コラム318 <愛情その④>
あちこちのシビレ専門の病院にも行った。
〝もう治りませんね〟
〝一発で死ぬ人もいるんですから、幸運だったと思って(この苦しみと)つき合って行って下さい〟
〝よくここまでがんばりましたね。私だっていつそうなるかわかりませんから、なった時には高橋さんのことを想い出して私もがんばります〟等々。
一般に医師達の言葉は冷たい。
ガンの余命告知など今では当たり前のこととなってしまったが、ものは何でもはっきり言えばいいというものではない。あらぬ希望や期待は抱かせぬ方が本人のため、と考えるものやら、責任回避のためやら判らないが、こんな場合においても、人間としての、愛情深さが試されるように思う。
私にとっては発症後5年経った今も、上田市にある鹿教湯病院は希望を捨てずに懸命にリハビリに取り組める唯一の所である。担当医も担当セラピストも看護師や介護士さん達も今では皆、友だちのようなものだ。
私にも判ってきた。特別のことはいらない。辛さを抱えている者には希望を捨てずに静かにそっと寄り添ってくれる人が要る。───これが何よりのなぐさめとなり、励ましとなり、最も大切なことなのだ・・・。連れ添ってくれるパートナーや、いつも心配してくれている二人の姉、その他心あたたかい多くの友人や知人や仲間に恵まれて、私は幸せ者だと思う。こういう人達がいなかったら、私は自ら命を絶っていたかもしれないと思う。その人々に、社会に、そして何よりもこういう境遇を与えてくれた神さまに恩返ししないままこのまま死ぬ訳にいかない・・・この思いが私の日々の命と自主トレーニングへの取り組みを支えている。