2024年11月25日月曜日

 コラム401 <私の文章について> 


 私の文章は十中八九、直感・インスピレーションによっている。私のこれまで書いた文章はブログ以外にも本や雑誌、新聞等を合わせると決して少なくない。しかし研究者や学者即ち専門家や哲学者や思想家のように、考えつめて書いたような、論理的な文章は殆(ほとん)ど無いと云っていい。


 なぜそうかと言えば、学者や研究者の書いた文に興趣(きょうしゅ)を感じたことがあまり無いということによる。あるいはいつ頃からか直感・インスピレーションの中にこそ自分らしさが表れると思うようになったからである。


 専門的な知識や研究の成果を扱う一群の人達は当然研究した幅の広さや知識の豊富さを披歴(ひれき)するものが多く、感心することもあるが、私はといえば、そういう方向に興味を感じない性格上の問題がある。


 私が読んできた本の中に哲学書や思想書よりはるかに宗教書や信仰書、民族学その他茶の湯を通じての日本人の道の心得や、実際に苦難の中を生きた人間の体験談や心の記録などが多いのはそのためであろうと思われる。


 器の美への興味なども別次元のことのように思われるが、あるいは直感やインスピレーションの範疇(はんちゅう)に入るのかもしれない。


 大学助手時代、早々に自分は学者や研究者には向かないことを悟った。自然に、心の趣(おもむ)くままに、自由勝手に、我がままに生きてきたと、今自分が歩んできた人生を振り返ってそう思う。





2024年11月18日月曜日

 コラム400 <金の滴・銀の滴> 


 ある日雨上がりに太陽が西に傾きかけた頃、樹間から橙色の光が一筋差し込んできた。葉先に残っていた無数の滴(しずく)が、まるでダイヤモンドのように一斉に輝き始めた。その光景を眺めながら私はすぐに知里幸恵さんが遺した『アイヌ神謡集』のあの一節を思い浮かべた。


 〝金の滴(しずく)降る降るまわりに・・・〟


 それから二週間程経ったある日、太陽が雲間から出たり入ったりして青空と白い雲が空を分け会っていた時、私はデッキに出て椅子に座って空を眺めていた。上方には白樺の小さな葉が風にそよいで揺れていた。そのうち風が少し強くなり木の葉が銀色に輝きはじめ、風と共にすべての葉がさざ波のように一斉に、銀色の葉に変わった。その時もあの一節が思い浮かんだ。

 

 〝銀の滴(しずく)降る降るまわりに・・・〟


 アイヌ人が目にし、その感動を言葉に残して言い伝えてきた光景と、私は今同じものを見ているのだと、思った。写真に残したかったが、無念にも左腕が動かない。しかしあの輝きの残像は、しっかりと脳裡(のうり)に刻まれた。(8月上旬記す)





2024年11月11日月曜日

 コラム399 <ボールペンはどこ?> 


 毎日使っているボールペンが見当たらなくなり、ヘルパーさんに買ってきてもらいました。ボールペンって、ボールのようにコロコロころがるからボールペン、って言うの?





2024年11月4日月曜日

コラム398 <ああせいこうせいと、云うばかりなり厚生省> 


 介護保険を利用するようになってから、もう6年になる。介護の世界で働く人達の不自由さと窮屈さを見たり聞いたりするようになって、改めなければならない点が数多くある、と思い始めた。

 それはケアマネージャーやヘルパーさん達の処遇改善の問題ばかりではない。


 ・行った先でトイレを借りてはいけない。(そんなもの、いつ急に催すかわからないではないか!)

 ・お茶やお菓子を出されても頂いてはならない。勿論、感謝の気持のものであっても、

  もらい物をしてはならない。

 ・たまには一緒に食事を・・・などということなど以(もっ)ての外。  (まるで教師の家庭訪問のようだな!)

 ・頼まれた買物は一旦その家に着いてから、改めて行く。(来る途中にスーパーマーケットやその他の店があるというのに、この無駄加減、時間の浪費!)

 ・少し時間が余ったからと汚れに気付いたガラス窓を拭くのもダメ。

 ・こうしたことにまつわる人間関係のもつれ。


等々・・・それと、ケアマネージャーと看護師さんの月一回の訪問の義務付けは少なくとも私には無意味・不要である。必要な人のところにだけ行けばいい。それでなくともケアマネージャーは多忙を極めているのだから・・・。

 しまりのない状態にならないように、一定の規則や基準を示すまではいいが、自由の余地も残しておかないと、やる方は窮屈でたまらない。時間が余ったからとやってやりたいこともあるのに、やれないのだから・・・気の利(き)く人にとっては特にそうだ。


 この窮屈な世界に嫌気がさして辞(や)めたヘルパーさんは沢山いるに違いない。私自身も幾人か知っている。それを国も国民の大方も、報酬の少なさが定着率の悪さの原因だとばかり思っている。

 そういう人もいるだろうが、元々介護の仕事につこうとする人は生活する上で困難な事情をかかえている人を手助けしたいと思って、この領域の職につく人が多いと私は感じる。人間関係他何かと難しい問題を抱(かか)えながらも、少ない報酬でがんばっている人が多いと私は思う。

 それをどういう人々がどういう形で審議し、出されているものやら厚生省からの細々とした指示・規則の中には、余計かつ不必要かつ異常と思われることが随分ある。

 最大の問題は審議委員の中に現場で実際に働いている人間が不在であることである。現場から離れた高位(少なくとも彼らはそう思っている)の人間達でものごとが決定され指示されていく、という点にある。だから現場の経験と生の声が反映されず、活かされない結果となるのである。

 そこで私が思い付いたのが、川柳くずれの上記タイトルである。


 〝ああせいこうせいと、云うばかりなり厚生省〟