コラム296 <人が生きる、とは何か③>
一週間ぶりの〈老健〉退所(出所と言って怒られた)の日に、〝来月も一週間程お世話になる予定・・・と、ここまで言ってから、ふと、こっちの命だって来月まであると決まっている訳でなし、あくまで予定だな・・・と思われて、〝あくまで予定〟を二度繰り返した。
〝御世話になりました・・・〟と所員達に礼を言い、続いて上記のことを言ったのである。
彼らは冗談とばかり思ったらしく、〝いやいやいや・・・〟と笑っていたが、言ったこっちの方は、いや待てよ、冗談なんかじゃなくて、命はいつでも予定なんだ、と気付かされて、改めてキリリと礼を言った。
山中で長い間最も親しく交流していた二人が、其れ其れ昨年の12月と今春の3月にすでに亡くなっていた。急なことであった。一人は葛飾柴又生まれで、松戸リハビリテーション病院に入院中は団子を持って毎月見舞ってくれた。もう一人は日本の歴史に詳しく、彼の話を聞くのが私の楽しみのひとつでもあった。今夏も元気に会う予定であったのに、命とは常にこのようなものである。