2022年4月25日月曜日

 コラム266 <いつ、何時、何が役立つか判らない———その②>

  入院中、リハビリトレーニングで転倒したことは幸いなかったが、病室の中では数回転んだ。退院後は、まぁ、転んだ、転んだ。山小屋は斜面に建っているから、二棟をつなぐ下り階段(A)、郵便ポストのある道路までの登り階段(B)、それに縁の下の灯油タンクまでの下り階段(C)と、三本の外階段がある。後に手摺を付けてもらったのはA階段のみであるから、残りの二本にはいまだに手摺が無い。
 B階段は勾配が最も急で巾も狭い。少し調子のいい日には一本杖で登っていけることもあるが、途中バランスを崩してもんどり打ってひっくり返ったのが3回、A階段でも退院後まもなく、まだ手摺が無い時に転倒して頭を下にして斜面を滑り落ち、大きな石に頭をぶつけて血を流したのが一回。室内にあっては、これも退院後まもなくのことだが、敷ゴザの縁(へり)に脚の装具の先をはさんで厚い一枚板の座卓に左顔面を強打し、三年以上になるというのにその時の打身がしこりとなって残り、いまだに痛い。
 車で10分程のところに広い芝生広場のある八ヶ岳農場があり、ちょっと方向を変えれば八ヶ岳美術館の散策コースもあって恵まれた環境にあるが、そちらでも数回転んでいる。内外合計すれば転倒は10回ではきかない。

  その都度思うのは転び方と、起き上がり方である。これが大けがもせずに済んでいるのは私が若い頃にやっていた柔道と、小さい頃からやっていたスキーのおかげであるということである。転び方は柔道の受け身が咄嗟に役立っていると思うし、スキーの方は転倒の仕方並びに斜面での起き上がり方に役立っている。足が斜面の上の方にあっては立ち上がれるものでないから、その時は身体が不自由ながらも、もんどり打って両足を斜面の下の方へ持ってくる。こうして立ち上がる体勢を整えるのである。こうした経験がこんな場面で役立つとは思ってもいなかったが、いつ、何時、何が役立つか判らないものである。
 だから好き嫌いはともかく、若い内は色んなことを経験しておいた方がいい、と今更ながらに思うのである。



2022年4月18日月曜日

コラム265 <病と向き合う———その③>

  入院中は勿論のこと、退院後もたびたび注意されるのは〝転倒しないように〟ということだ。しかしこれに対して私は初期から異論があった。
 入院中に転倒して骨折でもされたら、病院の責任問題にもなるし、担当セラピストもその責任を問われて始末書を書かされたりと、対応が大変らしいことは理解できた。それにこんな時代だから裁判沙汰になることもめずらしくないらしい。
 それよりもリハビリ中に骨折したら、せっかく回復途上にあるリハビリは元の木阿弥になるし、転倒しては人間の骨の中で最も大きいとされる大腿骨の骨折が多いと聞く。こうなっては折角積み上げてきたリハビリも一からやり直しになるから、厳重注意とされるのも私にはよく理解できる。
 しかし、一方これでは入院中も挑戦的なリハビリが出来ないし、それに退院後の日常生活において転ぶことなど、いくら注意してもしばしば出てくるだろう。そうした時に転んだこともない、立ち上がり方も判らないではどうしようもない。転倒も経験の内と思って私は入院中リハビリのトレーナー(セラピスト)には、第一にトレーニング中に転んで骨折しても、病院やセラピストの責任など問わないこと、第二に転倒もリハビリの経験の内と私は考える旨をはっきり伝えておいた。そうしなければチャレンジングなリハビリなど出来やしないと思ったからである。
 セラピストの中には私と同意見の人も少なからず居ることも判った。しかし患者の中には私のような考えの者ばかりでなく、何カ月間もリハビリしたが成果が上がらないから金も払わないなどと言い出す者もいて、こんな時代では慎重論が優位に立つのも無理はないと思われた。



 


2022年4月11日月曜日

 コラム264 <病と向き合う———その②>

  脳出血(視床部)の後遺症で左半身に強烈なシビレを伴うマヒが残った。後遺症とは辞典によると「初期の急性症状が消失した後に長く残る非進行性の機能障害」(『辞林21』)ということになっているが、私の場合はこの定義とは違って総合的には少しずつ回復傾向にあるものの、メインのシビレに関してだけは段階的に進行している。



 筋肉の萎縮・硬化症状が左腕・左脚・左背筋に起き、これが緩まない。二度のコロナウィルスワクチン接種後はさらに強烈なものとなり、数段悪化した。まるであちこちでこむら返しが、起きているような感じだから一睡もできない夜がしばしばである。これが体力を奪う。

  法定のリハビリ期間6~7ヵ月を過ぎてから、冬期には毎年二ヵ月間の入院リハビリを続けて、今冬で4年目を迎える。仕事場や山小屋での自主トレーニングも普通以上にやってきたと思うが恢復にはなかなかつながらず、視床部脳出血の厄介さを痛感している。

2022年4月4日月曜日

 

コラム263 <死者と共に生きる>

 

 これは観念論だろうか、それとも事実だろうか、真実だろうか。これまでの74年の間に、さまざまな人の死に接してきた。

 病や震災、突然の事故による死に別れ。言葉では表現し切れない悲しみや寂しさを胸に抱き続けている人々が大勢いる。

 だが死は別れではない。歴史上に残された古の人々の書物に触れて共感を覚えたりする時も、生命の繋(つな)がり、魂の共感関係が続いていることを思う。死に別れた人の分まで長生きしよう、そうしなければ、などという人がいるが、そんなことは可能な訳がない。その心情はわかるが、命はその人固有のものだから、その人の命を他の人が引継ぐことはできない。

 

 人の命が魂として永遠であるとすれば、今の私がまわりの人々と共に生きているのと同じように、過去に亡くなった人々とも共に生きているのだと思うことができる。古の本を読むのも、その人達と魂が繋がっていたいと願うからだ。だから書物は過去の人々と繋がるかけがえのない媒体である。書物がある限り数千年前の人々とも何らかの形で繋がることができる。死者と共に生きていると私が感じるのはそういう時である。それ故、書物はこの上なく大切なものなのである。

 

2022年3月28日月曜日

 コラム262 <山小屋のエサ台に集まる野鳥達>

 

 野鳥達がエサ台に最も多く集まってくるのは冬だ。逆に一番少ないのは青虫等の生エサの多い新緑の季節と、樹々がさまざまな実をつける秋だ。

 私の山小屋のエサ台に通年集まって来るのはヒガラ、コガラ、ヤマガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ等のカラ類、それにキジバトだ。冬になって一面雪におおわれる頃になると、アトリ、ウソ、オオマシコなどの冬鳥が飛来し、にぎやかだ。留鳥とされているカワラヒワも、この辺では圧倒的に冬に多い。

 古代ローマの闘士を思わせる風貌のシメや、睨(にら)みのきいた顔つきのカケスなども時々姿を見せて、冬の山中は多彩な顔ぶれだ。

 しかし人が多くなるにつれ、姿を見せなくなった鳥達も多い。辛うじて昼にはウグイスが鳴き、カッコウが鳴き、夕闇迫って寂しげに、ホトトギスが泣きながら飛び去ってゆく。




2022年3月21日月曜日

 コラム261 <野鳥もメタボ?>

 

 都会では、飼い主に連れられて太った犬がヨチヨチ・ヨタヨタと散歩している姿をしばしば見かけるようになった。昔には見かけなかった姿である。これも物質的に豊かになった時代のひとつの証なのだろう。

 運動不足ということもあろうが、それ以前にかわいさ余ってうまいもののやり過ぎが第一原因と思われる。過食プラス運動不足である。

  過日、麓のホームセンターまで野鳥のエサを買いに出かけた。何か企画があったのだろう。売場に「野鳥の会」のメンバーが来ていて、少し話を聞くことが出来た。

 最近は野鳥にエサを与える人が多くなり、野鳥達が栄養過多となって短命になっているという。この日まで私もヒマワリの種ばかりを与えていた。最も好んで食べるからである。その分栄養価が高く、カロリーも高いのだろう。

 その日からヒエとヒマワリを半々に混ぜてやるようにした。しかしヒマワリから先に食べるから、まずヒマワリが無くなる。かわいさ余って次々に足してやると、ヒマワリばかりが無くなってヒエは残る一方だ。ここが辛抱どころだ。ヒマワリの種が無くなっても、しばらく放っておくと、やがてヒエも食べるようになる。

 人間の身体に雑穀米がいいと言われるのと同じなんだな。かわいいからといって、好んで食べるものをどんどんやる。結果それが野鳥達を短命にしている、とその人は言うのだった。

 それでも別荘地に人が来る期間は限られているから幸いだ、と思ったが、常住組やレストラン等も年々増えて、そうとばかりも言っていられない状況になっている。〝野鳥もメタボの時代?〟と、ふと頭を過(よぎ)った。

  コロナウィルスの蔓延(まんえん)がきっかけとなって、自然の中で暮らす人が増えていると聞く。人間が多くなると碌(ろく)なことはない。移り住むのは結構だが、自然界のバランスを崩さないよう心掛けたいものだ。






2022年3月14日月曜日

 コラム260 <「診る」は「見る」のか?>

  一時間、ひどい時には数時間待って、診察は2~3分。大学病院や総合病院などでは特にそうだ。初診ならまだしも、予約していてこうであれば予約の意味はどこにあるのだろうか。これはしばしば話題にのぼるから、大きな病院では常態化していると見て間違いはないだろう。 

 さらにこの診察の2~3分についてである。人を見るならまだしも、パソコンを見るだけを診察と言うのだろうか。電子カルテになり、データを正確に打込まなければならない事情は理解しても、患者達が抱くこの異和感は消えない。中には患者の容態を一瞬にして見抜く神がかり的名医もいないとも限らないが、そんな医師が数多くいるとは到底思えない。 

 同様の状態が何年も続く。患者の側はそんなものだと感覚マヒを起こして、誰も文句を言わないし、病院側にも改善の兆しが無い。こうした状態を恒常的に生んでしまっている根本原因はどこにあるのか。
 患者にメスを入れる外科はあっても、改善もされないまま続く病院のあり方にメスを入れる外科は無い。医師の方も感覚マヒを起こして大きな問題だと思っている人は少ないようだが、容態の思わしくない患者は、待つのに疲れてさらに具合が悪くなって帰ってくる———何とかしなきゃならないんじゃないの?とその都度思う。