コラム290 <〝先生(センセイ)〟その②──今は世の中先生(センセイ)だらけ>
学校の先生、お医者さんはともかく、作家も工芸家、弁護士、建築士、税理士、会計士まで今は皆先生だ。これに小ぶりの政治家達も仲間入りして、人間の薄い者が大半だから、〝センセイ〟と呼ばれて炙(あぶ)られたスルメのようにそっくり返っている者の何と多いことか。若いうちからセンセイと呼ばれてうれしがっているのは若年性認知症だが、過日ショートステイで世話になった「老健(正式名称は「老人保健施設」)でも〝センセイ〟と呼ばれているうちは機嫌がいいが、〇〇さん、▢▢さんと名前で呼ばれでもすると途端に機嫌が悪くなる人がいると聞いて、若年性認知症のまま老人になったんだな、と思った。
私の友人の画家に〝先生〟と呼ばれると怒り出す人がいる。〝センセイ〟などと呼ばれていい気になっている世の中の画家たちが余程癪(しゃく)にさわっているのだろう。画家と呼ばれる位はいいだろうと思うが、本人は〝俺は絵描きだ〟と言ってきかない。これは本気である。一度、先生、先生と二度呼ばれて、ケンカになりかけたことがある位だ。止(や)めてと言ったのに、又呼んだからである。
一方、私の書いた本や住まい塾の特集雑誌などを見て共感し、スタッフになった者もいる。来た当初は〝先生〟などと呼んでいたのに、〝そのセンセイは止めた方がいい〟と言った途端、即〝センセイ〟は引っ込めて〝タカハシさん〟となったのには、これまた一抹の寂しさを感じるものである。が、やはり心底そう思うのならともかく、〝やたらセンセイ〟はやめた方がいいと思う。
ある司法書士事務所に〝〇〇さんいらっしゃいますか?〟と電話したら所員が〝あの~、センセイですか?〟には参った。〝所長ですか?〟位ならまだしも、この常識っぱずれめ!──最近はこんな具合である。