意味は無い。あれから45年、75才になった今ならば、その意味がよく判る。





2023年5月8日月曜日

 コラム320 <「金」(かね)について>


 住まい塾東京本部のある埼玉県志木市でも、連日のように「オレオレ詐欺(さぎ)」の注意勧告が、あちこちに設置されている拡声器から流れる。


  〝こちらは防災志木です。朝霞警察署からのお知らせです。

   本日、各家庭に市役所職員を名乗る電話が沢山かかってきています。

   「返金があるのでキャッシュカードを持って近くのATMへ行ってください・・・」

   といった電話がかかってきたら、すぐ110番通報してください〟

等の類だ。

 

 こうしたことは随分以前からあったから、取り締まりによって徐々に少なくなっていいようなものだが、手口が巧妙かつ集団化・組織化して年々ひどくなっているようだ。最近では「巧妙」に「凶暴」が加わった詐欺事件が横行している。被害総額もうなぎ登りに増加しているようだ。


 『金(かね)』というものは人の、あるいは社会の何かに役立ってこそ、その代価として受け取れるものだという意識が薄れ、それどころか全く喪失してしまっているような人間が、今の社会には多い。マネーゲーム、IT化が拍車をかける。

 

 〝働かざる者、食うべからず〟

と素朴な言葉で聖書は教えるが、今や〝詐欺を働いて、食いたいだけ喰って平然としている〟時代となり、詐欺を働いて億万の金をダマし取るなどへっちゃらになってしまった。

 人間の良心は決して許してはいないだろうと思うが、それは普通の人間の感覚であって、「良心喪失症」とでも云っていいような事件があちこちで起きる。先天性の病とは思えないから、人間のあり方や社会のあり方が後天的にこうした人間と病を多く生んできているのだろう。この世に生を受ける意味は幸福になるためだなどと軽はずみに考える人もいるが、その本意は


〝この地上でさまざまの経験を積み、人間を磨き、人間性を高めることにある〟


という真理を、親も教育者達も、政治家も企業も、もう一度根本から見つめ直す必要に迫られているのではないか。国の経済成長(GDP)のために小学校から株投資のやり方など教えている場合ではないだろうと思う。人間は経済成長のための道具ではない。


 金が無いのは辛いことだ。だが使いきれない位の金持でも不幸な人は不幸のままだ。金はあればある程幸せになるというものではない。技術も似たところがあるのではないか?

 

 限り無く発展していくAIの技術世界は今後どんな人間社会を創り出していくのだろう。最近の限りない進展を見るにつけ、楽しい希望や夢などというよりも、空恐ろしい悪夢とさえ思えてくるのである。


   



2023年5月1日月曜日

 コラム319 <愛情その⑤> 


 特別のことを色々してやることが愛情深いことだと思いがちだが、

 そっとしておいてほしい時には

 そっとしておいてあげること 

 これが一番の愛情なのではないか。

 しかしこれが一番むずかしいことかもしれない。なぜなら優しい真心が必要だし、複雑に織り込まれた内面のキャリア ─── 普通の言葉でいえば豊かな心が必要とされるからだ。


 真心が無ければ、どんなことでも形式的なことにしかならないが

  〝あなたは一人ではない〟

 と言葉少なに感じさせてやれること、これができたら、人間としてとりあえず合格と言っていいのではないかと思う。

 5年間病の後遺症と向き合いながら、今はそう思うようになった。