2022年3月14日月曜日

 コラム260 <「診る」は「見る」のか?>

  一時間、ひどい時には数時間待って、診察は23分。大学病院や総合病院などでは特にそうだ。初診ならまだしも、予約していてこうであれば予約の意味はどこにあるのだろうか。これはしばしば話題にのぼるから、大きな病院では常態化していると見て間違いはないだろう。 

 さらにこの診察の23分についてである。人を見るならまだしも、パソコンを見るだけを診察と言うのだろうか。電子カルテになり、データを正確に打込まなければならない事情は理解しても、患者達が抱くこの異和感は消えない。中には患者の容態を一瞬にして見抜く神がかり的名医もいないとも限らないが、そんな医師が数多くいるとは到底思えない。 

 同様の状態が何年も続く。患者の側はそんなものだと感覚マヒを起こして、誰も文句を言わないし、病院側にも改善の兆しが無い。こうした状態を恒常的に生んでしまっている根本原因はどこにあるのか。
 患者にメスを入れる外科はあっても、改善もされないまま続く病院のあり方にメスを入れる外科は無い。医師の方も感覚マヒを起こして大きな問題だと思っている人は少ないようだが、容態の思わしくない患者は、待つのに疲れてさらに具合が悪くなって帰ってくる———何とかしなきゃならないんじゃないの?とその都度思う。