2022年10月24日月曜日

 コラム292 <自分の本分を全うする努力こそ・・・>


 一を言われて一を為す者───これを指示待ち人間と云う。初期のロボットの如き人間なり。

 一を言われて二、三を為す者───これを一流に向かう人間と云う。知らず知らずのうちに成長するからである。

 一を言われて二、三はおろか一をも為さぬ者───これを、打てど響かぬ鐘の如き人間なりと云う。やがて打ち捨てられてしまうであろうからである。

 

 言われずとも自ら為す者───これを一流という。真に成長するからである。

 言われてはじめて為す者───これを二流という。なかなか身につかぬからである。

 幾度言われても為さぬ者───これを三流という。流されてゆくだけだからである。


 この類のことはこれまでさまざまな場面で言われてきた。しかし人はさまざま。一流ばかりともいかず、三流ばかりともいかない。野に咲く花の如く、自らの本分を全(まっと)うしてみんな力を合わせてこそ、一人一人が理想社会の礎(いしずえ)になる、と考える方が自然である。しかし自分らしく咲くためには不断の努力がいる。不断の努力を怠りながら自分らしくありたい、とだけ望んでいるのは、虫が良すぎるというものである。