2021年12月13日月曜日


 コラム247 <苛立ち、心乱れる時>

  数十年前に手に入れた棒鈴(ぼうりん)を打つ。その涼やかで澄んだ音色は胸の隅々まで染みわたり、我が心を鎮(しず)めてくれる。 

 苛立ち、心乱れる時だけではない。一日の生活の節目節目に、この鈴(りん)を打つ。長く細い透明な音が〝そんなことでは駄目だよ〟と我が心を諫(いさ)めてくれる。

  孔子より46才若いといわれる弟子、曾氏(そうし)の言葉のようだが、『論語』にいう

 「吾(われ)日に吾が身を三省(※)す」

 どころではない。五省も六省も必要とするのである。それでもなお足りない程である。気づいたたびごとに、鈴を打つ。 

因(ちな)みに三省(さんせい)とは
・人のためを思って真心からやったか
・友達と交わって嘘いつわりはなかったか
・まだ習得しないことを人に教えるようなことはなかったか
       (『論語 一日一語』伊與田覺監修より)
のことだそうである。