2022年12月19日月曜日

 コラム300 <野鳥に学ぶ:プーチンさんに献ぐ>


 山鳩だって、他を追い払いながら自分だけ啄(つい)ばんでいる姿は見苦しい。それより仲間と仲よく啄ばんでいる方が、どれほど穏やかで平和な世界であるか知れない。山の鳥達がそうであるなら、人間はなおのこと、勝手な野望を捨て、隣人と仲よくあること、そのためには隣人のことを思い、敬い、察し、愛することが必要だ。それは神様から人間一人一人に与えられた、永遠の課題だ。


 聖書にもあるではないか。


 ・われら言(ことば)と舌とをもて相愛することなく、

  行為(おこない)と真実(まこと)とをもてすべし。

 ・愛なき者は、神を知らず、神は愛なればなり。

 ・われらもし互いに相愛せば、神われらに在(いま)す。

 ・愛におる者は神におり、神もまたかれにい給う。

 ・人もし『われは神を愛す』と言いて、その兄弟を憎まば、これ偽(いつわり)者なり。

  すでに見るところの兄弟を愛せぬ者は、まだ見ぬ神を愛すること能(あた)わず。

                         (新約聖書 ヨハネ第一の書より)




 トルストイの民話集『人は何で生きるか』の冒頭にも引用されている。透明でキラキラと輝く、なんと美しい言葉達であろう。

  

 もしやプーチンさんは、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』を著した、あの文豪トルストイと同じ民族ですか?