2023年4月24日月曜日

 コラム318 <愛情その④> 


 あちこちのシビレ専門の病院にも行った。

  〝もう治りませんね〟

  〝一発で死ぬ人もいるんですから、幸運だったと思って(この苦しみと)つき合って行って下さい〟

  〝よくここまでがんばりましたね。私だっていつそうなるかわかりませんから、なった時には高橋さんのことを想い出して私もがんばります〟等々。


 一般に医師達の言葉は冷たい。

 ガンの余命告知など今では当たり前のこととなってしまったが、ものは何でもはっきり言えばいいというものではない。あらぬ希望や期待は抱かせぬ方が本人のため、と考えるものやら、責任回避のためやら判らないが、こんな場合においても、人間としての、愛情深さが試されるように思う。

 私にとっては発症後5年経った今も、上田市にある鹿教湯病院は希望を捨てずに懸命にリハビリに取り組める唯一の所である。担当医も担当セラピストも看護師や介護士さん達も今では皆、友だちのようなものだ。

 

 私にも判ってきた。特別のことはいらない。辛さを抱えている者には希望を捨てずに静かにそっと寄り添ってくれる人が要る。───これが何よりのなぐさめとなり、励ましとなり、最も大切なことなのだ・・・。連れ添ってくれるパートナーや、いつも心配してくれている二人の姉、その他心あたたかい多くの友人や知人や仲間に恵まれて、私は幸せ者だと思う。こういう人達がいなかったら、私は自ら命を絶っていたかもしれないと思う。その人々に、社会に、そして何よりもこういう境遇を与えてくれた神さまに恩返ししないままこのまま死ぬ訳にいかない・・・この思いが私の日々の命と自主トレーニングへの取り組みを支えている。






 


2023年4月17日月曜日

 コラム317 <愛情その③> 


 この地上に生を受ける目的は、人格の完成即ち愛情深い人間に一歩でも二歩でも近づいてゆくことにあると教えられてきた。だが多くの本を読み、己の経験を通じ、他者の行いに学びながら75年生きてきても、この課題はたやすいことではない。


 入院していると病を抱えたさまざまな人に出会う。ふとしたきっかけで心が通じ合うようになると、傍(はた)からでは判り得ない痛み、苦しみ、辛さを固有に抱えていることが判ってくる。それに内面の苦しみまで含めたら、到底推し量ることさえできないところまで行くだろう。ドクターも言う。患者の苦しみは本当のところ医師である我々にも判らない、と。


 

 今朝、退院間近の人が廊下で退院前の測定を行っていた。入院時からどれだけリハビリの成果が出たかを目安とするものらしく、それがデータとして残されていく。〝普通のスピードで!〟〝極力速足で〟〝一定の時間で何メートル歩けるか〟等々。

 その中に歩き方がいたってスムーズな人がいた。

〝歩き方がいいですね。自然に見えますよ。〟と近くのトレーニング用ベッドに腰掛けて見ていた私は声をかけた。

〝ほめられたのは初めてですよ。〟と言う。

〝でも苦しいんですよ・・・。首の神経がやられたから、あちこちの関節と筋肉が引きつって辛いんだ。〟と言う。

〝私と似てますね。筋肉の引きつれと関節の痛みが連動して終日続く。〟

〝この苦しみは他人には判らないでしょうね・・・。〟

 その日から同病相哀れむという訳でもないが、少しの親近感をもって言葉を交わすようになった。

 

 私と同じ視床部出血の後遺症に苦しんでいる人が、院内には他に二人居るという。私は強烈なシビレから筋肉の引きつれ、それが関節の痛みに通じて苦しんでいるのだが、他の一人は目の玉を針の先で突つかれているようだと言い、もう一人は背中を鋭利な刃物で切られているような痛みが続いているらしい。「視床痛」という言葉があるように同じ部位をやられても血がどのように飛び散ったかによって後遺症の出方は皆違う。おまけに視床という部位はいろいろな神経がまとまって通っているところらしいから余計厄介なのだ。

 


2023年4月10日月曜日

 コラム316 <愛情その②> 


 人の苦しみが判らないのは愛情の深さが足りないせいだ、と思ってきた。しかし本当にその人の苦しみがその人と同じように判り得たら、おそらく生きてはいられないだろう。医師など到底やっていられないことになる。だから判り得ないように神様がつくって下さっているのだと、最近では思うようになった。


 その人の身になって苦しみを推しはかることが出来るようになる、辛さを察することができるようになること ─── ここにこそ人間としての愛情の深まりの課題があるのだと思うようになった。愛情の深まりは、その人の辛さや心に寄り添うことができるようになること ─── そうなれば真(まこと)の心をもって祈ることもできるようになるだろう。それが病んでいる人の励みにもなり、なぐさめにもなる。

 身代わりになって、その人の苦しみを分かち持つことができるのは、神さまか、仏さまに近くなってはじめてできること ─── 通常の人間にはできないことだ。


 愛情深くなるという人間としての最終最後の課題は以上のように考えて取り組んでいけばいいのではないかと思う。同情深くなること、察することができるようになることもりっぱに愛情深くなった証のひとつだと思って間違いない。

 あの車椅子のおばあさんが滲(にじ)ませた涙はその返礼であったのかもしれない。自分の苦しみの一端を察してくれる人がいて、うれしかったのだろう。苦しみの涙ではなく、ほっこりとした涙であった。私は潤(うる)んだ眼を見てそう感じた。


 消灯近くうす暗くなりかけた廊下を自分の部屋に向かいながら、あのおばあさんの心の内が思われて涙が滲んだ。別れ際、〝ここに来て話せる人がいて、よかった・・・〟とぽつりと言ったからである。




2023年4月3日月曜日

 コラム315 <愛情その①> 


 先月3月5日、70日間の冬季入院リハビリを終えて退院してきた。


 今冬はコロナの影響で、リハビリのセラピスト達が登院できない日が多かった。私を担当してくれている理学療法士 須江さんも10日間程登院できない日が続いた。須江さん担当の日は歩きがハードになるから、自主トレを含めて一日2000歩は越えるのだが、本部との電話会議などあったその日は、夕食後の私の万歩計は500少しを指していた。

 一日最低1000歩を目標にしている私は、廊下を一往復すると百数十メートル、歩数にして約300歩程になるから、あと二往復だ、そう思って廊下に出て歩き始めた。コロナの影響で、皆自分の部屋で食事をとることになっているから、食後の廊下は閑散としていたが、途中で一人90才程の車椅子に座ったおばあさんに出会った。


〝こんばんは〟とあいさつしたら、にこりと笑って

〝一回りしてくるんかい?〟と聞く。言葉からしてこの辺の人だろう。

〝いや、廊下の端まで行って帰ってきます〟と言ったら、

〝わたしもその後をついていくわ〟と言う。

 私の歩く速度の方が速く、折り返してきたら、又会った。

〝お互いがんばりましょう!〟と言いかけて止めた。そのおばあさんが

〝歩けていいねえ。私みたいに脚が無かったらがんばりようがない・・・〟と言ったからである。トレーナーかパジャマをはいていたから判らなかったのだ。左ヒザ上10センチあたりから下が切断されて失われているのだった。その部分が左ももの上に折りたたまれていた。

〝もう年だから死にたいんだけれど、なかなか死なせてくれなんだ・・・切ないねえ・・・〟

〝切ないですねえ・・・がんばると言っても、もうすでにがんばって来たんですものねえ・・・〟

おばあさんは目に涙を浮かべた。

 毎冬、12月末から3月上旬までの70日間リハビリ入院を5年続けてきたが、いつから入院したのか会うのは今日が初めてだった。これからは廊下で出会ったら言葉を交わすことができる、表情を交わすことができる。それだけでも病に苦しんでいる人にはささやかななぐさめなのだ。だから私はがんばっている風を見せず、あまり苦しそうな顔もしないでいようと思った。だが、それがなかなかむずかしい。


 


苦しみや辛さというものは人それぞれに固有のものだ。だから他人と比較することができない。右腕を失った人は、すでに切り落とされているのにあるように感じられて、その気持ち悪さがたまらなく苦しいという。〝殺してくれ!〟と叫びたい程だという。私にできることと言えば苦しんでいる人々の辛さが、心の苦しみと共に少しでも和らぎますように・・・と食事の度ごとに祈る位しかない。