この季節になると、しばしば暖炉に火を入れる。焚き付けは敷地内で拾い集める枯枝で十分だ。
急がず、慌てず、基本通りに細い枝から太いものへと順々に重ねていくのがコツだ。慣れてしまえば何ということもないのだが、細いものでも逸(はや)る気持で一気に重ねて失敗したりもする。そんな作業を繰り返しながら、ふと気付いたことがある。
最初は新聞紙一枚にマッチ一本である。それがやがて赤々と燃え立つ火となっていくのだが、まわりに火が移り燃え拡がっていくには、それなりの条件が要る。
木と木の透き間である。あり過ぎてもいけないし、少な過ぎてもいけない。適度の透き間が必要なのである。このことは小さな種火がやがて大きな火へと燃え拡がっていく原理を示していて興味深い。
それ以前に必要なのは、一本一本がそれぞれに燃える状態を保持しているということは言うまでもない。特に燃え始めにはこれが重要だ。
一旦点いてしまえば多少の生木もかえって火勢を増したりするが、初段階では燻るか、周囲の火を消してしまうかのどちらかである。これなど何事も初期には志を共にしたものが寄らなければならないことを思わせて、おもしろい。
また次のことも学んだ。
燃えている二本の木の間に湿った一本の木を置いては、すでに燃えているものの火勢は急に衰える。同じ湿った木ではあっても、脇に置いてやった方が火が回りやすく、全体に安定して長く燃え続けることも学んだ。
燃える二本は共に近くにあって、炉心となるべきものである。これもまた燃える人間と燃えない人間のあるべき位置関係を思わせて合点のいくことであった。
〝宇宙は、自然の現象に仮託して人間に事の真理を教える〟という。暖炉の火を眺めながらこの言葉を思い出した。