コラム352 <出版文化の衰退②──人間が人間らしくあるために>
私は出版文化の急激な衰えを憂えています。40年近く交流を続けてきた八ヶ岳山麓の今井書店もこの三月でとうとう店を閉じました。どの位衰えているのかは私には判りません。しかし本が読まれなくなり売れなくなって、町場の書店がどんどん消えていっていることだけは事実です。
私が学生だった頃は月刊の建築雑誌を3冊も4冊も定期購読したものですが、今は建築科の学生ですらそんな定期購読者は激減していると聞きます。金額的に見ると、その分スマホに消えている計算になります。
住まい塾では住宅の「設計者養成塾」を長年続けていますが、その養成塾で私が冗談まじりに〝一流の住宅設計者を目指そうというんなら、ユニクロパンツなどはいているんじゃないぞ!〟と言ったら〝タカハシさんは何をはいているんですか?〟と質問が出た。私はこれも冗談まじりにですが
〝KENZOよ〟と答えたら返ってきた言葉が
〝えっ、丹下健三さんって、パンツのデザインもしているんですか?〟
世代の差とはいえ、開いた口が塞がらないとはこういうことを云うのでしょう。
私は先般新型コロナウイルスで亡くなられた国際的なファッションデザイナー高田賢三さんのことを言ったつもりでしたが、今の建築科の学生は建築についても、他分野についても全く関心も勉強も足りません。4年間何をしてきたの?と唖然とすることが少なくないのです。
こうした現象と出版文化の衰えとはどこかで通底していると感じるのは私だけでしょうか。
出版界の名門岩波書店も存続の危機をささやかれた時期がありました。あまり大衆受けしないような価値ある映画を、それでも観て欲しいと上映し続けた「岩波ホール」も閉館しました。東中野にもそのような映画館がありましたが、今はどうなっているでしょう。
我々は何を得、何を失っているのでしょうか?それこそどうでもいいことを沢山得て、失ってはならないものを失い続けているように思えてならないのです。
地球壊滅は人間解体と歩調を合わせてやってきます。人間が何を養い育てるべきかは、胸に手を当てて考えれば、皆すでに判っています。人間であること、人間らしくあることを人生の中で深めること──それ以上に大切なことが、どこにあるというのですか?この地球上に生まれ出た意味と価値が、無知・執着、物欲にあるなどと教えた時代がどこにあったでしょうか。