コラム155 <主食・副食・間食・つまみ食い>
早朝、床の中で、どういう訳か「主食」と「副食」という思いが閃いた。主食・副食といっても食事のことではない。日々の読書も、やることも、こんなつまみ食いのような生活を続けていてはいけないと思っていたからだったろう。その都度、手当たり次第に、関心が向いたなりに、何となく読み、何となく学んでいるような生活……。比較的、継続的に取り組んできたテーマは勿論あるが、日本語のことを学んでいたかと思えば、美術や詩歌のこと、また茶の湯を学んでいたかと思うと原発問題、パレスチナ問題……と関心があっちに飛び、こっちに飛びして、生きる腰の構えをしっかりしないまま、まるでつまみ食いのような人生を送っている。その割に私の人生の主軸となるべき建築のこと、住宅のこと、生活のことについては思いの外、学びが少ない。これでは主食と副食が逆転しているようなものではないか。さまざまことをさまざまに学び、学びが広範囲に及んだといえば聞こえはいいが、私はもっと自分の主食となるべきものをしっかり見定めて、それを日々しっかり摂取し続けることを基本としなければならないと思ったのだった。私の主食にあたるものとは何か、と考えるとやはり人間としてのあるべき姿を追い求めることであろうと思う。地球上に生を受け、地上に送り出された意味を考えれば、やはりそれが常に中心課題でなければならないと思う。
第一に心の問題、精神の問題、魂の問題……、そうなればどうしても宗教上の問題と関わりをもってくる。
第二の副食たるものの中心は何かと考えれば、私の人生上の職業の選択は建築の中でも住宅であるのだから、この分野にもっと深く、幅広く、精魂を込めて取り組むことだ。それを通じて、人々に安らぎと平和を与えることだ。そのためにも、せっかく日本人として生まれたのだから、日本文化の代表のひとつ、茶道の精神も窮めたいし、古典文学、詩歌、古典芸能、特に能などを通じて、日本語及び日本人の精神に精通したいものと思う。
学びたいことは他にも色々あるが、主食・副食たるものと、間食・つまみ食い的なものとをしっかり見きわめて取り組んでいこうと思う。バランスのとれた生活をしていくことが大切なのは食生活と同じであろう。
今日までは、おぼろげに目標はあったにせよ、しっかりと見定めた目標が無かった。師・白井晟一に若い時分に言われたことが思い出された。〝構えをしっかりしないで色んなことを学んだとて何のためにもならないぞ!〟
あれは当時の私の心境をさしてのことであったろう。このことに改めて気付かされた今日をもって私の人生の学びは一段しっかりしたものに変わることだろう。