コラム266 <いつ、何時、何が役立つか判らない———その②>
入院中、リハビリトレーニングで転倒したことは幸いなかったが、病室の中では数回転んだ。退院後は、まぁ、転んだ、転んだ。山小屋は斜面に建っているから、二棟をつなぐ下り階段(A)、郵便ポストのある道路までの登り階段(B)、それに縁の下の灯油タンクまでの下り階段(C)と、三本の外階段がある。後に手摺を付けてもらったのはA階段のみであるから、残りの二本にはいまだに手摺が無い。
B階段は勾配が最も急で巾も狭い。少し調子のいい日には一本杖で登っていけることもあるが、途中バランスを崩してもんどり打ってひっくり返ったのが3回、A階段でも退院後まもなく、まだ手摺が無い時に転倒して頭を下にして斜面を滑り落ち、大きな石に頭をぶつけて血を流したのが一回。室内にあっては、これも退院後まもなくのことだが、敷ゴザの縁(へり)に脚の装具の先をはさんで厚い一枚板の座卓に左顔面を強打し、三年以上になるというのにその時の打身がしこりとなって残り、いまだに痛い。
車で10分程のところに広い芝生広場のある八ヶ岳農場があり、ちょっと方向を変えれば八ヶ岳美術館の散策コースもあって恵まれた環境にあるが、そちらでも数回転んでいる。内外合計すれば転倒は10回ではきかない。
その都度思うのは転び方と、起き上がり方である。これが大けがもせずに済んでいるのは私が若い頃にやっていた柔道と、小さい頃からやっていたスキーのおかげであるということである。転び方は柔道の受け身が咄嗟に役立っていると思うし、スキーの方は転倒の仕方並びに斜面での起き上がり方に役立っている。足が斜面の上の方にあっては立ち上がれるものでないから、その時は身体が不自由ながらも、もんどり打って両足を斜面の下の方へ持ってくる。こうして立ち上がる体勢を整えるのである。こうした経験がこんな場面で役立つとは思ってもいなかったが、いつ、何時、何が役立つか判らないものである。
だから好き嫌いはともかく、若い内は色んなことを経験しておいた方がいい、と今更ながらに思うのである。